デビッド・クルサードとはイギリス、スコットランド出身の元F1ドライバーの事である。
先生の概要
デビッド・マーシャル・クルサード(David Marshall Coulthard, 1971年3月27日 - )は2008年のブラジルグランプリをもって現役を引退した、元F1レーシングドライバーである。ペヤング先生とも呼ばれている。
経歴
1971年、イギリス・スコットランドのトゥインホルムにて生まれる。現在はモナコ・モンテカルロに在住。
イギリスF3から国際F3000(2021年現在のF2と同種のカテゴリー)と戦績を重ねて行く。
その過程でベネトン(2021年現在のアルピーヌF1チーム)・ウィリアムズでのテストドライブを経験。
1994年、故アイルトン・セナの代役としてスペイングランプリでウィリアムズ・ルノーよりF1デビュー、(この年は途中参戦後4戦ほど彼に代わり、ナイジェル・マンセルが出走、フル参戦デビューは翌年の1995年からである)その後、1996年よりマクラーレン・メルセデスに移籍する。
1998年のベルギーGPではスタート直後の自らのスピンにより、レース史に残る大多重クラッシュの原因を作ってしまう。湯切り大失敗。なお、幸いなことに死者や重傷者は出なかった。
2001年にはドライバーズランキング最高位の2位を獲得する(1位はミハエル・シューマッハ)
2005年からはレッドブル・レーシングに移籍、そして2008年のイギリスGP開幕前日にF1からの現役引退を発表。
そして引退レースとなったブラジルGPはチャリティの為の特別カラーリングマシンで出走。
しかしスタートから10秒で他者と接触してリタイア。最後も湯切り失敗という先生らしい最後であった。
引退後はレッドブル・レーシングの相談役(レッドブル系2チームのリザーブ兼任)に。また、2009年度から復活する英国BBCのF1中継のコメンテーターにも就任した。
引退後
レッドブル・レーシングとスクーデリア・トロ・ロッソにアドバイザー兼テストドライバーとして残留。
2009年はリザーブドライバーにブレンドン・ハートレイが予定されていたが、スーパーライセンスの発給が遅れ開幕2戦はクルサードがリザーブドライバーとして登録された。
2009年秋、大阪城、埼玉、神宮球場で行われたデモランで先生は大忙しでした!
2010年も、中国GPにおいてリザーブドライバーを務めることが発表され。さらに、ドイツツーリングカー選手権に参戦することも決定している。
日本でも行われている「Red Bull Showrun」では、ドライバーとして参加することも多い。
通算成績
出走回数 | 247戦 |
優勝回数 | 13回 |
通算獲得ポイント | 535ポイント |
表彰台 | 62回 |
ポールポジション | 12回 |
ファステストラップ | 18回 |
デビュー戦 | 1994年スペイングランプリ |
初優勝 | 1995年ポルトガルグランプリ |
その他
日本でも人気のあるドライバーで、DCやデビクル等の愛称がある。顔が四角いのが特徴。
なおニコニコ動画・2ちゃんねるなどでも、非常に人気のあるドライバーで「ペヤング」や「先生」もしくは「■」と表記され親しまれている。
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注・・・組曲『デビッド・クルサード』の最後に上記に記載した「クルサード号」の画像が出ております。
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関連項目
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