概要
三国時代、百済が「漢城」という名称で都を置いていた頃からの歴史を持つ。「ソウル」という言葉自体、韓国・朝鮮語で「みやこ」を表すものであり、李朝時代は「京都」と書いて「ソウル」と読むこともあった。他、「漢陽」と呼ばれていた時代も存在する。
なお、中華人民共和国、台湾(中華民国)、香港など中国語圏では大韓民国時代の21世紀になっても長らくソウルを「漢城」(汉城)と表記していたが、2005年からは李明博ソウル市長(当時)が制定した「首爾」(首尔)表記に改めている。
日本統治時代は、「漢城」や「京都」と同じように李朝・大韓帝国時代からこの街を示す呼称の一つとして用いられていた「京城」の名で呼ばれていた。現在でもソウルと韓国第2の都市・釜山広域市を結ぶ「京釜線」・「京釜高速道路」にその名残をとどめている。
李朝時代の1394年から王宮が置かれ、その後の日本統治時代、大韓民国時代を通じて朝鮮の中心地であった。北朝鮮も1970年代まで、憲法上はソウルを首都としていたほどである。
韓国の人口は約4800万人であるが、そのうち約1000万人がソウル在住であり、「韓国人の5人に1人はソウルに住む」状況となっている。
それどころか、仁川などを含むソウルを中心とした都市圏でみると約2000万人が住んでいると言われ、韓国人の半分弱はソウル・仁川圏にいることになる。首都圏に約12000万人の総人口のうち約3500万人が集まるという日本を凌ぐ、一極集中状態である。
ソウルの交通
李朝時代末期に敷設され、大韓帝国と大日本帝国時代に拡充された路面電車が1968年に廃止されて以降、公共交通機関といえばバスしかない状態になっていたが、人口一極集中により道路もマトモに機能しないところが出てきたため、1974年より首都圏電鉄の拡充が進められている。
日本でいう国電→JRと地下鉄に辺り、運営事業者が複数存在するのは日本の東京と同じだが、複数の事業者をまたがっても運賃が通し計算される。隣の港湾都市、日本で言えば横浜市にあたる仁川の地下鉄駅からソウルをまたぎ、韓国鉄道公社(韓国国鉄)の運営する京春線で「冬のソナタ」で有名になった春川市まで100km以上の移動を行なっても、である。
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