チベットとは、
ここでは2の、チベット自治区に至る経緯や人権問題などチベット諸問題の情報、論議について扱う。
概要
現在は中華人民共和国西蔵自治区であるが、1930年から1950年までは「チベット」として独立していた。
1951年に中国共産党によるチベット侵攻により、中華人民共和国西蔵自治区となる。1959年にダライ・ラマ14世のインド亡命時、彼を代表とするチベット亡命政府が設立された。これはチベット語でガンデンポタン(བཙན་བྱོལ་བོད་གཞུང་།)、日本語・英語では中央チベット政権(Central Tibetan Administration、略称CTA)と呼称される。
現在のチベットの現状について、中国共産党と漢民族の支配によりチベット族の民族浄化が進行している、僧侶の焼身自殺などとする意見が多数みられる。
逆に中国人民解放軍の侵攻解放後のチベットは、その以前と比べ、治安や経済、インフラ、文化保護などが改善したとする意見も存在する。なおダライ・ラマ14世は「経済的観点より中華人民共和国より独立する考えは持っていない」と表明している。
チベット騒乱(2008年)
2008年3月10日にチベットの独立を求め大規模なデモが発生。このデモは中国からの分離独立を求めるチベット亡命政府内の急進的勢力が中心となり起こした。同年8月の北京オリンピック開催を控えた中国政府には、強行的な対応ができないと見越していた。
この抗議運動が、武装警察により鎮圧されたというニュースが世界中を駆け巡った。武器を持たないチベット人を、武装した人民解放軍により虐殺されたと報道され、世界中から中華人民共和国に対する非難の声が上がった。ニコニコ動画でも多数の関連動画が投稿され、「チベットが中国政府からぞんざいな扱いを受けている」とする認識を持つ人が増えた。
また「普段は繁盛に人権関係の事象を取り上げるマスコミ・政治家・左翼団体・人権団体が総スルーをした」と認識したネットユーザーが中心となり、インターネット上での抗議行動を行う熱が高まる。(ただしマスコミ各社もチベット騒乱自体については報道している)
大規模デモ行進や長野聖火リレーなどを通じ、インターネット上での抗議活動が盛況した。聖火ランナーが持つ聖火を略奪しようとする抗議者が世界中で出現し、日本でも3人の逮捕者を出した。また沿道で、中国でのオリンピック開催を祝う中国人や華僑と小競り合いが起きた。
ただし北京オリンピック開始後は競技の盛り上がりと共に、チベット問題に対する抗議運動が縮小したのは事実である。
関連動画
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関連リンク
亡命政府側のサイト
- チベット亡命政府公式 - 英語、中国語簡体/繁体、チベット語
- ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 - 日本語
人権侵害はないとするサイト
関連項目
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