基本データ | |
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正式名称 | チュニジア共和国 الجمهورية التونسية |
国旗 | ![]() |
国歌 | 祖国の防衛者![]() |
公用語 | アラビア語 |
首都 | チュニス(Tunis) |
面積 | 163,610km²(世界第89位) |
人口(’17) | 約1153万人(世界第75位) |
通貨 | チュニジア・ディナール (TND) |
政治体制 | 共和制 |
時間帯 | UTC +1(夏時間:+2) |
正式名称はチュニジア共和国。
概要
北部は地中海性気候、南部は砂漠気候。首都アルジェは北部に位置する。
かつてはフランスの植民地だった。1956年、ムハンマド8世アル・アミーンを国王にする条件で、チュニジア王国として独立。翌年王政を廃止し、チュニジア共和国となる。
独立以来ハビーブ・ベン・アリー・ブルギーバ(ブルギバ)が大統領を務めていた。1987年、ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー(ベンアリ)に引きづがれる。
2011年1月、「ジャスミン革命」が発生する。露天商の青年が焼身自殺を図り、抗議した画像がSNS(Facebookが中心)を通じて国民に拡散。当初は貧困・雇用対策を要求するデモだったが、その後全国規模の反政府デモに発展した。ジャスミンはチュニジアを代表する花。
ただベンアリ大統領は近代化を進めた功労者でもある。政治犯を釈放し、フランスの社会団体から「民主主義・人権」国際賞を受賞したことも。その一方、イスラーム主義政党や社会主義運動は厳しく弾圧していた。前者は1990年代の隣国アルジェリアで発生した、イスラーム原理主義への不安からである。当初は「市民の自由拡大」を謳ったが、結局は言論の自由、情報アクセス制限、市民活動抑圧などの人権侵害政策(強権政治)を行った。
ベンアリ大統領はサウジアラビアに亡命した。首相のモハメッド・ガンヌーシが臨時大統領就任を宣言するが、憲法評議会は下院議長フアド・メバサを任命。23年続いたベンアリ政権は崩壊した。
その後、北アフリカや中東諸国にも「アラブの春」として波及し、反政府デモが各国で発生。エジプトやイエメンは独裁政権が崩壊し、ヨルダン王国、バーレーン、アルジェリアなどはうまく丸め込んだ。独裁者を倒しただけのリビアや、成功しなかったシリアは最悪の内戦状態に陥ることとなる。
2011年2月、中華人民共和国にも「中国茉莉花革命(中国ジャスミン革命)」として波及するが、失敗した。茉莉花はジャスミン花の中国語名。品種は異なるが中国もチュニジアと同様生産が盛んである。
同時期、ISILへの参加者が続出する。チュニジア人は、ISIL外国人戦闘員の国籍別トップを占めている。6000人を超え、2位のサウジアラビアの約2倍である。
エジプトは軍事政権化するなど不安定であるが、チュニジアの民主化は比較的順調に運んでいる。ただイスラーム主義の復興や反政府テロによる政情悪化も懸念されている。2015年、ハビブ・エシード大統領による新政権が発足した。
なおチュニジア・日本のパスポート保有者は、相手国入国時のビザがフリーである。
名称
国名は「チュニスという名前の街を首都とする国」の意味である。
英語の正式名称は "Tunisian Republic"。略称 "Tunisia"。
旧宗主国言語・フランス語の正式名称は "République tunisienne"。略称 " Tunisie"。
日本語漢字・中華人民共和国での表記は「突尼斯」、台湾では「突尼西亞」。略称 「突」。
歴史
- 紀元前8世紀…フェニキア人(レバノンあたりの人々)が移り住む。カルタゴを建設。ローマ帝国支配下に。
- 5世紀…ゲルマン民族の一派ヴァンダル人が進出し、ヴァンダル王国を打ち立てる。
- 533年…東ローマ帝国によりヴァンダル王国は倒され、ビザンツ帝国の支配下に。
- 7世紀中頃…イスラームの支配下。
- 1270年…その頃チュニスを支配していたハフス朝に、十字軍が来襲。しかし十字軍側が疫病の蔓延により主導者のルイ9世が病没。ハフス朝に有利な条件で講和が結ばれた。
- 1574年…バルバロス・ハイレッディンに代表される海賊の跳梁で衰退の一途を辿っていたハフス朝がオスマン帝国に征服される。
- 1705年…オスマン帝国より内政と税の徴収を任されていたベイが次第に自立する傾向を見せるようになり、ベイを務めていたフサイン家がチュニジアの地の実質上の支配者となる。
- 1883年…フランスの保護領に。
- 1956年…フランスから独立し、チュニジア王国成立。
- 1957年…王政廃止。チュニジア共和国に国名変更。
- 1987年…ブルギバからベンアリに、大統領交代。
- 1989年…憲法改正。複数政党制が認められる。
- 2010年…ジャスミン革命によりベンアリ政権崩壊。この革命は、北アフリカと中東の「アラブの春」に発展。
- 2015年…ハビブ・エシードによる新内閣発足。
民族・宗教・言語
人種構成は、98%をアラブ人が占める。ヨーロッパ人が1%。その他は、先住民ベルベル人、ユダヤ人、黒人など。
公用語はアラビア語。先住民ベルベル人の言語である、ベルベル語もごく一部で話されているが、これは公用語ではない。
元宗主国言語であるフランス語も広く通じる。政府や学術界、メディアでも扱われることの多い、準公用語的地位である。学校教育ではアラビア語と共に、教授言語とされている。英語教育は12歳からされるが、フランス語に比べて通用度は低い。
経済・産業・交通
アフリカでも経済が良好な国の一つである。一人当たりGDPはエジプトより高い。GDPはアルジェリア、モロッコと同程度であるが、元から世俗主義的であり、リゾート地が多く観光地として発展していること、グローバル企業を積極的に誘致したことが功をなしている。
産業は、観光業、農業、欧州の服製造下請け、天然資源と多様な収入がある。近年開発が進められ、高い経済成長率と貿易黒字を実現している。北部・中部は地中海性気候を生かし、グレープフルーツやオリーブ、ワインなどを生産。台地では小麦などの穀物、南部は乾燥気候を生かし、ラクダなどの牧畜業が盛んである。またリビアやフランスへの出稼ぎ労働者の送金も主要な外貨収入源である。
このように農業国であるが、輸出は下請けの繊維製品、リン鉱石、石油製品など工業製品も多い。
都市間交通として鉄道、バス、ルアージュが発達している。ルアージュ(Louage)はワンボックスカーの乗合タクシーに相当。チュニスでは市バスと、メトロの名を冠した路面電車が市内交通を担っている。
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関連項目
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