「セレッソ大阪」は、有能な指導者のもとチーム力の強化に全力を傾注し、目指すはJリーグ優勝です。更に、将来的には大阪を、そして日本を代表するチームへと飛躍をとげたいと願っております。
また、弊社は「For the Top of Dreams」をスローガンとし、「スポーツを通じて夢と喜びを提供する」企業として、多くの方々のご支持を得ながら、市民スポーツの振興と地域社会への貢献のために、日々精進する所存でございます。
つきましては、私どもの諸活動に関しまして、何卒ご理解を賜りご支援ご協力をお願い申し上げる次第でございます。
セレッソ大阪とは、大阪府大阪市と堺市をホームタウンとするプロサッカークラブである。
概要
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前身は日本サッカーリーグ(JSL)時代の強豪、ヤンマーディーゼルサッカー部。1995年にJリーグに加入する。
市民の公募によって決まったチーム名「セレッソ(CEREZO)」はスペイン語で「桜」を意味し、大阪市の花である桜にちなんでつけられた。マスコットは、知性と敏捷性を兼ね備え、集団で狩りを行う狼。名前は「ノブレ・バリエンテ・アッチェ・ロビート・デ・セレッソ(高貴で勇敢な由緒あるセレッソ家のオオカミの息子)」、通称ロビーくん。 余談ではあるが、めちゃイケ新メンバーオーディションに参加したこともある。またロビーくんの母親のマダム・ロビーナはいわゆる「大坂のオバチャン」をモチーフにしたマスコットである。
創設からの特徴としてチームの波が激しく、クラブのシンボル「桜」のように満開と散華を繰り返してきた歴史を持つ。2000年、2005年には熾烈な優勝争いを繰り広げるものの、あと一歩のところでリーグ覇者の座を逃す。そしてその翌年の2001年、2006年にはそれぞれJ2に降格を経験。この優勝争いから降格という落差から、「ジェットコースタークラブ」と評されたこともあった。2010年にJ1に復帰し、三度優勝争いに絡む。この年も最終的に優勝を逃してしまうが、翌年「ジェットコースター」の再現を回避、2014年にJ2降格。2016年昇格プレーオフにてJ1昇格が決定する。
もう一つの特徴として挙げられるのは攻撃的な選手を多く輩出していることである。ミスターセレッソの森島寛晃、森島との名コンビでクラブはもちろん、代表でも活躍した西澤明訓は長年セレッソを牽引してきた。またボルシア・ドルトムントを経てマンチェスターユナイテッドへ移籍し世界にその名を轟かせた香川真司やこれまで日本人にとっての鬼門だったラ・リーガで100試合以上に出場した乾貴士、ドイツのニュルンベルクで活躍した清武弘嗣、後に名門リヴァプール移籍を果たした南野拓実などは、それぞれセレッソの名伯楽レヴィー・クルピの薫陶を受け世界に羽ばたいていった。また、後に3年連続Jリーグ得点王に輝く大久保嘉人もここでプロデビューしている。
一方で守備面はこれまで崩壊することが多く、しばしば破壊の鉄球、おなべのふたなどと揶揄されてきたが、ミゲル・アンヘル・ロティーナが監督を務めていた時期は安定した守備組織が武器のチームに仕上がるなど近年は改善されつつある。チームは意外にもずっとタイトルに手が届かずにいたが、2017年にルヴァンカップと天皇杯のカップ戦二冠を達成している。
現役時代は「ミスター・セレッソ」と称され現在はクラブ社長である森島寛晃が背負っていた背番号「8」がクラブのエースナンバーとなっており、その後香川真司、清武弘嗣、柿谷曜一朗、乾貴士という日本を代表する名選手に受け継がれた由緒ある番号となっている。
クラブの歴史
- 1993年、ヤンマーディーゼルサッカー部を母体としてセレッソ大阪が発足。1994年にパウロ・エミリオが初代監督に就任し、JFL優勝を果たす。これによってプロ化から2年でJリーグ昇格が決定。また、この年の第74回天皇杯では準優勝という好成績を残す。
- Jリーグ初参戦となった1995年は、年間8位と昇格組としてはまずまずの成績を残し、森島寛晃がベストイレブンに選出され、日本代表入りも果たす。しかし、翌年はリーグ戦10連敗を経験するなど低迷し、シーズン途中でエミリオ監督が解任となる。
- 1997年にレヴィー・クルピが監督に就任し、攻撃サッカーの基盤を作るも1年で古巣のクルゼイロへ戻る。
- 1998年には松木安太郎が監督に就任するも守備が崩壊。特に4月15日のジュビロ磐田戦では中山雅史一人に5ゴールを決められ、9失点を喫している(現在もリーグの1試合最多失点記録)。また、8月8日の柏レイソル戦では5-7というサッカーのスコアとは思えない乱打戦の末に敗れている。
- 1999年は黄善洪が24ゴールを挙げ、チーム初の得点王のタイトルを獲得。
- 2000年の1stステージでは、凸凹コンビと呼ばれた西澤明訓と森島寛晃の2トップが抜群の補完性を見せて躍動。旋風を起こし、ステージ優勝まであと1勝というところまで迫るが、最終節で川崎フロンターレを相手にVゴール負けを喫し、ステージ優勝を横浜F・マリノスに持っていかれる。
- 2001年は海外へ移籍した西澤の穴が埋められず、前年の躍進が嘘のように開幕からチームは低迷。シーズン途中にジョアン・カルロスが監督に就任するもチーム状態は一向に上向かず、リーグ戦残3試合を残してJ2降格が決定。なお、J2降格が決定してから公式戦7連勝を記録し、天皇はでは準優勝を果たしている。
- 降格したにも関わらずほとんどの主力が残留したこともあって2002年のJ2リーグを2位で終え、無事1年でのJ1復帰に成功する。なお、J2リーグ所属だったにも関わらず2002 FIFAワールドカップには森島寛晃、西澤明訓、尹晶煥の3選手が出場している。
- J1リーグ復帰以降は、大久保嘉人がエースとして活躍するが、チームの成績は振るわず。2004年は開幕前から監督人事に関するアクシデントが頻発したことで現場が混乱し、J2降格の危機に直面するも最終節でどうにかJ1残留を果たす。
- 2005年は外国人を東欧路線からブラジル路線に変更。攻守の歯車が噛み合うようになったことによって優勝争いを演じるほど躍進を遂げ、終盤戦に入って首位に立つ。勝てば優勝決定、敗戦・ドローで自力優勝が消えるという状況で迎えた最終節・FC東京戦で1点リードしていたが、アディショナルタイムで同点に追いつかれ、本当にあと一歩のところで初優勝を逃す。この出来事は「長居の悲劇」と呼ばれている。
- 有望株の新人が多く入団し、期待が膨らんだ2006年だったが、開幕から大きく低迷。監督の交代、名波浩の加入、大久保の復帰とテコ入れを図るも年間17位でシーズンを終え、5シーズンぶりのJ2降格が決定。躍進した次の年に降格するという悲劇が繰り返された。
- 前回と違い、今回の降格によって大久保ら主力が移籍。そのため2007年は開幕から躓き、中位に低迷する。5月に監督、フロントを入れ替え、レヴィー・クルピが10年ぶりに監督に復帰。香川真司が主力として定着するようになり、アンダー代表に呼ばれる有望な若手が次々と抜擢され、成績も上向きになるが一気に顔ぶれが変わったメンバーの選定に時間を要したこともあってJ1復帰を逃す。
- 2008年もクルピ監督の方針によって成長著しい若手が次々と抜擢され、チーム内の競争が激しくなる。しかし、シーズンを通して上位争いに食い込みながら、一歩及ばず4位に終わる。
この年を最後に「ミスター・セレッソ」森島寛晃が現役を引退。森島の付けていた背番号8は香川に継承され、以降クラブのエースナンバーという位置づけになる。 - クルピ政権3年目となった2009年はマルチネス、チアゴ、キム・ジンヒョンという外国人勢の補強によって課題であった守備が安定。攻撃陣は香川真司と乾貴士のコンビが二人合わせて47ゴールを決めるなど大爆発。優勝こそ逃したが、J2では規格外といえる攻撃力を発揮し、年間勝ち点104まで積み上げてのJ1復帰を果たす。
- 2010年は4年ぶりのJ1となったが、香川と乾のコンビはここでも躍動。7月に香川はボルシア・ドルトムントへ移籍するが、清武弘嗣や家長昭博が香川の穴を埋める活躍を見せたことでチームは好調を維持。J1昇格1年目にして3位という好成績を残す。
- 2011年は乾がクルピの怒りを買って出場停止となり、その後7月にドイツへ移籍。清武、播戸竜二の奮闘もあってJ1には残留したが、12位に終わる。シーズン終了後、クルピが退任を表明。ところが、翌年に成績が低迷していたことでわずか半年でチームに復帰する。
- 2013年にはガンバ大阪とヴィッセル神戸がJ2に降格したことにより、関西唯一のJ1クラブとなった(逆に4年前の2009年は関西唯一のJ2クラブだった)。柿谷曜一朗、山口螢、扇原貴宏、南野拓実の活躍もあり、夏ごろから人気が上昇。練習グラウンドにも若い女性が詰めかけるようになり、メディアも「セレ女」などと報じるようになった。4位と好成績を残したが、「クラブのフィソロフィを変えたい」という当時の社長の意向からクルピら現場スタッフ、強化部長の梶野智が一斉に退任する、
- 2014年には2010年ワールドカップ得点王のディエゴ・フォルランを獲得し、悲願の初優勝を狙う。ところが、優勝どころか怪我人の続出、代表勢のコンディションの低下、フォルランの孤立、監督交代の連続による混乱によって3度目のJ2降格という最悪の結果となった。
この年よりホームタウンが堺市にまで拡大される。 - 2015年はシーズン中盤あたりで失速。シーズン終盤に強化部長の大熊清が監督に就任するゴタゴタ劇もあり、昇格プレーオフ決勝でアビスパ福岡に敗れ、1年でのJ1復帰を逃す。
- 2016年は海外に移籍していた柿谷、山口蛍が復帰。自動昇格圏の3位以内には入れず、4位でシーズンを終える。この結果、2年連続で昇格プレーオフに進出するが、今回は決勝でファジアーノ岡山を破り、3年ぶりにJ1へ復帰する。
- J1に復帰した2017年からサガン鳥栖の監督として結果を残したクラブOBの尹晶煥が監督に就任。山村和也のトップ下コンバートの成功、1トップに入った杉本健勇のブレイクによりシーズン前半戦は首位で折り返す。夏場に失速するもシーズン終盤戦に5連勝と盛り返し、最終的に3位という好成績を残す。ちなみにプレーオフで昇格したチームのJ1残留は史上初の出来事だった。
また、ルヴァンカップでは決勝で川崎フロンターレを2-0で下し、チームにとって悲願の初タイトルを獲得する。さらに4度目の決勝進出となった第97回天皇杯でも決勝で横浜F・マリノスを破り、初優勝。これによってカップ戦二冠を達成した大きな飛躍を遂げたシーズンとなる。 - 2018年はゼロックス・スーパーカップを制覇するも、前年躍動した杉本の不振、ACLとの兼ね合いの過密日程などが原因で7位に終わる。また、ACLよりもJリーグを優先するメンバー選考を肯定した尹晶煥監督の発言が物議を醸す。シーズン終了後、山口蛍ら主力の多くが退団。
- 2019年からスペイン人のミゲル・アンヘル・ロティーナが監督に就任。さらにクラブのバンディエラである森島寛晃が社長に就任。ロティーナは前任者の築いた組織的な守備に戦術的緻密さを加え、マテイ・ヨニッチを中心とした強固な守備が武器のチームに仕上げる。2019年はリーグ最少の25失点で5位、2020年は新戦力の坂元達裕やユーティリティプレイヤーの片山瑛一がロティーナ戦術の肝として機能し4位でACL出場権獲得と結果を残す。
ところが、強化部は攻撃面を問題視し、2020年11月にロティーナの退任を発表する。安定した結果を残したロティーナを切ることにサポーターからは反対の声が挙がり、他チームのサポーターからも疑問の声が出るほどだった。 - 2021年はレヴィー・クルピが2013年以来4度目の復帰を果たも成績不振に陥り、8月で解任となる。小菊昭雄が監督に昇格し、乾貴士が10年ぶりに復帰したことで降格は回避できたが12位に終わる。
- 2022年は乾が後半途中に交代する際スタッフに暴言を吐いた事などを理由に謹慎処分が下り、計8試合の出場停止および全体練習への参加が禁止される。しかし当初の期限である5月14日を過ぎてもセレッソ側からの連絡はなく、その後報道を皮切りに森島社長から慌ててメディア等で対応があったが両者の溝は既に決定的となり、6月9日に契約解除となる。だが、チームに動揺が走ることもなく前年から引き続いてのJ2の有力選手を多く引き抜いた補強戦略が当たり、5位に入る。ルヴァンカップでは決勝まで残るが、サンフレッチェ広島に敗れタイトル獲得はならず。
- 2023年はレオ・セアラ、ジョルディ・クルークスとJ1での実績がある外国人を補強。さらに、開幕直前に香川真司が13年ぶりに復帰する。開幕から主力に怪我人が続出したものの、小菊監督のマネジメント力と香川のアンカー起用が嵌り、上位争いに加わっていく。しかし、後半戦はさらに怪我人が続出したことで失速。第27節以降は1勝1分6敗と低調なまま前年を下回る9位に終わる。
主なタイトル
国内タイトル
個人タイトル
現在の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
- | 監督 | 小菊昭雄 | 1975.7.7 | 2021 | セレッソ大阪コーチ | ||
1 | GK | ヤン・ハンビン | 1991.8.10 | 2023 | FCソウル | ||
3 | DF | 進藤亮佑 | 1996.6.7 | 2021 | 北海道コンサドーレ札幌 | ||
4 | MF | 平野佑一 | 1996.3.11 | 2024 | 浦和レッズ | 【完】 | |
5 | MF | 喜田陽 | 2000.7.4 | 2017 | アビスパ福岡 | 【H】 | |
6 | DF | 登里享平 | 1990.11.13 | 2024 | 川崎フロンターレ | 【完】 | |
7 | MF | 上門知樹 | 1997.4.27 | 2022 | ファジアーノ岡山 | ||
8 | MF | 香川真司 | 1989.3.17 | 2023 | シント=トロイデン | 【H】 | |
9 | FW | レオ・セアラ | 1995.2.3 | 2023 | 横浜F・マリノス | ||
10 | MF | 田中駿汰 | 1997.5.26 | 2024 | 北海道コンサドーレ札幌 | 【完】 | |
14 | DF | 船木翔 | 1998.4.13 | 2016 | SC相模原 | 【H】 | |
16 | DF | 奥田勇斗 | 2001.4.21 | 2023 | 桃山学院大学 | 【卒】 | |
17 | MF | 阪田澪哉 | 2004.5.11 | 2023 | 東山高校 | ||
19 | DF | 為田大貴 | 1993.8.24 | 2021 | ジェフユナイテッド千葉 | ||
21 | GK | キム・ジンヒョン | 1987.7.6 | 2009 | 東国大学 | ||
22 | DF | 髙橋仁胡 | 2005.8.17 | 2024 | FCバルセロナ U-19 | 【完】 | |
23 | DF | 山下達也(C) | 1987.11.7 | 2022 | 柏レイソル | 【H】 | |
24 | DF | 鳥海晃司 | 1995.5.9 | 2021 | ジェフユナイテッド千葉 | ||
25 | MF | 奥埜博亮 | 1989.8.14 | 2019 | ベガルタ仙台 | ||
27 | FW | カピシャーバ | 1997.1.9 | 2023 | ジュベントゥージ | ||
29 | FW | 山﨑凌吾 | 1992.9.20 | 2024 | 京都サンガ.F. C. | 【完】 | |
31 | GK | 清水圭介 | 1988.11.25 | 2022 | 京都サンガ.F. C. | ||
33 | DF | 西尾隆也 | 2001.5.16 | 2020 | セレッソ大阪U-18 | 【H】 | |
35 | FW | 渡邊りょう | 1996.10.25 | 2023 | 藤枝MYFC | ||
38 | FW | 北野颯太 | 2004.8.13 | 2020 | セレッソ大阪U-18 | 【H】 | |
45 | GK | イシボウ拳 | 2007.8.29 | 2024 | セレッソ大阪U-15 | 【2】 | |
47 | FW | 古山兼悟 | 2002.7.11 | 2024 | 大阪体育大学(在学中) | 【特】 | |
48 | MF | 柴山昌也 | 2002.7.2 | 2023 | 大宮アルディージャ | ||
55 | FW | ヴィトール・ブエノ | 1994.9.5 | 2024 | サンパウロFC | 【完】 | |
77 | MF | ルーカス・フェルナンデス | 1994.4.24 | 2024 | 北海道コンサドーレ札幌 | 【完】 |
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
過去に所属した主な選手
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歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
パウロ・エミリオ | 1994年~1996年5月 | JFL優勝&Jリーグ昇格(1994) | |
楚輪博 | 1996年5月~1996年12月 | ||
レヴィー・クルピ | 1997年 | ||
松木安太郎 | 1998年 | ||
レネ・デザイェレ | 1999年 | ||
副島博志 | 2000年~2001年8月 | ||
ジョアン・カルロス | 2001年8月~2001年11月 | ||
西村昭宏 | 2001年11月~2003年10月 | ・J2降格(2001年) ・J1昇格(2002年) |
|
塚田雄二 | 2003年10月~2003年12月 | ||
ナドベザ・ペーター | 2004年(指揮せず) | 病気のため来日できず | |
フアド・ムズロビッチ | 2004年~2004年3月 | ||
アルベルト・ポポル | 2004年4月~2004年7月 | ||
小林伸二 | 2004年7月~2006年4月 | ||
塚田雄二 | 2006年4月~2006年12月 | J2降格(2006年) | |
都並敏史 | 2007年~2007年5月 | ||
レヴィー・クルピ | 2007年5月~2011年 | J1昇格(2009年) | |
セルヒオ・ソアレス | 2012年~2012年8月 | ||
レヴィー・クルピ | 2012年8月~2013年 | ||
ランコ・ポポヴィッチ | 2014年~2014年6月 | ||
マルコ・ペッツァイオリ | 2014年6月~2014年9月 | ||
大熊裕司 | 2014年9月~2014年12月 | J2降格(2014年) | |
パウロ・アウトゥオリ | 2014年~2014年11月 | ||
大熊清 | 2014年11月~2016年 | J1昇格(2016年) | |
尹晶煥 | 2017年~2018年 | ・ルヴァンカップ優勝(2017年) ・天皇杯優勝(2018年) |
|
ミゲル・アンヘル・ロティーナ | 2019年~2020年 | ||
レヴィー・クルピ | 2021年~2021年8月 | ||
小菊昭雄 | 2021年8月~ |
セレッソ大阪U-23
セレッソ大阪U-23とは、2016年から2020年までJ3リーグに参加していたセレッソ大阪に所属する23歳以下の選手で構成されたセカンドチームである。
概要
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2015年12月15日、Jリーグの理事会において2016年シーズンよりJ1・J2クラブの「U-23チーム」がJ3に参加することが発表され、初年度参加チームの一つとして承認された。「タフな試合環境の中でトップチームを担う次の才能を開花させる」との思いを込めて、SAKURA NEXTという公式による独自の愛称が付けられている。
U-23を育成の一番上のカテゴリー(もしくは育成とトップチームの間)の新チームとして位置づけ、トップチームと別に練習を行ってチームの育成を図っていた。そのため開幕前のキャンプから既に別チームとして活動し、強化を図る方針をとっていた。一方で瀬古歩夢や西尾隆矢などU-18年代の選手を積極的に起用し、後にトップチームの主力へと成長させている。
ホームスタジアムとしてキンチョウスタジアムとヤンマースタジアム長居を使用していた。
歴史
- J3初年度の2016年、前年までアカデミーの監督を務めていた大熊裕司が監督に就任。初年度からトップチームに定着できた選手は少なく、セカンドチームの中では最低の12位に終わる。
- 2017年は開幕戦に高校1年生の瀬古歩夢や喜田陽を抜擢し、平均年齢17歳というメンバーで挑む。序盤は選手の入れ替わりが激しく苦しみ、最終的にはリーグ13位となる。
- 2018年は一時は2位にも入り、最終的にはチーム発足後初めて勝利数が敗戦数を上回り、順位も過去最高の7位でシーズンを終えた。個人では、米澤令衣が得点ランク6位の12ゴールを記録する活躍を見せる。
- 2019年も序盤から好調を維持し、第6節では首位に立った。最終的には前年の過去最高順位を更新して、6位でフィニッシュ。、高校3年生の西尾隆矢が主力として活躍した。シーズン終了後、4年間監督を務めた大熊が退任し、スポーツ事業部長に就任。
- 2020年は藤尾翔大の台頭もあったが、リーグ最下位に終わる。この年を最後にJ3リーグでの参加を終了することになり、チームは解散となる。
歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
大熊裕司 | 2014年~2019年 | ||
村田一弘 | 2020年~2020年7月 | ||
丸山良明 | 2020年7月~12月 |
関連動画
関連リンク
関連項目
- Jリーグ - Jリーグチーム一覧
- J1リーグ(1995年 - 2001年、2003年 - 2006年、2010年 - 2014年、2017年 - )
- J2リーグ(2002年、2007年 - 2009年、2015年 - 2016年)
- 大阪府 - 大阪市 / 堺市
- ヤンマーディーゼル
- ヤンマースタジアム長居(かつてのホームスタジアム)
- 桜
- 関西
- おなべのふた
親記事
子記事
兄弟記事
- 北海道コンサドーレ札幌
- 浦和レッドダイヤモンズ
- 川崎フロンターレ
- 京都サンガF.C.
- 柏レイソル
- FC東京
- 東京ヴェルディ
- サガン鳥栖
- 鹿島アントラーズ
- アビスパ福岡
- 名古屋グランパス
- ガンバ大阪
- ジュビロ磐田
- 横浜F・マリノス
- アルビレックス新潟
- サンフレッチェ広島
- 湘南ベルマーレ
- ヴィッセル神戸
- FC町田ゼルビア
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