テスカトリポカとは、メソアメリカ諸文明において尊崇された神である。
この記事では特に断りが無い限り、クルワ=メシカ(アステカ)における[黒のテスカトリポカ]神について説明する。
名称
四柱のテスカトリポカ神について
一般に、クルワ=メシカ人の神話には、テスカトリポカの名を持つ神が正確には四柱登場しているとされる。それぞれ青のテスカトリポカ、白のテスカトリポカ、赤のテスカトリポカ、黒のテスカトリポカと呼ばれるこの神々は、何れも始祖神であるオメテオトル(男神オメテクトリと女神オメシワトルが融合した状態の神)の子供であり、兄弟たちであるとされている。
このうち、青のテスカトリポカはウィツィロポチトリ神、白のテスカトリポカはケツァルコアトル神、赤のテスカトリポカはシペ・トテック神(又はカマシュトリ神)と同一視され、一般には黒のテスカトリポカのみがテスカトリポカ神の名で呼ばれると、これまでは考えられてきた。
しかし、こうした『4色のテスカトリポカ』については、後世の解釈ミスがいつの間にか広まったものであるとの指摘が存在している(四神が兄弟扱い、「黒の」「赤の」などは事実だが、「青の」「白の」については実際には呼ばれていない)。また『彼らはオメテオトルの子供たちである』との話についても、そのように断言しない記録も残されている。
他にも、カマシュトリをシペ・トテックではなくウィツィロポチトリと同一視する記録も残されているなど、クルワ=メシカの神話文化については、或いは難解な、或いは紛らわしい箇所が非常に多い。
そのため現在でも様々な異動、解釈についの検証が行われ続けられ、時にはこれまでの通説を全く否定するような新たな研究の成果が書き加えられることもある。そのような状況のため、この記事内における記述についても、こののち様々に変化してゆく可能性は存在している。
まるで、テスカトリポカ神の「気まぐれ」のように。
名前の意味
名前のテスカトリポカは、後古典期[1]におけるメキシコ中央高地[2]の共通語だったナワトル語で、「テスカトル」(鏡)と「ポカ」(煙)を合せたものであり、全体を通すと「煙る鏡」あるいは「煙を吐く鏡」の意味になる。
これはヨーロッパにおける水晶球などと同様、メソアメリカにおいては黒曜石製の鏡が曇り具合の中に未来を映すと考えられたことに由来しており、テスカトリポカは、そのようにして映し出される未来、ひいてはあらゆる生命の運勢を司っている存在であると考えられた。
しかし17世紀の記録の中には、先住民が唄っていたとされる大地を鏡に例える歌も残されており、そのため大地から昇り立つ「風」、または東洋的な表現で言うところの「気」のようなものを言い表した名前だった可能性についても考えられている。そしてテスカトリポカは、実際に大地の神、嵐の神としての側面も持っている。
アステカに赴いたスペイン人の中では数少ない心ある人物だったベルナルディーノ・デ・サアグンは、[フィレンツェ絵文書]と呼ばれる詳細な記録を書き残したが、この絵文書中にはテスカトリポカ神を言い表す表現が360ほども有ると後に確認されている。その主なものとして「イルウィカワ・トラルティクパケ(空と大地の所有者)」「ヨワリ・エヘカトル(夜の風)」「ヤオトル(敵)」「ネコク・ヤオトル(双方の敵)」「モヨコヤニ(全能者)」「ティトラクアワン(我々(=人間)はその者の奴隷である)」などが知られている。
信仰の歴史
一般にテスカトリポカは、およそ10世紀ごろ、トルテカ文明において発祥した神であるとされる。
しかし当然の事ながら、その発祥までの全ての要素が明らかとなっている訳ではない。例えばトルテカ文明と同じ土地において先に花開いていたテオティワカン文明には[網目ジャガー]と呼ばれる神が居たことから、その概念的影響を受け継いでいる可能性が指摘されている。またトルテカ文明の東方1000kmほどの場所で栄えていたマヤ文明においても、神話と歴史の書「ポポル・ヴフ」[3]に登場する嵐の神[フラカン]や黒曜石の神[トヒル]、残された数々の碑文に登場する[K神](カウィール神)などとの類似性が指摘されており、その誕生に至るまでの経緯については不明な部分も多い。
また、この神が尊崇された範囲についても不明確な部分が有るとされる。何故なら、本来はトルテカ文明の神であるにもかかわらず、その最も古い神像はマヤ文明の都市チチェン・イツァーから発見されているが、これはいくらチチェン・イツァーがトルテカの影響厚い都市だったとは言っても、トルテカの最有力都市(或いは首都)だったトゥーラ=シココティトランから全く神像が見つかっていない事実と考え合せるならばとても奇妙だからである。
しかし一説には、トルテカ滅亡後に勃興したチチメカ都市の王、ネサワルコヨトルが信奉した非常に抽象的な神[トロケ・ナワケ][4]とはこのテスカトリポカのことだったとも言われ、また『目に見えず、触れることも出来ない』ことがこの神の本来の特質であるともされていた。そのため、"神像の有り無し"をそのまま"信仰の有り無し"に重ね合わせて見ることは非常に危険であり、従って実際の信仰の範囲(広がり具合、過程)を特定することは現代でも難しいのである。
とは言え、後古典期のメソアメリカにおいては、最も有力な神の一柱として信仰を集めていたことについては間違い無い。発祥元であるトルテカ文明の影響を受けた地では必ずと言って良いほど受容されたが、そうした尊崇はマヤなど他の文明圏、トルテカを打ち滅ぼした可能性の有るチチメカ人についても同様で、特に先述のネサワルコヨトル王のもと、有力なチチメカ都市(国家)の1つとなったテスココでは明らかに主神として祀られていた[5]。
そして、このテスココと同盟を組んだクルワ=メシカ人に受け入れられたことで、その宗教上における勢力はますます決定的なものとなった。
一般には[アステカ]の名で知られるクルワ=メシカ人は、12~14世紀ごろ[6]にかけてチチメカ系諸民族が大規模な民族移動を繰り返していた、その最後発としてかつてのトルテカ文明圏にやって来た民族である。始めのころは同じチチメカ系に属する他の民族からも野蛮人とされるような存在だったが、強国を倒すなどして次第に頭角を表すようになり、ついにはかつてのトルテカ文明にも劣らない強大な国家を作り上げるまでに至った。
このクルワ=メシカにおいては、民族の守護神であるウィツィロポチトリ神が最も厚く信奉されていた。しかしテスカトリポカもまた、ケツァルコアトル、シペ・トテック、トラロクなどと並ぶ非常に有力な神として崇拝され、また恐れられた。王権を守護する神でもあったことから王宮における神事では特に長い時間をかけて祈りが奉げられたほか、民族の神話においても最も重要な役割を担う一柱として登場。またトシュカトルと呼ばれる大規模な祭祀も奉げられ広く崇拝された。
しかし16世紀になり、ヨーロッパから白人キリスト教徒がやって来ると、メソアメリカの諸文明は次々に悲劇的な最後を遂げざるを得なかった。長く続けられたトシュカトル祭も、最後は参拝に集まった一般人に向けてスペイン人が無差別攻撃を仕掛け、たった一夜で8500名を越える市民が無意味に殺害されてその遺体が街中に溢れる最悪の終わりを迎えた。
また当時、メソアメリカにやって来た白人キリスト教徒は非常に野蛮、かつ頑迷な態度をとることが多く、キリスト教以外の宗教は全て愚かな迷信であり、不潔な悪魔の教えであると断定していた。そのためこれまで尊崇されてきた神々のことも、無知なる原住民を惑わす悪魔たち、と決め付け、暴力的な侮辱行為を『たくさん』[7]行った。テスカトリポカ神に対しても、『まるで「対立抗争を通じての変化」を体現するかのよう』[8]と現代では評されるその複雑な性格を理解できなかったことから、「夜と対立の神とは、結局のところは悪魔である」と単純に解釈。神殿を荒らすなど徹底的に攻撃した。そのため残念ながらメソアメリカにおける他の神々と同様、生贄などインパクトの強い部分を除けば、拝礼の仕方などについてその詳細は伝わっていない。
このような状況のため、21世紀現在においては実際に神として尊崇することは難しく、また人権的に見れば人間を犠牲に奉げることが問題となるため、すでに滅びた宗教の神として扱われる。しかしクルワ=メシカ人の立てた王国をはじめ、かつてのメソアメリカにおける諸文明の歴史が次第に解き明かされるに従い、愚かな弾圧が行われる以前に尊崇されていた本来の「神」としての性格も再び知られつつある。
神としての能力
一部の文書では、シウテクトリ神によって身体を(北欧神話の巨神ユミルのように)バラバラにされる、つまり自らを生贄に差し出すことで世界を創造したかのように描かれる。これは炎、つまりエネルギーを象徴する神であるシウテクトリと、大地と言う物質的な面をも象徴するテスカトリポカ、その両者がぶつかり合うことで世界が作られたことを示しているのだとされる。しかし一般には、ケツァルコアトル神と共同で第5の太陽を作った際、トラルテクトリ神(又はシパクトリ神)を生贄的に使い、或いは何らかの魔術的な力の行使によって世界を作り出したことの方が有名なエピソードとなっている。
いずれにしても世界を創る力を持つ創造神であり、同時に世界を破壊する力を持つ破壊神としての能力を持つとされる点では変わらない。また人間を始めとして、世界に住む全ての生物の運勢を自在に操る力を持つほか、天、地の何れの場所であれ何時でも、どこにでも存在することが出来、誰にも何に対しても一切遠慮をせずに不和を撒き散らしては、それぞれの争いの結果をも決めるとされる。
あまりにも圧倒的な力を持つ神であるためしばしば全知全能の神と表現されるが、それは神話上においても同じで、他の主要な神をさえも圧倒し、その権勢にまかせて自由に振舞う姿が描かれる場合もある。ただし数少ない例外として、文化神であり、同時に伝統的秩序の守護神としての性格も持つ神ケツァルコアトルとだけは、或る程度対等の力関係であるかのように描かれることも多い。
人間に対しては、特に王族、軍人(戦士)、魔術師、奴隷、犯罪者(泥棒)などを守護するとされ、既存の社会秩序には全く捕らわれること無く、現実に力を持っている者、自分自身の力を示そうとする者、強くあろう、強くなろうとする者たちを祝福する存在として知られる。そしてこのような、名目的なものを排し、あくまで実質主義的な"力"を賞賛する部分こそがテスカトリポカをテスカトリポカ足らしめている特長であると言える。
このように、幅広い概念からより成り立つ強力な神であることから、世界に存在する様々なものと関連付けて考えられた。夜、神秘、大地、予言、戦争、不和、闇、支配する力、魔術、食物、方角における北、黒色など様々なものによって象徴されたが、何よりも黒曜石、および鏡との関連が重視された。またメソアメリカでは最強の肉食動物であるジャガーをその象徴としていたが、そのためクルワ=メシカにおける最精鋭軍団の一つ[ジャガーの戦士団]を守護する者であるともされた。
クルワ=メシカ人の社会では、584日暦(金星暦)、365日暦(太陽暦(シウトル))、260日暦(祭事暦(トナルポワリ))の3種の暦が併用されていた。365日暦では6月は単独で(トシュカトル祭)、10月と13月はウィツィロポチトリなどの神と共同でその祭祀が行われた。260日暦においては10番目の昼の王(10月の象徴)とされ、同時に13月(イシュクイナ神またはトラソルテオトル神と、テスカトリポカ神またはウアクトリ神の共同)と19月(ショチケツァル神と共同)を守護するとされた。また昼間は13時間、夜は9時間の一日22時間制を布いていたが、昼の10時(現代の時間制では午後の遅い時間)と夜の8時(夜明けの2~3時間前)も象徴していた。
またヨーロッパ人による破壊などのため多くの歴史資料が失われているものの、クルワ=メシカ以外の文明においても、その文化に様々な影響を与えていた可能性が考えられる。
人格神としての性格
その姿は若く、完成された肉体を持ち、しかも顔立ちも美しい若者として表される。ほとんどの場合、顔は黒と黄色の幅の広い縞模様に塗られているが、これはテスカトリポカと関連の深い動物であるジャガーを象徴しているのではないかと考えられている。また過去の戦いにおいて片足の先を失っており、そこには一種の義足として黒曜石製の鏡を取り付けている。
この足先の鏡は、魔術によって義足として完全に役割を果たせるようになっている。またしばしば煙を吐き出す様子が絵文書などには描かれているが、吹き流れる煙の象徴的表現として蛇が描かれることもある。後頭部にも飾りのように鏡を取り付けているが、こちらの鏡には未来を写し、予言や運命変更をする際に使うことが有るとされる。
王者を守護する神であることから非常に豪勢な衣装を身に付けることも有るが、同時に戦士の神でもあるため勇ましい軍装をしていることも多い。また戦士の装束を纏ってしばしば夜の闇の中を歩き回るが、その時には誰でもテスカトリポカに組み打ちを挑むことが出来るとされていた。もし勝つことが出来ればどんな無茶な願いも叶えて貰えるものの、負ければその場において生贄として召されたと言う。
性格的には極めて自由であり、同時に嵐の神に相応しい気まぐれな態度をしばしばとるが、意外にも約束したことは必ず守ってくれる一面も持っているようである。自らが力を認めた者には喜んで手を貸すが、認めない者であれば幾ら熱心に祈られようと極めて冷淡であるとされ、また本当にその者が手を貸すに足るかを知るためあえて様々な困難を与え、その意思と能力とを試すことも有るともされる。
生贄に対しては最も積極的な神の一柱として知られる。その祭りにおいては特に頭が良く、肉体的に優れ、見た目にも美しい若者が、1年にわたって神の顕現としてもてはやされたのち生贄として捧げられた。その時にはテスカトリポカの妻たちの顕現であるとされた美しい女性たちを始め、同時に多数の人々も犠牲として神に身が奉げられた。
化身
非常に有力な神であるためか、その分身と呼ぶべき複数の神格を持っている。
イツトラコリウキ=イシュキミリ
石と折檻を司る神である。かつてのメソアメリカにおいては罪人を石打ちによって罰することが多かったため、現代人には一見何のつながりも無いように見えるこの二つを結びつける神が登場したのではないかと考えられている。また同時に物理的な寒さ、精神的な冷酷さ、墓場のような静けさなども司るとされ、人間社会に災いを振り撒く不吉の星、金星の体現者として非常に恐れられた。
外見の特徴としては常に盲目、または目隠しをしていることが挙げられるが、これは世界中で起きる数々の不幸が、その人物の都合、性格、行いにおける正邪善悪と全く関りなく訪れることを表している。また火打石か瑪瑙によって出来ているかのような模様の歪んだ額を持ち、そこに槍が刺さった姿でしばしば描かれているが、その特徴的な外見から、マヤ文明における[Q神](かつて[F神]とされた複数の神の内の一柱)と同じ神なのではないかとも考えられている。
イツトラコリウキは、ケツァルコアトル神の分身的な神格であるトラウィスカルパンテクートリが、太陽神トナティウからの攻撃を受けて変容させられたことで誕生した神格であるとされることも多い。額に刺さる槍がそのトナティウから受けた攻撃であり、金星と関連の深い神である点もケツァルコアトルと一致している。そのためこの神が、本来はテスカトリポカとケツァルコアトルのどちらに近い神であったのか? その疑問については不明としか言うことができない。
イツトリ
神に人身を奉げる際、生贄となる者を切り刻む黒曜石のナイフが擬人化された神。特に血を好むとも、神々への供犠が確実に奉げられ犠牲者の命が無駄にならないよう守護するとも言われる。
オマカトル
宴会、または宴会における人集めを司る神。それがどのようなものであれ、宴会を開く際には必ず、正しく祀る必要があった。それを怠ると料理の中に毛を混ぜ、食べた人を咳き込ませたり、腹痛をおこさせたと言う。
チャルチウテコロトル
名前は「尊い梟」の意味。チャルチウトトリンの別称である可能性も。
チャルチウトトリン
名前は「尊い七面鳥」の意味。夜の神秘的な面を司り、時には災厄を振りまく事も有るとされた。某書に『テスカトリポカの趣味は七面鳥のコスプレ』と書かれているのはこの分身的神格を持つがためである。
テペヨロトル
名前は「山の心臓」の意味。テスカトリポカのジャガーとしての側面を特に象徴した神ではあるが、同時に山彦、地震なども司るとされていたことから、元々は大地の神であったとも考えられている。
ヨワル=エヘカトル
ヨワル=デバズトリ
名前は「夜の斧」の意味。首の無い死体のような姿をしており、夜間に歩き回るとされる。胸に開く大きな傷口が弱点となっていて、もし倒すことが出来れば幸運がもたらされるが、当然の事ながら神に勝てる者はそうそう居るはずも無く、挑戦した者の大半はそのまま死ぬことになるとされている。
もともとテスカトリポカは、夜の闇の中を戦士の姿で歩くことが有るとされていた。そうした性格と、この分身的神格との関連については不明である。
配偶神
妻としては四柱の女神が知られており、その何れもが若く、美しい神である。大地と水の女神アトラトナン、塩の女神ウィシュトシワトル、豊穣のロリータ女神シローネン。そして花の人妻女神ショチケツァルであるが、このうちショチケツァルは、メソアメリカ各地で最も権勢を振るった雨の神、トラロクの妻だったものを誘惑し奪ったものである。
トラロクは、メキシコ中央高地と呼ばれる地域においては特に古い神として知られ、クルワ=メシカにおいてもウィツィロポチトリと並ぶ主神格的な存在と看做されていた。しかし、それでもテスカトリポカの力には対抗することが出来ず、神話においては理不尽に奪われた美しい妻を諦めざるを得なかった様子が語られている。
またこれら妻たちの他にも、美と愛欲と罪の浄化を司る女神トラソルテオトルとも深い関係にあると看做された。テスカトリポカがトルテカ王としてのセ・アカトル・トピルツィン・ケツァルコアトルをその王国から放逐した際には、トラソルテオトルもまた協力者として深く関ったとされる[9]。
創作作品におけるテスカトリポカ
詳しくは以下の記事を参照されて下さい。
- アラガミ(ゲーム「ゴッドイーター」に登場するモンスター)
- テスカトリポカ(Fate)(ゲーム「Fate/Grand Order」のサーヴァント)
- サウスバレイ(ライトノベル「灼眼のシャナIII」の登場人物)
- ナイアルラトホテップ(小説「クトゥルフ神話」シリーズに登場する神)
- ナナ・テスカトリ(ゲーム「モンスターハンター」に登場する雌竜)
- テスカトリポカ(小説)(佐藤究による2022年度の直木賞・山本周五郎賞受賞作)
メソアメリカの諸文明は、一つの例外も無くヨーロッパキリスト教徒達からの徹底的な破壊、および民族的、文化的な弾圧を経験した。そのため宗教的な事柄についても、一部の自覚的な先住民、および同胞が破壊しているものの価値を正しく理解できた理性的なヨーロッパ人など、少数の人の手に依る細々とした記録が残るのみである。
そのような事情はテスカトリポカについても例外ではなく、創作作品においては名前を借りただけか、闇を司る部分のみを特に強調した描き方のされる場合がほとんどとなっている。そのため、クルワ=メシカ人の立てた王国などについて知られるようになるにつれてどのようなイメージ上の変化が訪れるか、注目される。
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
- 神 / 神話 / 宗教
- 神話上の関連用語一覧
- ジャガー / 鏡 / 黒 / 嵐(竜巻) / NTL
- ウィツィロポチトリ / ケツァルコアトル / シペ・トテック
- メソアメリカ / トルテカ / チチメカ / アステカ / マヤ
- メキシコ / ベリーズ / グァテマラ
- 歴史 / 世界史
- テスカトリポカ(小説)
脚注
- *後古典期:メソアメリカ研究における時代区分の一つで、西暦ではおよそ900年頃からヨーロッパ人による破壊が行われた1500年代中頃までを言います。
- *メキシコ中央高地:単に[中央高地]とも。メソアメリカ研究における地域区分の一つで、テオティワカン、トルテカ、アステカと重要な文明が幾つも本拠地としていた地域でした。現在ではメキシコシティとその周辺地域に当たります。
- *ポポル・ヴフ:この書を残したキチェ人はマヤ系に属する民族ですが、元々はトルテカ文明の影響圏だった中央高地から民族移動してきた人々だった可能性が高く、そのためトルテカの影響を多分に受けていたと考えられています。
- *トロケ・ナワケ:英明で知られたネサワルコヨトル王が提唱したことで知られる神です。トロケ・ナワケの名前自体はテスカトリポカの別称としても使われていましたが、この二柱が同じ神なのかを含め、詳しいことについては分っていません。
- *祀られていた:ネサワルコヨトル王は「トロケ・ナワケ」神の尊崇を提唱していましたが、同時に国民感情を考え、既存の宗教勢力に対して様々な配慮を示していたとされています。そのためテスココにおいてテスカトリポカが受容されていた事実と、王の意向とは無関係だったとも考えられています
- *12~14世紀ごろ:チチメカ系民族の移動はもっと早くから行われていた可能性があります。
- *たくさん:マヤ文明についての貴重な記録を残した人物として、同時にオリジナル記録の最大の破壊者として知られるディエゴ・デ・ランダ神父は、自分がどれほどマヤの記録書を焼き捨てたかについてその「数」を『たくさん』と書き残しています。
- *「対立抗争を通じての変化」を体現:[マヤ・アステカ神話宗教事典](メアリ・ミラー、カール・タウベ共著)による評価。
- *ケツァルコアトルを放逐:この放逐劇の原因は、一般にはテスカトリポカがケツァルコアトルの人気に嫉妬したためと言われます。しかし一方では、自分たちの取り決めた方針に逆らって人間を厚遇し過ぎるケツァルコアトルを神々は罰しようとしたが、ケツァルコアトルのような力ある神を罰することが出来るのはテスカトリポカぐらいだったため、放逐役として選ばれて(少々過激に)任務を遂行しただけ、とも言われています。いずれにせよ、この話はトルテカ文明においてテスカトリポカ、ケツァルコアトルの2神の信者同士が勢力争いをした、その歴史を反映した神話なのではないかと一般に考えられています。
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