ティーガーとは、ドイツが第二次世界大戦時に使用した重戦車で、発展型のティーガーIIも存在する。
特殊車両番号(Sonderkraftfahrzeug)はティーガーが181、ティーガーIIが182。書類上の扱いとしてはあくまでVI号戦車でティーガーは元々愛称であり、後のティーガーIIで正式な名称となった。なお、英語読みでタイガー、あるいはドイツ語の転写方の違いでティーゲル等と呼ばれる事もある。
その他のティーガー
概要
第二次世界大戦時のドイツ軍のドクトリンでは、戦車はハーフトラック等により機械化された歩兵と共に前進する物とされていた為、攻撃力と防御力に加えて機動性を持ったバランスの良い(逆に言えばどれかに特化していない)戦車を求めていた。その為、本来ティーガーやその後継たるティーガーII(後述)のような「重戦車」というカテゴリーは、ドイツ軍がそのドクトリンに沿った戦闘を行なえている限り必要性は低い。事実、最初期のティーガー(というかその前身となる車両)は敵の要塞や固定陣地に対する突破用として開発が開始された。つまりティーガーが対戦車戦闘に活躍する機会が大量に存在し、現在まで残る活躍があったという事自体が悪化していたドイツの戦争状況を示している。
車両の開発が開始されたのは、ドイツ陸軍兵器局(Waffenamt)による1937年1月の「30t級 陣地突破用車両」(Durchbruchwagenn=DW) 要求による。これを受けてヘンシェル・ウント・ゾーン社は、III号戦車の車体をそのまま拡大したような車体に、IV号戦車C型の物に似た砲塔ヘ24口径75mm砲を搭載した設計を提案。DWIとして試作車の生産を開始した。DW1の車体は1両分が完成した物の、その時点で陸軍兵器局は装甲の強化を指示。この指示を受け設計が改修され、前面装甲厚を50mmに強化し砲塔をIV号戦車と共通の物(主砲はDW1と共通)としたDWIIの試作が行なわれた。この設計変更によりDWIIの重量は36tへと増加している。
DWIIは車体1両分(砲塔未搭載)が完成した物の1938年秋にはDW計画が凍結され、より先進的な設計を持つVK3001(H)中戦車とVK3601(H)重戦車をDW計画の後継とする事が決定された。このうちVK3001(H)は33t程度の重量になる予定で、前面装甲50mm、側面30mmの装甲を持つ物とされていた。4両分の車体が完成。その後開発中止。完成した4両分のシャーシのうち2両分には後にシャーシの延長改修が行なわれ、12.8cm対戦車砲を搭載したVK3001(H) 12.8cm自走砲、通称シュトゥーラー・エミールとして実戦に配備された。この2両には当時のドイツの漫画におけるコンビの登場キャラクターから、それぞれ"マックス"と"モーリッツ"の愛称が与えられていたと言う。1両が現存しており、ロシアのクビンカ戦車博物館に収蔵されていてる。
VK3601(H)は40t程度の重量となる事を目指して設計され、後のティーガーのスペックに近い前面装甲100mm、側面装甲60mm、砲塔側面80mmという要求が盛り込まれた。この車両も車体1両分が完成し、追って増加試作型が5両分製作された。砲塔は相変わらずIV号戦車C型の物を拡大したようなフォルムの物の搭載が考えられており、数種類の武装案が検討された。6両分の砲塔が完成したが、結局VK3601(H)計画が1942年に後継のVK4501計画を受けて中止された為、車体には搭載されずに大西洋沿岸の防御陣地用トーチカに転用された。
フランス戦で遭遇したシャールB1や、英連邦軍のマチルダ歩兵戦車といった重装甲の車両に脅威を覚えた軍は、対抗策として1941年5月にヘンシェル・ポルシェの両社に対して45t級重戦車の開発を指示。ポルシェ社は自社の試作戦車であるVK3001(P)の改良型であるVK4501(P)を、そしてヘンシェル社はVK3601(H)の改良型であるVK4501(H)を試作する。丁度この時期にドイツがソヴィエトへの攻撃を開始、いわゆる独ソ戦が開始される。
独ソ戦で遭遇したソ連の中戦車T-34に対し、それまでドイツが使用していた短砲身のIII号戦車やIV号戦車では対抗手段として全くの非力であり、僅かに長砲身5cm砲を搭載したIII号戦車のみが(それも「近距離で」「側面を撃ち抜く事により」)対抗可能な事が判明した。 加えてソヴィエトの重戦車KV-1(КВ-1)には、唯一88mm高射砲の水平射撃のみを持って対処が可能という状態であった。これを受け兵器局は45t級重戦車の主砲は88mm高射砲を戦車砲として改修した物とする事を決定し、選定の結果VK4501(H)をVI号戦車"ティーガー"として採用した 。
なおこの選定で破れたポルシェ社のVK4501(P)は、ポルシェ社の社長であるフェルディナンド・ポルシェがヒトラーと懇意であった為に選定の結果が決まるよりも早く90台分の量産許可が降りており、既に100両分の装甲板が軍に納入済みであった。これら90台分の車体を無駄にしない為に戦力化が指示され、機関部の前部への移設、箱型の戦闘室の搭載等の改造が加えられた。その後この車両は長砲身88mm砲を搭載した駆逐戦車"フェルディナンド"(名称は設計者のフェルディナンド・ポルシェより)として採用される。後に車体前部に対歩兵用のMG34機関銃を装備し、名称が"エレファント"へと変更されている。 又、VK4501(P)車体のうち2両分は、大きな改修を受ける事なくティーガー用の砲塔(僅かに側面のビジョンブロックの位置が低い為別物と言われる事もある)を搭載し、エレファント運用時の指揮戦車として使用された。この2両は通称ポルシェティーガーと呼ばれる。 VK4501(P)から続く一連の車両郡は、エンジンで発電機を回しモーターに電力を伝え、モーターが転輪を駆動させるという非常に先進的且つ複雑な、いわば一種のハイブリット機構で駆動する車両であった。この方式は、大重量を支えねばならない上、大きな負荷がかかる為に故障しやすいトランスミッションを省く事が可能であり、更に無段階変速を可能とする事を狙いとした機構であった。かつてはこれらの車両は故障しやすく使い物にならなかったと言われていたが、近年実際はそう故障が多かったわけでもなく、又その重装甲と攻撃力から非常に活躍していた事実が判明してきている。
ティーガーIIはティーガーIの後継として開発された車両で、ティーガーの「重装甲・重武装の重戦車」というコンセプトを更に推し進めた物である。その重量は70t近くにも逹し機動性と燃費は劣悪、もともとティーガーの時点で高いわけではなかった機械的信頼性は更に低下するといった数々のデメリットを生じた。しかしその正面装甲厚は180mmとほぼティーガーIの倍に増厚、パンター開発からのフィードバックを受け装甲の傾斜装甲化、主砲の強化等といった数々の改良を受け、急速に崩壊しつつあった戦線の要所で絶望的な戦闘を続けるドイツ軍の頼もしい装甲戦力となった。なお、本車両の選定時にもポルシェ社は設計案を提出しており、前述のVK4501(P)の正面装甲を傾斜化した物に砲塔を搭載したデザインで、VK4502(P)という名称が与えられていた。VK4502(P)は砲塔配置の違いで2種類のデザインが検討されており、一般的な車体中央に砲塔を添えたタイプと車体後部に砲塔を据えたデザインが存在した。ポルシェ社はティーガーIIの選定が決定する前にVK4502(P)砲塔の生産を独自判断で開始。選定の結果ヘンシェル社の設計が正式採用される事が決定した時点で既に50両分の砲塔が完成していた。この為、ティーガーIIの初期生産型50両分はこのポルシェ社製の砲塔を搭載して完成した。このポルシェ社製の砲塔は曲線を多用したデザインとなっていた。特に優美な曲面で構成された砲塔正面下部は、敵弾が直撃した際に敵弾を下(車体側)に弾き飛ばしてしまい、車体上面を貫通してしまうショットトラップという現象を引き起こした。これは本来ポルシェ砲塔を搭載する筈であったVK4502(P)が、砲塔下部に跳弾板を装備する為そのような問題が発生する事が想定されていなかった為である。
ティーガーIは東部戦線で1942年9月に実戦投入、ティーガーⅡは西部戦線で1944年7月に実戦投入されている。
西部戦線でティーガーIIをイギリス軍はロイヤルタイガーと呼び、アメリカ軍はキングタイガーと呼び、この呼称がドイツ語に逆輸入されてドイツ国内のニュース放送などでもドイツ語読みの"ケーニヒスティーガー"が使われている。なお、東部戦線でのソ連軍はティーガーIIをその車体の特徴から類似するパンターの発展型と考えていたようだ。
ティーガーは量産性が低くコストも高かった為に生産数は僅か1300両強に留まっており、後継のティーガーIIを含めても2000両に届かない。しかし車体・砲塔共に分厚い装甲を施したこの車両にまともに対抗できる連合国戦車は大戦後半まで殆どなく、その活躍は伝説的な色彩すら帯びて行く。 一説によれば、ティーガーとアメリカのM4戦車のキルレートは1:10を越える事もあったと言う。
実際ティーガーの正面装甲は、T-34/76や17ポンド砲を装備したファイアフライを除くM4程度では零距離射撃でも貫く事が出来なかった話が残っている。しかし大戦が後半へと向かうに従いドイツ軍は制空権を失ない、また補給状態の悪化していく中で大量の燃料を消費する上に動きの鈍重なティーガーは燃料切れで遺棄、あるいは航空攻撃で撃破されて行った。しかしそのような状況の中でもティーガーシリーズがドイツ軍にとっての数少い火消し役としての仕事を全うし、又連合軍に取って厄介な相手であり続けた事実は何ら輝きを失う事はない。声を大にして言いたい。第二次大戦に於いて、こと戦車という兵器としてはこの「『鋼鉄の虎』は世界最強だったのだ」と。
尚、ティーガーIの派生型として38cm臼砲を搭載したシュトゥルムティーガー、亀のような装甲を装備したラムティーガーそして回収戦車型である通称ベルゲティーガーの3種類が存在。後継車両の7号戦車として150mm砲を搭載するVK**** Löwe(レーヴェ = ライオン)が1942年に計画されたが計画中止。ティーガーIIの派生型としては延長したシャーシに12.8cm砲を搭載した駆逐戦車ヤークトティーガーが存在し、実戦に投入された。ヤークトティーガーはサスペンション回りの違いで更に2種類に大別できる。ヤークトティーガー用延長シャーシを更に延長したシャーシをオープントップとし、17cm重砲を搭載するグリレ17と呼ばれる自走砲にする計画が存在した。又、あくまで図面による検討のみだがティーガーIIには10.5cm砲を搭載する計画があった。最終的にドイツ重戦車の系譜は1945年のペーパープラン"Entwicklungstypen計画"(戦車の車体の部品を共通化し生産性を向上させようとする計画)におけるE-75戦車を持って終了する。
開発系譜
DW要求 ─┬─ DWI
│ │
│ └─ DWII
VK系列 ─┬─ ヘンシェル社設計
│ │ │
│ │ └─ VK3001(H)
│ │ │└─ VK3001(H) 12.8cm自走砲 "シュトゥーラー・エミール"
│ │ │
│ │ └─ VK3601(H)
│ │ │
│ │ └─ VK4501(H)
│ │ └─VI号戦車"ティーガー"
│ │ │ │ ││└─ シュトゥルムティーガー
│ │ │ │ │└── ラムティーガー
│ │ │ │ └─── ベルゲティーガー
│ │ │ │
│ │ │ └─ティーガーII
│ │ │ ├─ ヤークトティーガー
│ │ │ └─ グリレ17(計画のみ)
│ │ │
│ │ └─ VK**** "レーヴェ"(計画のみ)
│ └─ ポルシェ社設計
│ │
│ └─ VK3001(P)
│ │
│ └─ VK4501(P)
│ │ ├─ フェルディナンド
│ │ ├─ エレファント
│ │ ├─ ポルシェティーガー
│ │ └─ ティーガー(P)戦車回収車
│ │
│ └─ VK4502(P) (計画のみ)
Entwicklungstypen計画 ── E-75 (計画のみ)
タイプの見分け方(簡易版)
ティーガーの生産ラインでは日々改良が続けられていたため、明確な区分というものが存在していない(独軍も分類していない)が、現在一般的になっているタイプの簡単な判別方法を記述する。
主要な派生型
- シュトルムティーガー
正式名称は38cm突撃(戦車)臼砲ティーガー(38cm RW61 auf Sturm(panzer)mörser Tiger)。前線から要求されていた、「敵歩兵の支援を行う強固な陣地や建造物を一撃で破壊する」支援車両を形にしたもの。戦闘で損傷し、工場送りになったティーガーの砲塔を取っ払って密閉型の分厚い装甲を持った戦闘室を設置し38cmロケット臼砲を据えている。このロケット臼砲、もとは海軍が沿岸防衛用に開発していたものだが本砲の自走化に当たり「自走化するなら陸軍のもんだよな?」と強引にパクってきたものである。前述のとおり工場送りのティーガーを改造しているため、生産数は少なく生産ペースも遅かった。
特徴はなんといってもそのロケット臼砲と厚さ最大150㎜を誇る装甲だろう。ロケット臼砲は敵建造物を一撃でぶっ壊す目的を果たすべく怪物的な破壊力を誇り、戦艦並みともいわれる。この2.5mの鉄筋コンクリをぶち抜けるロケット弾は炸薬量125㎏、最大速度250m/s、最大射程5650mを誇り、堅固なトーチカを一撃で粉砕する、戦車隊に向けて撃ったら周辺の戦車が衝撃波で行動不能になる、などなど破壊力を裏付ける逸話が残っている。これにビビった米軍は必死にスパイや偵察機でそのありかを探ろうとしたそうな。装甲についてはもともと歩兵のそばで支援する事を考えてこの厚さなのだが、戦局が変わった後では直接打ち合うことはなく、確かに打たれ強いがデメリットの方が目立つようにも思われる。
- ベルゲティーガー
ティーガーの砲身を取っ払い、代わりにウインチを設置した戦車回収車である。シュトルムティーガーのように損傷してティーガーを改造して作られた。なお、シュトルムティーガーと違い、こちらは修理部隊が独自に作り上げたものため、正式なナンバーは存在せず正式採用もされていない。
- ヤークトティーガー→詳細はヤークトティーガー の個別記事へ
正式名称がこれの、重駆逐戦車である。128mm砲を主武装に最大250mmという無駄に分厚い装甲を持った化け物。もともとマウス用の主砲はドイツ軍最強の対戦車砲であり撃破できない物はなかったと言われるほど。しかし、自重が凄まじいため走行中は固定しないと損傷のもととなった。装甲は分厚いがそのせいで機動性は劣悪の一言に尽きる。しかも砲塔を持たない自走砲であるため照準ののために旋回の必要があるので足回りへの負荷も重量級であった。火力は凄まじくても欠点が多く、ヤークトティーガー部隊に配されたエース、オットー・カリウスも乗員の練度不足も相まってかなり扱いに困ったようである。
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