ダビド・シルバ単語


ニコニコ動画でダビド・シルバの動画を見に行く
ダビドシルバ
1.2万文字の記事
  • 1
  • 0pt
掲示板へ

ダビド・シルバDavid Josue Jimenez Silva, 1986年1月8日 - )とは、スペインの元サッカー選手である。元サッカースペイン代表

現役時代のポジションMF170cm67kg。利き足は左足。

概要

スペインカナリアラスパルマス県のアルギネイン出身。母親祖母日本人であるため日本ルーツを持つクォーターである。高いボールテクニックポジショニング力、ゲームメイク力を兼ね備えた「魔術師」と称された選手であり、スペイン代表で長く一緒にプレーしたアンドレス・イニエスタは対戦してもっとも衝撃を受けた選手に「とにかく上手い」としてシルバを挙げている。

15歳のときにバレンシアCFの下部組織に入団し、レンタル移籍から復帰後はダビド・ビジャと共に攻撃を牽引する存在となる。2010年よりマンチェスター・シティに移籍。セルヒオ・アグエロケヴィン・デ・ブライネらと共にクラブヨーロッパを代表する強に成長させ、プレミアリーグで4回、FAカップで2回、リーグカップで5回優勝。PFA年間最優秀チームにも3回選ばれ、10年間攻撃の核として活躍した。

スペイン代表には2006年デビューシャビイニエスタと中盤でコンビを組み、黄金期の中心選手としてEURO20082010 FIFAワールドカップEURO2012の3大会連続での優勝を経験。2018年に代表を引退するまで125試合35ゴール29試合かしいキャリアを形成している。

キャリアの晩年期にはレアル・ソシエダに移籍し、プレー面のみならず久保建英の成長に大きなを与えるなど若い選手たちの成長にも貢献したが、トレーニング中に前十字靭帯を負傷し、2023年7月引退を余儀なくされた。

経歴

生い立ち

1986年1月8日カナリアグランカナリアにある小さな漁港アルイネインで生まれる。父親は4部でプレーした経験のある元サッカー選手引退後に警察官となり、後にバレンシアCFスタジアムの警備を担当したスペイン系で母親は日系人。イベリア半島よりモロッコ海岸に近いカナリアは、フットボール天才が生まれる場所として知られ、シルバの前にスペイン代表で背番号21をつけていたフアンカルロス・バレロンやFCバルセロナで若くして中心選手となったペドリカナリアの出身である。

シルバもまた幼い頃からボールを蹴っており、両が働いてるときもそばに一緒にいるときも、ずっとフットボール中だった。幼少期にコンデンスミルクフットボールじ、顔から血を流したという逸話もある。9歳となった1995年マスパマス近郊のUDサンフェルナンドのユースチームサッカーを始める。当初はゴールキーパーとしてプレーしていたが、後にウインガーに転向し、幼少期の憧れだったミカエル・ラウドルップを模倣したプレースタイルを身につけた。カナリア選手権で優勝するなど実績を積み、12歳の時にレアル・マドリーの入団試験を受ける。しかし、責任者のビセンテ・デル・ボスケに認められたが、元を離れるにはいという理由で入団は見送りになる。

14歳となった2000年バレンシアCFからスカウトされ、1週間の入団テストを受けてカンテラに入団。バレンシアに来て最初の2年は寮生活で当初はホームシックにかかったが、やがてアンダー世代代表の中心選手になるくらいの有望に成長する。

キャリア初期

2003年3部リーグ(セグンダ・ディヴィシオンB)に所属するバレンシアCFメスタージャ(バレンシアB)に17歳で昇格。2004年1月CDカステリョン戦でプロデビューを飾ると、デビュー戦でゴールを決める。2003-04シーズンのセグンダBでは14試合1得点記録している。

2004年、セグンダ・ディヴィシオン(2部)のSDエイバルレンタル移籍する。このときまだ18歳ながらも力としてインパクトのある活躍を見せ、チームの攻撃を牽引する存在となる。2004-05シーズンは35試合4ゴールという結果を残している。

2005-06シーズンにはプリメーラ・ディヴィシオン(1部)に昇格したばかりのセルタ・デ・ビーゴにレンタルで移籍。開幕2試合こそベンスタートだったものの、すぐに力の座を掴み、トップカテゴリーでもその才を発揮することを明。ここでも35試合5ゴールの活躍で昇格1年ながらもUEFAカップ出場権獲得の6位入りという躍進に大きく貢献。シルバの才海外クラブからも注視されるようになっていた。

バレンシア

2006-07シーズンリーガ・エスパニョーラバレンシアCFに復帰し、退団したパブロアイマールが背負っていた背番号21を与えられる。流出を防ぐためにクラブはすぐに長期契約を結び、すぐに攻撃的MFファーストチョイスとなり、アイマールの後継者として十分な働きを見せる。2006年11月5日のRCDエスパニョール戦でバレンシアトップチームでの初ゴール記録UEFAチャンピオンズリーグではラウンド16のインテル・ミラノ戦では勝ち抜きの要因となる重なアウェイゴールを決めている。準々決勝のチェルシーFC戦でもゴールを決め、欧州中で名を挙げることとなった。ダビド・ビジャ、ホアキン・サンチェスとの攻撃ユニットは破壊力抜群で、数々のゴールを演出してチームを牽引する。

2007-08シーズンチームの中心として高いゲーム力を発揮していたが、自身をレギュラーとして抜したキケ・フローレス監督2007年10月に成績不振で解任、後任となったロナルドクーマン監督ベテラン選手と衝突し、チーム空中分解リーガの攻撃を擁しながらも一時は降格の危機に直面する。そんな散々なシーズンとなったが、コパ・デルレイでは決勝でヘタフCF相手に勝利し、キャリア初となるタイトルを獲得。

2008-09シーズンの開幕前、クラブの財政難からプレミアリーグクラブへの移籍が何度も報じられるが、サポーターからの反対運動ネット上でおこなわれたこともあり、クラブとの契約2011年まで延長。しかし、足首の慢性的な負傷によって開幕から3か間は試合に出られず、2008年12月中旬に復帰。2009年1月3日ホームでのアトレティコ・マドリード戦では2ゴールを挙げたが、シーズンを通して19試合出場4得点に終わる。

2009-10シーズンは前年苦しめられた足首の負傷もすっかり治し、ベストコンディションでシーズンに入る。ビジャとのホットラインはますます磨きがかかり、左脚から多くのチャンスクリエイトしていた。2009年11月のオサスナ戦でバレンシアでのリーガ通算100試合出場を23歳の若さで達成。直後のRCDマジョルカ戦で内側側副靭帯を損傷し、1か間の戦線離脱を強いられたが、復帰後もパフォーマンスを落とすことなく攻撃のタクトを振るっていた。2010年3月11日UEFAヨーロッパリーグ・ラウンド16のヴェルダー・ブレーメン戦では3アシスト記録4月15日リーガアスレティック・ビルバオ戦では2ゴールを決める。バレンシアでの4シーズンは復帰以降最高のパフォーマンスと称され、自己最多となる8ゴール記録し、チーム3位フィニッシュ及びCL出場権獲得に貢献。しかし、深刻な財政難にあったクラブはとうとうシルバビジャの二枚看板の売却を決断する。

マンチェスター・シティ

2010年7月14日イングランドプレミアリーグマンチェスター・シティに4年契約で移籍することが発表される。加入してすぐにロベルト・マンチーニ監督の信頼を得て中心選手となると、9月16日UEFAヨーロッパリーグレッドブルザルツブルク戦で移籍後初ゴールを決める。10月17日ブラックプール戦ではプレミアリーグゴールマークマンチーニ監督ウイングメイントップ下でも起用していたが、ライン間で創造性を生み出すシルバ力はこれまでのシティに不足していた要素であり、彼がもたらしたものは大きかった。2010年10月から12月まで3年連続でクラブ最優秀選手賞を受賞。加入1年2010-11シーズンは35試合4ゴール7アシスト記録し、FAカップ優勝にも貢献。クラブの年間最優秀選手にも選ばれる。

2011-12シーズンも好調なスタートを切り、プレミアリーグ開幕戦のスウォンジー・シティ戦でシーズンゴールを決め、第2節のボルトン・ワンダラーズ戦では2試合連続でのゴールを決める。第3節のウィガン・アスレティック戦ではセルヒオ・アグエロの3ゴールのうち2アシスト記録。新加入のアグエロとは初めてコンビを組んだとは思えない程の息の合った連携を披露し、2人で多くのゴールを生み出していた。6-1の歴史的大勝となったマンチェスター・ユナイテッドとのマンチェスター・ダービーでは1ゴール2アシストの大活躍を見せる。その後、プレミアリーグマンチスターの2チームは熾優勝争いを繰り広げ、大一番となった2012年4月マンチェスター・ダービーではCKからヴァンサン・コンパニの決勝ゴールアシスト。最終節のQPR戦ではエディン・ジェコの同点ゴールアシストし、シティの44年ぶりのリーグ優勝の立役者となる。シーズンを通してプレーメーカーとして高い才を発揮し、リーグトップとなる17アシスト記録ユナテッドとの明暗を分けた差はシルバであったと言われるほどだった。

2012-13シーズンの開幕後の2012年9月13日にはクラブとの契約を5年延長。その後も好調を維持し続け、多くの重要なアシスト記録する。11月17日アストン・ヴィラ戦ではシーズンの初ゴールを決める。リーグ最終節のレディング戦では芸術的ラストパスでジェコのゴールアシスト。4ゴール10アシストと個人としてはきを放ったが、チームユナテッドの独走優勝を許しての冠に終わり、マンチーニ監督が解任となる。

ヌエル・ペジェグリー監督が就任した2013-14シーズン2013年8月19日プレミアリーグ開幕戦のニューカッスル・ユナイテッド戦でシーズンゴールを決める。このシーズンは度重なる怪によって戦線離脱を何度も余儀なくされた厳しいシーズンではあったが、それでも出場した試合ではハイレベルゲームメイクによって多くのチャンスを作り出していた。CLグループステージでは1ゴール3アシスト記録2014年3月プレミアリーグで2ゴール2アシスト記録し、クラブ最優秀選手に選出。出場こそ29試合にとどまったものの公式戦全体で8ゴール16アシストの好成績を残し、シティの2シーズンぶりのプレミアリーグ優勝とEFLカップ優勝に貢献。

2014-15シーズン開幕直前にクラブとの契約2019年まで延長。2014年8月17日プレミアリーグ開幕戦のニューカッスル戦でチームシーズン最初のゴールを決める。12月20日プレミアリーグ第17節のクリスタル・パレス戦でマンチェスター・シティでの公式戦通算200試合の出場を飾る。この年はアシストのみならず得点力でも冴えを見せ、2015年3月14日レスター・シティ戦の決勝ゴールでキャリアで初となるリーグ戦二桁得点を達成。3月17日CLラウンド16のFCバルセロナ戦では巧みなバックヒールリックからアグエロゴールアシスト公式戦全体で12ゴール10アシストとキャリアハイの成績を残し、アグエロ得点王獲得にも大きく貢献している。

2015-16シーズンはヤヤ・トゥーレのロングシュートを巧みなバックヒールリックコースを変えたゴールを決め、試合後にペジェグリー監督が「信じられない」と評するパフォーマンスだった。10月の代表戦で足首を負傷し、2か間戦線を離脱。その間にチームは不安定な戦いを繰り返し、逆にシルバの存在の大きさが浮き彫りとなった。2016年1月16日クリスタル・パレスFC戦では1ゴール2アシスト記録2月24日CL準々決勝ディナモ・キーウとの1stレグチームの2点を決め、クラブ史上初となるベスト8進出に貢献。しかし、準決勝のレアル・マドリード戦では前半40分に負傷により交代となり、欠場となった2ndレグでは攻撃が機せずに敗退。ペジェグリー監督シルバの不在がチーム弱体化させ、チャンスを作る力を阻したとした。足首の慢性的な怪などにより公式戦22試合を欠場したが、それでも4ゴール12アシストという成績でシーズンを終えた。

2016-17シーズンジョゼップ・グアルディオラ監督が就任。新たなサイクルに入ったチームにおいても攻撃の核であり、特別な選手であることに変わりはなかった。ペップ就任1年はまだチームに戦術が落とし込みきれておらず、過渡期となっていたこともあり冠に終わる。それでも公式戦8ゴール11アシストと相変わらずの働きを見せ、2度となるチームの年間最優秀選手に選ばれる。

2017-18シーズン開幕前、突然スキンヘッドイメチェンファンを驚かせる。シーズンの序盤は、生まれたばかりの息子が極度に産だったため、このスペイン人選手にとって特に辛い時期だった。そのため、マドリード病院にいる​​妻と息子を見舞うために、イギリススペインの間を飛行機で往復しなければならなかったが、それでもハイパフォーマンスを維持し続け、プレミアリーグで14試合で8アシスト記録グアルディオラ監督が掲げる5レーンの理論ポジショナルプレーチームに浸透するようになり、同じ絵を描くことが出来る稀有な存在であるケヴィン・デ・ブライネと共にハーフスペースを制圧しながらニアゾーンを突く戦術が猛威を振るい、他チームを圧倒。2017年12月10日マンチェスター・ユナイテッドとのダービーでは決勝ゴールを決める。このシーズンのシティは前人未到となる勝ち点100の大台をえる圧巻の強さを見せつけ、2位と勝ち点19差をつける独走状態でプレミアリーグ優勝を成し遂げる。また、EFLカップ決勝のアーセナル戦では決勝ゴールを決め、タイトル獲得に貢献。公式戦全体で10ゴール14アシスト記録し、デ・ブライネと二人って二桁アシストという成績を残す。

2018-19シーズン開幕時点で32歳となったが、引き続きチームで重要な存在となり、ゲームメイクで抜群の存在感を見せる。2018年9月15日フラムFC戦でマンチェスター・シティでの350試合出場を達成し、更にプレミアリーグ通算50ゴールを決める。シーズン開始後もチーム完成度の高さを見せつけ、故障離脱の多かったデ・ブライネの代わりに起用したベルナルド・シウバとも好連携を見せていた。プレミアリーグではリヴァプールFCとのしい優勝争いを勝ち点1の差で制し、連覇を達成。2019年5月18日FAカップ決勝のワトフォード戦で決勝ゴールを決め、プレミアリーグ、EFLカップFAカップ三冠に貢献。公式戦全体では50試合に出場しており、10ゴール14アシスト記録

2019-20シーズンは退団したヴァンサン・コンパニに代わってチームキャプテンに任命される。開幕前の2019年6月26日にこのシーズンを最後にシティを退団することが発表される。2019年8月のボーンマス戦でシティでの公式戦通算400試合出場を達成。イルカイ・ギュンドアンの台頭もあってメンバーから外れることもあったが、それでも重要な試合ではグアルディオラ監督シルバファーストチョイスとして起用していた。2020年3月1日、EFLカップ決勝でアストン・ヴィラ勝利し、これがシルバにとって最初で最後となるキャプテンとして掲げたタイトルとなった。プレミアリーグでの最後の試合となった7月26日ノリッジ・シティ戦では試合終盤に交代した際に会場中からのスタンディングオベレーションを受ける。ラストシーズンでも公式戦6ゴール11アシストという成績を残し、クラブ加入後全てのシーズンで二桁アシスト記録2021年にはクラブの躍進に重要な役割を果たし続けた功績から、エティド・スタジアム前に像が建設される。

レアル・ソシエダ

2020年8月17日スペインラ・リーガレアル・ソシエダに移籍することが発表される。若い選手が多いソシエダでは、ベテランとして彼らの見本ともなり、プレーで牽引。10月25日SDエスカ戦では2アシスト記録し、4-1での勝利に貢献。週間後のセルタ・デ・ビーゴ戦では初ゴールも挙げる。セルタ戦以降も高いパフォーマンスレベルを発揮し、11月にはWhoscored選出の11月ラ・リーガベストイレブン、さらには同レアル・ソシエダ最優秀選手に選ばれる。2021年4月3日アスレティック・ビルバオとのコパ・デルレイ決勝を制し、ラ・レアル1987年以来となるメジャータイトルをもたらす。

2021-22シーズンでもいぶし銀の働きを見せ、怪での離脱は多くなっているものの出場した際には麗なテクニックと抜群の判断力で攻撃る。クラブも彼の働きを高く評価し、2022年4月に1年の契約延長を発表する。

2022-23シーズンは新加入の久保建英と抜群のコンビネーションを披露し、トップ下の位置から巧みなゲームメイクを披露。怪でたびたび欠場することもあったが、出場した試合ではベテランとして若い攻撃をうまく操縦していた。37歳の誕生日に行われた、第16節のアルメリア戦ではシーズンゴールを決める。シルバに引っられる形で久保ブライス・メンデスミケル・メリーノ、マルティン・スビメンディ、ブライス・メンデスといった才のあるテクニシャンたちが素晴らしいパスワークと連携を披露し崩しの切り札として躍動。最終的にソシエダを10年ぶりのCL出場に導く。

2023-24シーズンソシエダの選手としてプレーする予定だったが、プレシーズン練習中に左膝前十字靭帯の断裂という重傷を負い、現役を断念。2023年7月27日、現役引退を発表。

スペイン代表

アンダー代表

2001年U-16スペイン代表に選出され、2002年4月にはU-17スペイン代表としてデンマークで開催されたUEFA U-17欧州選手権2002に出場し、ベスト4進出。2003年5月にはポルトガルで開催されたUEFA U-17欧州選手権2003背番号10をつけて出場。グループリーグ第2戦のイスラエル戦でゴールを決めるなど準優勝に貢献。同年8月にはフィンランドで開催されたFIFA U-17選手権2003に出場。グループリーグ第2戦の韓国戦でハットトリックを達成。セスク・ファブレガスと共に攻撃の中心として活躍し、決勝でブラジルに敗れたものの、準優勝を果たし、大会のブロンズボールに選出。

2004年にはU-19スペイン代表に選出され、7月スイスで開催されたUEFA U-19欧州選手権2004に出場。グループリーグ第2戦のトルコ戦でゴールを決め、ロベルトソルダード、ラウールアルビオルらと共にチームの中心として活躍し、チームを2大会ぶりの優勝に導く。

2005年6月にはU-20スペイン代表としてオランダで開催されたFIFAワールドユース選手権2005に出場。グループリーグでは第2戦のチリ戦では2ゴールを決めるなど、3試合全てでゴールを決める。しかし、準々決勝でリオネル・メッシ擁するアルゼンチンに敗れ、ベスト8敗退となった。

U-21スペイン代表には2004年から飛び級で選出されており、2005年2月UEFA U-21欧州選手権予選のサンマリノ戦では2ゴールを決め、UEFA記録となる14-0の大勝に貢献。予選では9試合7ゴール記録したが、チームプレーオフで敗退し本大会出場を逃している。

フル代表

2006年11月ルイス・アラゴネス監督によってフル代表に初めて招集され、11月15日ルーマニアとの試合で20歳でのスペイン代表デビューを果たす。その後も代表に呼ばれ続け、2007年8月22日ギリシャとの試合では代表初ゴールを含む2ゴール記録EURO2008予選では シャビ・エルナンデスセスク・ファブレガスアンドレス・イニエスタと共に「クアトロ・フゴーネス」(4人の創造者たち)と呼ばれる中盤を形成し、抜群の存在感で中盤を支配する。

2008年6月オーストリアスイスで開催されたEURO2008メンバーに選出。グループリーグ第2戦のスウェーデン戦では正確なクロスフェルナンド・トーレスの先制ゴールアシストする。準決勝のロシア戦では素カウンターから左足でチームの3点を決め、ファイナル進出に貢献。決勝のドイツ戦では試合中にルーカス・ポドルスキしい口論となったことで試合の緊状態を緩和するためにサンティ・カソルラと交代させられたが、チームは1-0で勝利して44年ぶり2度欧州制覇を果たした。大会では左サイドハーフメインに温存されたグループリーグ第3戦以外をスタメンとして出場した。

2010年6月南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップに出場。予選から引き続いてレギュラーとして初戦のスイス戦に出場するが、コンディションが万全ではなかったことから途中交代となる。以降、スイス戦を落としたことでビセンテ・デルボス監督が中盤を1枚削って2トップに変更したことでスタメンを外れる。準決勝のドイツ戦で途中出場で4分だけプレーしたが、決勝のオランダ戦で出番はなし。チームイニエスタの劇的な決勝ゴールで初優勝を飾ったが、個人として不本意な大会となった。

2012年6月ウクライナポーランドで開催されたEURO2012に出場。グループリーグ初戦のイタリア戦では見事なスルーパスからセスクの同点ゴールアシスト。第2戦のアイルランド戦では1ゴール2アシストチームの4得点のうち3点に関与するハイパフォーマンスを見せる。その後も安定したパフォーマンスで高いポゼッションを実現させ、チームの勝ち上がりに貢献。決勝のイタリア戦ではしいヘディンシュートによって先制ゴールを決め、スペインの大会連覇及び前人未到となる3大会連続メジャー大会優勝の立役者となる。大会では右ウイングで起用され、シャビイニエスタと流動的にポジションチェンジしながらスペインらしいパスサッカーを披露。全5試合にスタメンで出場し、2ゴール3アシストという成績を残し、大会の優秀選手にも選ばれる。

2013年6月ブラジルで開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2013に出場。グループリーグ第2戦のハイチ戦では2ゴールを決め、10-0での記録的大勝に貢献。しかし、決勝でブラジル敗し準優勝となった。

2014年6月ブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップに出場。連覇を期待されたスペインだったが、初戦のオランダ戦で1-5と大敗すると、続くチリ戦も0-2で敗れ、2試合グループリーグ敗退という失意の大会となる。そんな中で3試合全てに出場し、機不全に陥ったラ・ロハの中でチーム最多の7つのチャンスクリエイト記録するなど孤軍奮闘していた。

2016年6月フランスで開催されたEURO2016に出場。グループリーグ初戦のチェコ戦で代表通算100試合出場を達成。スペインはラウンド16で前回大会で決勝で破ったイタリア相手に敗北したが、全4試合においてハイパフォーマンスを見せ続け、トルコ戦で途中交代した際にトルコサポーターからもスタンディングオベレーションが起きるなど、観客を魅了し続けた。大会を通して3位となる均3.3回の決定機創出を記録している。

2018年6月ロシアで開催された2018 FIFAワールドカップに出場。黄金期を築いてきたチームメイトの多くが代表を去った中で、イニエスタと共にベテランとしてゴダゴダのあったチームを牽引。全4試合にスタメンで出場したが、ラウンド16で開催ロシア相手にPK戦の末に敗れて敗退。大会後、代表からの引退を表明する。

スペイン代表通算125試合35得点

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2003ー04 バレンシアB セグンダB 14 1
2004ー05 エイバル(loan) セグンダ 35 4
2005ー06 セルタ・デ・ビーゴ(loan) リーガ・エスパニョーラ 34 4
2006ー07 バレンシア リーガ・エスパニョーラ 36 4
2007ー08 バレンシア リーガ・エスパニョーラ 34 5
2008ー09 バレンシア リーガ・エスパニョーラ 19 4
2009ー10 バレンシア リーガ・エスパニョーラ 30 8
2010ー11 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 35 4
2011ー12 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 36 6
2012ー13 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 32 4
2013ー14 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 27 7
2014ー15 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 32 12
2015ー16 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 24 2
2016ー17 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 34 4
2017ー18 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 29 9
2018ー19 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 33 6
2019ー20 マンチェスター・シティ プレミアリーグ 27 6
2020ー21 レアル・ソシエダ ラ・リーガ 21 2
2021ー22 レアル・ソシエダ ラ・リーガ 25 2
2022ー23 レアル・ソシエダ ラ・リーガ 28 2

プレースタイル

メインポジションは攻撃的MFだが、代表ではサイドプレーすることが多く、偽の9番としてプレーしたこともある。卓越したボールコントロール技術と広い視野を特徴としています。足元の技術が非常に高く、狭いスペースでも相手をかわすドリブルや、正確なパスを供給する力に優れ、サッカーの基本でもある止める・蹴るの技術は世界でもトップクラスだった。

プレーの特長はライン間の動きにあり、ボールの受け方、パスコースを作る動きが素らしく、パスを受ける間ひょこっといているスパースに出てきてタッチの細かいターンで前を向きドリブル、パスに繋げる。ドリブル、パスも秀逸で、プレミアリーグの屈強なDFをひらりひらりを躱していく体重移動の駆け引き、左足を中心とした精度の高いキックチャンスメイクをおこなう。

ペップ・グアルディオラ体制下のマンチェスター・シティでは、ケヴィン・デ・ブライネと共に「ポジショナルプレー」を体現する存在であり、常に味方の動きを把握し、ポジショナルプレーにおける「相互作用」を生み出す力に長けていた。一連の動きの中で位置的優位を作り出し、自ら適切な位置へと動くだけでなく、味方の位置的優位を生み出すようにプレーすることへと繋げる。そのためポジションは合ってないようなもので、中央のみならずサイドにも顔を出し、「数的優位」を創出する重要な役割を任されていた。

彼の効果的な動きは、もともと彼の力を支えていた「視野の広さ」とスペインで磨かれた「他者の位置を把握する力」に支えられている。質的な優位性において彼の武器となるのは柔らかなボールタッチスキルだが、特にターン技術は達人の域で、狭いハーフスペースでも体を器用に使うことで相手のプレッシャーから逃げてしまう。さらにターンを囮に使うようなプレーにも適応し、ターンしながら逆側へと相手の予想を外すパスを狙うことも可

シャビイニエスタと同様にフィジカルは均以下のレベルだったが、攻守共に卓越したサッカーIQカバーしており、攻撃面では気の利いた動きでカバーし、守備では読みを活かしたインターセプトで貢献する。インターセプト後のボールの送り所は素らしくカウンター時でも生かされていた。そもそもスモースペースでのボール扱いに長けているので、フィジカル勝負に持ち込ませない。

人物・エピソード

関連動画

関連項目

関連記事

親記事

子記事

  • なし

兄弟記事

  • 1
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

大和(艦これ) (単) 記事と一緒に動画もおすすめ!
提供: みおとり
もっと見る

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

ダビド・シルバ

1 ななしのよっしん
2017/04/19(水) 00:18:51 ID: PA+d9J/gFt
👍
高評価
0
👎
低評価
2 ななしのよっしん
2018/06/06(水) 12:22:39 ID: RH8GTf4LRm
自身はスパーズファンだが、日本人の血を引いてると聞いて近感湧いた。子供事に育つよう幸運を。
👍
高評価
1
👎
低評価

おすすめトレンド