至上の難敵
アイツには近づくな
真っ向から挑めば
灼熱の炎に
焼き尽くされるだろうかといって慎重に
距離を置けば
いつの間にかほら
手の届かないところへこれほどにやっかいな
敵などそういない
ダイタクヘリオス(1987年4月10日生~2008年12月12日没)とは、日本の競走馬・種牡馬であり、『新聞の読める馬』『ダイイチルビーの婿』『笑いながら沈む走る馬』『メジロパーマーとのバカコンビ1号2号』など、マイルCS連覇など優秀な成績を収めた競走馬でありながら、数々のネタを我々に提供した『愛すべきバカ』である。
梅田康雄厩舎所属、主戦騎手は岸滋彦騎手。競走成績は35戦10勝。
主な勝ち鞍
1990:夕刊フジ賞クリスタルカップ(GIII)
1991:マイルチャンピオンシップ(GI)、読売マイラーズカップ(GII)、高松宮杯(GII)
1992:マイルチャンピオンシップ(GI)、読売マイラーズカップ(GII)、毎日王冠(GII)
※当記事では、ダイタクヘリオスの活躍した時代の表記に合わせて、特に記載が無い限り年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記します。あと一部フィクションっぽい表現があります。
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この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「ダイタクヘリオス(ウマ娘)」を参照してください。 |
出生:普通の馬ですよ?
父ビゼンニシキ、母ネヴアーイチバン、母父*ネヴァービートという血統。
父はシンボリルドルフの同期として、彼の最初のライバルとして立ちはだかった馬であり、皐月賞では一時シンボリルドルフを追い詰めるなど才気を見せたが、結局故障によりGIタイトルとは無縁で引退した悲運の馬である。
母系は今でこそ「ミスナンバイチバン系」とも言われるようになった祖母の偉大さが語られているが、ヘリオスが生まれた当時は、近親に狂気の逃げ馬カブラヤオーとその妹ミスカブラヤの名前が目立つ程度で、特筆すべきほどの評価はなかった。
とはいえ生まれた段階では血統的にも、馬体的にも見るべきところはなく、気性も特に荒いところもない落ちついた馬であり、やたら頑丈なのだけが取り柄の馬だった。
3歳:出走しすぎだろjk……
デビューは3歳10月。まずは京都の新馬戦を3着とまずまずの成績。現在と違い、当時はデビューした時の開催回と同じ開催回の間なら何度でも新馬戦に出れた。デビューが京都開催の開幕週だったため、中1週で再び新馬戦に出走し、今度は惜しい2着。ここまでは普通。ここまでは。
そして次のレースは・・・連闘でまた新馬戦・・・だと・・・。使えるうちに一杯使っておけ、という梅田師の言葉が聞こえてくるような使い方である。ここをようやく勝利すると、さらにデイリー杯3歳S(GII)4着、さざんか賞1着、阪神3歳S(GI)2着という成績を上げて3歳を終える。
デビューから2か月半で6戦である。ただの条件馬ならともかく、重賞で好走する馬をこれだけ酷使するのも珍しい。それに何事もなかったかのように好走するダイタクヘリオスも相当なものである。
4歳:新聞、読みはじめました
さらに休みなく迎えた4歳初戦のシンザン記念でを2着後、クラシックを見据えてきさらぎ賞、スプリングSに出走するがここで6着、11着と惨敗し距離の限界を露呈すると、クラシック戦線をあきらめて短距離路線へ転向した。
短距離路線転向後、クリスタルC(GIII)と葵Sを連勝して波に乗り、当時の短距離路線の大一番、ニュージーランドT4歳S(GII)に1番人気で挑んだ。が、1000m通過57秒1という超ハイペースで逃げ比べをしたのが祟って敗れてしまう。それでもこのペースで2着に粘るのは恐ろしいところではあるが。
かなりの実績を上げたからか、ここでようやく休養をもらう。休養後ぶっつけで挑んだマイルCSはさすがに無謀だったか17着と惨敗したが、その後のスプリンターズS(当時は12月開催)は5着と健闘して4歳のレースを終えた。
5歳 ~高松宮杯:ダイイチルビーは俺の嫁
5歳初戦の淀短距離Sは4着。しかし次のマイラーズC(GII)でまさかの5馬身差圧勝。これで春は安田記念に狙いを定めるも、少しは休めばいいのに1番人気に支持されたダービー卿チャレンジトロフィー(GIII)では4着。その後安田記念のステップレース、運命の出会いの地京王杯SC(GII)へ向かった。
そこでダイタクヘリオスはハイペースなのにかかるという謎の現象を見せて6着敗退。その一方で華麗な末脚でこのレースを勝った馬、それこそが後に恋人とまで語られるようになったダイイチルビーである。
そして目標の安田記念へ駒を進めたが、ダイタクヘリオスの人気はここ2戦の悪さから28.7倍の10番人気。恋人とか以前に5.7倍(2番人気)のダイイチルビーと比較しようと考える人間など皆無であった。
しかし、京王杯スプリングCと同じハイペースで進んだにもかかわらず、この日のダイタクヘリオスは折り合いがつき、バテる他の先行馬、馬群に包まれた1番人気バンブーメモリーを尻目に完全な逃げ込み体制となった。しかし、残り100mあたりでダイイチルビーの豪脚が炸裂。この日の安田記念の勝利はダイイチルビーの手に落ちた。
しかし10番人気ながら2着の大殊勲に、いよいよ本格化か、と思った矢先、CBC賞(GII)は5着に敗退。もはや強いのか弱いのかさっぱりわからぬまま次のレースは高松宮杯(当時は2000mのGII)に決まった。距離が長いと見る向きが強いうえ、前走の敗退で評判を落として5番人気。圧倒的1番人気は高松宮杯母仔三代制覇のかかったダイイチルビーである。
レースは安田記念の再現となった。安田記念より400m長いにもかかわらず安田記念同様の粘り込みを図るダイタクヘリオス、そしてそれに襲いかかるダイイチルビー。しかしここは東京競馬場ではなく中京競馬場。差し切るにはわずかにゴール板までの距離が足りずダイタクヘリオスが高松宮杯母仔三代制覇の野望を粉砕した。まさかの展開に皆呆然とし、このあたりから
「ダイイチルビーと一緒だから気合入れて走ったんじゃね?」
とかダイイチルビーとの絡みが言われ始めるようになった。
5~6歳 ~安田記念:失恋
休養をはさんだ後の毎日王冠(GII)では強豪相手に2着と頑張り、今度こそ本格化か?と思いきや次のスワンS(GII)ではルビーがケイエスミラクルという新しい恋人を連れているのにショックを受けたのか9着と惨敗。
そしてマイルCS。先の惨敗で人気は4番人気。1番人気はまたしてもダイイチルビーである。2番人気は新恋人ケイエスミラクル。
しかし、2人のいちゃいちゃぶりにダイタクヘリオスは相当気合が入っていたのか4コーナーで一気に2番手以下を突き放した。先述の通り、ダイタクヘリオスは逃げ込みを図ると粘り強い馬。その馬が後続を突き放したとなればもはや勝負あり。ダイタクヘリオスはついにGIタイトルを獲得した。ちなみに主戦の岸騎手がダイタクヘリオスとのコンビで勝ったのは4歳の葵S以来である(マイラーズCと高松宮杯は別の騎手)。
その後は恋人にいいところを見せようとしたのかなぜか有馬記念に挑戦。狂気度ならさらに上の大逃げ馬ツインターボがいるのに無謀な・・・と思ったが意外にも5着と健闘。
6歳初戦は前年同様マイラーズCから始動し、ここを快勝し連覇。しかし1番人気のダイイチルビーは6着惨敗。前年のスプリンターズSで燃え尽きてしまったのか、はたまた新恋人ケイエスミラクルがそのスプリンターズSで故障、予後不良となったことにショックを受けたのか、ダイイチルビーはその後も不振続きで、ダイタクヘリオスもそれに追随するかのように不振。京王杯SC、安田記念とも両者惨敗。そしてかつてはダイタクヘリオスの恋人とまで称されたライバル・ダイイチルビーはそのままターフを去ってしまったのである。
6歳 ~有馬記念:コンビ結成
ダイイチルビー引退後もダイタクヘリオスの方は現役を続けることになった。次のレースは宝塚記念。そしてここでダイタクヘリオスはダイイチルビーに続く運命の出会いをする。メジロパーマーである。まず初の出会いとなった宝塚記念では同じペースで走っていたにもかかわらずパーマー優勝、ヘリオス失速で5着という結果に。
その後、毎日王冠をレコードで制してで復調気配を見せたダイタクヘリオスが再びメジロパーマーと一緒になったのは天皇賞(秋)。ここでこの2頭が馬鹿コンビと称されるようになる決定的な事件が起きる。
レースが始まると「ここは俺が逃げる!」「いいや俺が!」とお互い張り合いまくって譲らない2頭。「じゃあ俺が」『どうぞどうぞ』となる3頭目がいなかったせいで超ハイペースとなり1000m通過が57秒5。サイレンススズカ並みのペースで張り合う2頭。なぜかあまり離れずについてくる1番人気のトウカイテイオーら先行勢。そしてパーマーを脱落させ、粘り込みを図るヘリオス。・・・このペースで残り200m付近まで粘ったのは称賛に値するのだが、結局はトウカイテイオーに並びかけられ、そしてトウカイテイオーごと外の追い込み馬達にズボズボ差されてレース終了。「2頭でトウカイテイオーの邪魔しに来たのかよ!」と突っ込まざるにはいられないレースとなった。
次はパーマーのいないマイルCS。前走がアレだったせいで1番人気はシンコウラブリイ。だが、まるで前年のリプレイの如く4コーナー突き放し戦法を決め快勝。
そして6歳いっぱいでの引退が決まったダイタクヘリオス、残りの2レースはまさに彼の競走生活の総決算であった。間隔詰め詰めで走った3歳時のようにスプリンターズSと有馬記念の連闘を敢行し、かつての恋人とそのライバルが走ったスプリンターズSでは1番人気に推されたのを新聞で読んだかのように4着に負け、有馬記念ではメジロパーマーとの馬鹿コンビを再び結成し、2人並んで先頭を張り合うレースで沸かせ、最後はパーマーに華を持たせてターフを去っていったのである。
その後:まだ俺のバトルフェイズは終了してないぜ
その後ダイタクヘリオスは種牡馬となった。最初昔の恋人のことを思ってたのか牝馬に興味を示さないというアクシデントがあったもののその後は順調に種牡馬生活を送っていた。が、サンデーサイレンスの波には勝てず、ほぼ需要が無くなりかけたと思われたその時、事件は起こった。
ダイタクヘリオス引退から8年後の2000年のスプリンターズS。そのレースはアグネスワールド・ブラックホーク・キングヘイロー・ブロードアピール・ビハインドザマスクなどそうそうたる良血・実績を持つ馬が顔をそろえていた。しかしそのレースはある馬がダイタクヘリオスのような4コーナー突き放し逃げ切り戦法で勝利したのである。その馬の名はダイタクヤマト。16頭立て16番人気での勝利はサンドピアリス以来2頭目の最低人気でのGI勝利である。その父の名は・・・ダイタクヘリオス。種牡馬となってなお、目立たずにはいられないのか、ともう笑うしかなかった。
また、世間ではダイイチルビーとの交配が期待されたが、さすがに良血馬×雑草馬という配合は無茶だったか現実に交配されることはなかった・・・が、ウイニングポストシリーズではせめてゲームでは交配させてやろう、という製作者の計らいなのか、ダイタクヘリオス×ダイイチルビーという血統のゲーム内強豪馬・ファーストサフィーが登場した。
そんな個性派とか言う域を超えて目立ちまくった彼も、2008年12月12日に眠るようにこの世を去った。
血統表
ビゼンニシキ 1981 栗毛 |
*ダンディルート 1972 鹿毛 |
Luthier | Klairon |
Flute Enchantee | |||
Dentrelic | Prudent | ||
Relict | |||
ベニバナビゼン 1975 栗毛 |
*ミンスキー | Northern Dancer | |
Flaming Page | |||
カツハゴロモ | *サウンドトラック | ||
*ワイルドライフ | |||
ネヴァーイチバン 1971 黒鹿毛 FNo.8-g |
*ネヴァービート 1960 栃栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah |
Singing Grass | |||
Bride Elect | Big Game | ||
Netherton Maid | |||
ミスナンバイチバン 1959 黒鹿毛 |
*ハロウェー | Fairway | |
Rosy Legend | |||
*スタイルパッチ | Dogpatch | ||
Style Leader |
クロス:Big Game 4×5(9.38%)、Nearco 5×5(6.25%)
主な産駒
関連動画
20世紀の名馬 73位
ルビーとの恋人対決。マイルCS動画も消され、ニコ動に残るは高松宮杯だけに・・・(´・ω・`)
関連静画
関連コミュニティ
関連項目
- 競馬 / JRA
- 競走馬の一覧
- 父内国産馬 / ビゼンニシキ
- 1990年クラシック世代
- バカコンビ
- 愛すべき馬鹿
- ダイタクヤマト
- ダイイチルビー
- ケイエスミラクル
- メジロパーマー
- カブトシロー / エリモジョージ - 新聞を読んでいた先輩
- 馬なり1ハロン劇場
- ウイニングポスト
- ファーストサフィー
外部リンク
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