ソーカル事件(ソーカルじけん)とは、物理学者アラン・ソーカルによって引き起こされた学問上の事件である。
概要
1996年4月に、ニューヨーク大学の教授であった物理学者のアラン・ソーカルが、「境界を侵犯すること―量子重力の変形解釈学に向けて」という論文を作成し、それを「カルチュラルスタディーズ」の論集として知られる『ソーシャル・テクスト』誌に投稿したところ、その論文が同誌に掲載された。
内容は、フランスの現代思想関連の学者の文章を引用しつつ、そこに自然科学の用語を用いて論述したものであり、そのデタラメの内容も、自然科学系の高等教育を十分に受けた者なら指摘できるようなお粗末なものであった。
この事件の発覚により、当時のフランス現代思想に対して批判が浴びせられることとなった。
しかし、ソーカル自身は、現代思想の批判自体が目的なのではなく、批判の対象は、浅薄な知識と理解に基づいて専門用語を用いて権威づける行為であり、ポストモダンのみならず、その他の分野においても批判している。
1996年には『ソーシャル・テクスト』誌の編集者に対してイグノーベル賞が授与された。
ソーカル論文
論文の概要
概要は以下のようなものである。
「・・・量子重力においては、時空連続体はもはや客観的な物理的実在としては存在せず、幾何学は関係的かつ文脈依存的になり、既存の科学の根本的な概念範疇は―存在そのものも含めて―問題化され相対化される。このような概念的な革命は、将来のポストモダン科学、解放の科学の内容に深遠な影響を持つことを議論したい。」
論文の経緯
ソーカルの論文は、科学の「客観性」を全面的に否定し、物理的実在は「社会的で言語的な構築物」にすぎず、科学的知識は「文化の支配的なイデオロギーと権力関係の反映」だと主張している。これは、ポストモダニズム陣営の言語を用いて、数学と自然科学を徹底的にこき下ろした内容である。
この論文で、ソーカルは、特にフランスで流行している社会学者や精神分析学者の文献を109カ所にわたって参照しながら、科学が「何ら特権的な認識論的地位を有すものではない」ことを繰り返し例示している。これらの例示の中には、例えば“choice”(選択)という用語の解釈が、公理的集合論における“axiom of choice”(選択公理)から“pro-choice”(中絶賛成論)へ飛躍するような「馬鹿げた関連をでっち上げた」部分もあったが、『ソーシャル・テクスト』誌の編集委員会は、この論文をそのまま掲載した。
その数週間後、ソーカルは『物理学者がカルチュラル・スタディーズで実験する』という論文を発表し、彼が『ソーシャル・テクスト』誌に投稿した論文が実は完全な「パロディ」であり、ポストモダニズム系学者の無数の「意味を成さない表現」を引用して組み合わせたパッチワークに過ぎないことを暴露した。この事件は、学界ばかりでなく、『ニューヨーク・タイムズ』の第一面に報じられたことにも表れているように、ジャーナリズムや出版界の反響を呼び、その後「サイエンス・ウォーズ」と呼ばれあるようになった賛否両論の一大論争を巻き起こした。
この論争の後、ソーカルは、ベルギーのルーヴァン大学の物理学者ジャン・ブリクモンと共に事件後の賛否両論を総括し、特に数学・科学用語の乱用の甚だしい著者のテクストに具体的な批判的コメントを加えて公表した。
批判の目的
ソーカルとブリクモンは、彼らの批判の目的について以下のように述べている。
「我々の目的は、まさしく王様は(そして女王様も)裸だと指摘することである。しかし、はっきりさせておきたいのだが、我々は、哲学、人文科学、社会科学一般を攻撃しようとしているのではない。それとは正反対に、我々は、これらの分野が極めて重要であることを認めており、明らかにインチキだとわかるものについてのみ、この分野に携わる人々(特に学生諸君)に警告を発したいだけなのだ。特に、ある種のテクストが難解なのは、極めて深遠な内容を扱っているからだという評判を『脱構築』したいのである。多くの例において、テクストが理解不能に見えるのは、他でもなく、中身がないという見事な理由のためだということを知っていただきたいのである」
関連項目
外部リンク
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