ダビド・シルバ(David Josue Jimenez Silva, 1986年1月8日 - )とは、スペインの元サッカー選手である。元サッカースペイン代表。
現役時代のポジションはMF。170cm67kg。利き足は左足。
概要
スペイン、カナリア諸島ラス・パルマス県のアルギネグイン出身。母親の祖母が日本人であるため日本にルーツを持つクォーターである。高いボールテクニック、ポジショニング能力、ゲームメイク能力を兼ね備えた「魔術師」と称された選手であり、スペイン代表で長く一緒にプレーしたアンドレス・イニエスタは対戦してもっとも衝撃を受けた選手に「とにかく上手い」としてシルバを挙げている。
15歳のときにバレンシアCFの下部組織に入団し、レンタル移籍から復帰後はダビド・ビジャと共に攻撃を牽引する存在となる。2010年よりマンチェスター・シティに移籍。セルヒオ・アグエロやケヴィン・デ・ブライネらと共にクラブをヨーロッパを代表する強豪に成長させ、プレミアリーグで4回、FAカップで2回、リーグカップで5回優勝。PFA年間最優秀チームにも3回選ばれ、10年間攻撃の核として活躍した。
スペイン代表には2006年にデビュー。シャビ、イニエスタと中盤でコンビを組み、黄金期の中心選手としてEURO2008、2010 FIFAワールドカップ、EURO2012の3大会連続での優勝を経験。2018年に代表を引退するまで125試合35ゴール29試合と輝かしいキャリアを形成している。
キャリアの晩年期にはレアル・ソシエダに移籍し、プレー面のみならず久保建英の成長に大きな影響を与えるなど若い選手たちの成長にも貢献したが、トレーニング中に前十字靭帯を負傷し、2023年7月に引退を余儀なくされた。
経歴
生い立ち
1986年1月8日、カナリア諸島グラン・カナリアにある小さな漁港アルグイネグインで生まれる。父親は4部でプレーした経験のある元サッカー選手で引退後に警察官となり、後にバレンシアCFスタジアムの警備を担当したスペイン系で母親は日系人。イベリア半島よりモロッコの海岸に近いカナリア諸島は、フットボールの天才が生まれる場所として知られ、シルバの前にスペイン代表で背番号21をつけていたフアン・カルロス・バレロンやFCバルセロナで若くして中心選手となったペドリもカナリア諸島の出身である。
シルバもまた幼い頃からボールを蹴っており、両親が働いてるときもそばに一緒にいるときも、ずっとフットボールに夢中だった。幼少期にコンデンスミルクの缶でフットボールに興じ、顔から血を流したという逸話もある。9歳となった1995年にマスパロマス近郊のUDサンフェルナンドのユースチームでサッカーを始める。当初はゴールキーパーとしてプレーしていたが、後にウインガーに転向し、幼少期の憧れだったミカエル・ラウドルップを模倣したプレースタイルを身につけた。カナリア選手権で優勝するなど実績を積み、12歳の時にレアル・マドリーの入団試験を受ける。しかし、責任者のビセンテ・デル・ボスケに認められたが、親元を離れるには早いという理由で入団は見送りになる。
14歳となった2000年にバレンシアCFからスカウトされ、1週間の入団テストを受けてカンテラに入団。バレンシアに来て最初の2年は寮生活で当初はホームシックにかかったが、やがてアンダー世代代表の中心選手になるくらいの有望株に成長する。
キャリア初期
2003年、3部リーグ(セグンダ・ディヴィシオンB)に所属するバレンシアCF・メスタージャ(バレンシアB)に17歳で昇格。2004年1月のCDカステリョン戦でプロデビューを飾ると、デビュー戦でゴールを決める。2003-04シーズンのセグンダBでは14試合1得点を記録している。
2004年夏、セグンダ・ディヴィシオン(2部)のSDエイバルにレンタル移籍する。このときまだ18歳ながらも主力としてインパクトのある活躍を見せ、チームの攻撃を牽引する存在となる。2004-05シーズンは35試合4ゴールという結果を残している。
2005-06シーズンにはプリメーラ・ディヴィシオン(1部)に昇格したばかりのセルタ・デ・ビーゴにレンタルで移籍。開幕2試合こそベンチスタートだったものの、すぐに主力の座を掴み、トップカテゴリーでもその才能を発揮することを証明。ここでも35試合5ゴールの活躍で昇格1年目ながらもUEFAカップ出場権獲得の6位入りという躍進に大きく貢献。シルバの才能は海外のクラブからも注視されるようになっていた。
バレンシア
2006-07シーズンにリーガ・エスパニョーラのバレンシアCFに復帰し、退団したパブロ・アイマールが背負っていた背番号21を与えられる。流出を防ぐためにクラブはすぐに長期契約を結び、すぐに攻撃的MFのファーストチョイスとなり、アイマールの後継者として十分な働きを見せる。2006年11月5日のRCDエスパニョール戦でバレンシアのトップチームでの初ゴールを記録。UEFAチャンピオンズリーグではラウンド16のインテル・ミラノ戦では勝ち抜きの要因となる貴重なアウェイゴールを決めている。準々決勝のチェルシーFC戦でもゴールを決め、欧州中で名を挙げることとなった。ダビド・ビジャ、ホアキン・サンチェスとの攻撃ユニットは破壊力抜群で、数々のゴールを演出してチームを牽引する。
2007-08シーズンもチームの中心として高いゲーム能力を発揮していたが、自身をレギュラーとして抜擢したキケ・フローレス監督は2007年10月に成績不振で解任、後任となったロナルド・クーマン監督はベテラン選手と衝突し、チームは空中分解。リーガ屈指の攻撃陣を擁しながらも一時は降格の危機に直面する。そんな散々なシーズンとなったが、コパ・デルレイでは決勝でヘタフェCF相手に勝利し、キャリア初となるタイトルを獲得。
2008-09シーズンの開幕前、クラブの財政難からプレミアリーグのクラブへの移籍が何度も報じられるが、サポーターからの反対運動がネット上でおこなわれたこともあり、クラブとの契約を2011年まで延長。しかし、足首の慢性的な負傷によって開幕から3か月間は試合に出られず、2008年12月中旬に復帰。2009年1月3日、ホームでのアトレティコ・マドリード戦では2ゴールを挙げたが、シーズンを通して19試合出場4得点に終わる。
2009-10シーズンは前年苦しめられた足首の負傷もすっかり完治し、ベストコンディションでシーズンに入る。ビジャとのホットラインはますます磨きがかかり、左脚から多くのチャンスをクリエイトしていた。2009年11月のオサスナ戦でバレンシアでのリーガ通算100試合出場を23歳の若さで達成。直後のRCDマジョルカ戦で内側側副靭帯を損傷し、1か月間の戦線離脱を強いられたが、復帰後もパフォーマンスを落とすことなく攻撃のタクトを振るっていた。2010年3月11日、UEFAヨーロッパリーグ・ラウンド16のヴェルダー・ブレーメン戦では3アシストを記録。4月15日、リーガのアスレティック・ビルバオ戦では2ゴールを決める。バレンシアでの4シーズン目は復帰以降最高のパフォーマンスと称され、自己最多となる8ゴールを記録し、チームの3位フィニッシュ及びCL出場権獲得に貢献。しかし、深刻な財政難にあったクラブはとうとうシルバとビジャの二枚看板の売却を決断する。
マンチェスター・シティ
2010年7月14日、イングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティに4年契約で移籍することが発表される。加入してすぐにロベルト・マンチーニ監督の信頼を得て中心選手となると、9月16日のUEFAヨーロッパリーグ・レッドブル・ザルツブルク戦で移籍後初ゴールを決める。10月17日のブラックプール戦ではプレミアリーグ初ゴールをマーク。マンチーニ監督はウイングをメインにトップ下でも起用していたが、ライン間で創造性を生み出すシルバの能力はこれまでのシティに不足していた要素であり、彼がもたらしたものは大きかった。2010年10月から12月まで3年連続でクラブの月間最優秀選手賞を受賞。加入1年目の2010-11シーズンは35試合4ゴール7アシストを記録し、FAカップ優勝にも貢献。クラブの年間最優秀選手にも選ばれる。
2011-12シーズンも好調なスタートを切り、プレミアリーグ開幕戦のスウォンジー・シティ戦でシーズン初ゴールを決め、第2節のボルトン・ワンダラーズ戦では2試合連続でのゴールを決める。第3節のウィガン・アスレティック戦ではセルヒオ・アグエロの3ゴールのうち2アシストを記録。新加入のアグエロとは初めてコンビを組んだとは思えない程の息の合った連携を披露し、2人で多くのゴールを生み出していた。6-1の歴史的大勝となったマンチェスター・ユナイテッドとのマンチェスター・ダービーでは1ゴール2アシストの大活躍を見せる。その後、プレミアリーグでマンチェスターの2チームは熾烈な優勝争いを繰り広げ、大一番となった2012年4月のマンチェスター・ダービーではCKからヴァンサン・コンパニの決勝ゴールをアシスト。最終節のQPR戦ではエディン・ジェコの同点ゴールをアシストし、シティの44年ぶりのリーグ優勝の立役者となる。シーズンを通してプレーメーカーとして高い才能を発揮し、リーグトップとなる17アシストを記録。ユナイテッドとの明暗を分けた差はシルバであったと言われるほどだった。
2012-13シーズンの開幕後の2012年9月13日にはクラブとの契約を5年延長。その後も好調を維持し続け、多くの重要なアシストを記録する。11月17日のアストン・ヴィラ戦ではシーズンの初ゴールを決める。リーグ最終節のレディング戦では芸術的なラストパスでジェコのゴールをアシスト。4ゴール10アシストと個人としては輝きを放ったが、チームはユナイテッドの独走優勝を許しての無冠に終わり、マンチーニ監督が解任となる。
マヌエル・ペジェグリーニ監督が就任した2013-14シーズンは2013年8月19日、プレミアリーグ開幕戦のニューカッスル・ユナイテッド戦でシーズン初ゴールを決める。このシーズンは度重なる怪我によって戦線離脱を何度も余儀なくされた厳しいシーズンではあったが、それでも出場した試合ではハイレベルなゲームメイクによって多くのチャンスを作り出していた。CLのグループステージでは1ゴール3アシストを記録。2014年3月はプレミアリーグで2ゴール2アシストを記録し、クラブの月間最優秀選手に選出。出場こそ29試合にとどまったものの公式戦全体で8ゴール16アシストの好成績を残し、シティの2シーズンぶりのプレミアリーグ優勝とEFLカップ優勝に貢献。
2014-15シーズン開幕直前にクラブとの契約を2019年まで延長。2014年8月17日、プレミアリーグ開幕戦のニューカッスル戦でチームのシーズン最初のゴールを決める。12月20日、プレミアリーグ第17節のクリスタル・パレス戦でマンチェスター・シティでの公式戦通算200試合目の出場を飾る。この年はアシストのみならず得点力でも冴えを見せ、2015年3月14日のレスター・シティ戦の決勝ゴールでキャリアで初となるリーグ戦二桁得点を達成。3月17日、CLラウンド16のFCバルセロナ戦では巧みなバックヒールフリックからアグエロのゴールをアシスト。公式戦全体で12ゴール10アシストとキャリアハイの成績を残し、アグエロの得点王獲得にも大きく貢献している。
2015-16シーズンはヤヤ・トゥーレのロングシュートを巧みなバックヒールフリックでコースを変えたゴールを決め、試合後にペジェグリーニ監督が「信じられない」と評するパフォーマンスだった。10月の代表戦で足首を負傷し、2か月間戦線を離脱。その間にチームは不安定な戦いを繰り返し、逆にシルバの存在の大きさが浮き彫りとなった。2016年1月16日のクリスタル・パレスFC戦では1ゴール2アシストを記録。2月24日、CL準々決勝ディナモ・キーウとの1stレグでチームの2点目を決め、クラブ史上初となるベスト8進出に貢献。しかし、準決勝のレアル・マドリード戦では前半40分に負傷により交代となり、欠場となった2ndレグでは攻撃が機能せずに敗退。ペジェグリーニ監督はシルバの不在がチームを弱体化させ、チャンスを作る能力を阻害したと主張した。足首の慢性的な怪我などにより公式戦22試合を欠場したが、それでも4ゴール12アシストという成績でシーズンを終えた。
2016-17シーズンにジョゼップ・グアルディオラ監督が就任。新たなサイクルに入ったチームにおいても攻撃の核であり、特別な選手であることに変わりはなかった。ペップ就任1年目はまだチームに戦術が落とし込みきれておらず、過渡期となっていたこともあり無冠に終わる。それでも公式戦8ゴール11アシストと相変わらずの働きを見せ、2度目となるチームの年間最優秀選手に選ばれる。
2017-18シーズン開幕前、突然スキンヘッドにイメチェンしファンを驚かせる。シーズンの序盤は、生まれたばかりの息子が極度に早産だったため、このスペイン人選手にとって特に辛い時期だった。そのため、マドリードの病院にいる妻と息子を見舞うために、イギリスとスペインの間を飛行機で往復しなければならなかったが、それでもハイパフォーマンスを維持し続け、プレミアリーグで14試合で8アシストを記録。グアルディオラ監督が掲げる5レーンの理論、ポジショナルプレーがチームに浸透するようになり、同じ絵を描くことが出来る稀有な存在であるケヴィン・デ・ブライネと共にハーフスペースを制圧しながらニアゾーンを突く戦術が猛威を振るい、他チームを圧倒。2017年12月10日、マンチェスター・ユナイテッドとのダービーでは決勝ゴールを決める。このシーズンのシティは前人未到となる勝ち点100の大台を超える圧巻の強さを見せつけ、2位と勝ち点19差をつける独走状態でプレミアリーグ優勝を成し遂げる。また、EFLカップ決勝のアーセナル戦では決勝ゴールを決め、タイトル獲得に貢献。公式戦全体で10ゴール14アシストを記録し、デ・ブライネと二人揃って二桁アシストという成績を残す。
2018-19シーズン開幕時点で32歳となったが、引き続きチームで重要な存在となり、ゲームメイクで抜群の存在感を見せる。2018年9月15日のフラムFC戦でマンチェスター・シティでの350試合出場を達成し、更にプレミアリーグ通算50ゴールを決める。シーズン開始後もチーム完成度の高さを見せつけ、故障離脱の多かったデ・ブライネの代わりに起用したベルナルド・シウバとも好連携を見せていた。プレミアリーグではリヴァプールFCとの激しい優勝争いを勝ち点1の差で制し、連覇を達成。2019年5月18日、FAカップ決勝のワトフォード戦で決勝ゴールを決め、プレミアリーグ、EFLカップ、FAカップの国内三冠に貢献。公式戦全体では50試合に出場しており、10ゴール14アシストを記録。
2019-20シーズンは退団したヴァンサン・コンパニに代わってチームのキャプテンに任命される。開幕前の2019年6月26日にこのシーズンを最後にシティを退団することが発表される。2019年8月のボーンマス戦でシティでの公式戦通算400試合出場を達成。イルカイ・ギュンドアンの台頭もあってメンバーから外れることもあったが、それでも重要な試合ではグアルディオラ監督はシルバをファーストチョイスとして起用していた。2020年3月1日、EFLカップ決勝でアストン・ヴィラに勝利し、これがシルバにとって最初で最後となるキャプテンとして掲げたタイトルとなった。プレミアリーグでの最後の試合となった7月26日のノリッジ・シティ戦では試合終盤に交代した際に会場中からのスタンディングオベレーションを受ける。ラストシーズンでも公式戦6ゴール11アシストという成績を残し、クラブ加入後全てのシーズンで二桁アシストを記録。2021年にはクラブの躍進に重要な役割を果たし続けた功績から、エティハド・スタジアム前に銅像が建設される。
レアル・ソシエダ
2020年8月17日、スペイン・ラ・リーガのレアル・ソシエダに移籍することが発表される。若い選手が多いソシエダでは、ベテランとして彼らの見本ともなり、プレーで牽引。10月25日のSDウエスカ戦では2アシストを記録し、4-1での勝利に貢献。週間後のセルタ・デ・ビーゴ戦では初ゴールも挙げる。セルタ戦以降も高いパフォーマンスレベルを発揮し、11月にはWhoscored選出の11月ラ・リーガベストイレブン、さらには同月のレアル・ソシエダ最優秀選手に選ばれる。2021年4月3日、アスレティック・ビルバオとのコパ・デルレイ決勝を制し、ラ・レアルに1987年以来となるメジャータイトルをもたらす。
2021-22シーズンでもいぶし銀の働きを見せ、怪我での離脱は多くなっているものの出場した際には華麗なテクニックと抜群の判断力で攻撃陣を彩る。クラブも彼の働きを高く評価し、2022年4月に1年の契約延長を発表する。
2022-23シーズンは新加入の久保建英と抜群のコンビネーションを披露し、トップ下の位置から巧みなゲームメイクを披露。怪我でたびたび欠場することもあったが、出場した試合ではベテランとして若い攻撃陣をうまく操縦していた。37歳の誕生日に行われた、第16節のアルメリア戦ではシーズン初ゴールを決める。シルバに引っ張られる形で久保、ブライス・メンデス、ミケル・メリーノ、マルティン・スビメンディ、ブライス・メンデスといった才能のあるテクニシャンたちが素晴らしいパスワークと連携を披露し崩しの切り札として躍動。最終的にソシエダを10年ぶりのCL出場に導く。
2023-24シーズンもソシエダの選手としてプレーする予定だったが、プレシーズンの練習中に左膝前十字靭帯の断裂という重傷を負い、現役を断念。2023年7月27日、現役引退を発表。
スペイン代表
アンダー代表
2001年にU-16スペイン代表に選出され、2002年4月にはU-17スペイン代表としてデンマークで開催されたUEFA U-17欧州選手権2002に出場し、ベスト4進出。2003年5月にはポルトガルで開催されたUEFA U-17欧州選手権2003に背番号10をつけて出場。グループリーグ第2戦のイスラエル戦でゴールを決めるなど準優勝に貢献。同年8月にはフィンランドで開催されたFIFA U-17選手権2003に出場。グループリーグ第2戦の韓国戦でハットトリックを達成。セスク・ファブレガスと共に攻撃の中心として活躍し、決勝でブラジルに敗れたものの、準優勝を果たし、大会のブロンズボールに選出。
2004年にはU-19スペイン代表に選出され、7月にスイスで開催されたUEFA U-19欧州選手権2004に出場。グループリーグ第2戦のトルコ戦でゴールを決め、ロベルト・ソルダード、ラウール・アルビオルらと共にチームの中心として活躍し、チームを2大会ぶりの優勝に導く。
2005年6月にはU-20スペイン代表としてオランダで開催されたFIFAワールドユース選手権2005に出場。グループリーグでは第2戦のチリ戦では2ゴールを決めるなど、3試合全てでゴールを決める。しかし、準々決勝でリオネル・メッシ擁するアルゼンチンに敗れ、ベスト8敗退となった。
U-21スペイン代表には2004年から飛び級で選出されており、2005年2月のUEFA U-21欧州選手権予選のサンマリノ戦では2ゴールを決め、UEFA記録となる14-0の大勝に貢献。予選では9試合7ゴールを記録したが、チームはプレーオフで敗退し本大会出場を逃している。
フル代表
2006年11月、ルイス・アラゴネス監督によってフル代表に初めて招集され、11月15日のルーマニアとの親善試合で20歳でのスペイン代表デビューを果たす。その後も代表に呼ばれ続け、2007年8月22日のギリシャとの親善試合では代表初ゴールを含む2ゴールを記録。EURO2008予選では シャビ・エルナンデス、セスク・ファブレガス、アンドレス・イニエスタと共に「クアトロ・フゴーネス」(4人の創造者たち)と呼ばれる中盤を形成し、抜群の存在感で中盤を支配する。
2008年6月、オーストリアとスイスで開催されたEURO2008のメンバーに選出。グループリーグ第2戦のスウェーデン戦では正確なクロスでフェルナンド・トーレスの先制ゴールをアシストする。準決勝のロシア戦では素早いカウンターから左足でチームの3点目を決め、ファイナル進出に貢献。決勝のドイツ戦では試合中にルーカス・ポドルスキと激しい口論となったことで試合の緊張状態を緩和するためにサンティ・カソルラと交代させられたが、チームは1-0で勝利して44年ぶり2度目の欧州制覇を果たした。大会では左サイドハーフをメインに温存されたグループリーグ第3戦以外をスタメンとして出場した。
2010年6月、南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップに出場。予選から引き続いてレギュラーとして初戦のスイス戦に出場するが、コンディションが万全ではなかったことから途中交代となる。以降、スイス戦を落としたことでビセンテ・デルボスケ監督が中盤を1枚削って2トップに変更したことでスタメンを外れる。準決勝のドイツ戦で途中出場で4分だけプレーしたが、決勝のオランダ戦で出番はなし。チームはイニエスタの劇的な決勝ゴールで初優勝を飾ったが、個人として不本意な大会となった。
2012年6月、ウクライナとポーランドで開催されたEURO2012に出場。グループリーグ初戦のイタリア戦では見事なスルーパスからセスクの同点ゴールをアシスト。第2戦のアイルランド戦では1ゴール2アシストとチームの4得点のうち3点に関与するハイパフォーマンスを見せる。その後も安定したパフォーマンスで高いポゼッションを実現させ、チームの勝ち上がりに貢献。決勝のイタリア戦では珍しいヘディングシュートによって先制ゴールを決め、スペインの大会連覇及び前人未到となる3大会連続メジャー大会優勝の立役者となる。大会では右ウイングで起用され、シャビやイニエスタと流動的にポジションをチェンジしながらスペインらしいパスサッカーを披露。全5試合にスタメンで出場し、2ゴール3アシストという成績を残し、大会の優秀選手にも選ばれる。
2013年6月、ブラジルで開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2013に出場。グループリーグ第2戦のハイチ戦では2ゴールを決め、10-0での記録的大勝に貢献。しかし、決勝でブラジルに完敗し準優勝となった。
2014年6月、ブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップに出場。連覇を期待されたスペインだったが、初戦のオランダ戦で1-5と大敗すると、続くチリ戦も0-2で敗れ、2試合でグループリーグ敗退という失意の大会となる。そんな中で3試合全てに出場し、機能不全に陥ったラ・ロハの中でチーム最多の7つのチャンスクリエイトを記録するなど孤軍奮闘していた。
2016年6月、フランスで開催されたEURO2016に出場。グループリーグ初戦のチェコ戦で代表通算100試合出場を達成。スペインはラウンド16で前回大会で決勝で破ったイタリア相手に敗北したが、全4試合においてハイパフォーマンスを見せ続け、トルコ戦で途中交代した際にトルコのサポーターからもスタンディングオベレーションが起きるなど、観客を魅了し続けた。大会を通して3位となる平均3.3回の決定機創出を記録している。
2018年6月、ロシアで開催された2018 FIFAワールドカップに出場。黄金期を築いてきたチームメイトの多くが代表を去った中で、イニエスタと共にベテランとしてゴダゴダのあったチームを牽引。全4試合にスタメンで出場したが、ラウンド16で開催国のロシア相手にPK戦の末に敗れて敗退。大会後、代表からの引退を表明する。
個人成績
| シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2003ー04 | バレンシアB | セグンダB | 14 | 1 | |
| 2004ー05 | エイバル(loan) | セグンダ | 35 | 4 | |
| 2005ー06 | セルタ・デ・ビーゴ(loan) | リーガ・エスパニョーラ | 34 | 4 | |
| 2006ー07 | バレンシア | リーガ・エスパニョーラ | 36 | 4 | |
| 2007ー08 | バレンシア | リーガ・エスパニョーラ | 34 | 5 | |
| 2008ー09 | バレンシア | リーガ・エスパニョーラ | 19 | 4 | |
| 2009ー10 | バレンシア | リーガ・エスパニョーラ | 30 | 8 | |
| 2010ー11 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 35 | 4 | |
| 2011ー12 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 36 | 6 | |
| 2012ー13 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 32 | 4 | |
| 2013ー14 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 27 | 7 | |
| 2014ー15 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 32 | 12 | |
| 2015ー16 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 24 | 2 | |
| 2016ー17 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 34 | 4 | |
| 2017ー18 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 29 | 9 | |
| 2018ー19 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 33 | 6 | |
| 2019ー20 | マンチェスター・シティ | プレミアリーグ | 27 | 6 | |
| 2020ー21 | レアル・ソシエダ | ラ・リーガ | 21 | 2 | |
| 2021ー22 | レアル・ソシエダ | ラ・リーガ | 25 | 2 | |
| 2022ー23 | レアル・ソシエダ | ラ・リーガ | 28 | 2 |
プレースタイル
メインポジションは攻撃的MFだが、代表ではサイドでプレーすることが多く、偽の9番としてプレーしたこともある。卓越したボールコントロール技術と広い視野を特徴としています。足元の技術が非常に高く、狭いスペースでも相手をかわすドリブルや、正確なパスを供給する能力に優れ、サッカーの基本でもある止める・蹴るの技術は世界でもトップクラスだった。
プレーの特長はライン間の動きにあり、ボールの受け方、パスコースを作る動きが素晴らしく、パスを受ける瞬間ひょこっと空いているスパースに出てきてタッチの細かいターンで前を向きドリブル、パスに繋げる。ドリブル、パスも秀逸で、プレミアリーグの屈強なDFをひらりひらりを躱していく体重移動の駆け引き、左足を中心とした精度の高いキックでチャンスメイクをおこなう。
ペップ・グアルディオラ体制下のマンチェスター・シティでは、ケヴィン・デ・ブライネと共に「ポジショナルプレー」を体現する存在であり、常に味方の動きを把握し、ポジショナルプレーにおける「相互作用」を生み出す能力に長けていた。一連の動きの中で位置的優位を作り出し、自ら適切な位置へと動くだけでなく、味方の位置的優位を生み出すようにプレーすることへと繋げる。そのためポジションは合ってないようなもので、中央のみならずサイドにも顔を出し、「数的優位」を創出する重要な役割を任されていた。
彼の効果的な動きは、もともと彼の能力を支えていた「視野の広さ」とスペインで磨かれた「他者の位置を把握する能力」に支えられている。質的な優位性において彼の武器となるのは柔らかなボールタッチとスキルだが、特にターン技術は達人の域で、狭いハーフスペースでも体を器用に使うことで相手のプレッシャーから逃げてしまう。さらにターンを囮に使うようなプレーにも適応し、ターンしながら逆側へと相手の予想を外すパスを狙うことも可能。
シャビやイニエスタと同様にフィジカルは平均以下のレベルだったが、攻守共に卓越したサッカーIQでカバーしており、攻撃面では気の利いた動きでカバーし、守備では読みを活かしたインターセプトで貢献する。インターセプト後のボールの送り所は素晴らしくカウンター時でも生かされていた。そもそもスモールスペースでのボール扱いに長けているので、フィジカル勝負に持ち込ませない。
人物・エピソード
- 同郷のスター選手であるフアン・カルロス・バレロンとは父親が地元クラブでプレーした間柄であることからプロになる前からの顔見知りであり、現役中クラブや代表でずっと背番号21を愛用していたのもバレロンが由来である。
- 優しく素朴で家族思いかつ端っこを好む控えめな好青年であり、ファンサービスも良いが、メディア嫌いとしても有名である。
- 甘いマスクで女性ファンも多く、高収入のスター選手だが、私服が目を覆うほどダサい事で有名。基本的にサッカー以外には無頓着。
- 左手首に幼くして亡くなった従妹の名前を彫ったタトゥーを入れており、彼女を忘れない為にゴールする度にタトゥーにキスをしている。
- ソシエダ在籍時にチームメイトだった久保建英は「ピッチ上の彼は、頼まなくてもアドバイスをくれますね。僕はいつもギアを一段上げてプレーしてしまうのですが、彼からは『止まれ、そして見ろ。スペースはいつだって存在しているんだ』と言われるんです。」と評している。
関連動画
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- アリエン・ロッベン
- アレッサンドロ・デル・ピエロ
- アントワーヌ・グリーズマン
- アンドリー・シェフチェンコ
- アンドレア・ピルロ
- アンドレス・イニエスタ
- アンヘル・ディ・マリア
- アーセン・ヴェンゲル
- イケル・カシージャス
- 伊東純也
- 稲本潤一
- 井原正巳
- ウェイン・ルーニー
- 内田篤人
- エデン・アザール
- エリック・カントナ
- エンゴロ・カンテ
- 大久保嘉人
- 岡崎慎司
- 岡野雅行
- 小笠原満男
- 小野伸二
- オリヴィエ・ジルー
- カカ
- 柿谷曜一朗
- カルレス・プジョル
- ガブリエル・バティストゥータ
- ガレス・ベイル
- ゲルト・ミュラー
- 後藤啓介
- 酒井宏樹
- 佐藤寿人
- 佐野海舟
- サミュエル・エトー
- 澤穂希
- シャビ・アロンソ
- ジャンルイジ・ブッフォン
- ジーコ
- 鈴木淳之介
- 鈴木隆行
- スティーヴン・ジェラード
- セスク・ファブレガス
- セルヒオ・ブスケツ
- セルヒオ・ラモス
- 孫興民
- 田中マルクス闘莉王
- 田中陽子
- ダビド・ビジャ
- ティエリー・アンリ
- ディエゴ・マラドーナ
- ディディエ・ドログバ
- デニス・ベルカンプ
- トニ・クロース
- 豊田陽平
- トーマス・ミュラー
- ドゥンガ
- ドラガン・ストイコビッチ
- 中澤佑二
- 中田英寿
- ネイマール
- ハメス・ロドリゲス
- 原口元気
- ハンス・オフト
- バスティアン・シュバインシュタイガー
- パオロ・マルディーニ
- パトリック・エムボマ
- パベル・ネドベド
- フィリップ・ラーム
- 藤田譲瑠チマ
- フランク・ライカールト
- フランク・ランパード
- フランク・リベリ
- フランチェスコ・トッティ
- フランツ・ベッケンバウアー
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