チェルノブイリ原子力発電所 [1]とは、ウクライナ(旧ソ連)にある町、プリピャチ市にある原子力発電所である。
概要
建設以降の正式名称はV・I・レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所。
1986年に起こった有名なチェルノブイリ原子力発電所爆発事故によって世界中にその名を知られることとなった。
チェルノブイリ原子力発電所の事故は、スリーマイル島原子力発電所事故、福島第一原子力発電所事故を経た今でも、史上類を見ない最悪の原子力事故である。
事故後も、事故を起こした4号炉を除いた1~3号炉の運転を続けていたが、2000年には全ての炉が運転を停止している。
事故概要
事故が発生したのは1986年4月26日未明のこと、電源喪失事故を想定した実験中、原子炉が暴走し、水蒸気爆発が起こった。爆発とその後の火災により大量の放射性物質が漏出。ウクライナやベラルーシのみならず、気流に乗せて全世界に放射性物質を飛散させる結果となった。
事故を起こしたチェルノブイリ4号炉は、РБМК-1000型という黒鉛炉(減速材に黒鉛を用いる原子炉)で、格納容器が存在しない、一度反応を起こせば分裂反応が加速する(それを制御棒で制御する)等の特徴があった。また、制御棒の挿入に時間がかかる、一度に多数の制御棒を挿入すると一時的に出力が増大するといった特性があり、それらも事故の発生の要因となった。さらに、減速材の黒鉛は爆発で燃焼し、大規模な火災を発生させたため、放射性物質が上昇気流に乗って高層まで運ばれたことで、汚染地域を拡大した。
また、ソ連の官僚主義も事故の原因の一つである。規定通りに実験を行うため、安全装置をカットし、既定の出力を満たすために制御棒を引き抜き、不安定な低出力運転で炉に負荷をかけたことがまず大きな原因であり、完全なる人災であると言える。官僚主義は食品や避難の基準を定める際も障害となり、ベラルーシやウクライナで食品の汚染基準が定まったのは事故から実に5年後という遅さであった。これにより、チェルノブイリ近郊の住民は、数百万Bq/kg以上の汚染をされた食物を食べ続け、少なくとも数百ミリシーベルト(!)から数十シーベルト(!!)の内部・外部被曝をし、甲状腺が敏感な子供の中には甲状腺癌を発症して苦しむものもいた。
日本でも北海道の雨水から放射性物質が検出されたことが当時話題になった。また、ヨーロッパ産の牛乳や野菜が汚染されたため、輸入食品の放射能基準が初めて定められることとなり、その数値は今まで変わっていない。
ちなみに、この時大気中に放出された放射性物質の量は、ヒロシマ原爆「リトルボーイ」の500倍の量だと言われている。チェルノブイリ近郊では、今でもキノコから数千Bq/kg以上のセシウムが検出されている。
が、避難区域近くに今でも住んでいる村人たちは平気でそんなキノコを食べて長生きしている。人間って恐ろしい。
事故以降
チェルノブイリ・プリピャチ近郊は立ち入り禁止となっており、居住していた人々は事故後すぐに移住させられたが、全く誰も住まなくなったというわけではないようである。
長年馴れ親しんだ土地で寿命を迎えることを選んだ高齢者や、見知らぬ土地で社会の混乱に苛まれる生活に耐えかねて故郷に戻ってきた人々など、危険であることを知りながらなおチェルノブイリに住み続けているその理由は様々である。
同発電所があったプリピャチ市は事故の影響で放射性物質により町ごと汚染されており、政府発行の通行証が無いかぎり入る事が出来ないが、地元ツーリストが主催でプリピャチの観光ツアーを開いている。
(ただし、ツアー参加中やその後の健康については自己責任である旨の書類に署名させられる)
ステンバーイでお馴染マクミラン大尉とプライス中尉の活躍の舞台は、ここである。
なお、人が極端に少なくなったことが良い意味で影響したのか、現在の発電所近辺は野生動物のサンクチュアリとなっていることが研究により明らかとなった。絶滅が危惧される動物が多数繁殖していることなどが報告されている。ただし、この汚染区域における野生動物の繁殖の意義については様々な議論がなされているところである。
シェルター[2]
事故発生から約半年で、事故が発生した炉を覆ったり、補強するためのシェルターが作られた。事故当初はサルコファーガス(石棺)と呼ばれた。設計寿命は約30年。
1997年にシェルター改善計画(SIP)と呼ばれる国際プロジェクトが発足、倒壊の可能性があった排気筒の補修や梁の補修などが実施された。プロジェクトの最終段階では現在のシェルターを覆う"新安全閉じ込め構造物"(New Safe Confinement; NSC)を建設する。
その他
- 福島原発事故以降、度々福島の現状を議論するためにチェルノブイリ事故の研究データが利用されている。数十年かけて蓄積されたデータの集合体であることから非常に信頼性が高いことは言うまでもない。
このデータと福島原発事故とを比較する論文は既に出ているが、少なくともチェルノブイリとは比較にならないほど小規模な放射線汚染であることは伺える。
また、チェルノブイリ事故自体の死者数・がん患者数も再検討がなされるなど、今後も情報のアップデートが必要だろう。 - 2022年2月下旬、突如ロシア軍がウクライナに侵攻し、チェルノブイリ原子力発電所もロシア軍に占領されていたが、同年4月になってチェルノブイリ原発と周辺施設から撤退したと報道されている。[3]
占領したロシア軍部隊は、放射性物質でひどく汚染された「赤い森」に防護具なしで入って塹壕を掘ったため、急性放射線症候群になってベラルーシの医療施設に搬送された、という未確認情報もある。[4]
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関連項目
脚注
- *ウクライナ語ではチョルノービリ原子力発電所と呼称。
- *検証・25年経ったチェルノブイリ原子力発電所事故:チェルノブイリ原子力発電所はいま
- *ロシア軍、チェルノブイリ原発から撤退 ウクライナ原子力企業が発表 2022.4.1
- *チェルノブイリで塹壕を掘っていたロシア兵が病院に搬送された──ウクライナ情報 2022.4.1
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