ディエゴ(Diego)とは、チリ・ランカグア出身でマックス・ルチャリブレ(MAX LUCHA LIBRE)に所属するプロレスラーである。日本では主にDDTプロレスリングで活躍している。旧リングネームはワンチューロ(Guanchulo)。
概要
2005年にマックス・ルチャリブレのリングでプロレスラーとしてデビュー。ただし当時のマックス・ルチャリブレは興行として収支が合うようなものではなく、またコーチも居なかったためにきちんとしたプロレスを学んでいるわけでもなく、趣味の域を出ないようのものだったようだ。また、漫画から日本文化に興味を持ったため、日本語を学ぶために現地の日本語学校に通って日本語を覚える。
その後、2012年にはDDTにも所属した『レスリング・マイスター』ディック東郷が引退ワールドツアー中にチリを訪れ、マックス・ルチャリブレの興行に参加した際に彼に師事。後にディック東郷がボリビアで引退試合を行った際にはボリビアに駆けつけレスラーとして試合を行う一方で、やはり師の引退試合に参加するために日本からボリビアに駆けつけたヤス・ウラノ、アントーニオ本多、佐々木大輔の通訳としても活躍した。
2013年4月には通っていた大学を休学し、同僚であるアグレソールと共に留学生として来日。新宿FACEで行われた高木三四郎、大鷲透の新ユニットメンバー(という名のパシリ)募集オーディションに参加しDDTデビュー。ユニットメンバーの座は平田一喜が獲得したものの、以降はDDTの若手選手や練習生らと共に合宿所で寝泊りしながらプロレスラーとして鍛錬を重ねつつ、日本語を勉強している。(アグレソールは1ヶ月の留学期間を終え、翌月帰国。)
6月には脳震盪で欠場したMIKAMIのピンチヒッターとしてDDT金沢大会に急遽参戦。この際、MIKAMIは欠場と事前に発表されていたにもかかわらず、パートナーの中澤マイケルの策略によりそれっぽいスケスケシャツ(ただしどう見ても女物)とそれっぽいムーヴ(ひたすら天狗の鼻ポーズをするだけ)をするMIKAMIとして試合を行う。試合は男色ディーノ・大石真翔組に対して中澤マイケルがフォールを取られて敗れたものの、観客の支持を一気に受けたために急遽休憩時間にワンチューロMIKAMIのサイン会が実施されるほどだった。ただし、客も悪乗りしてパンフレットのMIKAMIの所にサインさせたり、色紙にMIKAMIとしてサインさせるなどした模様。そしてその人気っぷりを見たDDTはさらに悪乗り。翌月の後楽園ホール大会でMIKAMI&MIKAMI?組として本物とタッグを組み試合を行った。結果はワンチューロMIKAMI?が直接フォールを取られて負けたが、楽しい試合内容と真摯に行うセコンド業務やファンサービスの姿勢が評価されてファンの支持を一気に受けるようになる。
8月には2DAYSで行われたDDT年間最大のビッグマッチ「両国ピーターパン」に参加。初日はオールナイトニッポンGOLDのパーソナリティ争奪戦に、2日目は第1ダークマッチ(負傷した遠藤哲哉の代役)に出場して両国国技館のリングに立つ。また、11月にはDDT仙台大会で当時KO-D無差別・エクストリーム級・アイアンマンヘビーメタル級の三冠を所持していたHARASHIMAとアイアンマンヘビーメタル級選手権のタイトルマッチを行う。また、翌年3月にはDDT後楽園ホール大会において「好きな選手と戦える件」を獲得し、菊タローを指名して翌週のDDT新木場1stRingオールナイト興行でシングルマッチを行った。同年4月にはDDT春日部大会において男色ディーノの持つエクストリーム級のベルトにも挑戦した。また、その戦いの場はDDTだけにとどまらず、我闘雲舞においては帯広さやかとのタッグ「オビチューロ」として活動している。
留学期間満了直前の5月20日には新木場1stRingにおいて「男色牧場classic 公開収録 さよならワンチューロ」という記念興行が開催された。その後、23日には我闘雲舞の市ヶ谷大会でオビチューロとしての最終試合を行い、翌々日25日のDDT名古屋国際記念会議場大会で中澤マイケル・松永智充とのタッグで飯伏幸太・ケニー・オメガ・DJニラ組と試合を行った。この興行終了後には客出しコメントを担当し、最後にはリングの上に立ちファンからの大歓声に包まれる中でDDTのリングに別れを告げた。
2014年5月28日にチリへ帰国。帰国後は大学に復学し、英語の教師を目指す予定だという。プロレスに関してはチリ国内でのプロレスラーのイメージが教師としてそぐわない(チリでは教師は聖職者同様の職業とされる一方、プロレスやボクシングなどの格闘技に関しては理解が低く非常にバイオレンスなイメージがあるという。)ために、本人は現役続行を希望しているがレスラーを続けるかどうかは帰国の時点では未定だった。
その後チリに帰国し、無事教員免許を取得。教師としての規則が緩い私立学校に就職が決まった為に無事レスラーとしても現役を続けられることが決定。現在はチリで教師をしながらマックスルチャリブレでレスラーとして活躍している。
しかし日本への想いが断ち切ることが出来なかったのか、2015年12月に教師を辞めて再来日。以降はDDTにレギュラー参戦している。若手中心プロジェクトのDDT NEW ATTITUDE(DNA)結成後はそちらに所属。同じく海外出身者であるレッカ(台湾出身)とタッグチーム「ヤングドーナッツ」を結成。2017年5月にはDDT本隊のユニット・ALL OUTに参加(他メンバーは竹下幸之介、彰人)。このときリングネームを本名の「ディエゴ」に変更した。
エピソード
- アニメの中では特に「ONE PIECE」が大好きで、ONE PIECE風の自身のイラストが描かれたコスチュームを着用している。また、前述の「好きな選手と戦える権」を獲得した際には何の迷いも無くドクロマークの封筒を選んでいる。また他には「ドラゴンボール」や「銀の匙」などもお気に入りのようである。
- いちごオレが大好物なようであり、試合中も飲みながら試合をしたり、対戦相手にいちごオレを勧めたりしていた。また、佐藤光留とタッグを組んだ際には一緒にいちごオレを飲みながら入場して試合を行った。が、その割にはパンフレットの好きな飲み物アンケートではなぜかカルピスと答えている(蛇足だが、同じパンフレット内では伊橋剛太が好きな飲み物をいちごオレと答えている)。
- 前述のオールナイトニッポンGOLDパーソナリティ争奪戦に参加表明をした際には「チリで鶴光のオールナイトニッポンを聞いていた。」と主張した。また、この際にはかなり怪しいビタースイートサンバを披露した。
- DDT内では佐々木大輔や合宿所で生活を共にしている遠藤哲哉、勝俣瞬馬、練習生の宮武俊らと仲がいいようである。
- しかし帰国直前に仙台で組まれた遠藤哲哉とのシングルマッチでは、試合終了後に遠藤が感動的なメッセージを送った一方でワンチューロは「仙台の皆様、僕は遠藤さんの事が…大っ嫌いです!!」吐き捨て逃走。なお、この光景を見た鶴見亜門GMは「何だよそれwww」と大爆笑していた。
- 遠藤哲哉に対しては、彼の童貞っぷりを見て「意気地なし!」との名言を吐いた。が、遠藤曰く、「ワンチューロも意気地なし。」とのこと。
- 勝俣とは彼のデビュー戦でタッグを組むなど、仲のいい兄弟のような友情をはぐくんでいた。
- アグレソールや、覆面レスラーのアナルコ・モンターニャなどチリから来日したレスラーと共に試合をする事もある。
- 入場曲はチリのハードコアバンドLosMox!のSobacolである。
- 日本語を学ぶきっかけは、「日本の漫画を日本語で読みたかったから。」である。
- 好きな食べ物はキムチ、うどん(特に月見うどん)。ただしチリでは音を立てて食べ物をすするのはマナー違反であるため、母親が来日した際にうどん屋に連れて行って麺をすすったら、母親に物凄く怒られたらしい。
- レスラーとしてデビューした場所は、アグレソールの家の庭で組まれたリングだったとのこと。
- チリではドーナツ屋でバイトして留学資金を貯めていた。
- 留学に関しては、ヤス・ウラノにFacebookで仲介を頼んだらしい。
- 2015年12月の第2回リング☆ドリーム興行ではプロデューサーの松田P自ら「試合が見たい」との指名を受けて試合を行うこととなった。
関連動画
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関連コミュニティ
関連項目
外部リンク
- 公式Facebook

- 公式ツイッター@Guanchulo

- オトナモテラボ「ワンチューロ☆突如現れたスーパーアイドル!スターの素質がありすぎる?!」

- 地球の裏側からやってきた日本が大好きなプロレス留学生に”仲間の証”

- togetter 5.25 DDT『友情、努力、勝利!in NAGOYA2014』(名古屋国際会議場大会)まとめ

- togetter ヤス・ウラノからワンチューロへの一問一答

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