タイキシャトル(英:Taiki Shuttle、香:大樹快車)とは、1994年生まれの元競走馬・種牡馬(現在は功労馬)。日本で2番目に海外GⅠに勝った名馬である。仏のジャック・ル・マロワ賞を含むGI5勝を挙げたが、色々惜しかった馬でもあった。
概要
父は無敗の5連勝で米最優秀2歳牡馬となったDevil's Bag(デヴィルズバッグ)、母Welsh Muffin(*ウェルシュマフィン)、母父は大種牡馬Caerleon(カーリアン)という超一流の血統。アメリカのタイキファームで生まれ、アイルランドで馴致を施され、日本に輸入された、まさにエリートのお坊ちゃま。しかも毛色はきれいな尾花栗毛。だがしかし、見た目はむしろマッチョなヤンキーのイメージだった。
見た目に反して? 繊細なところがあったのかとぼけたところがあったのか、ゲート試験に3回も落ちている。なのでデビューは3歳の4月になってからであった。ソエで脚元が固まっていなかったのもあってデビュー戦はダート。ここをほとんど追うことも無いまま楽勝するとあっという間に3連勝。なんかもう、この時点で物が違う感じであった。
ところがこの後、菩提樹ステークスで逃げたテンザンストームのクビ差2着に負けてしまう。直線で追い込みきれなかったようであるが、結果的にはこの負けが、タイキシャトルの色々惜しかった伝説の始まりだったのかもしれない。
ユニコーンステークスでワシントンカラーを子ども扱いして重賞初制覇した後、スワンステークスも厳しいところから伸びて勝利。そしてGI馬6頭を含む豪華メンバーとなったマイルチャンピオンシップでは超ハイペースで全馬がばてばてになる中、1頭だけ抜け出してきてGⅠ初制覇となった。続くスプリンターズステークスでも横綱相撲で完勝。秋の短距離GⅠを連勝した馬はタイキシャトルが初めてであった。
圧倒的な戦績から、もしかして短距離路線馬初の年度代表馬になるか? と思われた。しかしながらここは牝馬として17年ぶりに天皇賞を制したエアグルーヴに譲ることとなった。惜しい……。
翌年は早くから海外遠征が噂されており、春の短距離路線はタイキシャトルがどれだけ強いかだけが焦点であった……と、ファンは思っていたのだが、後から聞いた話では、ここで蹄がボロボロになって危うく引退の危機という事態になっていたんだそうである。 まぁ、京王杯スプリングカップを直線中ほどまで馬なりで、そんでレコード勝ちするのを見せられたら、休養中調整に苦しんだなんて分からないよね。
兎に角物凄い強さを見せ付けて、次は安田記念に向かう。ここはずぶずぶの不良馬場。中団にいたタイキシャトルは直線で不良馬場をものともせずに伸びに伸びて圧勝。重い馬場を苦にしないこの馬ならヨーロッパの深いターフにも対応出来る。きっと日本馬初の海外GⅠ制覇を果たしてくれるに違いない! とファンは太鼓判を押し、タイキシャトルは海外へと飛び立ったのであった。
フランスへ渡ったタイキシャトルは順調を伝えられ、ファンはシャトルが出走予定だったジャック・ル・マロワ賞をワクワクしながら待っていた。ところがそのジャック・ル・マロワ賞の僅か1週間前、衝撃のニュースが飛び込んできたのである。
安田記念で10着に負かしたシーキングザパールが、武豊騎手を鞍上にモーリス・ド・ゲスト賞(GⅠ)を制して、日本馬初の海外GⅠ制覇を記録したというのである。「え? 何時の間に行ってたのシーキング?」とファンは疑問で一杯になったのであるが、兎も角、タイキシャトルと岡部幸雄騎手の目前から「日本馬初!」という栄光の記録が消え去ったことだけは確かだった。
こうなれば、意地でも負けるわけには行かない。そして迎えたジャック・ル・マロワ賞。タイキシャトルはシーキングザパールの武豊騎手が「タイキシャトルはもっと強い」と発言したことや、最大の強敵と思われたIntikhab(インティカブ)[1]の回避もあって圧倒的な1番人気(1.3倍)に支持された。1600mのレースを直線だけで行うという日本には無いコース設定の上、タイキシャトルは入れ込んでいて、道中は物見しっぱなし。しかしながら最後の600mでグイグイと抜け出すと、海外有力馬を従えてゴールに飛び込んだのであった。海外競馬に挑戦し続けていた岡部騎手にとっては悲願達成の瞬間であり、表彰式では無愛想なイメージの強かった岡部騎手も流石に涙を流した。日本馬2頭目の海外GⅠ制覇。2週連続で海外GⅠを日本馬が勝った。日本競馬ファンの鼻が最高に高くなった時期である。
タイキシャトルのために言えば、同じGⅠと呼ばれているレースでも、短距離戦(1300m)のモーリス・ド・ゲスト賞とマイル戦のジャック・ル・マロワ賞では路線からして違うのである(どちらもそれぞれの路線の最高峰の一つとして扱われるレースではある)。ジャック・ル・マロワ賞はフランスのマイル王決定戦とも言うべきレースなのであり、そこでタイキシャトルが勝ったのは相当凄い事なのだ。
そもそも、シーキングザパールはタイキシャトルとの対決を避ける都合でモーリス・ド・ゲスト賞へ向かったのである。まあしかしながら、日本のファンにはその辺はあまり分からないし関係が無いことでもある。惜しい……。
この後、ブリーダーズカップに行くという話もあったものの、結局タイキシャトルは日本に帰ってきてしまった。ムーラン・ド・ロンシャン賞やブリーダーズカップ・マイルでもこの馬ならきっと勝負になったかもしれないし、そうなればタイキシャトルの名声も現在知られているものの何倍もの高さで語られただろうにと思うと、この辺りも惜しい。まあ「競馬にタラレバは無い」ということでもあるのだが……。
タイキシャトルはマイルチャンピオンシップに出走。このレースにはシーキングザパールも出走しており、海外GⅠ馬が2頭もいると大きく盛り上がった。しかしながらタイキシャトルは、安田記念に比べて12kgも太かった。大丈夫なのか? とちょっと思ったことは確かである。 だがこのレース、直線で珍しく岡部騎手が全力で追ったら伸びる伸びる。なんとマイルGⅠで5馬身差である。これは現在に至るまで破られていないマイルCS最大着差タイである。
タイキシャトルはこの年に引退することになっており、マイルチャンピオンシップが最後のレースになる予定だった。「こんな強い馬をもう引退させるなんて。もう1回海外に行ってよ!」とファンがブーブー文句を言っていたところ、JRAからの要望で急遽スプリンターズステークスに出走することになった。
タイキシャトルはレース後、その場で引退式をやる事になっていた。当然勝って、その後引退式の予定である。この事に対して競馬解説者の大川慶次郎氏は「傲慢だ」と怒っていたし「なんや、タイキシャトルのためのレースか。わざわざ関西から遠征してんのに!」と厩舎関係者にもかなり怒っている人もいたらしい。そしてレース当日。単勝1.1倍となったタイキシャトルの馬体は更に増えていた。去年の同じレースよりも20kg多い。明らかに太かった……。
そしてレースではハイペースを追走して伸びあぐねていたところ、本馬をマークする戦略が奏功したマイネルラヴに交わされ、末脚に賭けたシーキングザパールにも差されてしまうのである。接戦の結果はアタマ・クビ差の3着。この3着で連対率100%の記録が途切れてしまう。もし13連続完全連対ならシンザンに次ぐ記録になり、海外GⅠを含むなら史上初の快挙になるところだったのだが。惜しい……。
予定通り引退式は行われたのだが、なんだか気が抜けたような雰囲気が見守るファンの間に漂っていたことは間違いない。事実ターフビジョンに映された最後のスプリンターズステークスの成績欄には「1着」と書かれていた。
ここでもタイキシャトルのために言えば、先述の通りJRAの要請でスプリンターズステークスに出走を決めたという事情があり、急仕上げだったのもそのためであった。それなら有馬記念に出してくれれば[2]……。
13戦11勝2着1回は素晴らしい記録だし、海外含めてGⅠ5勝は凄まじいの一言なのだが、なんだかしきりに惜しかった、惜しかったという台詞が出てしまうのは、この馬ならもっと凄い記録を出せたのではないかという思いをどうしても抱いてしまうからであろう。それくらい強かった。結局短距離しか走っていないが、馬体的には2400mくらいならいけそうだったし、ダートも得意だったのだからアメリカで走る姿も見たかった。実に、実に惜しい馬であった。
引退の年には遂に短距離馬初の年度代表馬になっているし、これも日本馬としては初めてフランスの年度代表古馬にもなっている。そして1999年、25頭目の顕彰馬に選出された。外国産馬初の殿堂入りである。散々記録を後一歩で逃していたタイキシャトルだったが、引退後は数々の初尽くしの栄光に包まれている。
種牡馬としてはウインクリューガー、メイショウボーラーのGⅠ馬2頭を含む多くの重賞勝ち馬を輩出したが、中央GI馬はこの2頭にとどまった(JpnIではサマーウインドがJBCスプリントを勝っている)。何だか惜しい気もするが、メイショウボーラー→ニシケンモノノフと既に孫世代の種牡馬も出ているので、しばらくサイアーラインは続くものと思われる。
2017年に種牡馬を引退し、2018年11月から日高町のヴェルサイユファームに移動。2019年には悪質なファンの手で鬣を切られるという憂き目にも遭ったが、同牧場で悠々自適の余生を送っている。
血統表
Devil's Bag 1981 鹿毛 |
Halo 1969 黒鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Cosmah | Cosmic Bomb | ||
Almahmoud | |||
Ballade 1972 黒鹿毛 |
Herbager | Vandale | |
Flagette | |||
Miss Swapsco | Cohoes | ||
Soaring | |||
*ウェルシュマフィン 1987 鹿毛 FNo.4-d |
Caerleon 1980 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer |
Flaming Page | |||
Foreseer | Round Table | ||
Regal Gleam | |||
Muffitys 1982 鹿毛 |
Thatch | Forli | |
Thong | |||
Contrail | Roan Rocket | ||
Azurine |
クロス Hail to Reason 3×5、Mahmoud 5×5
父Devil's Bagはアメリカで9戦8勝、GIを2勝した。
母*ウェルシュマフィンはアイルランドとアメリカを走り15戦5勝。アイリッシュ1000ギニートライアル(L)を勝利した。タイキシャトルの活躍後、日本に輸入された。
母父Caerleonはジョッケクルブ賞(仏ダービー)優勝など8戦4勝。ヨーロッパでも活躍馬を出したが、日本に輸入された数多くの産駒が驚異的な活躍をした。
主な産駒
- ウインクリューガー (2000年産 牡 母*インヴァイト 母父Be My Guest)
- ゴールデンキャスト (2000年産 牡 母リターンバンダム 母父 Niniski)
- メイショウボーラー (2001年産 牡 母*ナイスレイズ 母父Storm Cat)
- ディアチャンス (2001年産 牝 母マルカムーンライト 母父マルゼンスキー)
- ウイングレット (2001年産 牝 母エアウイングス 母父*サンデーサイレンス)
- テイエムチュラサン (2002年産 牝 母フルフリングス 母父*ノーザンテースト)
- ディープサマー (2002年産 牡 母*チカリー 母父Sadler's Wells)
- サマーウインド (2005年産 牡 母シンウインド 母父ウエスタンウインド)
- サトノプログレス (2005年産 牡 母トウヨウロイヤル 母父*ロイヤルアカデミーII)
- レッドスパーダ (2006年産 牡 母*バービキャット 母父Storm Cat)
- フレンチカクタス (2008年産 牝 母*ブラッシュウィズテキーラ 母父Broad Brush)
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
脚注
- *インティカブは、このジャック・ル・マロワ賞の2ヶ月前に行われた英のマイルGII・クイーンアンステークス(現在はGI)で2着アマングメンに8馬身差をつけて圧勝し、後にこの年GI未出走ながらレーティング2位となった。なおアマングメンはジャック・ル・マロワ賞で半馬身差の2着に入った。
- *これに関して藤沢和雄調教師は「有馬記念が東京の2400mなら使いますよ。シャトルは頭がいいから、中山の2500mだと1周目でゴールと勘違いしてしまう」という見解を示している。
- 1
- 0pt
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%88%E3%83%AB