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ダークミラージュ
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ダークミラージュ(Dark Mirage)とは、1965年まれのアメリカ競走馬である。

がつくほど小柄な体ながら3歳時には圧倒的なパフォーマンス1968年に史上初のニューヨーク牝馬三冠(トリプルティアラ)を達成したものの、その後レース中の事故が原因で亡くなった上、死没後まで色々と不遇な扱いが続いた悲劇の名

概要

デビュー前

:Persian Road(パーシャンロード)
:Home by Dark(ホームバイダーク)
:Hill Prince(ヒルプリンス)

パーシャンロードはダークミラージュが誕生した当時特筆する点がほとんどないレベル名の種であった。も不出走であり、特筆すべき点と言えばが不自由だったというウィークポイントくらいしかない。

こんなパッとしない血統の上ダークミラージュ自身の体もポニーのように小さい」失笑を買うほど小さく、見栄えのするではなかった。

もちろんこんながセリで高値で売れるはずもなく、1歳時のキーランドサマーセールにおいてセリの最低価格である6000ドルで落札された。

しかし、こんなアメリカ競馬歴史に新たな一ページを刻むほどの活躍を挙げてしまうのだから競馬というものは分からないものである。

2歳時:小柄ながらも懸命に走る日々

2歳時のダークミラージュは15戦して2勝、2着3回、3着2回と落札価格を考えれば十分すぎる(獲得賞は約2万ドル)ほどの結果を残した。中には「15戦して2勝とか弱すぎwwwww」という人もいるかもしれないが、こののある要素にを向ければこの成績がいかに凄いかがわかるだろう。

それは体重である、2歳時のダークミラージュの体重はなんと驚愕323キロ均体重は450キロほどであるためダークミラージュはがつくほど小柄なであったのだ。現代の日本で一番分かりやすい類例と思われるメロディーレーンにしたって330kgを割ったことはない。そりゃ「ポニーのように小さい」とか言われるわけだわ。

当然、体重が軽いということは騎手を背負う際の負荷が増えるわけで、現在日本の2歳の定量54キロで照らし合わせるとダークミラージュは自分の体重の6分の1ほどの重量を背負って走ることになるわけだから、これはもうガラスの足とも形容されるサラブレッドの足にとってはとてつもない負担だろう。ダークミラージュの負担重量に関する資料は見つからなかったため単純な較はできないが、当時の競馬では今よりも負担重量重いレースの方が圧倒的に多いので、これと同等もしくはそれ以上の重量を背負っていた可性が極めて高い。そんな中で15戦もした上で7回も複勝圏に入り、2勝もしたわけだからこれはもう十分凄いことである。

そんな小柄の体で懸命に走る姿を見ていた調教師のエヴェレット・W・キング調教師は「もしかしたらこのは何か特別なになるかもしれない」と小柄な体に秘められた大器の片鱗を感じたらしい。

3歳初期:連勝街道の幕開け

ダークミラージュは3月上旬の3歳初戦で4着に敗れるが、同下旬のレースでは見事快勝。その後4月初旬にサラトガ競馬場でプライオレスステークス(ダート6F)に出走して勝利しステークス競走初勝利を挙げる。その後4月末にはケンタッキーオークスを見据えチャーチルダウン競馬場に移動しラトロワンヌステークス(現エイトベルズステークス、ダート7F)に出走、ここでも勝利を挙げる。

この様に勝利を重ねていくうちにダークミラージュの実を認める人も日に日に増えていった。その為翌開催されたケンタッキーオークス(ダート9F)では14頭立ての1番人気に支持され、その人気に応えるように2着に4身半も差を付け圧勝し、百合優勝レイと共に3歳最強の座を手にしたのだった。

しかし、ダークミラージュの本領はこの後のトリプルティアラ競走において発揮されるのであった。

3歳中期:圧倒的強さでトリプルティアラ達成

ケンタッキーオークスを制したダークミラージュはベルモントパーク競馬場に移動しトリプルティアラ一冠エイコーンステークス(ダート1マイル)に出走、もはやこの頃になるとダークミラージュに敵うはおらず終わってみれば6身差の圧勝劇で、その上かつて米国三冠馬カウントフリート立したコースレコードに並ぶ1分348というタイム叩き出すという凄まじいパフォーマンスを見せた。

そして6月初旬のトリプルティアラ二冠マザーグースステークス(ダート9F)でも論最有補だったのだがここで思わぬ事態が発生する。なんとマザーグースステークスが中止になる可性が出てきたのだ。

その理由は同年の6月6日ジョン・F・ケネディ大統領にしてアメリカ上院議員であったロバートケネディ氏が暗殺されるという大事件が勃発したことだった。ニューヨーク全体が告別式の為に行やスポーツ自粛する気運が高まり、実際に6月8日までの間スポーツの開催を自粛する命が出されていた。そしてこの年のマザーグースステークスの開催日は6月8日…つまり自粛期間と重なって開催できないということになってしまったのである。

しかし、ニューヨーク競馬協会はその要請を視し、マザーグースステークスを強行開催。やはりダークミラージュというトリプルティアラ達成の可性を秘めたをあまつさえ自粛ムードなんかに偉業を潰されてはニューヨーク競馬ファン達も激怒するだろうと競馬協会は考えたのだろうか。実際、マザーグースステークスの開催されたアケダクト競馬場ニューヨーク全体が自粛ムードだったにもかかわらずかなり客が入っていたらしい。

そしてそんな騒ぎの中でもダークミラージュは圧倒的な強さを見せた、なんと10身差の大差勝ちである。これには2着のゲストルームというに乗っていた騎手もお手上げだったようでレース後にもあのにはかなわない」と降伏宣言のようなコメントを残している。

そしてトリプルティアラ達成がかかった三冠レースはベルモントパークで行われるコーチンクラブアメリカオークス(通称CCAオークスダート10F)。ダークミラージュをマークして進路を塞ごうとしたもいたが、そんなもの意に介さずあっという間に先頭に立つと上のマヌエル・イカ騎手追いもせずも使わずなりで走らせているのに他のもついてこないという意味不明な状態になり、最終的には2着に12もの差をつけた大圧勝であった。またトリプルティアラでの総合着差は28と未だに史上最高記録である(2位ラフィアンでさえも24身差)。

ちなみにこれは余談だが、マザーグースステークスとCCAオークスブックメーカーでの馬券投票はダークミラージュに予想を大幅にえるレベル人気が集中した為に、オッズの調整をミスったブックメーカーと開催競馬場が凄まじい額の損失を出したらしい。その額はなんと4000万ドル。このの落札価格6000ドル較するとおよそ6666倍もの額になる。落札価格の6666倍もの損失をブックメーカー競馬場に与えたのは後にも先にもこのだけだろう。

3歳後期:止まらない連勝街道

圧倒的なパフォーマンスを見せながらトリプルティアラを獲得したダークミラージュ営は、CCAオークスから僅か中12日という過密ローテでニュージャージー州のモンマスパーク競馬場で行われるモンマスオークス(ダート9F)に出走することを決定した。しかしここである問題が起きる。

それは騎手イカ騎手がなんとモンマスオークスの1時間前にニューヨーク州のアケダクト競馬場で行われるサバーバンハンデキャップで騎乗する予定が入っていたことだった。しかも騎乗するのはあの名競走馬にして後の名種であるダマスカスである。

アケダクト競馬場からモンマスパーク競馬場に行くとなるとでも最速で1時間20分程度かかるのでどうやっても間に合わない……ということでイカ騎手がとった手段はなんとヘリコプター競馬場に直行という大胆な策を実行、ちなみにこの大胆な策は武豊フランスでやったことがあるらしい(福永祐一談)。

そんな強行軍で上にも疲れもあったかを落とすというアクシデントが発生、その上内の進路をふさがれて大外に回らざるを得なくなるという不利もあった。しかしなりで12身もの差をつけられるがその程度で負けるはずもなく4身差で勝、めて怪物っぷりを周囲に知らしめた。

その次はデラウェアパーク競馬場で行われるデラウェアオークスにこれまた中23日という厳しいローテーションで出走。アケダクトとベルモントパークがダークミラージュの出走レースでのブックメーカーのせいで多額の損失を出したことを知っていたため集客の低下も覚悟の上でデラウェアパーク競馬場馬券発売を行わなかった。しかし競馬場には馬券当てでなくともこを一見たいと多くの競馬ファンが集まったためかデラウェアパーク競馬場には入場者数レコードとなる3万335人もの観衆が集まった。そしてレーススタート後すぐにダークミラージュがハナに立つとそのまま楽な流れで逃げ切り2身差の快勝、連勝を9に伸ばした。

その後、アラバマステークスを経てガゼルハンデキャップ、そしてとの対決に向かうとされたが、デラウェアオークスレース中に右前脚を故障していたことが判明したため年内全休を決定。今後のローテーションは白紙となった。

その後の年内表では文句なしの最優秀3歳に選ばれたが、残念ながら惜しくも年度代表には選ばれなかった。
というのもこの年はドクターフェイガーが持ち前のスピードアメリカ競馬界で暴れまわった年であり、年度代表の座はこいつに持ってかれてしまったからである。しかし同じくこの年のアメリカ競馬で大活躍したダマスカスに得票数で勝っていることからも、このアメリカ競馬に与えた衝撃は相当なものだったと伺える。

というよりこの時期のアメリカ競馬はあまりに速すぎた為に引退時にスピード違反で違反切符を切られたドクターフェイガー競走馬としても種としても偉大な足跡を残したダマスカス、史上初のトリプルティアラを圧倒的な強さで達成したダークミラージュ、競走馬としてはレースに対するやる気以外は璧とまで評され、種としても折の憂きに遭いながら後にブルーメアサイアーとして大活躍するバックパサーアメリカ競馬歴史然と化物が多く出ていた。そう考えると本当に恐ろしい時期であるし、この頃の競馬を見ていた人はさぞかし楽しかっただろうなと想してしまう。

4歳時:過酷なハンデキャップ、そして突然の幕切れ

休養を終え4歳となったダークミラージュは西海サンタアニタパーク競馬場に送られ2月中旬にサンタマリアハンデ(ダート8.5F)に出走、これまでの実績や着差から当然トップハンデ130ポンド(およそ59キロ)が課された。

ん? トップハンデ……?

一つ思い出してほしい。このは2歳時に323キロというがつくほどの小柄な体だったのである。幾分か成長はして体重は増えているだろうが、こんな小柄で尚且つにこのような負担重量を背負わせるというのは均的なとは較にならない程の負担になる。つまり故障のリスクが大幅に増加するのだ。

そんな過酷なハンデキャップを背負いながらもダークミラージュはサンタマリアハンデを何とかクビ差で勝利したが、本にとって過酷なレースであったことは着差から見ても明らかだった。

そして、次のレース3月1日サンタマルガリータハンデ(ダート8.5F)、ここでもダークミラージュは130ポンドを課され、そしてレース中に突如失速。レースを見ていた観客たちがにしたのは競走中止となったダークミラージュの姿だった。

その後の医師の診断は右前脚球節脱臼による競走喪失。最悪の事態である予後不良だけは避けられたが、引退は避けられない形となった。

引退決定後は治療後にドクターフェイガーとの種付けが計画されていたらしく、ドクターフェイガーの繫養牧場であるフロリダ州のタータンファームに送られ手術が施された、一時は一命をとりとめたものの、輸送中や手術中に右前脚をったことが原因で左前脚で蹄葉炎を発症。7月9日、体は小さくても大きな足跡を残した当立った。4歳没。
同じ時期に活躍したダマスカスドクターフェイガーバックパサーといった怪物たちは後に多くの優秀なを遺しただけに、と言えど優秀なを残せる可性のあったこの折は本当に惜しすぎる出来事である。

死没後の不遇な扱い

ダークミラージュをる上で外せないのはこの死没後の不遇極まりない扱いだろう。1974年アメリカ競馬殿堂入りを果たしたものの、死後このにとって明るいニュースと言ったらこれくらいである。というのも選考の翌年にあのい稲妻」ラフィアンが現れたからである。

アメリカ論、日本でもイネ軍団の総帥のおもあってかラフィアンの知名度は高い。それに対してダークミラージュは300キロ台前半の小柄な体というハンディキャップを背負いながらこれほどまでに秀でた成績を上げ、そして最期は悲劇的な幕切れを迎えた。というのにラフィアンの出現以降話題に上がることはほとんどなくなった。そして「ラフィアンの再来」と言われたゴーフォーワンドの出現以降はさらにそれが加速していった。論、日本での知名度はほぼ皆無に等しい状況である。

その拠にアメリカの競馬情報誌「ブラッド・ホース」誌上で行われた「20世紀のアメリカ名馬100選」は競馬の各方面から専門を連れてきて選考したというのにラフィアン(35位・最上位)、ゴーフォーワンド(72位)は選考されながら、ダークミラージュが選考されることはなかった。少なくともトリプルティアラ競走で見せたパフォーマンスラフィアンゴーフォーワンドよりもダークミラージュの方が上だったにも関わらずダークミラージュが選考に漏れたというのは専門による選考というのを考慮するといささか不可解であり、このの不遇な扱いの徴とも言える。

私がこの記事を作成したのもダークミラージュという名がこのような不遇な扱いを受けていることに異を唱えるためにという部分が大きい。一人でも多くの人がこの記事を読むことでダークミラージュという名の存在を認知してもらえるのであれば記事を作成した人間としてこの上ない幸せである。

血統表

Persian Road
1955 栗毛
Persian Gulf
1940 鹿毛
Bahram Blandford
Friar's Daughter
Double Life Bachelor's Double
Saint Joan
One for the Road
1947 栗毛
Watling Street Fairway
Ranai
Sundae Hyperion
Bachelor's Fare
Home by Dark
1959 芦毛
FNo.9-b
Hill Prince
1947 鹿毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Hildene Bubbling Over
Fancy Racket
Sunday Evening
1947 芦毛
Eight Thirty Pilate
Dinner Time
Drowsy Royal Minstrel
Lazy Susan

クロス:Bachelor's Double=Bachelor's Fair 4×4(12.5%)

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1 ななしのよっしん
2019/02/14(木) 20:22:08 ID: Dpm0x4/yn1
作成おつかれさまです
初めて疾走する姿を見たとき、コンパスの針みたいな前脚にひょろすぎる体で驚きました。到底、とは思えなかった。
殿堂入りしてないのが本当に不可解ですが、の向こうでも、ダイナナホウシュウみたいに体がアレだと選考から漏れちゃうんでしょうか(ダイナナ~は他にも要因があったようではありますが)
2 ななしのよっしん
2019/02/14(木) 20:35:16 ID: P/kw+MvXjC
作成乙です!
こうなるとダマスカスの記事も読みたくなりますね。
3 ななしのよっしん
2019/02/15(金) 19:51:50 ID: Dpm0x4/yn1
 1です。漏れたのは殿堂入りじゃなくて、名100選の方でしたね。失礼。
4 ななしのよっしん
2019/02/21(木) 12:55:01 ID: MOXrBgg9xm
筆者はルナさんでしょ?w
5 作者
2019/02/22(金) 15:48:00 ID: dc+GOVWlh9
>>4
資料が足りないためルナさんのサイトの記述も参考にさせてもらいましたが別人です
英語版Wikipediaに載っている参考文献とかも参考にしようと思いましたが参考文献がたった2つしかなかったので……
一応レース結果や着差に関しては極複数のサイトで裏を取っていますが逸話とかに関してはまともな資料がほとんどなかったのでルナさんの世界の名列伝集を参考にさせてもらいました
6 4
2019/02/22(金) 23:34:48 ID: MOXrBgg9xm
失礼しました。

もっと評価されるべきという事柄は何事にも多いです。
評価してもらうべく行動に移す方を私は尊敬します。

ダークミラージュの凄さ、理解しました。

翌年にシュヴィーが連続でトリプルティアラを達成したことも不遇の一因な気がします。
しかも相手にも大レース勝ってるですからね。
更に全く勝てなかった同世代ギャランブルーム、同じく同世代にして名スプリンタータウィーがいたりで、本当凄まじい時代ですよね。
7 4
2019/02/22(金) 23:38:53 ID: MOXrBgg9xm
ややこしい書き込みですが、ギャランブルームとタウィーはシュヴィー同期です。

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