ツルマルツヨシ(Tsurumaru Tsuyoshi)とは、1995年生まれの日本の競走馬。黒鹿毛の牡馬。
皇帝の生んだ最後の大物として、虚弱体質と故障に悩まされながらも最強世代と渡り合った未完の大器。
主な勝ち鞍
1999年:京都大賞典(GII)、朝日チャレンジカップ(GIII)
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「ツルマルツヨシ(ウマ娘)」を参照してください。 |
概要
父シンボリルドルフ、母*スィートシエロ、母父Conquistador Cieloという血統。
父は言わずと知れた無敗三冠馬、絶対にして永遠なる皇帝。種牡馬としては初年度産駒のトウカイテイオー以外にはこれといった大物が出ず、1993年にアイルトンシンボリがステイヤーズSを連覇、そして有馬記念でトウカイテイオーが「奇跡の復活!」を果たして以降は中央重賞馬を出せずにいた。
母はアメリカからの輸入繁殖牝馬。
母父コンキスタドールシエロは、1982年に1600mのマイルGIメトロポリタンHCを勝った翌週に2400mのGIベルモントSを14馬身差で圧勝してエクリプス賞年度代表馬に選ばれた、大種牡馬ミスタープロスペクターの初期の代表産駒。
1995年4月6日、シンボリ牧場で誕生。オーナーはツルマルボーイなどの「ツルマル」冠名を用いた鶴田任男。栗東の二分久男厩舎(主な管理馬にマチカネフクキタルがいる)に所属し、鞍上は1戦を除いて藤田伸二が務めた。
※この記事では馬齢表記は当時のもの(数え年、現在の表記に+1歳)で記述します。
ツヨシ(体質が)しっかりしてたら……
うわっ…ツヨシの体質…弱すぎ…!?
さて、このツルマルツヨシという馬、名前に反してとにもかくにも虚弱体質な馬であった。馬体は見栄えのするピカピカの黒鹿毛、見るからに素質の高さを伺わせたが、どうも血液成分に異常があったらしく、ちょっと疲れやストレスが溜まるだけで歩けなくなってしまうほどだったという。
当然、そんな体質ではまともな調教もできるはずがなく、デビューは遅れに遅れて、皐月賞もとっくに終わった4歳5月の未勝利戦(京都競馬場)。しかもダート1400m戦であった。ここを明らかに太め残りの身体であっさり逃げ切り勝ち、素質の高さを見せつけるも、この後また半年の休養を余儀なくされる。
11月にようやく復帰、菊花賞と同日の逢坂山特別(500万下、芝1800m)は5着に敗れたが、中2週で出走した犬山特別(500万下、芝2000m)を後方から捲って3馬身半差をつける圧勝。やはり走れさえすれば素質は抜群……だったのだが、明けて5歳、1月の稲荷特別(900万下)はフレグモーネで出走取消となりまたも休養。
同世代のスペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイロー、エルコンドルパサー、グラスワンダーといった錚々たる面々が鎬を削り合っていた頃、ツルマルツヨシは満足にレースを走ることもできずにいた。
それでも5歳となってようやく体質も改善されてきて、復帰した6月の三河特別(900万下、芝1800m)は後続を8馬身突き放した2着エレガントモアを、馬なりのままで最後は流す余裕すら見せて、さらに2馬身半突き放す圧勝。このレースを見た〝競馬の神様〟大川慶次郎はツルマルツヨシに惚れ込み、「この馬はとんでもない馬になる」「スペシャルウィークより馬体は一流」と評したという。
続く重賞初挑戦の北九州記念(GIII)[1]は51kgの軽ハンデを活かせず、行き脚がつかず後手に回ってしまい、追い込んだものの届かず3着。とはいえ夏場は北海道を主戦場にしている藤田騎手がわざわざツヨシに乗るために小倉に遠征したのだから、藤田騎手も相当な大物になると期待していたことが伺える。
ツルマルはダービー馬より天皇賞馬より皐月賞馬よりもツヨシ
続いて挑んだのは9月の朝日チャレンジカップ(GIII)。5番人気だったが、直線で最内を抜け出した1番人気メイショウオウドウを、大外から他の馬が止まって見えるレベルのとんでもない脚で並ぶ間もなく差し切り、1馬身半差をつける快勝。一気に重賞ウイナーに駆け上がった。シンボリルドルフ産駒としてもトウカイテイオーの有馬記念以来6年ぶりの中央重賞制覇である。
ちなみにこのとき破ったメイショウオウドウは、同じ阪神2000mはこのあと2000年産経大阪杯・2001年鳴尾記念など3戦3勝。この条件で唯一負けたのがこのレースだったりする。
勢いに乗って、ツルマルツヨシは翌月の京都大賞典(GII)に乗りこむ。この京都大賞典、10頭立てだったが、非常に豪華なメンバーが揃っていた。ぶっちぎりの1番人気(単勝1.8倍)はこの年の天皇賞(春)を勝ち、年内いっぱいでの引退が決まっていた昨年のダービー馬スペシャルウィーク。2番人気(3.4倍)は昨年の天皇賞(春)を勝ち、この年も阪神大賞典・天皇賞(春)でスペシャルの2着と鎬を削っていたメジロブライト。そして3番人気(5.5倍)はこの年の皐月賞を勝ち、ダービー3着を経て菊花賞を目指すテイエムオペラオー。あといつものことながらまだまだ阿寒湖時代のステイゴールドもいた。ツルマルツヨシは上がり馬として、このGI馬3頭に次ぐ4番人気(13.4倍)に支持される。
レースがスタートする。スペシャルウィークは先行策で3番手の好位につけ、オペラオーはそのスペシャルをマーク、メジロブライトはいつも通り後方から。ツルマルツヨシは先行する3頭を見ながら4番手で内ラチ沿いに構える。
展開はスローペースで流れたまま直線。スペシャルが追い出すが全く伸びない。それを尻目に、逃げた2頭の間を割るようにして内から早めに抜け出してきたのはツルマルツヨシ! メジロブライトが後方から最内を強襲、スペシャルをマークしていて仕掛けが遅れたオペラオーも慌てて追いかけてくるが、ツルマルツヨシはその2頭を引き連れたまま力強く押し切り勝ち。
ツルマルツヨシです! スペシャルウィークは惨敗!
関西では最後、京都では最後になりますスペシャルウィークは惨敗です! 馬群の中! 8着ぐらいでしょうか!(※実際は7着)
勝ちましたのはツルマルツヨシ! 朝日チャレンジカップに続いて大金星であります藤田伸二!
錚々たるGI馬を下して重賞連勝。黄金世代の遅れてやってきた秘密兵器・ツルマルツヨシは一躍、秋の主役に踊り出ようとしていた。
主役にはなれず、されど強く、諦めず……
意気揚々と乗りこんだ天皇賞(秋)。ここでツルマルツヨシはなんとスペシャルウィークもメジロブライトも上回り、セイウンスカイに次ぐ2番人気に支持される。しかし中2週に加え、府中2000mでは大きく不利な大外8枠17番という枠順にも祟られ8着。前走太りすぎからきっちり絞ってきたスペシャルの逆襲の前に撫で切られた。
ジャパンカップはパスし、年末のグランプリ有馬記念へ。秋古馬GI3連勝を目指す引退レースのスペシャルウィークと、グランプリ3連覇のかかる宿敵グラスワンダーの死闘として語り継がれるこのレースで、ツヨシは京都大賞典の勝利がフロックではなかったことを見せ付ける。
道中は中団で待機していたツルマルツヨシは、4コーナーで早めに仕掛け、抜群の手応えでぐんぐん進出、直線入口で逃げるゴーイングスズカを捕らえて先頭に立つ。このとき後方のスペシャルウィークを警戒していたグラスワンダーの鞍上・的場均は、ツルマルツヨシのあまりの手応えの良さに「もし捉えきれなかったら……」と危機感を覚え、予定より早めに仕掛けることになった。
必死に押し切ろうと粘るツルマルツヨシに、外から襲いかかるグラスワンダー、さらに大外から猛然と迫るスペシャルウィーク、そして真ん中に突っ込んで来たテイエムオペラオー。ゴール前で4頭ほぼ横並び。
グラスワンダー! グラスワンダー来た!
外の方からスペシャル! 外からスペシャル!
しかしツルマルも頑張っている! ツルマルも頑張っている!
テイエムだ! テイエム来ている!
ツルマルか! しかし外の方から! 外の方から最強の2頭!
やっぱり最後は2頭だったーっ!
結果はハナ差4cmの死闘を演じたグラスワンダーとスペシャルウィーク、それにクビ差のテイエムオペラオーから半馬身差、タイムは1着と0.1秒差の4着。
敗れはしたが、早仕掛けで抜け出し、グラスワンダー、スペシャルウィーク、テイエムオペラオーという錚々たる面々相手に粘りに粘って、最後までそのまま押し切るかと思わせ、0.1秒差の4着は負けてなお強しと評されるに余りある内容だった。
的場均は後に著書やインタビューで、早めに仕掛けてしまったことでグラスワンダーが苦しくなり、あの写真判定に繋がったと語っている。あの伝説の死闘を演出したのは、ヒットマン・的場騎手を焦らせたツルマルツヨシの力走でもあったのだ。
間違いなくGI級の力があることを満天下に示したツルマルツヨシ。二分師は「本格化は来年」、鞍上の藤田騎手は「来年は敵なし」と自信満々に語った。2000年はツルマルツヨシの時代になる。……はずだった。だが――。
レース後、ツルマルツヨシは骨瘤を発症していた。いよいよ本格化というタイミングで無念の長期休養。休養は10ヶ月に及び、復帰は2000年10月の京都大賞典。テイエムオペラオーとナリタトップロードに次ぐ3番人気に支持されたが、見せ場なく6着。
そして2000年の有馬記念。年間全勝を目指すテイエムオペラオー、その2着が続くメイショウドトウ、そしてナリタトップロードの上位3頭に次いで、ツルマルツヨシは4番人気。上位3頭とは離れた人気とはいえ、前年の京都大賞典と有馬記念で見せた強さをみんなまだ覚えていて、その復活を期待していたことが窺える。また二分師は年明けで定年が決まっており、これが最後の有馬記念だった。
他馬がオペラオーを徹底マークする中、中団の内につけていたツルマルツヨシ。だが、3コーナーでまだ後方にいるテイエムオペラオーの姿を中継のカメラが捉えたとき、中団にいたはずのツルマルツヨシの姿は、なぜかカメラのどこにもなかった。
4コーナーを越えて中山の短い直線に入る。まだ馬群に包まれたままのテイエムオペラオーに皆が固唾を飲む中、最後方で明らかに異変を起こして競走を中止する1頭の馬がいた。1枠1番の白い帽子、ピンクの袖の勝負服、黒鹿毛のその馬は……ツルマルツヨシだった。
左前脚の繋靭帯断裂。競走能力喪失。
虚弱体質と故障に悩まされ、結局まともにレースを使えたのは5歳の6月から12月までの僅か半年だけ。皇帝の血を継ぎ、最強世代の主役になれるはずの力を持っていたツルマルツヨシは、その全貌を見せることのないままターフを去った。
通算11戦5勝。結局、シンボリルドルフ産駒としては彼が最後の中央重賞馬であった。
血統よりも馬体を重視し、主流から外れた血統の馬を活躍させることで知られた二分師は、「素質に関してはトウカイテイオーよりもツヨシの方がはるかに上」「調教師生活の中でこれほど大きな夢を見せてくれた馬は他にいない」と語っている。
引退後~されど愛される者は強し
血統的な価値もあって種牡馬入りのオファー自体はあったようだが、虚弱体質なこともあってオーナーや調教師との話し合いの結果、種牡馬入りは見送られ、2002年から京都競馬場で誘導馬となる。しかし脚の具合が悪くなり、それも2007年で引退。
その後は宮崎県の牧場にて功労馬として余生を過ごしていたが、2011年にオーナーが亡くなり、繋養する費用を払う人がいなくなってしまう。
だがそこで、現役時代の担当厩務員が立ち上がり「ツルマルツヨシの会」を設立、引退馬協会の助成や会員の寄付を受けて支援を行い彼の命を救った。
そして一緒に戦ったライバルの多くが旅立った2024年現在も、ツルマルツヨシは存命である。
トウカイテイオー以上とも言われた有り余る素質を持ちながら、虚弱体質と故障とで最強世代の主役にはなれず、皇帝の血を次代に繋ぐこともできなかった。
体質の弱さは引退後まで尾を引き、実は誘導馬時代から、数多の名馬の命を奪った蹄葉炎を患っていて、今も全力で走り回ることはできないという。
それでも多くの人に愛されて、ツルマルツヨシは今ものんびりと元気に暮らしている。
血統表
シンボリルドルフ 1981 鹿毛 |
*パーソロン 1960 鹿毛 |
Milesian | My Babu |
Oatflake | |||
Paleo | Pharis | ||
Colonice | |||
スイートルナ 1972 栗毛 |
スピードシンボリ | *ロイヤルチャレンジャー | |
スイートイン | |||
*ダンスタイム | Palestine | ||
Samaritaine | |||
*スィートシエロ 1987 鹿毛 FNo.4-m |
Conquistador Cielo 1979 鹿毛 |
Mr. Prospector | Raise a Native |
Gold Digger | |||
K D Princess | Bold Commander | ||
*タミーズターン | |||
Change Water 1969 栗毛 |
Swaps | Khaled | |
Iron Reward | |||
Portage | War Admiral | ||
Carillon |
2代母Change Waterの牝系からは、あのドバイミレニアムが出ていたりする。
関連動画
▼スペシャルウィークとグラスワンダーの死闘の陰で頑張るツルマルツヨシの勇姿を見よ。
関連リンク
- ツルマルツヨシ | 競走馬データ - netkeiba.com
- 「ツルマルツヨシの会」オフィシャルブログ
- ツルマルツヨシ(@leadhorse244) - ツルマルツヨシの誘導馬時代の写真を投稿するTwitterアカウント
関連項目
- 競馬
- 競走馬の一覧
- 1998年クラシック世代
- テイエムオペラオー
- メジロブライト
- シンボリルドルフ
- トウカイテイオー / アイルトンシンボリ
- 藤田伸二
- タヤスツヨシ - スポーツ紙などで「ツヨシしっかりしなさい」と言われたのはこっち。
脚注
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 12
- 0pt