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デニスベルカンプ
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デニス・ベルカンプDennis Bergkamp, 1969年5月10日 - )とは、オランダ出身の元サッカー選手である。元サッカーオランダ代表

現役時代のポジションはFW、MF(攻撃的MF)。183cm81kg。利き足は右足。

愛称大先生アイスマン

概要

オランダ・アムステルダム出身。アヤックスの最高傑作とも称されるほどテクニックと判断に優れ、知性と創造力あふれるプレー世界ファンを魅了した。特に芸術的トラップ技術の見事さで知られる。飛行機嫌いとしても有名で、例えば1994 FIFAワールドカップの際にはアメリカへ渡った。

12歳からアヤックス・アムステルダムユースに所属し、1987年17歳トップチームデビュー1990-91シーズンから3年連続でエールディヴィジ得点王を獲得している。1993年インテル・ミラノに移籍するもあまり活躍はできなかったが、1995年アーセナルに移籍すると、アーセン・ヴェンゲル監督の下できを取り戻す。イアンライトティエリ・アンリらとコンビを組み多くのゴールを生み出す。2003-04シーズンアーセナル伝説優勝に大きく貢献した「インヴィンシブルズ」のメンバーである。

サッカーオランダ代表には1990年デビューし、1994年1998年FIFAワールドカップに出場。特に1998 FIFAワールドカップ準々決勝のアルゼンチン戦での芸術的トラップからの決勝ゴールは、今も伝説として語り継がれる。EURO 2000準決勝でイタリア戦に敗れた後、代表からの引退を表明した。

2007年イングランドサッカー殿堂に選ばれ、FIFA最優秀選手賞3位を2度獲得している。

経歴

生い立ち

1969年5月10日首都アムステルダムに4人兄弟の末っ子として誕生。電気工の父親は地元のアマチュアクラブに所属するほどのサッカーファンで、「デニス」というファーストネームマンチェスター・ユナイテッドスター選手、デニス・ローあやかって付けられた。

歩けるようになった頃からすでにボールで遊んでいたが、家族によってローマカトリック教徒として育てられ、子供の頃は定期的教会に通っていた。7歳のときから父親が所属するゴーゼンミッデンメールジュニアチームに加入。幼くして試合で才の片鱗を見せるようになり、くもその姿が名門アヤックス・アムスデルダムに止まる。

11歳となった1981年アヤックスアカデミーに入団。トータルフットボールの流れをアヤックスシステム教育を受け、さらに才を伸ばしていく。当時、憧れだった選手はオランダ英雄であるヨハン・クライフトッテナム・ホットスパーグレン・ホドルだった。

アヤックス

1986年、前年にアヤックス・アムステルダム監督に就任したクラブレジェンドヨハン・クライフジュニアチーム練習でベルカンプの資質にを付け、トップチームに引き上げる。そして、1986年12月14日ローJC戦でプロデビューを果たす。その後もクライフ監督によって定期的に出場機会を与えられると、1987年2月22日のHFCハーレム戦でエールディヴィジゴール記録。1986-87シーズンUEFAカップウィナーズカップアヤックスは決勝に進出すると、ロコティフ・ライプツィヒとの決勝では後半21分から出場し、ピッチ上で優勝を経験する。

1987-88シーズンエースマルコ・ファン・バステンACミランに移籍したことでその後継者に名され、レギュラーとして試合に出場するようになる。ところが、シーズン途中にクライフ監督クラブとの対立から退団すると試合に出れなくなり、批判を受けるようになってしまう。まだ身体が華奢で内向的な性格だったのもあり、25試合5ゴールファン・バステンを埋めるには物足りない成績となった。

1988-89シーズンレオ・ベーンハッカー監督に就任すると再び力の座を取り戻す。初のリーグ戦二桁得点となる13ゴールマーク。1989-90シーズンにはアヤックスの5シーズンぶりのリーグ優勝に貢献する。

1990-91シーズンになると得点力が開するようになり、持ち前のテクニックスピードと合わせることでアタッカーとして完成されていった。当時のエールディヴィジPSVアイントホーフェン黄金期だったこともあってリーグタイトルには届かなかったものの、個人としては自己最多を大きく上回る25ゴール記録し、ロマーリオと並んで初のリーグ得点王にく。

1991-92シーズンの開幕直後にベーンハッカー監督が突如レアル・マドリード監督に就任してしまったことでルイス・ファン・ハール監督に就任。就任当初はチームの成績が振るわない中でエースとして堂々たる結果を残し、次第にチームファン・ハール監督哲学を理解するようになる。エールディヴィジでは30試合24ゴール記録し、2年連続でリーグ得点王となる。また、UEFAカップでは決勝でトリノFCを下してタイトルを獲得。優勝を決めた試合風邪で欠場したものの、6ゴール2アシストの活躍で優勝の立役者となり、オランダ最優秀選手に選出される。

1992-93シーズンでもエースとしてゴールを量産。アヤックス時代のベルカンプは表情一つ変えることなく冷静かつ正確にゴールを撃ち抜くゴールマシーンであり、この頃から「アイスマン」という異名が定着するようになる。このシーズンも26ゴールを挙げて3季連続得点王にき、KNVBベーカー制覇のタイトルを加え、前年に続くオランダ最優秀選手賞を受賞。欧州の点取り屋となった彼のもとには、当時世界最高峰リーグセリエAから幾多のオファーが舞い込む。

インテル

1993-94シーズンより、イタリアセリエAの名門インテル・ミラノに移籍金20億円という当時としては高額の取引で移籍。第3節のクレモネーゼ戦で移籍後初ゴールを決めるが、2トップを組むルベン・ソサとプレースタイルプレーエリアが被ったことで相性が悪く、アヤックス時代のきを放てないまま31試合8ゴールと期待を裏切る成績に終わる。の時代に差し掛かったインテルは13位と低迷したことで戦犯として批判を受ける。一方、UEFAカップではFCラピド・ブカレストでのハットトリックを含む11試合8ゴールを決める活躍で優勝の原動力となった。

2年となった1994-95シーズンでは開幕戦のトリノ戦でゴールを決める好スタートを切ったが、その後はプレースタイルをオッタヴィオ・ビアンキ監督に理解してもらえないジレンマに苦しみ、次第にベンチを温めるようになる。結局21試合2ゴールと前年すら大きく下回る結果に終わり、「史上最高額のガラクタ」の汚名が着せられたままイタリアでの挑戦は失敗に終わる。

アーセナル

1995年6月イングランドプレミアリーグアーセナルへの移籍が決定。加入当初こそイギリスの異なる文化サッカースタイルに戸惑い、適応に苦しみ、開幕から6試合連続ノーゴールに終わったことでメディアからくも失格の烙印を押されてしまう。ところが、1995年9月23日第7節サウサンプトンFCプレミアリーグゴールを含む2ゴールの活躍を見せると状況が一変。そのスキルの高さと多シュートは、古い退屈なサッカーが続いていたアーセナルの中で異を放ち、ロンドンサポーターを魅了。移籍1年で33試合11ゴールインテル時代の汚名を払しょくする活躍を見せ、シーズン終戦ボルトン・ワンダラーズ戦で決勝点を挙げ、アーセナルの5位入賞とUEFAカップ出場権獲得に貢献する。

1996-97シーズンの開幕直後、名古屋グランパスエイト監督だったアーセン・ヴェンゲルアーセナル監督に就任。ヴェンゲル監督はベルカンプの悩みの種だったロッカールームでの飲文化を一掃。さらに底した栄養管理や科学トレーニングの導入を行い、ピッチでは攻撃的かつ柔軟な戦術をチームに浸透させ、クラブの改革に邁進。そしてベルカンプの才を高く評価し、生まれ変わったチームの攻撃の中心として考えるようになる。麗な身のこなしで得点を狙いながら、高いスキルとイマジネーションを発揮してゲームを組み立てる新たな力を引き出され、チーム内で絶大な力を持つ選手となる。1996年11月トッテナム・ホットスパーとのノースロンドンダービーでは、左足でハイボールコントロールし、狭いエリアでマーカーをかわしてのゴールを決める。チームは3位となりUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得し、12ゴール13アシストと攻撃の核として十分な働きを見せる。

ヴェンゲル体制2年となった1997-98シーズンは、1997年8月23日プレミアリーグ開幕戦レスター・シティ戦でアーセナル移籍後初となるハットトリック記録する最高のスタートを切る。特にこの試合の3ゴール麗なボールタッチでDF二人のマークを外す、本人もお気に入りという芸術的ゴールだった。「フェイマス4」と呼ばれた強固な守備とベルカンプを中心とした麗なパスワーク武器にした圧倒的な攻撃力を誇るチームへと生まれ変わったアーセナルマンチェスター・ユナイテッドリーグ3連覇を阻止し、プレミアリーグ発足後初となる優勝を達成。さらにFAカップも制覇し、内二冠を達成。シーズン終盤戦をハムストリングの負傷で欠場したものの、リーグ戦28試合16ゴール公式戦40試合22ゴールの大活躍で二冠獲得の立役者となり、1998年のPFA年間最優秀選手賞とFWA年間最優秀選手賞をダブル受賞し、このシーズン役となった。

1998-99シーズンも好調を維持し、シーズン終戦マンチェスター・ユナイテッドに敗れプレミアリーグタイトル防衛は果たせなかったが、公式戦全体でチームトップの16ゴールを挙げると共に、13アシスト記録ジミー・フロイドハッセバインクと並んでプレミアリーグ最多アシスト選手としてシーズンを終える。一方、FAカップでは1999年4月の準決勝再試合マンチェスター・ユナイテッド戦では絶好のチャンスで得たPKをピーター・シュマイケルセーブされてしまい、敗因となってしまう。この出来事にショックを受けたベルカンプはその後のキャリアでPKを蹴ることはなかった。

1999-00シーズンは本人にとってもアーセナルにとってもいいシーズンを過ごしたとはいえず、チームマンチェスター・ユナイテッドに勝ち点18差でリーグ2位に終わり、UEFAカップでは決勝まで進出しながらガラタサライPK戦で敗れている。

2000-01シーズンは新戦力としてティエリ・アンリシルヴィアン・ヴィルトールが加入したことでスタメンとして出場する機会が減り、去就問題も噂されるようになるが、2000年12月クラブとの契約を2年延長している。しかし、プレミアリーグでは25試合3ゴールに終わり、準優勝となったFAカップ決勝のリヴァプールFC戦では試合終盤の投入となった。

2001-02シーズンは燻っていたここ2シーズンから復活を果たし、再び脚を浴びるようになる。フィニッシャーとしての役割はアンリに任せるようになったが、ロベール・ピレス、フレドリックユングベリと好連携を築き、多くのチャンスを生み出していく。2001年12月4日CL2次リーグユヴェントス戦では、2人のマーカーを背負いながらも身体を反転させて絶妙なパスを送り、ユングベリゴールアシストしている。2002年1月27日FAカップ4回戦リヴァプール戦では危険なタックルで退場となり3試合の出場停止処分を受けることもあったが、復帰戦となった3月3日プレミアリーグニューカッスル・ユナイテッド戦で、ピレスからのパスをDFを背負いながら右のスペースボールを浮かせ、左逆方向に反転して一マークを剥がしながらボールを収め、右脚でシュートを決める、ベルカンプの神髄ともいえる芸術的ゴールを決める。このゴールはのちにプレミア10周年の「グレーテスト・ゴール」に選ばれた伝説ゴールとなっている。ニューカッスル戦の勝利で勢いづいたアーセナルは、マンチェスター・ユナイテッドの本拠地オールド・トラフォードリーグ優勝を決め、FAカップとのシーズンダブルを達成。リーグ戦33試合に出場し15アシスト記録し、ピレスと共にアンリ得点王獲得にも大きく貢献した。

2002-03シーズンは、2003年1月4日FAカップ3回戦オックスフォードユナテッド戦でアーセナルでの100ゴール記録プレミアリーグではマンチェスター・ユナイテッド逆転を許し、リーグ連覇を果たせなかった。一方、FAカップでは決勝でサウサンプトンを下し、連覇を果たしている。

2003-04シーズンアーセナルにとってもベルカンプにとっても生涯忘れられない伝説シーズンとなった。これまで通り、エースアンリサポート役にしながら抜群のコンビネーションを発揮し、多くのゴールを生み出していく。少し引き気味にプレーしながら中盤と前線連結し、自らもゴール前では絶妙のボールタッチで、得点アシストの両面で活躍。このとき34歳とベテランに差し掛かっていたが、守備の局面でも奔走するなどきは色あせていなかった。最終的にこのシーズンアーセナル2004年4月に開催されたトッテナム・ホットスパーFCとのノースロンドンダービー引き分けたことで38戦26勝12分での1889年のプレストン以来となる優勝を達成。この優勝を達成したチームは「インヴィンシブルズ」として後世まで語り継がれる伝説チームとして称えられ、アーセナル攻撃サッカーの要となり、シーズン敗の快挙を支えた。

2004-05シーズンリーグ戦29試合に​​出場し、パトリック・ヴィエラが負傷離脱した際はキャプテンを務めたが、アーセナルタイトル防衛は失敗に終わる。FAカップではシェフィールドユナテッド戦で退場し、またもや3試合の出場停止処分を下されるが、2シーズンぶりの優勝を果たす。マンチェスター・ユナイテッドとの決勝後、アーセナルサポーターが「あと1年」と叫んだことに感動し、1年間の契約延長にサインする。

2005-06シーズンは37歳となったこともあり、試合への出場は限定的になるが、出場したときは随所に高いテクニックを披露していた。2006年4月5日のWBA戦はサポーターの働きかけもあって「ベルカンプ・デー」として開催され、途中出場から1ゴール1アシストの活躍で勝利に貢献。そしてこれが公式戦での最後のゴールとなった。イングランドで数々の栄を掴んだ彼にとって残された最後のタイトルビッグイヤーとなったが、アーセナルCL決勝に進出。しかし、決勝ではFCバルセロナ逆転負けを喫して準優勝に終わり、自身の出場機会は訪れなかった。そしてこのシーズンを最後に現役を引退

オランダ代表

1989年U-21オランダ代表に選出され、1990年9月26日イタリアとの試合で19歳でのオランダ代表デビューを果たす。11月21日EURO1992予選のギリシャ戦において代表初ゴール記録12月9日マルタ戦で2ゴールを挙げ、同予選において代表に定着し、チームトップとなる3ゴールを決めている。

1992年6月スウェーデンで開催されたEURO1992のメンバーに選出。グループリーグ初戦のスコットランド戦では決勝ゴールを決め、々しい際大会デビューを飾る。準決勝のデンマーク戦では同点ゴールを決めるが、チームPK戦で敗れ、大会連覇を逃す。それでもチームトップとなる3ゴール記録し、大会のベストイレブンにも選出されている。

1992年9月からの1994 FIFAワールドカップでは怪で長期離脱となったマルコ・ファン・バステン、ディック・アドフォカート監督との対立で代表入りを拒否したルート・フリットに代わってチームエース名されるが、5ゴールを決める活躍で彼らのを埋める以上の働きを見せ、本大会出場に貢献。

1994年6月アメリカで開催された1994 FIFAワールドカップ背番号10を背負って出場。1勝1敗で迎えたグループリーグ第3戦のモロッコ戦で前半43分にワールドカップゴールとなる先制ゴールを決める。同点に追いつかれた後はブライアンロイの決勝ゴールアシストチームを首位通過に導き、エースとしての重責を果たす。ラウンド16のアイルランド戦でも先制ゴールを決め、勝利に貢献。準々決勝では強ブラジルとの対戦となり、ロマーリオベベットの強力2トップゴールで2点のビハインドを背負った直後に反撃の狼煙となる3試合連続でのゴールを決める。その後一度は同点に追いついたオランダだったが、ブランコのFKの前に敗退。それでも5試合3ゴールを残した。

1996年6月イングランドで開催されたEURO1996では、グループリーグ第2戦のスイス戦で1ゴールを決めるが、内紛が勃発したチームで実力を出し切れず、ベスト8で敗退。その後、フース・ヒディンク監督が就任すると1995年欧州制覇を果たしたアヤックスの若い選手たちがチームの中心となるが、1998 FIFAワールドカップ欧州予選では1996年11月9日ウェールズ戦で代表では初のハットトリックを達成するなど、チーム最多の7ゴールと攻撃を牽引。

1998年6月フランスで開催された1998 FIFAワールドカップに出場。大会では10番をクラレンス・セードルフに譲って8番を付けることとなった。初戦は怪のためスタメンを外れたが、第2戦のメキシコ戦では2試合出場停止となったパトリッククライファートに代わってCFとして出場。第3戦の韓国戦でゴールを決め、5-0の大勝に貢献する。ラウンド16のユーゴスラビア戦では先制ゴールを決める。準々決勝のアルゼンチン戦からはアーセナルと同じく下がりの位置でCFクライファートをサポートする役割となる。1-1の同点で迎えた試合終了間際、背後からのロングパスを芸術的トラップコントロールすると、ロベルト・アジャラマークを外してからの右足ボレーシュートを決め、劇的な勝利をもたらす。このゴールはベルカンプのキャリアハイライトともいえる有名なゴールとして語りになっている。準決勝のブラジル戦は高い屈名勝負となったが、PK戦の末に敗北。とはいえ、チームトップの3ゴールと大会最多タイとなる3アシスト記録し、数々の美しいプレーで大会をり、大会のオールスターチームに選出される。

2000年6月、自開催となったEURO2000に出場。再び10番を付けての大会ではトップ下が戦場となり、引き続き攻撃の中核を担う。グループリーグ第3戦ではワールドカップ王者のフランスと対戦し、クライファートの決勝ゴールアシスト。準々決勝のユーゴスラビア戦では2アシスト記録優勝補と見られたオランダは準決勝で10人となったイタリアを崩せず、PK戦で敗れる。6試合全てにスタメンで出場し、大会を通してノーゴールに終わったものの3アシスト記録存在感を見せた。大会終了後、31歳でのオランダ代表からの引退を表明。

オランダ代表通算79試合37ゴール

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
1986-87 アヤックス エールディヴィジ 14 2
1987-88 アヤックス エールディヴィジ 25 5
1988-89 アヤックス エールディヴィジ 30 13
1989-90 アヤックス エールディヴィジ 25 8
1990-91 アヤックス エールディヴィジ 33 25
1991-92 アヤックス エールディヴィジ 30 24
1992-93 アヤックス エールディヴィジ 28 26
1993-94 インテル セリエA 31 8
1994-95 インテル セリエA 21 3
1995-96 アーセナル プレミアリーグ 33 11
1996-97 アーセナル プレミアリーグ 29 12
1997-98 アーセナル プレミアリーグ 28 16
1998-99 アーセナル プレミアリーグ 29 12
1999-00 アーセナル プレミアリーグ 28 6
2000-01 アーセナル プレミアリーグ 25 3
2001-02 アーセナル プレミアリーグ 33 9
2002-03 アーセナル プレミアリーグ 29 4
2003-04 アーセナル プレミアリーグ 28 4
2004-05 アーセナル プレミアリーグ 29 8
2005-06 アーセナル プレミアリーグ 24 2

個人タイトル

引退後

現役引退直後の2006年7月22日アーセナルの新スタジアム「エミレーツ・スタジアム」のこけら落としとしてアーセナルvsアヤックス引退試合が開催。前半は両チーム現在の選手が出場し、後半は両チームのOBが出場する形式となった。ヨハン・クライフマルコ・ファン・バステンは当初スタンドから観戦していたが、後半から当時のアヤックスユニフォーム姿で実際にピッチに立ち、ベルカンプとプレイしている。

2008年より古巣であるアヤックスに復帰し、コーチンライセンス取得をして導者としてのを歩み始める。

2011年8月フランク・デ・ブー監督の下でアヤックスアシスタントコーチに就任。クラブスポーツ面の方針を決定するテクニカルハートメンバーにもなる。

2016年ピーターボス監督が就任してからはトップチームベンチに座らなくなり、フィールドトレーニングユース選手のトップチーム昇格支援に重点を置くようになる。

2017年マルセルカイザー監督に就任してからも役割に変化はかったが、前半のアヤックスが不安定だったことから前監督と衝突し、カイザー監督招へいを推奨したと報じられたことで(本人は否定)試合のたびにサポーターからブーイングを浴びせられることになる。12月11日、成績不振を理由に解任となる。もっとも本当の理由はクラブ上層部との確執だったと言われている。

プレースタイル

若い頃はセンターフォワードとしてプレーしていたが、もっとも適性の高いポジションセカンドトップないしトップ下とされている。卓越したボールコントロール創造性が特徴であり、DFを背負った状態での麗なトラップから、相手を翻弄するようなターン、そして正確なシュートやパスを繰り出すことを得意としていた。彼のプレースタイルヨハン・クライフマルコ・ファン・バステンの中間とも言われている。

最大の魅力は、二のイマジネーションあふれるプレーであり、それを生み出していたのが神業とも言われた芸術的ボールコントロール変態的とも言われたトラップ技術である。ボールが足に吸い付くようなトラップ技術は彼の代名詞であり、観客を魅了した。また、DFを背負った状態から相手をかわすテクニックは「ベルカンプターン」と呼ばれた。さらには走りながらでも40~50mの距離を飛んできたボールを思ったところに止められるし、中のボールですら正確に止めることができる。

相手の意表を突くようなプレーを冷静に繰り出し、特にゴール前での判断力は際立っており、多くのゴールを決めるだけでなく、ラストパスの名手としても知られ、チーム得点機会を多く作り出していた。

恵まれた体格の持ちであるが、フィジカルではなく圧倒的な技術力による質的優位で相手をねじせるのが頂の選手であり、止める、蹴る、運ぶの力だけで十分脅威となった。ただインテル時代のように彼のプレースタイル理解できない監督も少なくなく、そういった監督にとって扱いづらい選手だった。

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デニス・ベルカンプ

1 ななしのよっしん
2009/03/12(木) 23:47:35 ID: 9OowY9GpAc
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2 ななしのよっしん
2009/04/04(土) 02:02:43 ID: +BIO06OIdj
ベルカンプ半端ないって~!もぉ~・・・
アイツ半端ないって!!後ろ向きのボールめっちゃトラップするもん!!
そんなん出来ひんやん普通・・・
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3 ななしのよっしん
2009/04/29(水) 08:10:27 ID: rhnjOjCoDo
先生変態プレーの宝庫だなぁ
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4 ななしのよっしん
2010/06/24(木) 20:45:25 ID: C2bil5Alff
漫画でしかできないと思われた「サンターナターン」を実際にやった人
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5 ななしのよっしん
2014/02/24(月) 17:49:42 ID: OakctXddrI
エミレーツに像が建ったので記念カキコ
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6 ななしのよっしん
2018/04/03(火) 02:20:31 ID: xgKepU51Lm
結局なんで先生って愛称なの?
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