ソビエト社会主義共和国連邦(Союз Советских Социалистических Республик, Soyúz Sovyétskikh Sotsialísticheskikh Ryespúblik)とは、20世紀ユーラシアにあった社会主義国である。
略称はソビエト連邦、ソビエト、ソ連邦、ソ連、ソ同盟、СССР(エスエスエスエル。ロシア語名の頭字語であり、シーシーシーピーではない)、USSR(ユーエスエスアール、英語名の頭字語)など。漢字では蘇維埃(北京語でスーウェイアイ( sūwéi'āi)、広東語でソウワイオーイ(sou¹wai⁴oi¹))と書く。
ニコニコ動画のタグとしては2009年11月時点でソ連が一番多く使用されている。
概要
基本データ | |
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正式名称 |
ソビエト社会主義共和国連邦 |
国旗 | |
国歌 | ソビエト連邦国歌 (通称:祖国は我らのために) |
公用語 | なし |
首都 | モスクワ |
面積 | 22,402,200km² |
人口 | 293,047,571人(1991年) |
通貨 | ソビエト・ルーブル |
1917年のロシア革命の後、ロシア内戦を経て1922年に世界初の社会主義国家として成立、共産党による一党独裁体制で冷戦期にはアメリカと並ぶ二大巨大国家として世界中に大きな影響力を持っていた。
ソビエト(Совет, Sovyét, サヴィェート)は「会議」という意味の普通名詞。ロシア帝国末期に多数派(ボリシェビキ。後の共産党)を中心に結成された、労働者・農民・兵士から成る同名の革命派集団をルーツに持つ。ソビエトでは人事権を掌握する事務局の権勢が強く、国家の最高会議幹部会議長(大統領相当)や閣僚会議議長(首相相当)を差し置いて、共産党事務局のトップである書記長が実質的に国家元首として機能していた。
領土は広大であり、帝政ロシア時代から受け継がれた国土に、バルト三国を含み東欧の衛星国家を含めて大きな影響力を誇った。また、ユーラシア大陸の殆どを国土とした面積は当時の世界最大であった。一方で、その広大が故に多民族国家として軋轢を、今のチェチェン紛争やグルジア問題といった形でロシアが受け継ぐことになってしまった。
また、歴史的な意味においても「世界初の社会主義国家」として成立したことも意義があるものである。反面、資本主義陣営とのイデオロギーの優位を示すべく、多くの面(経済・政治)で本来の社会主義から遠のいてしまい、それがソ連崩壊の端緒ともなってしまった。
1991年に入ると、8月に発生した保守派によるクーデタ未遂事件、これに続くゴルバチョフソ連共産党書記長の辞任及びソ連共産党の解散宣言によって政局は混迷した。これを受けて12月8日、クーデタを未遂に終わらせたエリツィンロシア共和国最高会議議長の主導下でロシアとベラルーシとウクライナが独立国家共同体の創設に合意、25日にゴルバチョフが大統領を辞任したことによって連邦国家としてのソ連は69年の歴史に幕を降ろした。[1]
ソ連は何故崩壊したのか?
共産主義
ソ連が崩壊した理由について、一般的に言われている「平等の分配であるから、労働者(国民)が働く意欲をなくしたから」とするのは間違いである。もし平等の分配をイデオロギーとするならば、それは共産主義ではなく「分配主義」とも言えるような全く別の思想のものとなる。
共産主義はそもそも「労働時間に応じた分配」をテーゼとしているものであって、労働時間を考慮しない分配は本質から逸れるものなのだ。元々、マルクスの発想した共産主義とは大まかに言えば「労働者を縛りつける工場を資本家でなく国家の管理に置く」というものである。
例えば、あなたが冷凍オニギリを製造する工場主(資本家)だとして、労働者を雇い1日に8時間の労働で1,000個のオニギリを作っていたとしよう。そこに、新たな生産設備として4時間の労働で1,000個のオニギリが作れる機械が開発されたとする。工場主のあなたなら、労働者をどう扱うだろうか?
答えは明白。つまり、この機械を導入しても労働時間を削ったり労働者を増やしたりはせず、1日に8時間の労働で2,000個のオニギリを作らせるようにすれば、最小限の投資で最大限の利益を挙げられるだろう。需要があれば労働時間を更に増やし、1日に12時間労働で3,000個のオニギリを作らせればよい。しかも経費を最小化するために、人員も賃金も固定据置のままで……。つまり労働者が頑張って働いたところで豊かになるのは資本家ばかりであり、むしろ労働条件が悪化する余地が増えるのである。マルクスはこうした工場などの労働現場の現実を理解した上で、「労働者に自分の時間を! 汗を流さず儲ける資本家でなく汗を流し働く労働者に富を!」ということで、共産主義を思い立ったのだ。こうしてみると、当時の社会情勢で共産主義者が台頭してきたことに、あなたも頷けるのではないだろうか?
事実、マルクス自身は新聞記者であり、当時産業革命後に労働問題が起きていたイギリス・フランス諸外国の事情を理解していたからこそ共産主義を思い立ったのだ。また、当時の工場労働者が何故共産主義に熱狂したのか、という現実も見えてくるはずだ。決して的外れなことを言っていたわけではないのだ。
では何故そんな思想を持ったソ連が崩壊したか?
その理由については複合的なものであり、決して単純且つ単一の事象によって崩壊したものでもない。
そのソ連崩壊の原因となったのは、紛れもなく経済・官僚体制・政治・軍事といった複合的なものであり、以下の例があげられる。
これらを順を追って説明していくとするならば、以下のようになる。
例えば、あなたがソ連に住む小麦農園の主だとしよう。農業監督官の官僚から「(1) 目標生産量を達成しろ」とのお達しがくる。あなたは必死で働いたとして、何とか目標生産量を達成したとしよう。ここであなたの仕事は終わる。そして、今度は小麦輸送監督官の官僚がやって来るや否や、「(2) 同志の小麦が腐っていると市場監督官同志から苦情が来ている」と言われてしまう。そう、あなたの担当する仕事はあくまで小麦の生産なのであり、他の同志たちが担当する「(3) 小麦の品質管理や市場までの輸送については一切考えていなかった」。ただ、あなたは間違いなく言われた通りに仕事をし、自分自身の「ノルマ」は達成しているわけである。
となると、悪いのは一体誰なのか?
こうなると、自分の仕事でないのだから関係ない、と思う人の方が多いはずである。なぜなら、言われた仕事はきちんとこなしている筈なのだから。そして、一方でこうした言葉を言い掛かりのように思えてきてしまい、見えない溝がお互いに出来始めてしまう。
こうした事が積み重なると、数字では目標を達成している筈なのに、末端や市場には中々製品が出回らない状態になってしまうまでか、品質面・管理面はどんどんと杜撰になっていく。揚句には品質の向上といったものも無く、ただ旧来の物を生産し続けるだけになる。
それはまるで、活況の無いコンビニのバイトが粛々とマニュアル的接客サービスで機械的に販売作業に従事しているように「ただ仕事しているだけ」であって、自分から何かをするわけでなく、気が付けば自分の考えといったものが全く無くなっていく。というのも、上から与えられた指示に「自分の考えたやり方」を差し挟む余地が無く、しかも下手打って大きな失敗してしまえばシベリア送り等のあらゆる致命的な制裁を受ける可能性が高いからである。何しろ、管理者の背後には常に国民に監視の目を光らせ生殺与奪の権利を掌握する強権な警察国家が控えているのだから。もちろん社会主義体制そのものに対する反対意見などご法度である。
そうなると、「(4) 担当部署が異なる官僚同士でも、互いのノルマ達成のことしか頭になくなってしまい、頑迷な縦割り意識で敵対心を抱くようになる。また、現実的な問題に対処しようとしなくなる」。
つまり、リスクを確実かつ効率よく回避して生き延びるのは勿論のこと、それを免罪符として逆にこの状況を利用し少しでも利鞘を稼ぐ為、様々な形態での賄賂、帳簿や報告書の改竄、失敗や不祥事の隠蔽、対立する部署への讒訴などの不正が横行していった。これにより社会の縦割り構造はより一層硬直の度を深め、経済はますます逼迫することになる。
そして更には以下のような国際事情も絡みだしていた。
石油[2]
あまり知られていないが、ソ連は石油に支えられていた。
ソ連は1917年のロシア革命の直後に石油産業を国有化し、これによって得られた石油収入によって、多岐にわたる社会政策と非効果的なソ連経済を補助金で支えた。しかし石油収入は拡大し続ける経済に追いけなくなり、1950年代の初期には限界に達した。
1960年代に入るとシベリアで新しい油田が開発され、ソ連は石油輸出国に変貌した。石油価格が高騰しはじめるとクレムリンは現金であふれかえった。1973年から85年にソ連が獲得した外貨の80%は石油によってもたらされていた。ソ連指導部はこの降ってわいた収入をアフガニスタンへの介入、同盟国の軍備増強につぎこんだ。国内においては巨大な軍事費、官僚の賃金、西側からの技術や消費財購入に費やした。
しかし石油価格は1980年にピークに達したあとは6年間で70%も下落し、結果的にソ連の石油収入にも影響を与えた。1985年から86年にかけてソ連の指導者たちは石油の生産量を上げようと試みたが、稼働している油田は消耗が激しく、生産は減少し始め、政府の外貨保有も減り始めた。ゴルバチョフは国家による経済統制の緩和(ペレストロイカ)や政治改革(グラスノスチ)の実施が必要だと確信したが、主要な公共財、とりわけ食料を国民に提供するのに十分な外貨がなければペレストロイカもグラスノスチもソ連を支えることはできなかった。
効率的ではなかったにせよ、事実上すべての商品を国民に提供してきた社会主義経済は石油収入なしには支えることができなくなりだしたのだ。
労働者の意欲とは?
こうした社会経済の度重なる悪循環、管理破綻によりやせ細っていく広大な農場、国民を養うだけの食料を自活できない為の食料品輸入による債務超過(先に記載した石油貿易の行き詰り)、更には東西冷戦による度重なる軍事増強で、ソ連は疲弊していった。
これを流石に不味いとみたソ連政府はスターリン批判後に今度は飴(特典旅行・高級住宅の配当)を使うことで労働者の生産意欲を復活させようともしたりした。
だが、逆に今度は「労働者が今の待遇に満足して怠けだす」という別の悪循環も生まれてしまった。
そもそも皆さんは働くということを「ただ生活の為?」と捉えるだろうか? それとも「自分の実現したい目標の為」とか「人の役に立ちたい」とかだろうか。
答えは恐らく「人それぞれ」という事だ。
なんだけども、ここでもソ連の矛盾は生まれてしまった。
ここまで読んで頂いた方ならある程度は分かっていただける前提で話すが、ソ連が重工業化を達成した背景にはスターリンの五か年計画などの重工業偏重の政策がとられていた。優秀な共産党員と目されていた人物(フルシチョフ等)は理系学校へ優先的に通っていたことからも分かるように、その様な政策はソ連的な「富国強兵」だったといえる。
しかし、これを労働者の立場に置き換えてみたらどうだろうか?
『例として・・・』
〇重点生産対象になっている炭鉱で働くスタハノフ君はノルマを達成した⇒党から称賛され、待遇が良くなる
〇一方さほど重視されてない分野の工場で働くスミノルフ君は自分のやりたい仕事だと必死に頑張って、目標以上の結果・成果を出した⇒党「……ほーん、それで?」
……あれ?どうしてだろうか?
答えは簡単。国にとっては「さして重要ではない生産部門」だからだ。
こうした待遇の差というのは重点目標と称して傾斜生産式を導入しながら欠点の補完を考慮しきれなかった故に生まれ、やがて非重要部門との軋轢をも生じさせることは火を見るよりも明らかであった。
こうなると誰だって「俺って何の為に働いてるんだろう?」と思ってくるのも自然ではないだろうか?
かつては夢や目標に輝いた青年・少女の目も、やがては濁ってしまう。
どんなに頑張っても報われないなら、あいつらしか評価されないなら、別に今のままでもいいじゃないか、と。
国が特典に車が買えますといっても10年も待つなら、一戸建ての優先購入権が与えられると言われても。それはどうせ党の幹部やそれにコネがある人材、もしくは花形で働く連中に優先されるなら、と。
……こうして、共産主義のお題目であった「労働時間に応じた平等な分配」などは実現不可能なばかりか、むしろソ連は次第に能力・成果主義の悪辣な部分を体現する国家になってしまった。
そしてついに、この現状を憂えたある男が状況を打開すべく改革を訴えたのだ。彼の名はミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフ。老指導者チェルネンコの急逝を受け54歳の若さで就任した、ソビエト連邦第8代書記長である。
ペレストロイカ
ゴルバチョフは工場コンビナート(ちなみにコンビナートも元はロシア語である)の視察において、工場長が「目標の生産量を達成し、更なる増産が見込める」という発言に苛立った様子でこう切り返した。
「君たちは数字によって人を縛り付けている。苦しめているだけだ。問題点を提起できないのか?」と。
これに対して、工場長は黙って俯くだけであり、工場の労働者もまた同じであった。
つまり官僚たちはノルマに拘った結果、そこに隠れた問題すら認識できない状態に陥り、更には自分の意見までも持たない人間になってしまったのだ。それはソ連が今まで行ってきた「スターリン時代から続く暴力を背景としたノルマ達成」の生み出した深刻な問題だったといえる。
ただペレストロイカ((Перестройка)という言葉自体は「再建」を意味し、また第1回人民代議員大会においてはゴルバチョフ自身がサハロフ博士の党批判演説をシャットアウトしたことからも見えるように、彼はソ連体制の維持を図ろうとしていたのであり、ペレストロイカおよびグラスノスチ(情報公開)による改革路線が「共産党への批判」を増長させ、皮肉にも今まで閉じられていた多民族の連邦国家としての不満の鍋蓋を開けるとは予期していなかったようである。
そして、傀儡国であった筈のポーランド人民共和国の崩壊を以て、その流れは止められないものとなったのである。
余談
また、かつて社会主義者だった(現在は「半・マルクス主義者」)と公言するダライ・ラマ14世は、
「物質主義的な観念から人の生存をとらえているのが唯一の欠点」
と、マルクス主義について批判している。また仏教と生粋のマルクス主義が融合した場合は、それは有効な政府運用方法となることを確信している、と語っている。
ここまで読んでくださった方には、是非ともソ連とは何だったのかを自分なりに考えていただきたい。
ソ連のスポーツ
ソ連ではアメリカ、西ヨーロッパ、日本など資本主義国に見られるようなプロフェッショナルのスポーツ選手が存在せずに国家から身分を保証され競技に専念できるステート・アマという形がとられた。国威高揚の名の元、有望な選手を各地から発掘し幼少期から国家が運営する学校とスポーツ施設で育て、オリンピックや世界選手権などの国際舞台で優秀な成績を取るべく徹底的な管理と養成が行われていた(この方法は北朝鮮、中国、キューバなどの現存する社会主義国でも取られている)。
ステート・アマの育成システムによってオリンピックや国際大会でソ連代表は圧倒的な強さを誇った一方、練習についていけない選手は捨てられ地元に返される、ドーピング問題などの負の側面も抱えていた。
同じくスポーツ大国として知られているアメリカとはオリンピックでは熾烈なメダル争いを繰り広げ、特にバスケットボール、アイスホッケーはソビエト連邦、アメリカ両国で人気スポーツのためなかば米ソの代理戦争のような盛り上がりを見せた。
著名人
記事のある人物は太字(苗字アイウエオ順)
- ウラジーミル・イリイチ・レーニン - 初代最高指導者
- ヨシフ・スターリン - 第2代最高指導者
- ゲオルギー・マクシミリアーノヴィチ・マレンコフ - 第3代最高指導者
- ニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフ - 第4代最高指導者
- レオニード・イリイチ・ブレジネフ - 第5代最高指導者
- ユーリ・ウラジーミロヴィチ・アンドロポフ - 第6代最高指導者
- コンスタンティン・ウスチーノヴィチ・チェルネンコ - 第7代最高指導者
- ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフ - 第8代最高指導者
- ボリス・エリツィン - ロシア連邦初代大統領
- ウラジミール・ウラジーミロヴィチ・プーチン - ロシア連邦第2代、第4代大統領、元KGB職員
- ドミートリー・メドヴェージェフ - ロシア連邦第3代大統領
- ミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキー - ソ連邦元帥
- ゲオルギー・ジューコフ - ソ連邦元帥
- コンスタンチン・ロコソフスキー - ソ連邦元帥
- ガリーナ・ウラノワ - バレリーナ
- ダヴィット・オイストラフ - ヴァイオリニスト
- セルゲイ・エイゼンシュテイン - 映画監督
- ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン - 空軍パイロット、宇宙飛行士
- ミハイル・カラシニコフ - 銃器設計者(AK-47の開発者)
- エミール・ギレリス - ピアニスト
- ニコライ・クズネツォフ - 海軍元帥
- アンドレイ・グロムイコ - 政治家
- セルゲイ・パーヴロヴィチ・コロリョフ - フォン・ブラウンと競ったロケット技術者
- キリル・コンドラシン - 指揮者
- ミハイル・ショーロホフ - 作家
- ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ - 作曲家
- コンスタンチン・スタニスラフスキー - 俳優、演出家
- ストルガツキ兄弟 - SF作家
- アンドレイ・タルコフスキー - 映画監督
- コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキー - ロケット工学の基礎を作った「宇宙旅行の父」
- ユーリ・ノルシュテイン - アニメ作家
- セルゲイ・ブブカ - 陸上選手
- セルゲイ・セルゲーエヴィチ・プロコフィエフ - 作曲家、ピアニスト
- サムイル・マルシャーク - 作家
- エフゲニー・アレクサンドロヴィチ・ムラヴィンスキー - 指揮者
- レフ・イワノヴィッチ・ヤシン - サッカー選手
- スヴャトスラフ・テオフィーロヴィチ・リヒテル - ピアノ奏者
- ムスティスラフ・レオポリドヴィチ・ロストロポーヴィッチ - チェロ奏者、ピアノ奏者、指揮者
- レフ・ダヴィードヴィチ・トロツキー - ソ連の革命家、永続革命論者、ピッケルの人
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構成国
関連項目
脚注
- *「NATO 北大西洋条約機構の研究」金子 譲 2008 彩流社 p.275
- *「石油の呪い 国家の発展経路はいかに決定されるか」マイケル・L・ロス 訳:松尾昌樹 浜中新吾 2017 吉田書店 pp.107-109
- 36
- 0pt
- ページ番号: 265916
- リビジョン番号: 3191616
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