セルヒオ・ラモス(Sergio Ramos García, 1986年3月30日 - )とは、スペインのサッカー選手である。
元サッカースペイン代表。
概要
スペインのセビリア出身。2004年にプロデビューした当時は右サイドバックの選手であった。2005年に名門レアル・マドリーへ移籍。当時19歳で元キャプテンであったフェルナンド・イエロの背番号4を受け継いだ。2009-10シーズンから本格的にセンターバックへコンバートされ、期待に答えるように高いパフォーマンスを披露。以降、チームの顔として成長し、リーガ・エスパニョーラ優勝5回、UEFAチャンピオンズリーグを4回優勝するなど、銀河系軍団の一員として合計22個のタイトル獲得に貢献。
2008年から2012年までのスペイン代表の黄金時代を築いた中心選手の一人でもあり、FIFAワールドカップ優勝とUEFA EURO連覇を経験している。
身長は183cmとポジョション的には高い部類ではないが空中戦に強く、1vs1、カバーリングなども高いレベルでそつなくこなす。またDFでありながら攻撃的な選手としても知られており、セットプレーや果敢な攻撃参加からゴールを決めることも多く、ラ・リーガのDF登録選手としては歴代最多ゴール記録を保持している。一方で熱くなりすぎるあまり審判から忠告を貰うことも多く、イエローカードやレッドカードが絶えない選手でもあり、2018年CL決勝でのモハメド・サラーを負傷させた脇固めに代表されるラフプレーの多さから、ダーティーなイメージが付いてしまっている。
経歴
幼少の頃はサッカーに興味が無く、闘牛士になることを夢見ていたが、母親に反対されたことをきっかけにサッカーを習い始め、6歳のときに地元カマスのクラブへ入団。8歳のときに提携していたセビージャFCの下部組織に入団する。当時のセビージャのカンテラには、ヘスス・ナバスや今は亡きアントニオ・プエルタといった有望な同僚が所属しており、そのなかで頭角を現し順調にステップアップを重ねていく。
セビージャ時代
2004年2月のデポルティーボ・ラコルーニャ戦で17歳にしてトップチームデビューを果たし、当時ホアキン・カパロス監督のもとで成長期にあったチームの中でポジションを掴むようになる。
2004-05シーズンは、セビージャの主力としてフル稼働し、右サイドバックとセンターバックの両方で起用されながらも日増しに評価を高めていく。このシーズンに初めてスペイン代表に招集されるなど、飛躍のシーズンとなり、18歳にして公式戦41試合に出場する。
レアル・マドリード時代
2005年8月リーガ・エスパニョーラの名門レアル・マドリードへの移籍が発表される。移籍金は当時十代の選手として最高記録となる2400万ユーロとなり、フェルナンド・イエロの背番号「4」を譲り受ける。加入後すぐにレギュラーの座を射止めると、センターバックを主戦場としながらボランチや右サイドバックでプレーするなどマルチに活躍。2005年12月5日のUEFAチャンピオンズリーグ・オリンピアコス戦で移籍後初ゴールを決める。
2006-07シーズンは、鳴り物入りで加入したファビオ・カンナヴァーロがリーガへの適応に苦しんでいたこともあり、カンナヴァーロをフォローしながら高い守備力を発揮。最終節までもつれこんだFCバルセロナとの優勝争いを制し、自身初のビッグタイトルとなるリーガ・エスパニョーラ優勝に貢献する。
2007-08シーズンからは、この年就任したベルント・シュスター監督の意向もあって右サイドバックが主戦場となる。1対1の強さをベースとした守備だけでなく、大胆な攻撃参加による攻撃力も発揮し、2008年5月4日のCAオサスナ戦では、試合終了間際のゴンサロ・イグアインのゴールをアシストしてリーガ連覇に導く。また、最終節のレバンテUD戦ではプロとなってから初となる1試合2ゴールを記録する。2008-09シーズン、2009-10シーズンはチームが過渡期に差し掛かっていたこともありタイトルを獲得することはできなかったが、2010年2月21日のビジャレアルFC戦でリーグ戦150試合出場を果たすなど、チームに欠かせない存在であり続けていた。
ラウール・ゴンザレスとグティが退団したことで2010-11シーズンから副キャプテンに任命される。しかし、南アフリカW杯で決勝まで戦い抜いた疲労を開幕後も抱えていたことから、例年と比べて安定性を欠いていた。2010年11月23日のCLアヤックス戦では、遅延行為で故意に退場したと批判を受け、UEFAから罰金処分を科せられる。6日後に開催されたバルセロナとのエル・クラシコでもリオネル・メッシに激しいタックルを見舞い、抗議したカルレス・プジョルを突き飛ばしたことでまたも退場となり、クラブの最多退場記録に並んでしまう。2011年4月20日にはコパ・デルレイ決勝でバルセロナを下し、優勝に貢献。その優勝セレモニーで優勝カップをバスから落として破壊してしまう前代未聞の事件を起こす。また、この頃ジョゼ・モウリーニョ監督との確執が取りざたされ、後にこの事実を認めている。
2011-12シーズンからはリカルド・カルヴァーリョが長期離脱したこともありセンターバックで固定されるようになり、以降のキャリアではセンターバックで定着する。これによって、チームのディフェンスリーダーとしての立場が不動のものとなり、爆発的な攻撃力を見せたチームを最後尾から支え続ける。数年間後塵を拝していた宿敵バルセロナを直接対決で下し、勝ち点100を記録しての自身3度目となるリーガ優勝を達成。一方、CLでは準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦でPK戦までもつれこみ、4人目のキッカーを務めるも失敗してしまい、悲願のビッグイヤー獲得を逃す。
2012-13シーズンは、イケル・カシージャスとモウリーニョ監督の対立が表面化し、ロッカールームでチーム間に溝が広がり、不協和音の中でプレーすることとなる。ラモスは、カシージャスを支持する立場を取り、フロレンティーノ・ペレス会長に対しモウリーニョが残るなら自分たちがチームを去ると通告。結果として、このシーズンを最後にモウリーニョ監督が解任となる。
2013-14シーズンはリーグ戦では三つ巴となった優勝争いに敗れて、アトレティコ・マドリードに優勝を持って行かれる。一方、CLではカルロ・アンチェロッティ監督のもとでチームが団結し、2014年4月30日におこなわれた準決勝バイエルン戦では、アウェイの2nd legの前半に2ゴールを決め、決勝進出に貢献する。5月24日のアトレティコ・マドリードとの決勝では、1点ビハインドで崖っぷちに立たされた試合終了間際にルカ・モドリッチのコーナーキックに飛び込んでヘディングシュートを決め、土壇場での同点ゴールによりチームを救う。延長戦に入り、クリスティアーノ・ロナウドが2ゴールを決め、チームは悲願のデシマ(10回目の優勝)を達成。自身のキャリアでも初のCL優勝となった。
2014年12月にモロッコで開催されたFIFAクラブワールドカップ2014では、準決勝のクルス・アスル戦と決勝のサン・ロレンソ戦で2試合連続ゴールを決め、大会の得点王とゴールデンボールを受賞。チームのクラブ世界一に貢献する。しかし、2015年2月5日のセビージャ戦で足を痛めたことで1か月間戦線を離脱。CLの準決勝ユヴェントス戦では、怪我のモドリッチに代わって中盤で起用されるが、力を発揮できずに敗れ、連覇を逃し、シーズン無冠に終わる。
2015年夏にカシージャスが退団したことで、2015-16シーズンからは子供の頃からの夢だったというレアル・マドリードのキャプテンに就任する。リーガでは終盤で驚異的な追い上げを見せたもののバルセロナの優勝を許してしまったものの、CLでは自身2度目となる決勝進出を果たす。決勝ではまたもアトレティコと対戦し、前半15分に2年前と同じくセットプレーから先制ゴールを決める。試合はPK戦の末に勝利し、レアルが11度目のCL優勝を達成。キャプテン就任1年目にしてビッグイヤーを掲げることとなる。
2016-17シーズンは、2016年9月10日のオサスナ戦でゴールを決めたことにより、リーガ・エスパニョーラではタイ記録となるDFとしての13シーズン連続ゴールを達成。2017年4月23日におこなわれたバルセロナとのエル・クラシコではメッシへ危険な両足タックルを敢行し、退場となる。それでも最終的にはバルセロナの追い上げを振り切り、5年ぶりにリーガ優勝を果たす。また、CLでも決勝へ進出し、ユヴェントスの攻撃陣を1点に抑えて連覇に貢献。史上初めて2年連続でビッグイヤーを掲げたキャプテンとなる。
2017-18シーズンはラフプレーの多さが悪目立ちしたシーズンとなる。2017年12月2日のアスレティック・ビルバオ戦で通算19回目の退場処分を受け、リーガ歴代最多退場記録を更新。この月のクラシコでも主審には見逃されたが、ルイス・スアレスの顔面を殴り、批判を受ける。さらには、2018年2月21日のレガネス戦で警告を受けたことで通算警告数が163に到達し、リーガ歴代最多警告数まで更新してしまう。CLでは決勝でリヴァプールを破り、CL3連覇という偉業を成し遂げるが、この試合の前半にモハメド・サラーを負傷退場に追い込んだラフプレーがリヴァプールサポーターやサラーの母国であるエジプトを中心に批判の的となる。大会後、サラー自身もラモスへの怒りの胸中をコメントしている。また、この試合で2度の致命的ミスを犯したリヴァプールのGKロリス・カリウスに対しても、直前の競り合いで顔面に肘打ちをしており、これで脳震盪を起こしたことがミスに繋がったという声もあがる。いずれにせよ、3連覇以上に悪い意味で話題となってしまった。
2018-19シーズンからはクリスティアーノ・ロナウドがチームを去ったこともあり、PKのキッカーを務める機会が増える。リーガでは、2018年10月28日のクラシコでメッシ不在のバルセロナにホームで5失点を喫する屈辱的な大敗により、優勝戦線から早々と離脱。CLでは、ラウンド16のアヤックス戦1st legで糸季的にイエローカードを受けた旨の発言をし、2試合の出場停止処分を科される。さらにチームが大敗した2nd legで自信のドキュメンタリー映画の撮影をしていたことが発覚し、批判を受ける。また、シーズン中にペレス会長と衝突したことから退団が噂されが、2019年5月30日にチーム残留を表明する。
2019-20シーズンは、守備の強度が増したチームを牽引。このシーズンにおこなわれた二度のクラシコでは、バルセロナの強力攻撃陣をいずれも完封している。また、2020年6月24日のマジョルカ戦でPKによるゴールを決めて通算得点数を69とし、ロナルド・クーマンが保持していたDF登録選手の最多得点記録を更新。特に新型コロナウィルスによる中断明けとなった10試合では6ゴールを決めるなど、シーズンの得点数はキャリア最多となる11ゴールにまで達し、3シーズンぶりのリーガ制覇に攻守両面で貢献。一方、CLでは、2月26日のラウンド16 マンチェスター・シティ戦1st legで退場となり、CLでも史上最多タイとなる4度目の退場処分となる。8月7日におこなわれた2nd legでは自身の出場停止が響く形となり、チームはベスト16で姿を消すこととなる。
2020-2021シーズンもチームの絶対的なリーダーとして君臨。2020年10月7日におこなわれたバルセロナとのクラシコでは、守備の要としてバルセロナの攻撃陣を相手に奮闘し、後半18分にはPKで勝ち越しゴールを奪い、敵地での勝利に貢献。また、11月3日のCLインテル戦でゴールを決め、DFながらクラブでの通算ゴール数が100に到達する。2021年1月頃から左膝の負傷のために欠場が続くと、2月7日に左膝内側半月板の手術を受け、長期の戦線離脱が報じられる。復帰した後も新型コロナウィルス感染、さらに負傷を繰り返すなど後半戦をほぼ棒に振り、ラ・リーガやCLの重要な時期に不在となることが多く、チームも無冠に終わっている。また、チームとの契約延長交渉が難航し、移籍の噂が耐えなかった。そして、6月16日クラブ側との折り合いが付かず、13年間所属したレアル・マドリードからの退団が発表される。翌日には退団セレモニーがおこなわた。
パリ・サンジェルマン時代
2021年7月8日、フランス・リーグ・アンのパリ・サンジェルマンへ2年契約で移籍することが発表される。背番号はレアル・マドリード時代と同じ「4」。しかし、前年の負傷から復帰の目途が立たず、PSG側が契約の解除を検討しているという報道が出るようになる。11月28日、リーグ・アン第15節サンテティエンヌ戦で加入から4か月から経過し、ようやく新天地でのデビューを果たす。だが、その後も怪我を繰り返し、CLラウンド16での古巣との対戦にも出場できず、出場12試合のみという不本意な移籍1年目となった。
2年目の2022-23シーズンは新監督のクリストフ・ガルティエが3バックを採用したことで3バックの右CBとして開幕からスタメンに名を連ねる。2022年10月8日リーグ・アン第10節スタッド・ランス戦では通算28回目となる退場処分を受ける。その後もコンスタントにスタメンとして起用され、CLではラウンド16で敗れたものの、久々にシーズンをフルに稼働できるコンディションを維持し、リーグ・アン優勝に貢献する。2023年6月2日に契約満了により退団することが発表される。翌日に開催されたPSGでのラストマッチとなったクレルモン戦では先制ゴールを決めている。
セビージャ復帰
2023年9月4日、古巣であるスペイン・ラ・リーガのセビージャFCに18年ぶりに復帰する。9月17日、ラ・リーガ第4節ホームのラス・パルマス戦で二度目のデビューを果たす。10月21日には2021年に退団して以来初めて古巣レアル・マドリードと対戦。10代でのレアル・マドリード移籍や、過去の試合中ラモスに罵声を浴びせていたセビージャのサポーターに向けて挑発行為を行ったことなどがあり一部サポーターはこの移籍に否定的であり、ラモスも「クラブを離れてから18年間、僕は間違いを犯した」と謝罪した。11月29日に行われたUEFAチャンピオンズリーグPSVアイントホーフェン戦でラモスが決めた移籍後初ゴールとなる先制点が大会通算1万得点目となる。2024年2月25日、ラ・リーガ第26節セルヒオ・ラモスは2021年にクラブを去った後、レアル・マドリードと対戦するためにサンティアゴ・ベルナベウに戻ったが、チームは1-0で敗れる。後半戦は3バックの中央に定着したこともあってDFリーダーとして存在感を発揮し、持ち前のリーダーシップで低迷するチームを牽引。
シーズン終了後の6月17日、わずか1年で退団することが発表される。
スペイン代表
2004年にU-19スペイン代表に選出され、7月に開催されたUEFA U-19欧州選手権に出場し、ダビド・ルイスやロベルト・ソルダード、ボルバ・バレロと共に優勝を経験。
2005年に初めてスペイン代表に選出され、3月26日の中国との親善試合で18歳でフル代表デビューを果たし、当時の最年少出場記録を樹立。そのまま右サイドバックのレギュラーに定着すると、10月のドイツW杯欧州予選サンマリノ戦で代表初ゴールを決める。
2006年にドイツで開催された2006 FIFAワールドカップのメンバーにも選出。チームで2番目に若い20歳ながらも4試合中3試合に右サイドバックのレギュラーとして出場。3試合全勝でグループリーグを突破するが、ラウンド16でフランスと対戦し、2失点目の場面では自らのマークを外されて、セットプレーからパトリック・ヴィエラに決められ、敗れている。
2007年にセビージャ時代からの親友であるプエルタが急死したことから、プエルタが代表デビューした際の背番号である「15」を付けるようになり、今日に至るまで代表では一貫して15番を背負っている。EURO2008予選では、11試合に出場して2得点を記録し、スウェーデンを抑えての本大会出場に貢献。
2008年6月にスイスとオーストリアの共同開催となったUEFA EURO2008に出場。右サイドバックとして豪華なタレントがズラリと揃った中盤をサポートしながら攻守にわたってチームを助け、決勝のドイツ戦ではマッチアップしたルーカス・ポドルスキを見事に完封する働きを見せる。チームもクリーンシートを達成して勝利し、スペインに1964年以来となるビッグタイトルをもたらす。優勝セレモニーでは、プエルタの顔写真がプリントされたTシャツを披露している。
ビセンテ・デルボスケ監督が就任した南アフリカW杯予選でも引き続き右サイドバックの主力を務め、10試合全勝という圧倒的な強さでの予選通過に貢献。2009年6月に南アフリカで開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2009にも出場するが、準決勝のアメリカ戦に敗れ、2006年から続いた連続無敗記録が34試合で途絶える。
2010年6月には、2度目のワールドカップとなった2010 FIFAワールドカップに出場。初戦のスイス戦で敗れる波乱を起こされてしまうが、以降は本来の安定した強さを取り戻し、自身も試合ごとに調子を上げて、攻守に躍動する。決勝トーナメントに入ってから決勝までは4試合連続でクリーンシートを成し遂げ、スペインのワールドカップ初優勝に貢献。全試合にスタメンとして出場し、FIFAが選出する大会のベストイレブンに選ばれる。優勝セレモニーでは今回もプエルタの顔写真がプリントされたTシャツを着用し、「この優勝を亡きアントニオ・プエルタに捧げる」とコメントしている。
南アフリカW杯以降は、プジョルが怪我もあって代表から遠ざかったこともあり、ジェラール・ピケとのコンビで本職のセンターバックで起用されるようになる。2012年6月に開催されたUEFA EURO2012では、グループリーグ初戦のイタリア戦以降の全試合で完封勝利を飾る。特に準決勝のポルトガル戦では、レアルでのチームメイトであるクリスティアーノ・ロナウドを120分間抑え込み、PK戦でも4人目のキッカーとして成功させている。主要な国際大会に3大会連続で優勝するという初の偉業を成し遂げ、大会の優秀選手に選出されている。優勝後は、三度プエルタの顔写真がプリントされたTシャツを披露している。
EUEO2012後にスタートしたブラジルW杯欧州予選では、2012年10月16日のフランス戦で先制ゴールをマーク。2013年3月22日のフィンランド戦では、スペイン代表史上最年少となる27歳での100試合出場を達成し、この試合でも先制ゴールを決めている。フランスを抑えて首位での本大会出場を決めている。
2014年6月、自身3度目の出場となる2014 FIFAワールドカップに出場。しかし、初戦のオランダ戦で相手のカウンターの前に守備が崩壊し、5失点を喫してまさかの大敗を喫してしまう。続くチリ戦でも0-2で敗れ、なんと2試合でグループリーグ敗退が決定。崩れてしまった守備のバランスを立て直せないまま、スペイン代表の黄金時代は終焉を迎える。
2016年6月に開催されたUEFA EURO2016では、カシージャスが控えに回ったことでキャプテンマークを巻いての出場となる。初戦のトルコ戦で開始早々に警告を貰うが、その後は安定したプレーを披露し、2試合連続での完封勝利に貢献し、グループリーグを突破。しかし、準々決勝ではイタリアに完敗し、ベスト8で敗退となる。
ロシアW杯予選からは正式にスペイン代表のキャプテンに任命され、4度目のワールドカップとなる2018 FIFAワールドカップはキャプテンとして出場することになる。ところが、試合直前の2018年6月18日にレアル・マドリードと契約を結んだフレン・ロペテギ監督が突如解任となり、両方のチームのキャプテンであることから難しい立場に立たされる。事実上監督不在で大会に挑む異常事態の中、グループリーグは何とか突破したものの、ラウンド16で開催国のロシアにPK戦の末に敗れる。
ロシアW杯後、アンドレス・イニエスタやダビド・シルバ、ピケといった同世代の選手が代表を去ったが、引き続きスペイン代表としてのプレーを継続。2019年10月12日のEURO2020予選ノルウェー戦で代表通算168試合出場に到達し、カシージャスの持つスペイン代表最多キャップを更新する。2020年9月7日におこなわれたUEFAネーションズリーグ(UNL)のウクライナ戦では2ゴールを決めて体表通算得点を23得点に伸ばし、元アルゼンチン代表のダニエル・パサレラの記録を更新し、DFとして代表史上最多得点記録保持者となる。11月14日のUNLスイス戦で代表キャップ数が177試合に到達し、ジャンルイジ・ブッフォンが保持していた欧州歴代最多代表キャップ数を塗り替える。しかし、この試合では2本のPKを失敗してしまい、チームは1-1で引き分けている。
2021年5月に発表されたEURO2020のメンバーからまさかの落選。大きな話題となったが、ルイス・エンリケ監督は度重なる怪我によって2021年に入っての公式戦で5試合にしか出場できていないことを理由に挙げている。リーグ戦で怪我から復帰後も代表に呼ばれることはなく、2022 FIFAワールドカップのメンバーからも漏れている。
2023年2月23日、代表監督に就任したばかりのルイス・デ・ラ・フエンテから今後代表に招集されない旨を告げられたことを受け、代表からの引退を表明する。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2001-03 | セビージャB | セグンダ | 1 | 0 | |
2002-03 | セビージャB | セグンダ | 25 | 2 | |
2003-04 | セビージャ | ラ・リーガ | 7 | 0 | |
2004-05 | セビージャ | ラ・リーガ | 31 | 2 | |
2005-06 | セビージャ | ラ・リーガ | 1 | 0 | |
レアル・マドリード | ラ・リーガ | 33 | 4 | ||
2006-07 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 33 | 5 | |
2007-08 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 33 | 5 | |
2008-09 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 32 | 4 | |
2009-10 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 33 | 4 | |
2010-11 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 31 | 3 | |
2011-12 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 34 | 3 | |
2012-13 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 26 | 4 | |
2013-14 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 32 | 4 | |
2014-15 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 27 | 4 | |
2015-16 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 23 | 2 | |
2015-16 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 23 | 2 | |
2016-17 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 28 | 7 | |
2017-18 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 26 | 4 | |
2018-19 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 28 | 6 | |
2019-20 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 35 | 11 | |
2020-21 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 15 | 2 | |
2021-22 | パリ・サンジェルマン | リーグ・アン | 12 | 2 | |
2022-23 | パリ・サンジェルマン | リーグ・アン | 33 | 2 | |
2023-24 | セビージャ | ラ・リーガ | 28 | 3 |
プレースタイル
スピード、身体能力、危機予測能力、デュエルとDFに必要とされる能力を全て持ち合わせる世界最高クラスのセンターバック。特にカバーリングセンスの高さとカバーエリアの広さは特筆すべきものがある。レアル・マドリードは高い位置を取り続ける左サイドバックのマルセロの裏のスペースが長年の弱点となっているが、これをセルヒオ・ラモスのカバーによって補っている。
また、相手の行動を先読みする能力が高く、数的不利の局面であっても先読みすることで相手よりも速く反応することができ、持ち場を離れて対応しても問題なくピンチの芽を摘むことができる。身長はさほど高くはないものの、競り合いや空中戦の強さも群を抜いており、対人守備の強さに関しては絶対の自信を持っている。
2019-20シーズンに二桁ゴールを記録するなど、DFとしては桁外れの得点力を武器としており、ヘディングの強さを活かしたセットプレーからの得点はもちろん、思い切った攻撃参加からFW顔向けの動きができ、困難な体勢からも強引にゴールにねじ込むことができる。CL決勝で2年連続でゴールを決めるなど、大舞台ほどその得点力が発揮されることが多い。足元の技術も高く、ロングフィードを左右に蹴り分けることができ、ビルドアップでもの貢献も大きい。
弱点は、やはりファウルやラフプレーの多さで、気持ちの強さが悪い方向に向かってしまう傾向がある。イタリア代表の名センターバックであるジョルジョ・キエッリーニは、セルヒオ・ラモスのメンタルやリーダーシップを高く評価する一方、CL決勝でサラーを負傷させた件に代表される、故意に相手選手を怪我させる行為を批判している。
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