風を育みながら
付け入る隙を探すがいい
渾身の力で振り切るがいい
ただし忘れてくれるな
私は決して諦めない最後まで食らいつく
どこまでも追いすがる
その積み重ねが私の中に
激しい上昇気流を育んでいくいつか荒れ狂う吹雪となって
すべてを飲み込んでやる
タイキブリザードとは、アメリカ生まれ、日本調教の競走馬・種牡馬である。
○外の時代ならではの超大物血統ながら、豪快と言うよりはナイーブさがあって勝ち切れない馬であった。
主な勝ち鞍
1996年:産経大阪杯(GII)
1997年:安田記念(GI)、京王杯スプリングカップ(GII)
※馬齢は特筆しない限り旧表記(現表記+1歳)で統一
世界的良血馬、上陸
父はアメリカ三冠馬Seattle Slew、母は*ツリーオブノレッジ、母父はNijinskyを破った凱旋門賞馬Sassafras、半兄にBCターフ勝ち馬Theatrical、近親に*パラダイスクリーク、*デビッドジュニアというとんでもない良血馬である。
馬主の一口クラブ・大樹レーシングの黎明期においてもちょっと格が違う血統の馬であり、まだ大きな結果を残したクラブでもないのに総額8000万(100口募集)という破格の条件で募集された。
血統もさることながら、馬体も父に似た大柄で黒鹿毛がピカピカ光る立派な馬体であり、数多の綺羅星の如き○外が輸入された時代にあってもちょっとモノが違うという評価を受けていた。
世代としてはナリタブライアンやヒシアマゾンと同い年の1994年クラシック世代なのだが、デビューは遅れ4歳の冬であった。ダート1400mで迎えたデビュー戦はもはや驚愕としか言いようのない勝ちっぷりで圧勝し、周囲の期待に応える。
2着にカネツクロスがいるなど、メンツも弱くはなかった。続くダート1800mの条件戦では当時足元が弱くダートに出走していた、大物との呼び声もあったサクラローレルを撃破。当時の○外の大目標であるニュージーランドトロフィーに向けて順調かに思われたがここからが苦難の日々。毎日杯で重賞制覇に挑むが血統に眠っていた気性難が爆発し、出遅れて内に閉じ込められる最悪のレースになりながら内を割って伸びたがわずかに届かず2着。
この後腰を痛めて自重せざるを得なくなった。7月のラジオたんぱ賞で復帰するもヤシマソブリンに狙いすましたかのように綺麗に差し切られ2着。
夏の北海道では重賞2着もあったが気性難で自滅したり散々なことになり、確勝を期して秋の福島に向かうがまたもヤシマソブリンに敗れ4着。大樹レーシングの重賞初制覇はこの馬! と言われながら結局果たせないまま4歳シーズンを終える。
苦しみの日々
古馬になっての緒戦となった新潟の谷川岳ステークスを勝利し、オープン初勝利を挙げると安田記念に向かい、強気の先行策で勝負するが*ハートレイクとサクラチトセオーに豪快に差され3着に終わる。
宝塚記念でも果敢に先行するが、同型かつ同父のダンツシアトルのレコード激走に屈し2着。強いといえば強いが勝ち切れない。
父Seattle Slew譲りの先行力はあるのだが、瞬発力は無いため強襲や奇襲にさっくり差されてしまう。この欠点が彼を苛む。
秋に入り、ジャパンカップを見据えて当時ジャパンカップへのステップ的存在だったオープンの富士ステークスでは老いてなお盛ん状態のフジヤマケンザンに敗れ2着、ジャパンカップでは巧みに逃げて直線でもバテずに粘るが、Landoやヒシアマゾンの瞬発力の前に敗れ4着。
有馬記念では逃げたマヤノトップガンを見ながら理想的な先行体勢に入るが、ギアチェンジしたトップガンを捉えられず2着。大崩れはしないのだが……という日々が続く。しかし翌年、始動戦となった大阪杯を勝利し大樹レーシングの重賞……2勝目を挙げる。
実はこの前の週に、後輩のタイキフォーチュンが毎日杯を制し重賞初勝利を達成していたのである。 残念。気を取り直して?春の大目標安田記念制覇を目指すがステップに選んだ京王杯スプリングカップでは*ハートレイクに差され2着、本番でもトロットサンダーの雷霆の如き末脚に差され2着。
この最中に、タイキフォーチュンがNHKマイルカップを驚愕のレコードで圧勝し大樹レーシングのGI初制覇を達成。
彼が成し遂げるはずであった偉業は、みんな後輩に持っていかれたのである。無念。
苦闘の果て
海外で環境を変える意味合いや、血統的にもやれそうという理由から秋はカナダ・ウッドバイン競馬場で行われるBCクラシックへ遠征。
新馬戦ではダートで圧勝したことや、父Seattle Slewの超良血ということもあり期待もされたのだが、ここには連勝が止まったとはいえ怪物的に強かったCigarなどアメリカの強豪が顔を揃えており、申し訳程度の適性では流石に敵わず、Alphabet Soupの最下位13着に惨敗。
熱発があったことに加えて蹴り上げられた土がぶつかって戦意を失ったらしいが、4.3秒離されての惨敗は遠征の難しさや適性を差し引いてもちょっと情けなく、その後も帰国準備中に厩舎から逃げ出したりいろいろあったが休養となった。
遠征のダメージは想像以上に大きく、引退すら考えられるほどやつれた体になってしまっていたが、奇跡的な回復を見せカムバック。
京王杯スプリングカップをレコード勝ちすると安田記念でも食い下がるジェニュインをねじ伏せ、ついにGI制覇を達成。
ようやく、 7歳にしてGI制覇を遂げたのであった。続く宝塚記念ではバブルガムフェローとの同厩舎コンビで臨むが4着に敗れる。2000m以上だと詰めが甘くなるようである。
秋は調教師サイドが馬主サイドを説き伏せ再びBC遠征へ。今回は西海岸のハリウッドパーク開催ということや前年の反省を踏まえて前哨戦を使い、その結果次第で遠征をやめるかBCマイルへ向かう予定であった。
大事な前哨戦のマイル重賞は挟まれる不利を被りつつ3着に入り、遠征続行が決定。 BCマイルに向かう…はずだったのだが、グッダグダで調子も良くなかった前年とは違う! とBCクラシックに2年連続挑戦を決める。
BCマイルだとレートが足りず除外を食らうから予定を変えたとも言われるが、現地新聞でも全く不可解な選択と言われたこの選択は大失敗で、Skip Awayに遊ばれて惨敗。
とはいえ、マイルに出ていても*スピニングワールドが1分32秒台という当時では府中でも滅多にないおっそろしい時計で圧勝していたので、決め手のない彼には辛かったであろう。
その後、有馬記念に出走し凡走して引退。種牡馬入りした。
種牡馬としては初年度にヤマノブリザードを輩出したのがピークで、2005年に種牡馬引退。去勢されて日高ケンタッキーファームにいたが、ここが経営難で傾いた余波か2008年に鹿児島の功労馬繋養牧場ホーストラストに移り、2014年8月に23歳(現表記)で死亡。
直系はすでに絶え、母父としても断絶寸前ではあるが、彼の現役時代を知るものには色々と忘れがたい馬であろう。
でっかい図体なのにお金探してるのかというくらい頭を低くして走るフォームや、シルバーコレクターと呼ぶにふさわしい詰めの甘さなど、愛すべき要素の多い馬だった。
彼の後継者がもう見られないのは残念。だが、これもまた優勝劣敗の競馬の世界の一面である。
ちなみに、彼が必死に追いかけた海外GI制覇の夢は後輩のタイキシャトルが成し遂げた。シーキングザパールに出し抜かれて初めての栄誉は取られたが。
血統表
Seattle Slew 1974 黒鹿毛 |
Bold Reasoning 1968 黒鹿毛 |
Boldnesian | Bold Ruler |
Alanesian | |||
Reason to Earn | Hail to Reason | ||
Sailing Home | |||
My Charmer 1969 鹿毛 |
Poker | Round Table | |
Glamour | |||
Fair Charmer | Jet Action | ||
Myrtle Charm | |||
*ツリーオブノレッジ 1977 鹿毛 FNo.3-h |
Sassafras 1967 鹿毛 |
Sheshoon | Precipitation |
Noorani | |||
Ruta | *ラティフィケイション | ||
Dame d'Atour | |||
Sensibility 1971 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | |||
Pange | *キングスベンチ | ||
York Gala | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Hail to Reason 4×3(18.75%)、Nasrullah 5×5(6.25%)、Court Martial 5×5(6.25%)
主な産駒
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
- 4
- 0pt