デクラン・ライス(Declan Rice、1999年1月14日 - )とは、イングランド出身のサッカー選手である。
イングランド・プレミアリーグのアーセナルFC所属。サッカーイングランド代表。
ポジションはMF(守備的MF)。効き足は右足。188cm80kg。
概要
イングランド・ロンドン・キングストン・アポン・テムズ区出身。父方の祖父母がアイルランド出身のため、アイルランドの国籍も持っており、アイルランド代表として3試合に出場している。
守備的MFとして世界屈指の実力者であり、彼ほど攻守に無理が効く選手もいないと言われるほどである。ボール奪取力のみならず、中盤のオーガナイズムでも存在感を発揮し、セットプレーのキッカーとしても大きな武器になれる。そのプレースタイルからイングランド代表のレジェンドであるスティーブン・ジェラードやフランク・ランパードの後継者とも言われている。
チェルシーFCの下部組織から14歳のときに放出されたが、移籍先のウェストハム・ユナイテッドで頭角を現し、プレミアリーグでもトップクラスのセントラル・ミッドフィルダーにまで成長する。2023年にウェストハムをUEFAヨーロッパカンファレンスリーグ優勝に導いた後、クラブ史上最高額の1ポンドの移籍金でアーセナルFCへ移籍。加入してすぐに圧倒的な存在感で中盤を支配し、法外ともいえる移籍金に見合うだけの価値を見せている。
イングランド代表には2019年にデビューしており、若くしてジュード・ベリンガムと共に中盤の中心選手として活躍している。
経歴
生い立ち
1999年1月14日、イングランド・ロンドン南西部のキングストン・アポン・テムズ区で兄が二人いる末っ子として生まれる。父方の祖父母がアイルランドのダグラス出身だったことから生まれながらに二つの国籍を取得していた。そんな彼がすぐに夢中になったのはもちろんフットボールで、誕生日やクリスマスに親にリクエストするプレゼントはいつだってフットボールに関連するものだった。
幼い頃のアイドルはチェルシーFCのキャプテンだったジョン・テリー。シーズンチケットを持つほどの熱心なファンで、週末にはスタンフォード・ブリッジに家族と一緒に通っていた。
2006年、7歳のときに憧れのチェルシーのトライアルに参加し無事に合格。チェルシーの下部組織でプロを目指すキャリアがスタートする。当時のチェルシーは石油王ロマン・アブラモビッチによる豊富な資金力によって運営され、下部組織にも各国から多くの有望な子供たちが集まっていた。そんな中で優れたポテンシャルを披露し、U-14までは順当に階段を昇っていくが、多大なプレッシャーに耐えられなくなり、同年代の子どもを圧倒するプレーができなくなり、14歳となった2014年にクラブから放出されることになる。
14歳にして大きな挫折を経験することになったが、そこからまた這い上がり、同じロンドンを拠点とするウェストハム・ユナイテッドのトライアルに合格。入団後はセンターバックとして関係者の目にとまるようなパフォーマンスを披露し、2015年にはU-23チームとプロ契約を交わす。
ウェストハム
2017年5月22日、2016-17シーズンプレミアリーグ最終節バーンリーFC戦でトップチームのベンチ入りを果たすと、試合終了間際に出場し、16歳でプレミアリーグデビューを果たす。
2017-18シーズンからはトップチームの一員となり、2017年8月19日のプレミアリーグ第2節サウサンプトンFC戦でトップチーム初スタメンを飾る。このシーズンのウェストハムは成績不振に陥り、監督が交代する苦しいシーズンとなったが、十代にしてCBのレギュラーに定着。安定したパフォーマンスを披露し、2018年4月にはマルコ・アルナウトヴィッチに次いでハマー・オブ・ザ・イヤーの2位に定着。チームのプレミアリーグ残留に貢献する。
2018-19シーズンはジャック・ウィルシャーの怪我もあり、新監督のマヌエル・ペジェグリーニによって中盤にコンバートされる。開幕戦のリヴァプールFC戦では0-4で大敗したうえに前半で交代させられたことから、自らレンタル移籍を志願するほどのショックを受ける。しかし、ペジェグリーニからの信頼に変わりはなく、徐々に新しいポジションにフィットするようになる。2018年12月23日のワトフォード戦では、マイケル・キャリック以来となる十代でのプレミアリーグ50試合出場を果たす。2019年1月12日の第22節アーセナルFC戦ではプレミアリーグでの初ゴールを記録。アンフィールドでの悪夢を糧に、対人守備の強さに加えてパス精度と判断力の面で急速に成長し、気が付けば中盤に欠かせないキープレイヤーになっていた。のポテンシャルの高さもあってシーズン終了後にはレアル・マドリードが興味を示すなど、案の定強豪からの関心を集める。
デイヴィッド・モイーズが監督に復帰した2019-20シーズンも引き続きアンカーとしてプレーする。前年以上にチームが苦戦を強いられるなか、タックルとインターセプトの数の両方でプレミアリーグトップ5の成績を収め、ウェストハムではこの両カテゴリーに加え、パスの数でも同チーム内での最多数を記録。もはやプレミアリーグでもトップクラブのCMFにまで成長を遂げ、リーグ戦全38試合にフル出場。このシーズンの「ハマー・オブ・ザ・イヤー」に選出されている。
2020-21シーズンのウェストハムは、新加入のジェシー・リンガードの活躍もあってチームは躍進。中盤の底でのボール奪取とチームの代名詞でもあるクイックなカウンターの起点となる縦パスの配球役として自身もおおいに存在感を見せる。2021年2月25日のシェフィールド・ユナイテッド戦ではPKを決め、シーズン初ゴールを記録。4月の代表戦で靭帯損傷によって4週間の離脱を強いられ、前年から続いていた連続フル出場記録が途絶えたものの、チームの6位入りでのUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献する。
2021-22シーズンはヨーロッパでの舞台でデビューを果たし、初戦となった2021年9月21日のELディナモ・ザグレブ戦で後半に初ゴールを決める。その後もチームはELのグループステージを首位で通過し、決勝トーナメントでもセビージャFC、オリンピック・リヨンといった強豪クラブを打倒してベスト4まで進出する。プレミアリーグでも7位と好成績を残し、充実したシーズンを送る。夏には毎年の恒例となったビッグクラブへの移籍話が浮上するが、ウェストハムに残留することを決意する。
2022-23シーズンは現役を引退したマーク・ノーブルからチームのキャプテンを引き継ぐことになる。2022年10月16日のサウサンプトン戦では、後半19分に22ヤードの距離からのロングシュートを決める。名実ともにハマーズのリーダーとなったライスは、過密日程に苦しむチームを獅子奮迅のプレーで牽引。2023年4月20日のUEFAヨーロッパカンファレンスリーグ準々決勝第2戦では、自陣からボールを60mほど独力で持ち運びPA内に侵入すると、最後は冷静にゴールを決める。このゴールはデイリー・テレグラフ紙から「おそらくライスのキャリアの中で傑出したシュート」と評される。ECLでは決勝でもフィオレンティーナを破り、クラブにとって1965年以来となる欧州の主要タイトルを獲得。主将として優勝に貢献したことが評価され、ECL最優秀選手に選出される。さらに二度目となるハマー・オブ・ザ・イヤーにも選出。クラブにタイトルをもたらしたことで、ライスはついに新たな挑戦へと旅立つのだった。
アーセナル
2023年7月25日、プレミアリーグの強豪アーセナルFCと長期契約を結び、完全移籍することが発表される。移籍金はジャック・グリーリッシュがマンチェスター・シティに移籍したときを超えるイングランド人選手の歴代最高額となる1億ポンド+ボーナス500万ポンドとされている。
開幕から早速レギュラーを獲得すると、9月3日のプレミアリーグ第4節マンチェスター・ユナイテッド戦では試合終了間際に劇的な逆転ゴールとなる移籍後初ゴールを決める。アーセナルでは前半戦はアンカーでの出場が多かったが、後半戦になると一列前に上がったインサイドハーフでの起用が増え、ウェストハム時代よりも攻撃面での貢献が目立つようになる。2024年2月11日の第24節では古巣であるウェストハム戦に出場。この試合ではプレスキックで2点をアシストし、チームの6点目を決める大活躍によって古巣をクラブワーストクラスの大敗に追い込むことになる。優勝争いが佳境に入った4月23日のチェルシー戦、4月28日のトッテナム戦、5月4日のボーンマス戦と3試合連続アシストを記録。あと一歩でリーグ優勝を逃したが、プレミアリーグ全試合に出場し、キャリアハイとなる7ゴール8アシストというMVP級の活躍を見せた。
このシーズンにUEFAチャンピオンズリーグデビューを果たし、決勝トーナメントに進出。
アイルランド代表
ロンドン出身だが、祖父母がアイルランド出身だった関係でユース年代ではアイルランド代表としてプレー。2015年にU-15代表に選出して以降、U-19代表、U-21代表と中心選手となっていたが、いずれの年代の欧州選手権でも予選で敗退している。
2018年3月にはフル代表に選出され、3月23日のトルコとの親善試合で19歳にしてデビューする。その後Aマッチ3試合に出場しているが、8月にライスがイングランド代表への転向を考えているという話が浮上したことにより、マーティン・オニール監督によって代表から外される。
イングランド代表
2018年12月、イングランド代表への転向を正式に宣言。2019年3月にイングランド代表への初招集を受ける。当然、アイルランド国民は鞍替えに激怒し、脅迫を受ける事態にまで発展する。それでも本人の決断に迷いはなく、3月29日ウェンブリー・スタジアムでのEURO2020予選チェコ戦でイングランド代表デビューを果たす。その後も代表の常連メンバーとして定着するようになり、2020年11月18日のUEFAネーションズリーグのアイスランド戦で代表初ゴールを決めている。
2021年6月開催となったEURO2020のメンバーにも選出。この頃には代表でCMFのレギュラーを掴んでおり、カルウィン・フィリップスやチェルシー下部組織時代からも親友メイソン・マウントと共にイングランドの中盤を支える。大会では全7試合にスタメンとして出場し、決勝のイタリア戦で惜しくも敗れて準優勝とはなったが、初の国際試合で評価を高めることとなった。
2022年11月に開催された2022 FIFAワールドカップ カタール大会のメンバーにも順当に選出され、ジュード・ベリンガムとコンビを組み、5試合全てにスタメンで出場。チームは準々決勝のフランス戦で敗れたが、パス数やパスカット、デュエルなど多くのスタッツで上位に名を連ねる活躍を見せている。
2024年3月27日のベルギーとの親善試合では、ハリー・ケインが欠場したことによって初めて代表のキャプテンを任されている。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2016-17 | ウェストハム | プレミアリーグ | 1 | 0 | |
2017-18 | ウェストハム | プレミアリーグ | 26 | 0 | |
2018-19 | ウェストハム | プレミアリーグ | 34 | 2 | |
2019-20 | ウェストハム | プレミアリーグ | 38 | 1 | |
2020-21 | ウェストハム | プレミアリーグ | 32 | 2 | |
2021-22 | ウェストハム | プレミアリーグ | 36 | 1 | |
2022-23 | ウェストハム | プレミアリーグ | 37 | 4 | |
2023-24 | アーセナル | プレミアリーグ | 38 | 7 |
個人タイトル
プレースタイル
プロとしてデビューした当初はセンターバックとしてプレーしていたが、2018-19シーズン以降はセントラル・ミッドフィルダーがメインポジションとなっている。アンカーでも一列前のインサイドハーフでもプレー可能。中盤でのボリバレント性が大きな特徴であり、アンカーとして出場しながらもインサイドハーフやトップ下のプレーもこなせる貴重な存在となっている。
長いストライドを活かした7、8mでの加速力やコンタクトスキル、そして何より守備の戦術理解度が高い。パスカットや対人守備、DFラインへのカバーなど守備的MFに求められる技術レベルが高く、危機察知能力と判断の良さで危機を未然に防ぐ。守備範囲は広く、広大なスペースを管理するというよりは前に出ていき、人を捕まえにいく守備を好むタイプ。広大なスペースを守る局面になっても、アスリート能力の高さによって剥がされずに対応できてしまう。
攻撃面では、長短おりまぜたパスでゲームを巧みにコントロール。チームで指揮者のように振る舞うことができ、長短織り交ぜたパスでゲームメイクする。さらにライン間でもプレーすることができ、アーセナルに移籍してからはゴールに直結するようなアシストが増えている。攻撃のレパートリーは年々増えており、自分でドリブルで運んでチャンスメイクや自らシュートまで持ち込むパターンも選択肢に入っている。
キックの質も高く、アーセナルに移籍して以降はプレスキックで味方に合わせるボールを得意にしており、かつてのデイヴィッド・ベッカムを彷彿とさせるようなピンポイントのクロスを披露することもある。キックの球威も落ちずに強いボールで回転がかかっているまま目的地へ到達するため、GKやDFは処理しづらく、味方は合わせやすい。
弱点はボールを触りたがるあまりに列を移動し過ぎて、味方のポジションを詰まらせてしまうときがあること。特にアンカーで起用されたときにビルドアップの場面で顕著に見られ、一時期アーセナルがビルドアップに苦しむ要因になっていた。守備の場面でも、頑張り過ぎて前に出過ぎてしまい、一発で裏のスペースを狙われるときがある。
人物・エピソード
- メイソン・マウントとはチェルシーの下部組織時代からの親友であり、チェルシーから放出されてしばらく離れ離れになっていたが、イングランド代表で共にプレーするようになった。
- 憧れの選手であるジョン・テリーとは、偶然街で出会ったことから交流を持つようになり、チェルシーから放出されてショックを受けたときにテリーから電話をもらい、彼に激励されたことでウェストハムで奮起することができた。
- ウェストハム時代からずっと背番号41を付けている理由について、ウェストハムに入ったときにあるキットマンが41番をくれて、それ以降気に入って愛用しているとのこと。
- 米国のプロレス団体WWEのファンであり、子供の頃はランディ・オートンがお気に入りだった。
関連項目
親記事
子記事
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兄弟記事
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