セルジオ・ペレス(Sergio Pérez Mendoza, 1990年1月26日-)とは、メキシコ人のF1ドライバーである。
概要
1997年からカートを始める。Skip Barber National Championship、フォーミュラBMW、A1グランプリ、イギリスF3、GP2とたどって2011年ザウバーからF1デビュー。チームメイトは小林可夢偉。
笑顔が素敵なイケメン好青年であるため、一部で熱狂的な人気を博しているとか何とか。
2012年は、好調なC31を駆り、中堅チームながら3度も表彰台に上った。この結果を好感し、2013年からマクラーレンでドライブすることが決まった…が、2013年のマクラーレンのマシンは戦闘力不足で、さらにチームメイトのバトンに対して遅れを取ることが多かったため、わずか1シーズンで名門マクラーレンのシートを失うことになってしまった。
2014年からはフォース・インディアと契約してF1に生き残った。それからは度々表彰台に登る中堅ドライバーとして定着し、毎年安定した成績を獲得している。
2016年には中堅チームのフォース・インディアとしては驚異的な101ポイントを稼ぎ、ランキング7位に入るなどシーズンのダークホース的存在であった。翌2017年も表彰台こそ無かったものの、ほぼ同じ100ポイントを稼いでやはりランキング7位となった。
2018年は、ポイント数こそやや減ってランキング8位ではあったが、完走率と入賞率でバツグンの安定性を見せ、アゼルバイジャンGPで当時のトップ3チーム(メルセデス、フェラーリ、レッドブル)以外のチームでは唯一の表彰台を獲得するといった活躍を見せた。
2019年はフォース・インディアが破産後買収され、レーシング・ポイントと改められる中、資金不足によるマシンのパフォーマンス低下が響いて表彰台には登れなかったが、後半戦に連続入賞して見せるなど、変わらずの安定性を見せた。そして、チームとは来年に向けて3年間の長期契約を結んだ。
2020年、マシンが「ピンク・メルセデス」と揶揄される中で、新型コロナ流行の影響で大幅に開幕が遅れてスタート。序盤戦は確実に入賞してみせたが、なんとその新型コロナに自身が感染。2戦を欠場することとなってしまった。だが、それ以外は変わらずに高い入賞率を見せ続け、2012年のザウバー時代以来の2位表彰台も獲得。さらに、サクヒールGPで初優勝も記録した(下記に詳細あり)。
ただ、チーム名を「アストンマーチン」としてトップチームを目指す計画の中で、フェラーリ離脱が決まったセバスチャン・ベッテルの移籍が取り沙汰される。やがてベッテルの移籍が決まり、チームとの長期契約は反故となった。来季2021年については12月初旬現在シートが未定のレッドブル・ホンダへの移籍以外に道がない状態であり、1年間の休養も本人は視野に入れていた。だがレッドブル・ホンダから2021年のドライバーとしてペレスをエントリーすることの正式発表があり、彼は目出度くレッドブル・レーシングの一員となり、またホンダパワーユニットユーザーの一翼を担うこととなった。
エピソード
- ESPNの取材に対し「僕って実は、コース外ではかなりワイルドなんだ!」と答えたらしい。
- タイヤマネジメントには定評があり、他のドライバーより少ないピットインで済ませられるため、気がつけば上位を走っていることが度々ある。
- 小林可夢偉とはチームメイト時代もコース上で競り合うなどライバルとしての印象が強いが、2014年のインタビューで可夢偉を「今までで一番仲の良いチームメイトで、友達のひとり」と表現し、Twitterでもしばしばリプライを送り合っている。
- 2016年にドナルド・トランプがアメリカ大統領に当選した際、ペレスのスポンサーであるサングラスブランドのホーカーズが、Twitterにて「メキシコと米国の国境に壁が建設されたら同社のサングラスで涙を隠すように」とジョークを飛ばしたところ。これを見たペレスは激怒してホーカーズとの契約を即日破棄してしまった。
特筆すべきグランプリ
2011年開幕戦オーストラリアGP
F1デビュー戦で、摩耗しやすいといわれるピレリタイヤをまさかの1ストップ作戦で持たせきり、ポイント圏内の7位フィニッシュを果たす。決勝順位でいきなり小林可夢偉(8位)を上回って見せた。1ストップ作戦を実行したのはペレスだけであった。
しかしその後ザウバーのマシンのリアウィングが規定に違反していることが発覚。小林可夢偉とペレスは失格の憂き目にあってしまう。
ちなみに、翌年の開幕戦オーストラリアGPでも1ストップ作戦を敢行し、終盤は6位を走行していた(結局8位でゴール)。
2012年第2戦マレーシアGP
2012年のマレーシアはレース開始直後から雨脚が強まっていき、大荒れの様相を呈した。予選9位のペレスはスタートではHRTを除く全車と同様インターミディエイトを装着していたが、いち早くウェットタイヤに交換したのが功を奏し、9周目に赤旗中断になる時点で3位までジャンプアップ。
再スタート後、ピット戦略でアロンソに抜かれたが前2台のマクラーレンの前に出て2位に浮上。しかも終盤前を走るアロンソよりもペレスのザウバーの方が明らかに速く、49周目には接近戦にまで持ち込んだ。しかし50周目にミスを犯してコースオフし、アロンソに仕掛けるチャンスを失ってしまう。結局2位でフィニッシュし、自身初の表彰台となった。
2020年第16戦サクヒールGP
2020年のサクヒールGPは、前戦のバーレーンGPと同じサーキットで、インフィールドセクションを使用しないアウタートラック・レイアウトを用いて行われた。
予選5位のペレスは、スタート直後のジャンプアップを狙うが逆に直前のシャルル・ルクレールと接触し、マックス・フェルスタッペンを巻き込む形のアクシデントとなって最後尾まで落ちてしまう。前戦の3位目前でのパワーユニットブローという悲劇に続く不運に見舞われた形だが、ペレスはめげずに挽回を目指した。幸いにして2セット目のタイヤが大当たりであり、本人いわく「リムジンのような」スムーズさで走る彼は次々と前車をオーバーテイクしていく。
レース終盤には3位まで取り戻したが、トップと2位のメルセデスは30秒以上前方であり、またも表彰台を重ねるだけに終わるかと思われた。だが、後方のマシンのクラッシュによるセーフティーカー出動時に、メルセデス2台は連続ピットインをしようとして互いの装着タイヤを取り違えるという信じられないミスを犯す。これによってペレスはトップに浮上。後方からメルセデスのジョージ・ラッセルが2位まで猛追してきたが、これもスローパンクチャーによる再びのピットインを強いられたことで後退。これでペレスは2位以下に10秒差をつけてトップでチェッカーを受けた。
ペレスにとってはなんとデビューから10年目、参戦190戦目にして掴んだ初優勝であり、これは、過去の遅咲き初優勝の記録(マーク・ウェバーの持っていた130戦目)を大幅に更新することになった。そして、メキシコ人ドライバーの優勝は1970年のペドロ・ロドリゲス以来50年ぶり。レーシング・ポイントチームにとってはルーツであるジョーダン・チーム時代以来の優勝となった。
関連動画
関連項目
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