デヴィッド・ボウイ(David Bowie)とは、英国出身のミュージシャンである。
あらゆるジャンルを取り入れて活躍したマルチ・ミュージシャンとして知られる。
2000年、雑誌『New Musical Express』がミュージシャンを対象に行ったアンケートでは、「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」に選ばれた。
概要
1947年1月8日生まれ。本名はデヴィッド・ロバート・ジョーンズ(David Robert Hayward-Jones)。
ロンドン南部ブリクストンの出身。
とにかく色々やった人で、とてもここには書ききれない。細かい経歴はWikipediaを参照のこと。
最も有名なのは1972年から73年にかけてのグラムロックのスターとしての活躍であるが、その後もアメリカでジョージ・オーウェルの小説を元にアルバムを制作したり、ジョン・レノンとシングルを共作したり、フランク・シナトラに「オカマ野郎」と言われたり、薬物中毒に苛まれながら「ソウルのこもっていないソウル・ミュージック」を模索したり、その薬物中毒を治すために行ったベルリンで、ジャーマン・ロックを取り入れた実験的なアルバムを作成したり、帰ってきたと思ったら超ポップな曲を大ヒットさせて昔からのファンに疎まれたり、『戦場のメリークリスマス』に出てみたり、突然質素なバンドを組んでコケてみたり、猟奇殺人をテーマにしたダークなアルバムで再度切れ味を見せたり、とても年齢相応に見えない超絶イケメンな姿で来日したりした。これが2004年までのこと。
しかしその来日を含む世界ツアーの最中に心臓病を患い、残りの公演をキャンセルして緊急入院する。それ以来ボウイは創作活動に消極的になってしまい、2006年にデヴィッド・ギルモアやアリシア・キーズのライブにゲスト出演した以外、表立った活動をしなくなってしまった。
彼を知る多くの人物から「彼は音楽活動への関心を失っている」という証言が相次ぎこのまま引退かと囁かれていた中、2013年の66才の誕生日に突如新作『ザ・ネクスト・デイ』を3月に発売することを発表。『リアリティ』以来実に10年ぶり、通算30作目となるスタジオ・アルバムで復帰を果たす。
その後、ベスト・アルバム『ナッシング・ハズ・チェンジド』を発表するなど復帰は順調かと思われていたが、2016年1月10日に癌により死去した。享年69。2日前の誕生日にアルバム『★』(ブラックスター)を発表した矢先であった。
日本との関係
ボウイを語る上で外せないのが日本文化への傾向である。ボウイは60年代にロンドンで舞踏家のリンゼイ・ケンプからレッスンを受けており、そこで彼から歌舞伎や能などの文化を教わったことがきっかけとされる。
そのため日本が高度経済成長を迎えたばかりで大規模な音楽市場とは言えなかった70年代当時から、表現にあらゆる日本文化の要素を取り入れていた。
とりわけ『ジギー・スターダスト』や『アラジン・セイン』に代表されるグラムロック期の衣装やメイク、キャラ作りにも顕著に現れている。日本人デザイナーの山本寛斎が手掛けた歌舞伎を彷彿とさせる衣装を着用し、歌舞伎役者の五代目坂東玉三郎に女型の化粧を教わったこともあるという。また中性的で妖艶な振る舞いや、曲中の早変わりパフォーマンスなどにも歌舞伎の影響が見て取れる。
名盤『Heroes』のジャケットは日本人写真家の鋤田正義が撮影したものであり、また真偽の程は定かではないが、『アラジン・セイン』の稲妻はナショナルの炊飯器に付いていたマークに着想を得たという説もある。
京都に別荘を所持しており、1980年前後には数ヶ月滞在していた。「行きつけの京都の喫茶店でボウイが世界的なスターであることを知らない女子高生の英語の宿題を手伝ってあげた」という真偽不明のエピソードも存在する。この頃撮影された写真は必見。
P-MODELのライブにボウイが一般客として訪れており、ライブ終了後楽屋にやって来たというエピソードが平沢進の口から語られた。平沢進はギターの裏にサインをしてもらったとのこと。
豆知識
- 左利き。ただしギターは右利き用のものを使用。
- 70年代はバイセクシュアルを公言していた。ミック・ジャガーと寝たとかなんとか。ただし「ミステリアスなグラムロックスター」を脱却して以降は、「自身は異性愛者でありキャラ作りのために自身のセクシャリティを演出していた」という旨の発言を度々している。
- 左右それぞれで眼の色が違う、いわゆるオッドアイである。少年時代の喧嘩による後天的なもので、左目の瞳孔が開きっぱなしで視力が殆ど無い。それでよくステージから落ちそうになるんだとか。
- グラムロックでの退廃的なスタイルは後のパンク・ロックにも影響を与えたが、後にセックスピストルズを結成することになるスティーヴ・ジョーンズとポール・クックの2人はボウイのライブ会場に忍び込んで盗んだ機材でバンドを始めたという象徴的なエピソードがある。
- ルー・リードいわく「俺より性格が悪い奴がいるなら、それはもうデヴィッド・ボウイしかありえない」とのこと。
- ゲーム『MGS3』に登場するワード「トム少佐」はボウイの楽曲『スペイス・オディティ』の歌詞に由来する。小島秀夫監督によると、当初はMGS3のEDに『スペイス・オディティ』とその続編的楽曲『アッシュズ・トゥ・アッシュズ』を起用しようとしていたが結局没になったらしい。
- オーストリアの画家、エゴン・シーレからの影響を公言している。そのため写真やパフォーマンスが時々ジョジョっぽく見えることがある。
- 2000年に大英帝国勲章コマンダーを、2003年には大英帝国騎士号をそれぞれ叙勲辞退している。
- 70年代はメディアの前でもあまり笑顔を見せずクールでミステリアスなキャラ作りをしていたが、80年代頃からおちゃめな本性を表し始めるようになり、2000年台はすっかり笑顔の素敵なチャーミングなおじ様に。
- 漢字で書くと「出火吐暴威」。進んで使わなくてもきっと良い。
関連動画
MAD等
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関連項目
- グラムロック
- マーク・ボラン(T・レックス) - グラムロックの二大巨頭。
- ルー・リード(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド) - 盟友。
- イギー・ポップ - 盟友。ヒット曲『チャイナ・ガール』は財政的に困難に陥っていた彼を救済するために書かれたもの。
- ブライアン・イーノ - ベルリン三部作に参加。『アウトサイド』プロデュース。
- ロバート・フリップ(キングクリムゾン) - 『ヒーローズ』、『スケアリー・モンスターズ』に参加。
- QUEEN - 『アンダー・プレッシャー』共作。
- シド・バレット(ピンク・フロイド)、ボブ・ディラン - 憧れの存在。
- クラウス・ノミ - 一時期ボウイのバックダンサーを務めていた。
- BOØWY
- 10
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