トラック野郎(とらっくやろう)とは、東映によって1975年の夏から1979年の冬までの5年間に年2回ずつ全10回制作された、菅原文太演ずる主人公「星桃次郎」と、愛川欽也演ずる“やもめのジョナサン”こと「松下金造」がスクリーン狭しと暴れまわる、 『野郎の、野郎による、野郎のためのトラック映画』 である。 監督は鈴木則文。
概要
現在の若いニコニコ動画ユーザーに「東映の映画といえば?」と聞けば、おそらく戦隊ヒーローものの映画だったり、プリキュアやワンピースといったアニメ映画だったり、あるいは相棒など筆頭株主であるテレビ朝日系作品の映画をイメージするだろう。
現在でこそ子供向けやファミリー層向けの映画を多く手がける映画製作会社であるが、それらは1980年台に「セーラー服と機関銃」や「時をかける少女」などの角川映画がヒットした結果を受けてメディアミックス路線に移行した影響が大きく、1964年からニッチに始めていた「東映まんがまつり」(後の東映アニメフェア)などを除けば、1970年台までの東映は、時代劇スターを重用した東映時代劇、勧善懲悪の分かりやすい現代劇、そして仁義なき戦いや極道シリーズのような任侠・ヤクザ映画を得意とする硬派な映画制作会社であった。(参考: 東映任侠チャンネル)
映画「トラック野郎」が生まれるきっかけとなったのは、アメリカCBSで1960年から1964年にかけて放送されたテレビドラマ「ルート66」の吹き替えを愛川欽也が担当していて、日本でもこんなロードムービーを制作したいと思ったのがルーツである(ちなみにルート66とは、アメリカ中部のシカゴと西海岸のサンタモニカを結んでいた全長3,755km(2,347マイル)におよぶ長大国道)。
その後しばらくして愛川が司会を務める「リブ・ヤング!」という番組に菅原文太がゲスト出演してから二人は仲が良くなり、愛川は吹き替えを担当してから10年ほど構想を温めていたアイデアを菅原に伝え、意気投合した二人は具体的な映画化のプロットを考え始めることになる。
しかし、この頃すでに愛川・菅原ともに40代に突入しており、「ルート66」のような、シボレー・コルベットに乗った若者が旅する青春ロードムービーという路線をそのまま踏襲するのは無理があった。そこで目をつけたのが、1969年に全線開通した東名高速道路を報じるニュースで映っていたイルミネーションを点けたド派手なトラックが走っている映像である。「これなら行ける!」と直感した二人は、東映幹部に企画を持ち込み映画化を直談判した。
最初「トラック運転手の映画なんて誰が見るんだ!」と社長に一蹴されたものの、当初予定していた別の作品が俳優の都合で作れなくなり、急遽穴埋めとして過密な撮影スケジュールと低予算で第一作の「トラック野郎・御意見無用」が制作されることになった。その為、一番星号とジョナサン号は廃車となる車両を譲り受け制作された。しかし公開してみると、同時期に放映された高倉健・千葉真一・宇津井健といったスターを並べ高制作費で作られたパニック映画「新幹線大爆破」の2倍の8億円の配給収入を得るという思わぬ結果で、以降全10作にわたる人気シリーズになり、「トラック野郎」や「デコトラ」という言葉が街にあふれ社会現象化するまでになった。これがきっかけで第2作目「爆走一番星」の制作にあたって一番星号とジョナサン号は新車となり最終話まで使用された。
当初は、
という各要素を絶妙のバランスで併せ持つ 『野郎の、野郎による、野郎のためのトラック映画』 であったが、作品を重ねるたびに客層が広がったためか、シリアスな要素の比率が増えていった。
同シリーズの終焉は、菅原文太がNHKの大河ドラマ「獅子の時代」(1980年)の主役「平沼銑次」役に1年間スケジュールを拘束されたことが直接的な原因である(間接的にも、大河ドラマの主役を演じて以降の菅原文太が色物的な役を受けることは少なくなった)。ライバル映画の松竹『男はつらいよ』と肩を並べるまでの人気シリーズに育っていたために東映は同シリーズを諦めきれず、トラック野郎のメンバーを再度集め、1981年に黒沢年男を主演に起用した「ダンプ渡り鳥」という映画を公開するも興行的に惨敗し、完全にピリオドが打たれた。そもそもダンプカーは県境をいくつもまたいで長距離運行するなんて稀だし、積み荷も土砂や砂利とかでトラックのような積み荷をめぐるロマンもないから当然の帰結である(同映画中ではダンプカーなのに豚を運んだりしているが…)。
映画が公開された1970年代は、大阪万博で好調に始まったものの、1970年7月にいざなぎ景気が終了し、1971年8月のニクソン・ショック(変動相場制度)で高度成長が鈍化し、落ち込んだ景気をテコ入れするため田中角栄が日本列島改造論をぶちあげたことと1973年の第一次オイルショックにより「狂乱物価」になり、経済が混乱した結果、映画第一作公開の前年の1974年には実質経済成長率がマイナス1.2%になるという景気の谷にあたる時代であり、不安定な経済状況とともに日本社会もいろいろと混乱した時代である。しかし公開年の1975年に山陽新幹線が博多まで、東北自動車道が埼玉県から仙台市まで結ばれるなど、全国を繋げて再び立ち上がるんだという時代の風と、映画の設定がマッチした。この映画には、そんなカオスな時代をエネルギッシュに生き抜いた人々の情熱がそのまま凝縮している。また、いまのファミリー層向け映画のような上品にまとまった映画とは真逆の、エログロナンセンスがストレートに凝縮した作品でもある。現代の放送コード的に地上波で流れることはおそらく少ないだろうが、機会があればぜひ一度は見て欲しいパワフルな邦画である。
トラック野郎の時代を追体験する方法
トラック野郎の時代(1975年頃)を追体験する方法として、
見たいエリアを通常のGoogle地図を見る方法でズームしていった後、右上の「写真1975」というボタンを押すと、当時の航空写真に切り替わる。まだ繋がっていない道路があったり、道路が拡幅整備されていなかったり、峠にトンネルがなく苦労して山道を走行したのだろうという当時の苦労を追体験できる。
を使用すれば、(現在のところ大都市圏にエリアが限定されるが)昔の地図を見ることもできる。
主な出演者
- 菅原文太 … 星桃次郎 (一番星)
主人公。相棒のジョナサンなどからは「桃さん」と呼ばれているが、一番星とも呼ばれる。独身で定まった住所を持たない(郵便物は川崎の行きつけのトルコ風呂屋に届けさせる)。着る服や腹巻きなどに☆のマークが入っていたりする。普段はクールだが、タイプの女性を見るやいなや視界が一面☆になり、「運輸省関係」といった詐称などいろいろと取り乱す。お腹が弱いという長距離ドライバーとしては苦労する体質がある。東北の寒村の生まれ。ダム建設のため桃次郎が小学生の時に一家は故郷を追われることとなるが、青森県下北へ移住して間もなく父親が慣れない漁をしている際に海難事故で死亡、母親もその後病死するという壮絶な少年時代をくぐり抜けている。そのためか、他人が尻込みするような過酷な状況の依頼でも引き受けるので、トラック仲間から人望がある。
- 愛川欽也 … 松下金造 (やもめのジョナサン)
桃次郎の相棒。妻の君江(春川ますみ)との間に第一作が始まる時点で7人、その後同じ劇中で9人も子供を持つまでになるビッグダディ。元警察官で過積載のトラックの取り締まりをしていた。その際に鬼代官ならぬ「花巻の鬼台貫(だいかん)」と恐れられた経歴をもつ。しかし酔っ払ってパトカーを運転して懲戒免職になってしまい、何の因果か自らが取り締まっていたトラック運転手への道を進むことになる。温厚な性格だが、家族を守ろうとするあまりトラブルを起こす。愛称は小説/映画「かもめのジョナサン」のパロディであるが“餌を取るために飛ぶのではなく、速く飛ぶことに価値を見出し、次第に群れ(集団生活)からはぐれてしまったカモメ”という同作品の設定をかけている。また、松下という名字は愛川欽也が松下電器産業のCMに出演していたことからつけたと思われる。
- せんだみつお … 桶川玉三郎 (三番星)
作品リスト
# | サブタイトル | マドンナ役 | ライバル役(ニックネーム) |
---|---|---|---|
第1作 | 御意見無用 | 中島ゆたか | 佐藤允 (関門のドラゴン) |
第2作 | 爆走一番星 | あべ静江 | 田中邦衛 (ボルサリーノ2) |
第3作 | 望郷一番星 | 島田陽子 | 梅宮辰夫 (カムチャッカ丸) |
第4作 | 天下御免 | 由美かおる | 杉浦直樹 (コリーダ丸) |
第5作 | 度胸一番星 | 片平なぎさ | 千葉真一 (ジョーズ) |
第6作 | 男一匹桃次郎 | 夏目雅子 | 若山富三郎 (子連れ狼) |
第7作 | 突撃一番星 | 原田美枝子 | 川谷拓三 (昭和の御木本幸吉 ※トラック乗りではない) |
第8作 | 一番星北へ帰る | 大谷直子 | 黒沢年男 (Big99) |
第9作 | 熱風5000キロ | 小野みゆき | 地井武男 (ノサップ) |
第10作 | 故郷特急便 | 石川さゆり・森下愛子 | 原田大二郎 (龍馬號) |
ニコニコ生放送
トラック野郎は、2014年にブルーレイボックスが発売され、それを記念したニコニコ生放送が以下の通り行われ、好評を博した。
関連動画
関連チャンネル
関連項目
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