ターミナルエコーとは、京王井の頭線吉祥寺駅にあった「京王吉祥寺駅ビル」の商業施設(専門店街)としての旧称である。ビル自体の旧称は「吉祥寺エコービル」である。
概要
商業施設「ターミナルエコー」はJR中央線複々線高架化工事が完了した1969年(昭和44年)4月8日の翌年、1970年(昭和45年)11月に開業した。当初は専門店街の各店舗がテナントとして入居し営業するという形態であったが、テナント料の値上げなどの理由により開業の数年後には退去し、ほぼもぬけの殻状態であった。その後も不安定な状態が続き、1980年代後半から10年ほど閉鎖された。その後1996年にユザワヤが入居、ユザワヤでも最大規模の巨大店として賑わった。2004年には京王電鉄がビルを買収し、「京王吉祥寺駅ビル」に改名。
2010年には南口の再開発と併せて解体。2014年、ターミナルエコー跡地に新駅ビル「キラリナ京王吉祥寺」が完成し開業した。
また、1992年に発売された吉祥寺を舞台とするビデオゲーム「真・女神転生」において、ダンジョン「エコービル」として登場した。
店内の大まかな移り変わり
Ⅰ:1970~75年頃:専門店街の一店舗としてテナントが入居する形態で開業
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ほぼもぬけの殻(ごく一部の店舗が営業)
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Ⅱ:1984年頃:ゲームセンターとその他のテナントがごくわずか。87年頃にはすでになかった。
↓
完全に閉鎖(営業していない)
↓
Ⅲ:1996年5月~2010年:ユザワヤが入居
※B2Fの駐車場のみ、1970年の開業当初から2010年の閉鎖に至るまで営業が続けられていた。
なぜこれほどの間、テナントが入っていなかったのか?
-
動線が悪い ―人が建物に入って来づらい―
開業翌年の1971年頃にはすでに客入りが悪かった。京王線の改札やJRの改札と入り口が直接つながっておらず、西にあるコンコース内の入り口は少し入り組んだ場所にあるせいで人通りがあまりない。京王線の改札のそばにある別口もとても狭く、ビル全体が利用しにくかった。ロンロンを通り道にする利用客は、駅の西北にあるパルコや東急デパート、北の伊勢丹などに足を伸ばすが、「ターミナルエコー」より東側には如何わしい歓楽街しかなかったため、ビル自体にも利用するにも、通り抜けるにも魅力がなかった。ユザワヤが入る96年頃、新しくフロア面積を東に拡張したロンロンと地下で繋がるまでの間はどうしようもなかったらしい。 -
テナント料の賃上げに関するトラブル
開業直後から入っていた店舗に対し、オーナーがかなりの賃上げを強いた。結果、反対したテナントが一斉に出てしまったらしい。そのため完成から数年後にはほとんどのテナントが入っていなかった。対立のなれの果てである。これは初期の店舗に限らず、バブル期に入居したテナントもそうである。 -
バブル期の地価高騰
②の話の後。テナントで入るにも駅に隣接ということで地価だけは一等級。もちろん入る店はなかった。ビルごと売却するにも値上がりした土地の値段に買い手がつかず、どこも手を付けられなくなったそうだ。バブル崩壊後は価格が暴落し、売却すると大きな損失が生じるため、長らく放置されていた。
当時のフロア構成
Ⅰ:開業当初(1970年~75?年頃)
■B2F
■B1F
■1F
■2F ?
■3F ?
■4F
■5F ?
■6F ?
■7F ?
■8F
■RF
■不明
Ⅱ:中期(1984年頃―開業当初のテナントが数年で退去し、しばらく空きの状態が続いた後)
この頃は空き階や空きスペースがかなりあり、異様な空気が漂っていた。途中の階は電気も消えて真っ暗。
■B2F
■1F~3F
■不明
■その他の階
- 空き
そして現在は…
当時を知らない人も増え、廃墟ビルだったことは人々の記憶から忘れ去られつつある。当時をよく知っているのも今やヲヤjゴホゴホ・・・。
- 1996年5月――――ロンロンを東側へ拡張したロンロンエキサイツ館がオープンし、エコービルからロンロンへの通路(啓文堂北側出口)が設置された後、ユザワヤが開業した。
- 2004年9月30日――京王電鉄が総額約120億円で全館取得した。
- 2010年―――――建物の老朽化やその他の理由により建て替えが決定。取り壊される。
- 2014年―――――ターミナルエコー跡地に建設された新駅ビル「キラリナ京王吉祥寺」が開業。
登場作品
噂・都市伝説
当時の奇妙キテレツな状況から、真偽のほどはよく分からないものの噂が流れていた。以下に掲載するものは半ば虚構だと思います。あくまでもこんな噂が存在したということで掲載します。
うわさ1 ―オカルトマニアのオーナー―
ずいぶん昔のエコーオーナーはオカルトマニアでビル中にお札を張り、ビルに遊びに来た子供が、そのお札をいたずらではがしたそうだ。それに怒った主人が殴り殺してしまったそうな。 そのまま逮捕され、精神がおかしいと入院。その先の病院で点滴を食べ、のどに詰まらせて死んだらしい。
今でもユザワヤには剥がしきれなかったお札が、棚などでうまく隠されている。 お札は一階の入り口付近の大きな絵の裏にあるとも言われている。
うわさ2 ―地上げ物件―
ターミナルエコーは、平和相互銀行が地上げした物件。 しかし、そこに暴力団が介在してきた。その後、平和相銀は、内紛に告ぐ内紛で、経営破たん。一時期、新橋の本店を売却して、ターミナルエコーに本店を移転する計画もあったようだが、頓挫。平和相銀オーナーの小宮山一族の会社、富士ビル開発というのが、エコーのオーナーだったが、その小宮山一族への巨額融資の担保として平和相銀は、富士ビル開発に相当貸し込んだ形になった。平和相互の不良債権処理で、この物件は199億円でイトマンに渡る。相当高値で買わされたようであったが、バブル期に売らなかったことで結局大損。イトマンも破綻。その後、京王電鉄に120億円位で最終的に売却された。
うわさ3 ―老婦人―
当時、吉祥寺はまだこじんまりした商店街でした。エコーに面した道路もなく、井の頭線のガードで行き止まりでした。そのガード下を借りて通勤通学者の自転車預かり業を営む老婦人がいらっしゃいました。昭和40年代の初め中央線の高架工事が始まり駅周辺の再開発が活発になって来た頃、エコービルの建設が計画され、多くの利権を目論む輩が徘徊しました。エコー建設のためにガード下で商売をしている方々も立ち退きを強いられました。その中のお一人がその老婦人ですが、身寄りもなく他所へ行って新たな暮しをする当てない方でしたが、非情にも利権に絡んでいた銀行が昼夜を問わず手を変え品を変え、立ち退きを迫っていました。追い詰められた老婦人はその立ち退きを迫った関係者の名前を連ね、恨み辛みのこもった遺書を残して、首を吊ってしまわれました。
備考・豆知識
- 現在建物屋上の看板には「ユザワヤ」と書かれているが、以前は「ターミナルエコー」と書かれていた。
- ほぼ廃墟ビル同然の頃は、窓ガラスに目隠しなどがなく何もないビル内が外から見えた。
- 長らく空きビルであったため、「幽霊ビル」「廃墟ビル」などの通称で呼ばれることがあった。
注意
- 情報のソースは記憶の部分が多いため、信憑性は100%と言い切ることは難しい。そういえばこんな感じだったなー程度に思ってください。
- 地元民の談
- http://plaza.rakuten.co.jp/muhmin/diary/200807130001/
- http://www.area-zubari.com/768
- http://ameblo.jp/toiletroom/day-20080818.html
- http://goodold60net.web.infoseek.co.jp/60data001/htm_fils/mail/mail53.htm
- http://blog.livedoor.jp/happy_luppy/archives/15155494.html
- http://www.wafu.ne.jp/~ton/beads/shop/yuzawaya.htm
- http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/1643/1059411294/
※当時をご存じの方は情報提供・編集ぜひよろしくお願いします※
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