セントヘレナ島単語

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セントヘレナトウ
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セントヘレナ島とは、孤である。

概要

大西洋の南側に浮かぶ英国領の小さな面積壱岐よりちょっと小さい122方km。だいたい山手線の内側2つ分の面積である。

1502年にポルトガル人によって発見され、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の母親であり、キリスト教では聖女に列せられているヘレナにちなんで、セントヘレナと名付けられた。定住の跡はなく、彼らが来るまでここは無人島であった。

英国行政上は付近の(といっても1000キロ以上離れているが)であるアセンションとトリスタタグーニャを併せた大西洋の海外領土と位置づけられており、その首府となっているである。

世界史で習う通り、ヨーロッパ覇者であるナポレオン1815年のワーテルローの戦いに敗れてから配流されたで、この地で生涯を終えている。流刑地としての印が強いのはどうやら英語圏では共通認識なようで、オーストラリアブリスベン近郊にも同名の島が存在するexitほどだ。

2023年時点で4233人が住んでおり、名産となっているコーヒーを育てたり、ラム酒を作ったり、漁業をしながら生活している。とはいえ、やはり経済は苦しいようで歳入は英国からの援助が半分を占めている。英国フォークランド諸島などで出稼ぎする人も多く、その送も重要な収入になっている。

大西洋に孤立したであるため、アクセスは難しい。日本から飛行機で行こうとするとシンガポール南アフリカのケープタウン[1]を経由せねばならず、乗り継ぎを含めると27時間、除いても14時間必要とする。ちなみに路ができたのは2017年で、それまではケープタウンからで5日ほどかけて行く必要があった。

生活も厳しく、三週間に一回ケープタウンから来る貨物が全ての生命線なので、食べ物すら選択が豊富とはいえず食材を揃えるのにも数店舗回らなければならないといった有様であるexit

2000年代まではインターネット携帯電話の基地局もなかったが、2012年ファイバーケーブルが通るようになり、2015年には携帯回線が使えるようになった。2019年にはGoogleによって海底ケーブルが敷設されることが決定し、2022年9月に開通した。exit

歴史

アイスランドやアゾレスなどと同じく大西洋中央嶺に属しており、約700万年前の火山活動で形成された。

概要で記した通り、ポルトガル人によって発見される。アフリカや中南米の探検をする際は重な休憩ポイントであるため寄港地としてそれなりに栄えていたようだが、あまりにも辺鄙なため、具体的な位置がなかなか分からなかったせいもあって、どのもなかなか領有をしようとしなかった。ちなみに正遣欧少年使節団もここに寄港してたりする(慶長の方は太平洋北大西洋ルートなので寄港していない)。

16世紀後半にフランシス・ドレークが世界一周をした際にようやくこのの位置が判明した。当時探検や貿易の要となっていた重要な地点ということで関心が高まっていき、オランダなどとの間で争奪戦が起きたが、最終的に1657年に英国の勅許会社であった東インド会社が領有権を獲得した。

以後、大西洋交易の要衝地として栄え、一時期は年間1000隻もの食料補給の為に寄ったとされている。また、ハレー彗星を発見した天文学者エドモンド・ハレーが1676年にこのを訪れ、南半球を観測する的で7.3mもの巨大な望遠鏡を設置し、文台を作り上げた記録が残っている。

また概要にも記した通り、1815年にワーテルローの戦いに敗れたナポレオンがこのに流されてきた。中心にあたるジェームズタウンから6キロほど離れた所にロングウッドハウスと呼ばれる館を作り、そこで静かに余生を過ごした。この館と周辺のナポレオンが亡くなってから約40年後に甥のルイ・ナポレオンナポレオン3世)によって1858年に7100ポンドで買い上げられ、現在に至るまでフランス政府の管理下におかれている。

1833年に東インド会社は全領土を英国王に返還し、インド植民地の統治に専念することになった。それに伴い、セントヘレナ島も東インド会社から、英国王の直轄地となる。1853年1月アメリカペリー提督日本まで来る途上に石炭補給の為立ち寄るなど、その後も中継地点として栄えたが、1869年にスエズ運河が開通してインド洋へのルート大西洋から地中海経由に変わると来航数は減。20世紀にはいるまでに年間の寄港船舶数は最盛期の10分の1である100隻ほどになってしまった。

だが、流刑地としてはちょくちょく使われていたようで、1890年にはズールー族の王であるディヌ・ズールーが反逆罪の咎で7年間ここに流されている。19世紀末から20世紀初頭にかけて行われた南アフリカ戦争でも、ボーア人の捕虜が数千人単位で収容された記録がある。

20世紀に入ると亜麻の繊維を作る産業がセントヘレナ島で成立し、大きなの収入となった。だが、第二次世界大戦後は合成繊維やナイロンといった代替物との競争で勝ち残ることができず、1965年工場閉鎖することになった。第二次世界大戦中はアメリカ軍によって飛行場が建設されたが、特に使われることはなかった。それよりは英海軍の基地として使われ、Uボートが行われた。

1981年にセントヘレナ島は国王直轄領(王領植民地)から、属領に分類が直され、2002年には海外領土という名前になって、現在の位置づけとなった。

関連項目

脚注

  1. *しかもこれは季節便なので、それがい時はヨハネスブルグ経由の週二回の定期便を使う必要がある。

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