ディアトロフ峠事件とは、1959年2月2日ソビエト連邦(現ロシア連邦)で発生した怪事件である。
概要
ウラル山脈の雪山でスノートレッキングしに行った若者9人が謎の変死を遂げた事件。事件名の「ディアトロフ」は一行のリーダーの名前が由来。彼らが行った山はホラート・シャフィル山(現地のマンシ語で「死の山」という意味)で、彼らは全員スノートレッキング・登山の経験があった。本来は10人のメンバーで行く予定だったが、一人が体調を崩したため帰還した。(その人は唯一この事件で生還し、2013年に亡くなった。)本来約15日で終わる予定だったが、約3週間経っても帰還しないため一行の親族が救助隊を派遣させて大規模な捜索の結果、9人の変死体が発見された。
テントは内側から破られていて、メンバーのほとんどは裸足で跳びだしていて、-30度の極寒の中、下着姿の者、死んだ人の衣服を着た者、火傷を負った者、頭蓋骨骨折した者、眼球を失った者、舌を失った者、放射線に被曝した者と、異様な遺体が残っていた。現場には一行の足跡が残っていて、カメラには奇妙な光体を映した写真が残っていた。当時のソ連政府は約4週間で捜査を打ち切った。
事件の生還者が一人もおらず、人里離れた場所で起こったため事件の原因は半世紀以上経った今でも判明していない。政府は「抵抗し難い自然の力によって9人が亡くなった」と結論付けてる。
様々な説
説明し難い惨状、異様な死体の発見・様々な人の証言などにより、多くの人たちから様々な憶測・陰謀論が飛び交ってる。
雪崩説
雪崩が発生したため一行は慌ててテントから出たものの、衣服を雪崩で失い低体温症となった事が原因という説。薄着を着ていた理由は矛盾脱衣、骨折は助けを求めて移動した人が渓谷に落下した事で説明がつく。しかし、眼球や舌を失った事と被曝は説明できない。
マンシ族の襲撃説
この地域に住む原住民であるマンシ族が彼らを襲ったという説。一行の足跡しかない事と、遺体に外傷がない事からこの説は否定された。(当時、KGBはマンシ族を疑い、拷問にかけた。)
雪男メンク襲撃説
現地ではメンクと言う雪男が住んでおり、メンクが一行を襲撃したという説。「ヒュー」という口笛を吹き、柔らかい肉を好み、鹿を殺すことが多い。(その鹿の中には舌を抜かれてる個体がいたという)マンシ族はメンクを恐れている。また、メンバーのメモには「雪男は実在する」と書かれていた。だが一行の足跡しかないため微妙な説で、そもそもメンクの存在自体不明である。
軍の関与説
陰謀論でよくある事だが、軍が関わってるという説。一行と別れて生存した一人が2013年仲間の遺品を確認した際、軍用のブーツを見つけている。捜索隊よりも軍が先に一行を発見していた可能性がある。また、ミサイル実験があの辺りで行われており、事件当日には奇妙な光が目撃されている。
宇宙人・UFO説
これも陰謀論でよくある事だが、UFOや宇宙人が関わってるという説。前述のとおり、現場付近で奇妙な光が発光していたという話がある。
関連動画
↑はこの事件を題材にしたモキュメンタリー映画。監督は「クリフハンガー」・「ダイ・ハード2」の監督だったレニー・ハーリン。
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関連項目
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