セントシーザー単語

セントシーザー
5.8千文字の記事
  • 2
  • 0pt
掲示板へ

セントシーザーSt.Caesar)とは、1982年生まれの日本競走馬鹿毛

80年代後半の短距離戦線のシルバーコレクターであり、後の名伯楽の駆け出し時代を支えた功労

な勝ち
1987年阪急杯GⅢCBC賞GⅢ

概要

*モバリッズ、ワイエスパンジー、*ロードリージという血統。
正直ぜんぜんピンとこないがとりあえずいこう。

1974年アベイ・ド・ロンシャン賞(当時G2)の勝ちHyperion系)。日本種牡馬として輸入され、中央重賞は結局セントシーザー1頭のみに終わったが、バンブーメモリーとして知られる。セントシーザーは7年産駒
は7戦1勝。*デヴォーニアという輸入を祖とする在来牝系で、セントシーザーは第2系にトキノチカラ名前が見えるのが渋い。
Sir Ivorの全アイルランドで4戦1勝というだったが、日本種牡馬入りし1977年阪神3歳Sなど重賞7勝を挙げたバントンコートなどを輩出した。としての産駒にはナイスナイスナイストシグリーンなんかがいる。渋い。

要するにパッとしないと、特に近に活躍のないの間に産まれた、雑草血統の生まれである。牝系を遡れば年度代表馬ホマレボシがいたり、メジロボサツが同じ*デヴォーニア牝系だったりはするのだが、近と見なすにはちょっと遠すぎた。

1982年4月15日、新冠町のヒノデファームで誕生。後にテンシノキセキなどを所有する「テンシノ」「シーザー」冠の杉谷枡夫と、「ケイウン」冠を用いていた鋤元節夫の共同所有であった。

※この記事では馬齢表記は当時のもの(数え年、現表記+1歳)を使用します。

名伯楽の守護神

新人調教師と恩馬の出会い

1983年。鋤元節夫オーナーが、前年に厩舎を開業したばかりのひとりの新人調教師を誘った。「モバリッズの産駒なんだけど、新冠の牧場にちょっと面そうな2歳がいる」――その調教師は、それとは別に気になるがいたこともあり、その別のを鋤元オーナーに勧めるつもりで北海道へ同行した。
ところが先に向かったヒノデファームで、その調教師は鋤元オーナーの勧めた一目惚れ。あとで見に行く予定だった本命のことは放り出し、「このにしましょう」とその場で購入の話をまとめてしまった。

その調教師の名こそ、橋口弘次郎。後にダンスインザダークハーツクライで名を馳せ、通算1000勝を達成する名伯楽だが、このときの橋口佐賀騎手から中央の調教師に転身したばかり。地方騎手上がりという異色の経歴ゆえに中央の有力馬主にコネはなく、わずかな房をなんとか埋めてやりくりしている、まったく名の新人調教師に過ぎなかった。

そんな橋口厩舎に入厩したセントシーザーは、1984年10月6日京都ダート1200mの新馬戦デビューすると、見事デビュー勝ちを飾る。2戦の芝1600m・もみじ賞(OP)こそ8着に沈んだが、400万条件を2着3着として、12月阪神ダート1200mの400万下で2勝を挙げた。

明け4歳、果敢にシンザン記念GⅢに挑戦したセントシーザーは、16頭中12番人気低評価を覆し、ライフタテヤマの2着に力走。収得賞金ゲットする。
クラシックせる賞金を確保したが、橋口師はセントシーザーの適性は短距離と判断。当時は未整備の裏街道に過ぎなかった短距離路線を進ませることにした。まだまだ駆け出しだった橋口厩舎にとっては、大舞台を追うよりも身の丈でコツコツ稼ぐ方が優先事項だったようだ。

そんなわけで裏街道へ進んだセントシーザーは、バイオレットステークス(OP)ハナ2着賞(OP)をクビ差2着れんげ賞(OP)を1馬身2着賞(OP)3着と、なんとも惜しいレースを続けながらもコツコツと賞金を持ち帰った。
厩舎初の関東遠征となったニュージーランドトロフィー4歳ステークスGⅢは4着、札幌に移っての道新杯(OP)3着。続く札幌ダート1200mの距離ステークス(OP)久々の3勝を挙げる。4ヶ半休んで向かった12月CBC賞GⅢでも8番人気低評価を覆して半馬身差の2着に好走。この年だけで6000万円近くをコツコツ稼いだ。

ジリ脚の名を嗣ぐ者

明け5歳、古となってもセントシーザーは芝ダートを問わずコツコツと安定して走り続けた。平安ステークス(OP)5着、小倉大賞典GⅢ3着栗東ステークス(OP)5着。阪神・芝1600mのエメラルドステークス(OP)で4勝を挙げ、阪急杯GⅢ3着道新杯(OP)2着札幌日刊スポーツ杯(OP)2着

……いや、確かに安定して走ってるけど、いくらなんでも勝ち切れなさすぎでは? そう、セントシーザーはいかにも決め手のない、いわゆる「ジリ脚」のだった。なるべく先行してそこそこの末脚でり込みを図るのが基本スタイルだったが、どうしても最後はあと一歩キレ負けしてしまうのである。
1960年代はじめ、日本競馬における「善戦マン」の先駆けともいえるジリ脚シーザー名前を嗣いだ(註:血統的にも馬主的にも特に関係はない)セントシーザーは、その名の宿命であるかのような勝ちきれなさを背負ってしまっていたのである。

そんなセントシーザーも、マイルチャンピオンシップGⅠでついにGⅠの大舞台に初挑戦。単勝91.0倍の14番人気という全くの人気薄だったが、中団前からジリジリと脚を伸ばしたセントシーザーは、タカラスチールニッポーテイオーハナ差決着の0.3後ろで4着に好走。大舞台でも相手なりに賞金を持ち帰ってみせた。
続くCBC賞GⅢは1番人気に支持されたが、中で大きな不利を受けてしまい5着まで。結局この年もコツコツと5000万円以上を稼ぎ、まだカツカツだった橋口厩舎の台所事情を大いに助けた。

悲願の重賞レイ

橋口師も厩舎を支えてくれているセントシーザーになんとか重賞タイトルを獲らせようと努力を続けたが、明け6歳となっても勝ちきれない日々は続いた。平安ステークス(OP)5着、東京新聞杯GⅢ5着。読売マイラーズカップGⅡでは逃げ込みを図るコンサートマスターハナ差届かず念の2着。あと一歩が遠い。

続くコーラルステークス(OP)コンサートマスターリベンジを果たして5勝を挙げたセントシーザーは、京王杯スプリングカップGⅡ3着を経て安田記念GⅠへ乗りこんだが、内を立ち回ったものの重馬場にも苦しんでデビュー2戦以来の着外となる8着。

あと一歩の日々を送ってきたセントシーザーが、ようやく歓喜のゴールへ辿り着いたのはデビュー30戦安田記念から中2週で向かった阪急杯GⅢだった。断然人気ダイナアクトレスに次ぐ2番人気に支持されたセントシーザーは、思わぬ逃げを打ってしまいハイペースで潰れたダイナアクトレスに、名手・河内洋に導かれて中団から脚を伸ばす。前潰れの展開に中団前の位置取りがピタリとハマり、先に抜け出したハシケンエルドをかわして先頭に踊り出たセントシーザーは、後方から追い込んできたマヤノジョウオをクビ差振り切って勝利。30戦、12度重賞挑戦でようやくのタイトルを掴み取った。

レースを勝って初めて泣いた――もとい泣きそうになったという橋口師は、このときのゴール写真を長い間厩舎の応接間に飾り、レースのときはその写真を拝んでから競馬場に向かったという。

大団円のその先へ

これだけでも充分大団円だが、まだセントシーザーの物語は終わらない。夏休みを経て、復帰戦のパールステークス(OP)勝利し連勝を飾ったセントシーザーは、続くスワンステークスGⅡでは例によってキレ負けして2着に敗れたものの、そのままマイルチャンピオンシップGⅠ河内洋とともに乗りこんだ。

この年のマイルCSニッポーテイオーが単勝1.2倍の全な一本被り。セントシーザーは11.2倍の3番人気である。昨年は14番人気安田記念も10番人気だった彼は、大本命から離されてこそいるもののGⅠで有力の一に数えられるまでになっていたのである。
レースニッポーテイオー必死に食い下がったものの、5馬身ぶっちぎられて2着。さすがに天皇賞には貫を見せつけられてしまったが、充実期を迎えていることをしっかりと示したのだった。

そしてGⅠ2着の実績はダテではないことを示すように、田島良保が騎乗した年末のCBC賞GⅢではトップハンデ59kgもなんのその、前からクビ差押し切って重賞2勝を挙げた。
ちなみに2025年現在も、グレード制以降の芝1200m重賞斤量59kgを背負って勝ったは、彼を含めて3頭しかいない。他はアグネスワールド(99年CBC賞)とショウナンカンプ(03年阪急杯)のみである。

明け7歳も読売マイラーズカップGⅡでは逃げミスターボーイを捕まえられず2着スプリンターズステークスGⅡではダイナアクトレスの末脚に屈して2着京王杯スプリングカップGⅡではダイナアクトレスニッポーテイオー闘に割って入れず2年連続の3着[1]と、相変わらず勝ちきれないまでも堅実な走りを続けたが、おそらくこのあと怪があったのだろう。この京王杯SCを最後にターフに戻ることなく、この年の12月に登録抹消、現役引退となった。

通算37戦8勝 [8-13-7-9]。驚くべきはその安定感で、37戦で掲示板外はたった2回デビュー2戦もみじ賞と6歳の安田記念のみである。37戦中33戦でオープン以上を走り、紛れも多い短距離でこの安定感は凄まじいものがある。稼いだ賞金は3億円を軽くえ、まさに明期の橋口厩舎の屋台を支えた功労であった。
なお、生涯で2着は実に13回、うち重賞7回。まあ見事なまでのシルコレであった。……後の橋口厩舎の名たちを思うと、ああ、こんな頃から橋口師は2着に縁があったんだなあ、というのは禁句であろうか。

引退後

重賞2勝とはいえGⅠ勝利、血統も地味なセントシーザーだったが、なんと引退後は種牡馬入りを果たす。まだまだ内種牡馬軽視の当時においてよくこの血統で種牡馬入りできたなと思うところだが、当然種付け料も最低ランクであった中で、なんと年30頭以上のを集めた。

そしてその初年度産駒から、セントミサイル1993年クリスタルカップGⅢ)を制し見事重賞となると、この年の種付け数はなんと75頭(アラブ含む)を数えた。その後が続かず種付け数は右肩下がりとなり、1997年限りで用途変更となってしまったものの、190頭の産駒を残したのだから、このクラス種牡馬としては立なものである。

残念ながら種牡馬引退後のセントシーザーについては情報が見つからず消息は不明だが、橋口師にとっては幼駒のときに牧場一目惚れしたセントシーザーの姿は、その後の若駒を見るときのひとつの大事な基準となったという。名伯楽・橋口弘次郎を育て支えた。それがセントシーザーであった。

そして、唯一無二の夢へ

そして、セントシーザーはもうひとつ、橋口師の物語の始まりのでもある。

というのも、橋口厩舎初の関東遠征となったセントシーザーのNZTは、この年の日本ダービーの前日のレースだった。当時、GⅠなんてまだまだ他人事と思っていた橋口師は、翌日のダービーパドックに顔を出して、その雰囲気の違いに衝撃を受けた。

前述の通り、距離適性を鑑みてセントシーザーをクラシックには向かわせなかった橋口師だったが、収得賞金的には出ようと思えば出られていた。生のダービーの雰囲気を肌で感じた橋口師は、「出るだけでも名誉なことなんだから、出しておけば良かった」と強く後悔したという。

橋口師が初めてダービーに挑んだのはこの5年後、1990年のツルマルミマタオー(4着)でのこと。以来、ダンスインザダーク1996年2着)、ザッツザプレンティ2003年3着)、ハーツクライ2004年2着)、リーチザクラウン2009年2着)、ローズキングダム2010年2着)とあと一歩のところでみ続けた師の悲願が果たされるのは、セントシーザーから実に29年後、2014年ワンアンドオンリーでのこととなる。

血統表

*モバリッズ
1971 黒鹿毛
Sing Sing
1957 鹿毛
Tudor Minstrel Owen Tudor
Sansonnet
Agin the Law Portlaw
Revolte
Musaka
1964 鹿毛
Guard's Tie Alizier
Noria
*アーテミサ Fair Trial
Escasida
ワイエスパンジ
1975 鹿毛
FNo.10-d
*ロードリー
1969 鹿毛
Sir Gaylord Turn-to
Somethingroyal
Attica Mr. Trouble
Athenia
セキ
1959 栗毛
ボストニアン *セフト
神正
トヨイヅミ トキノチカラ
トヨサカエ

クロスLady Juror 5×5(6.25%)

主な産駒

関連動画

さすがに阪急杯CBC賞映像が見当たらないので、2着のマイルCS息子の勇姿を……と思ったらニッポーテイオーマイルCSもないんかい! それでなんで息子クリスタルカップはあるんだ……。

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *ちなみに87年は1着ニッポーテイオー、2着ダイナアクトレス、3着セントシーザー。88年は1着ダイナアクトレス、2着ニッポーテイオー、3着セントシーザーである。中央の同一重賞で2年続けて1~3着が同じという例は2016年2017年中山大障害2023年2024年チャンピオンズカップがあるが、1~3着内で着順が入れ替わっての2年連続で同じ3頭決着というのはこの1987年1988年京王杯SCしか例がないようだ。
関連記事

親記事

子記事

  • なし

兄弟記事

【スポンサーリンク】

  • 2
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

ウマ娘 シンデレラグレイ (単) 記事と一緒に動画もおすすめ!
提供: 白猫
もっと見る

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

セントシーザー

1 ななしのよっしん
2025/11/18(火) 19:25:06 ID: UTmYePBV9d
なんとなくミスターボーイセットで覚えてるなんだけど、戦績を見返すと思ってたほど一緒に走ってなかったんだな
まあ40年近く前のなんで記憶もあやふやだ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
2 ななしのよっしん
2025/12/18(木) 18:31:09 ID: JZANlu/mic
ウイポ7の引き継ぎプレイだと、開始時セリでセントシーザーを落札すると橋口調教師と知り合えるから便利だった
👍
高評価
0
👎
低評価
0