デロリアン(De Lorean)とはかつてアメリカに存在した自動車メーカーを指す。また、同社で生産された「DMC-12」を指す事もある。
ここでは創業者としてのデロリアンには「デロリアン氏」、法人のデロリアンは「デロリアン社」、自動車としてのデロリアンは「DMC-12」と表記する。
由来と創業者について
社名の由来は創業者であるジョン・ザッカリー・デロリアン(1925年-2005年)である。
氏の自動車業界のスタートは今は無きパッカード社であり、まもなくゼネラルモーターズに移籍。その後、ポンティアックGTOやファイヤーバード、グランプリなどの名だたる名車の設計を担当、またシボレーでもアメ車としては異例なほどにコンパクトなベガを設計し、それらは悉く大当たりを収め、GM内でも異例の出世街道をひた走り、40歳でその当時の最年少となる部長職に就任する辣腕ぶりを誇った。
一方でGM内部には彼を快く思わない幹部連中も多かった。元々巨大組織であったGMは非常に官僚的かつ保守的な組織でもあった。そんな中でデロリアン氏は型破りな人物であり、幹部連中はスーツが基本であるが、長いもみあげにボタン外しのシャツと言う具合にかなりラフな格好であった。また、数多くのパーティなどに参加し、多くのセレブリティと交友を深めていった。こうした行動について保守的な幹部がいい顔をするはずがなく、彼の意見具申、それがメリットになろう事であろうと黙殺を続けると言う具合に幾度となく社内抗争があったとされる。
こうした中で1972年にGMの副社長に就任、いよいよ社長も間近か?と言われた矢先、彼はGMを去る事となった。社内抗争の末に敗れたとも言われているが、彼の理想とする車はGMでは作れない、ならば自分で車を作ると言う事で1975年にデロリアン社を創立。1981年に待望の「理想の車」である「DMC-12」が完成した。なお、この間に彼は内部告発本でもある「晴れた日にはGMが見える」という本のインタビューを受けている。但し、この本は本人未承認であり、分け前をもらっていないとされている。
「DMC-12」は初年度の発注もまずまずの数であり、これからという時に大量キャンセルが発生し、一気に販売不振に陥った。さらに工場のある北アイルランドへの補助金打ち切りと言う具合に弱り目に祟り目が重なった。止めを刺したのがデロリアン氏の麻薬売買に関する容疑での逮捕。これによりデロリアン社は倒産となった。
最終的にはデロリアン氏の容疑は一種のでっち上げと言う事で無罪であったが、この裁判沙汰で評判がガタ落ちとなり失意のまま自動車業界を去る事となった。しかし、完全にその情熱が潰えたというわけではなく、むしろ晩年は一度は崩壊した自身の会社を再興しようという程であった。
しかし、その夢がかなう事は無く2005年に80歳で波乱万丈に満ちた人生に幕を閉じる。彼は第二次世界大戦に従軍し、名誉除隊となっている事もあり、軍隊の儀礼に沿った形で葬儀が行われた。彼の墓石には「DMC-12」のガルウィングが描かれている。
DMC-12
デロリアン社が1981年に発売した自動車であり、デロリアン氏の「理想の車」である。基本的にデロリアンと言う場合はこの車を直接指す事が多い。
2ドアクーペであり、デザインはその手の大家であるジウジアーロが担当、技術設計はロータスが設計している。エンジンはプジョー・ルノー・ボルボが共同開発したV6エンジンを搭載している。2800ccで150psを発揮、可もなく不可もないエンジンではあるが、必要にして十分な性能を発揮する。エンジンはリアに配置され、RR方式となっている。この手の車としては車高が高く、これは灯火規制に関連するものであるとされている。
車体には特徴の一つであるステンレス製を採用している。技術設計を担当したロータス社はしばしばバックボーンフレームにFRP製のボディを採用する事が多かったが、この車はFRPではなくステンレスを採用した。ステンレスは電車でおなじみの素材であり、またアメリカではバスを中心に外装に採用されているが、乗用車ともなると後にも先にもデロリアンだけである。メンテナンスフリーで腐食に強く強度も高いが、強度が高い為に加工が難しく、また事故を起こすとその修繕には特殊な技能が必要である。
そしてもう一つの特徴であるガルウィングが採用されている。ガルウィングと言えばカウンタックなどが知られるが、この車のガルウィングは本来の意味でのガルウィングが採用されている(カウンタックの物はシザースドアが本来の名称)
前述した通り、業績悪化で1982年に生産中止となった。この間、4ドアモデルやターボモデルの構想があったが、いずれも実現しなかった。また、ボディシェルに純金を使用したモデルがあり、数台が存在していると言われる。
その情熱は生き続ける
僅か1年と言う生産期間ながら、デロリアン氏の波乱万丈の半生や悲劇的な倒産劇、後述するBTTFなどの影響で高い人気を誇っているのは周知の通りだが、デロリアンの修繕を行うStephen Wynne氏と言う人物が新生「デロリアン・モーターズ・カンパニー」を設立、デロリアンの部品や各種ライセンス商品の販売を行っている。なお、部品供給はほぼすべてのパーツで可能であり、パーツだけでDMC-12を1台丸々作れるとか何とか。
そしてアメリカ国内に製造工場を建設する計画がある。但し、現在の基準では衝突安全や排ガス規制の問題で公道を走る事は叶わず、もっぱら展示用などに供されると言われている。しかし、そんな中で電気自動車として販売する計画もあり、オリジナルよりも出力2倍というハイパワーを誇る。
デロリアン氏無き今も多くの人に愛され、そしてその情熱もまた人々の心に生き続けている。
バック・トゥ・ザ・フューチャー
デロリアンを一躍有名にした作品と言えば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を置いて他にはない。純正モデルではなくこちらをイメージする人も少なからずいると思われる。
元々はエメット・ブラウン博士(通称ドク)の愛車を改造したものであり、次元転移装置を起動したうえで時速88マイルまで加速することで目的の時代へのタイムトラベルを可能とする。タイムトラベルに必要な電力は1.21ジゴワットだが、走行用のエンジンはオリジナルの車両のものがそのまま用いられている。
シフトレバーの後ろに設けられた次元転移装置の起動レバーがドライバーの腕に接触して誤作動しやすく、有り体に言えばBTTFのストーリーの原因はこの欠陥のせいとも言える。
以下に作中での変遷を挙げる。
BTTF
開発直後のバージョン。この時点ではタイムトラベルに必要な電力を超小型の原子炉で賄っており、プルトニウムを装填しなければならなかった。また、タイムトラベル直後には車体全体がかなりの低温状態となる。
マーティの運転中、先述の誤操作により次元転移装置が期せずして作動し、1955年にタイムトラベルしてしまった際は帰りの核燃料が無かったことから、その代替として、十分に加速した状態で落雷を受けることで1985年への帰還を果たした。
BTTF2
BTTF1のラスト~2のOPまでの間に、未来でドクが改修を施したバージョン。
全ストーリー中で最も高性能なデロリアン。
主な変更点は『反重力(ホバー・コンバージョン)による飛行能力の獲得』と『次元転移装置の動力源の核融合炉(Mr.フュージョン)への変更』の二点。
いずれもタイムトラベルのハードルを下げるものであり、前者は初期バージョンではタイムトラベルに必須だった『時速88マイルまで加速するための距離』、即ち平坦な直線道路を不要とし、後者はプルトニウムに頼らずともそこら辺のゴミで次元転移装置を稼働させることを可能とした。ちなみにホバー・コンバージョンの動力源は走行用のガソリンエンジン。
また、このバージョン以降タイムトラベル直後に車体が極低温になることはなくなったが、ストーリー中盤以降次元転移装置が不調を示すようになる。
1と同様の誤操作をドクがやらかした所に落雷を受けたため、マーティを残して1955年から1885年へとタイムトラベルを行ってしまうが…。
BTTF3
紆余曲折を経て1955年の技術を用いて応急修理されたデロリアン。
2のラストで落雷を受けたことにより次元転移装置に使用していたマイクロチップ(日本製)が破損したため、真空管を用いて機能を復旧させた。ただしホバー・コンバージョンの復旧は不可能であったため、飛行能力は完全に失われる。
その後ドクを追って1885年へタイムトラベルを行うが、直後にインディアンと遭遇し燃料タンクを破損したうえ、その後の試行錯誤で燃料噴射装置が吹き飛んだために完全に自走能力を喪失し、自力での時速88マイルへの加速すら不可能となる。
代替手段として馬で牽くなど様々な手法が検討されたが、最終的には蒸気機関車で後ろから押す方法が取られた。
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