祝歌
配役表に
名前をのせられず
もがいている自分に
こう言い聞かせていたいずれ時はくる
私の一日がおとずれるそして見せ場には
堂々と前へ進み出て
高らかに歌おう
自分自身を祝うように
チョウカイキャロル(Chokai Carol)とは、1991年生まれの日本の競走馬。
あるダービージョッキーと、それを助けた調教師を煌めかせた、栗毛の名牝。
主な勝ち鞍
1994年:優駿牝馬(GI)、忘れな草賞(OP)
1995年:中京記念(GIII)、
生涯にわたり小島貞博が主戦を務めた。栗東・鶴留明雄厩舎所属。
父ブライアンズタイム、母ウイットワタースランド、母父Mr. Prospector。
ブライアンズタイムの初年度産駒であり、母はアメリカの芝GIIIを勝利している。
小島貞博と鶴留明雄という男達
チョウカイキャロルという馬を語る上で、小島貞博、鶴留明雄という男は欠かせない。
小島貞博は、本馬デビューの94年当時には既に42歳のベテランジョッキーであり、過去にはキングスポイントで中山大障害春秋制覇した障害の名ジョッキーとしてならし、つい最近までミホノブルボンで皐月賞・ダービーを勝利し、スパルタ調教で知られた戸山為夫厩舎の主戦騎手として活躍していた。しかし戸山が93年に急逝し、厩舎が解散。ミホノブルボンも故障が癒えず引退となり、途端に乗り馬が減少。
そんな小島貞博を見かねて自厩舎の主戦に抜擢したのが、騎手時代に戸山厩舎に所属し、当時関西の上級調教師として名を挙げていた鶴留明雄である。
小島が一時引退すら考える中、鶴留は支援の為、自分の厩舎の有力馬へ騎乗させるようになった。その先鞭をつけた存在こそが、本馬チョウカイキャロルである。
オークスに至るまで
チョウカイキャロルは1994年、3歳1月でデビュー(阪神ダ1800)すると、後続に2秒つける大差勝ちを収める。クラシック路線に乗る為に条件戦に進むがオフサイドトラップの2着、続けてフラワーカップに挑むがこちらは3着に敗れ、桜花賞戦線へは進むことが出来なくなった。
クラシックを目指すべく、「残念桜花賞」こと忘れな草賞へ向かう。ここでは4コーナー先頭からそのまま押し切り、後続に4馬身つける圧勝。オークスへの特急指定席を確保する。
1994年のオークスは、桜花賞馬オグリローマンが1番人気に推されたが、チョウカイキャロルは差の無い2番人気に推された。良馬場発表ではあったが、直線コースはかなり荒れていた。この年のクラシック戦線は牡馬はナリタブライアン一強だったが、牝馬はかなり混戦ムードが立ちこめていた。2歳女王ヒシアマゾンは外国産馬ゆえクラシックへは進めなかった。
チョウカイキャロルはスタート後4~5番手で進む。ほぼ平均ペースで進む中、チョウカイキャロルは府中の大欅を越えたあたりから徐々に進出を開始。チョウカイキャロルは直線入口で先頭に立つ。各馬が直線で追いすがる中、先頭で内を突き進み、大外から追い込みにかけるゴールデンジャックやアグネスパレードの追撃を振り切り、GI初制覇を挙げる。この勝利で鶴留は牝馬クラシックを全て勝利。小島はレース後、「鶴留先生に恩返しが出来た」と語る、思い出深い勝利となった。
エリザベス女王杯まで
夏休みを挟んで、秋の目標をエリザベス女王杯(当時牝馬三冠路線の3冠目であった)に据え、トライアルのサファイアSを2着。次戦にエリザベス女王杯を予定通りに挑むが、そこには奴が居た。
ヒシアマゾンである。エリザベス女王杯まで重賞5連勝、それまでクラシックを戦っていた連中を軒並みなぎ倒してきたが、チョウカイキャロルとは対戦経験がなかった。本番ではヒシアマゾンが1.8倍の圧倒的一番人気。本馬は2番人気ながら7.2倍とかなり離されていた。
レースではバースルート、少し空けてテンザンユタカが大逃げをかけ、チョウカイキャロルはそれから離れた先行グループに位置。ヒシアマゾンは最後方で脚を溜めている格好。ヒシアマゾンが京都の坂の下りから徐々に進出を始め、直線入口ではチョウカイキャロルは外、ヒシアマゾンは更に大外に構え、両者とも勢いよく伸びて先頭集団に躍り出る。
残り100の時点で内からアグネスパレードが掬うように並びかけ、チョウカイキャロルは内アグネスパレード、外ヒシアマゾンとの叩き合いに挑む。この叩き合いでヒシアマゾンに必死に食らいつき、アグネスパレードを競り落とすものの、僅かにハナ差及ばず2着。しかし、怪物〇外に対して、クラシックホースとしての貫禄を見せつけるレース展開であった。
エリザベス女王杯以降
年末の有馬記念に出走したが、ここは8着に敗れる。
4歳になっても現役を続行。京都記念では4着(この京都記念、面子が豪華)の後、中京記念(GIII)では56.5kgのトップハンデを背負いながらも後方から力強い伸び脚で差しきり勝ちを収める。続く京阪杯ではダンツシアトルの2着に好走。
宝塚記念に挑むが、ここでは前走勝ち馬のダンツシアトルが連勝する中、12着に敗れる。その後喉の病気に罹っている事が判明し、休養、そのまま引退しターフに戻ることはなかった。
引退後繁殖入りし、中央で5勝を挙げオープン馬となったチョウカイシャトルを送り出した。因みにこのチョウカイシャトルの父はかのピルサドスキーである。2012年に繁殖引退し、生まれ故郷の谷川牧場で功労馬生活を送っていた。
小島貞博と鶴留明雄のコンビは、翌年タヤスツヨシでダービーを制した。ダービーの栄光を獲得する以前に、彼女の存在と活躍が二人を繋いだことは確かな事実である。
血統表
*ブライアンズタイム 1985 黒鹿毛 |
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Bramalea | Nashua | ||
Rarelea | |||
Kelley's Day 1977 鹿毛 |
Graustark | Ribot | |
Flower Bowl | |||
Golden Trail | Hasty Road | ||
Sunny Vale | |||
*ウイットワタースランド 1981 鹿毛 FNo.9-f |
Mr. Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
Sleel Belle 1972 鹿毛 |
Vaguely Noble | *ヴィエナ | |
Noble Lassie | |||
Sleek Dancer | Northern Dancer | ||
Victorine | |||
競走馬の4代血統表 |
産駒成績
- チョウカイウエスト (1997年産 牡 父サンデーサイレンス 8戦1勝)
- チョウカイチャーム (1998年産 牝 父トニービン 不出走)
- チョウカイフライト (1999年産 牡 父サンデーサイレンス 55戦4勝)
- チョウカイカイザー (2001年産 牡 父サンデーサイレンス 11戦2勝)
- チョウカイシャトル (2002年産 牡 父ピルサドスキー 31戦5勝)
- チョウカイサンデー (2003年産 牡 父サンデーサイレンス 17戦3勝)
- ヒラボクキャロル (2004年産 牝 父ダンスインザダーク 5戦0勝)
- ヒラボクフレンチ (2006年産 牝 父フレンチデピュティ 5戦0勝)
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 1
- 0pt