トラロック(Fate)とは、スマホゲーム『Fate/Grand Order』に登場するサーヴァントの一騎である。
サーヴァントについてはサーヴァント(聖杯戦争)の記事を参照。
概要
心臓都市、起動!
我がアルタール、我がカットーラ、我が愛しきトラマカスキ!
今度こそ、私は失わない!
メインストーリー第2部第7章『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』にて初登場した、トラロックもしくはウィツィロポチトリを名乗る女性サーヴァント。2022年12月25日より配信された前編で登場したが、この時は実装されずNPCの扱いだった。1ヶ月後の2023年1月31日19時放送の『FGO カルデア放送局 Vol.19 第2部第7章 ナウイ・ミクトラン(後編)開幕直前SP』で実装が発表。同日23時の後編配信に伴って実装とともにピックアップが行われた。絵師の西藤氏は2016年から概念礼装のイラストを担当してきた古株で、トラロックが初の担当サーヴァントである。声優の本多氏もトラロック役でFGO初参加。Twitterによるとどうやら運営側からオファーを出したようだ。
レア度は☆4、クラスは詐称を意味する特殊霊基プリテンダー。恒常に追加されたプリテンダーは彼女が2番目。また初期状態では第三再臨以降のセイントグラフとバトルキャラ、そして宝具名が封印(再臨自体は行える)されている。これはサポートに出ているトラロックにも影響し、解放条件である第2部第7章18節をクリアしないと見る事が出来ない。こちらは☆4では史上初の要素。プリテンダーは正体に繋がる真名を隠し持つクラスなのでむべなるかな。レア度☆4という事で排出率が比較的高く、テスカトリポカ(fate)やククルカン(fate)を狙った結果、彼女が大量に召喚されたという声が散見される。愛称は加湿器。雨の神だからか湿度が高く(公式設定)、マスターに対する態度も湿っぽいものが多い事から瞬く間に定着した。
『ナウイ・ミクトラン』ではテスカトリポカ(fate)やイスカリとともに敵勢力のオセロトル側に属する紅一点。テスカトリポカを兄様と呼び、オセトロルたちの王であるイスカリの教育係を務めながらカルデア軍団と敵対する。トラロック形態ではルーラー、ウィツィロポチトリ形態ではバーサーカーにクラスが変化。ちなみに第一層トラロカンは汎人類史のアステカ神話において「トラロックの住み処」を指すが、『ミクトラン』では特に関係無い。
2023年3月12日の『ウィンターパーティー 2022-2023』にて、2023年度バレンタインイベントにおいて祝福ロックオンチョコ(好きなサーヴァント1騎だけに与えられる特別なアイテム)が贈られたサーヴァントランキングトップ10が発表。トラロックは初登場から日が浅いにも関わらず、レディ・アヴァロンやラスプーチンら強豪を抑えて第4位に堂々ランクイン。☆4の枠組みでは見事1位に輝いた。また『ナウイ・ミクトラン』実装組の中でもトップという大人気ぶりを見せつけている。ちなみにククルカン(fate)は6位、テスカトリポカ(fate)は10位とこちらも人気。
戦闘能力
アステカ神話における雨の神トラロックと太陽の神ウィツィロポチトリの権能を武器に戦う。トラロック形態では戦意を見せると雨が降り出し、しなる鞭から迸る水と雷を操って攻撃を加える。雨とは動植物を養う天からの恵み。一方で強靭な生物であろうと水無しでは生きていけず、また多すぎる降雨は濁流の竜を招く、慈悲と無慈悲の表裏一体。大きな河が無い地にある生態系はトラロックに生殺与奪を握られているようなものであり、集落の一つや二つ簡単に消してしまえる大自然の具現。ちなみに地面から生えてくる謎の石像はトラロック神を象った像。ウィツィロポチトリ形態では純粋に戦闘能力が向上。ウィツィロポチトリは創造神話においてケツァル・コアトルとともに地球と太陽を創造した神で、最高神テスカトリポカに比肩する権能を持つアステカ帝国の主神格。帝国が滅んだ後に建国されたメキシコの国名はウィツィロポチトリの別名「メシトリ」と、場所を示す「コ」を組み合わせたのものであり、これに伴ってメキシコは太陽の国とも言われる。まさに文字通り次元の違う神。この形態では焼け付く程の太陽光で攻撃し、足元に炎を這わせる灼熱の権化となる。雨が生命を育むものなら炎は壊滅的な破壊をもたらす脅威。相反する属性を巧みに使い分ける者、それが彼女である。またウィツィロポチトリの側面が出てきている時は目が赤く光る特徴がある。
得物の鞭は言わば「伸縮自在な蛇腹剣」であり、ひとたび振るえばニトクリス(fate)の全身を切り裂いて流血させる程の威力を発揮。使用しない時は納刀して短槍のような形状になるが、この状態でも血のような真っ赤な刀身を纏わせての近接戦闘が可能。鞭を帯電させて離れた敵に雷を迸らせる芸当も出来る。1本で近・中・遠距離全てをカバーする多機能性が光る。高い運動能力と格闘能力をも有しているようで美しい放物線を描く跳躍から手刀で敵を切り裂く攻撃も披露。
彼女が頭に付けている丸型ゴーグルはトラロックの両目、羽根飾りはトラロックの装飾であるサギの羽根、血で真っ赤に染まった両手は血液を求めるウィツィロポチトリの儀式、鞭は火の蛇シウコアトルの表現、左利きなのは「ハチドリの左」から来ている等、二柱の意匠が各所に施されている。トラロックもウィツィロポチトリも神話上では男神なのだが、南米異聞帯で確認されたのは何故か女性である。
一騎で二柱の力を宿しているため神性が非常に高く、内包する魔力も規格外な事から神霊級サーヴァントに分類される。一方でテスカトリポカや他の神霊サーヴァントと違って人間を依り代にしていない特徴を持つ。兄は彼女の事を「都市神」と呼んでいるが…?彼女が持つ特殊霊基プリテンダーとは魂まで騙る事で世界中を敵に回す詐称のエクストラクラス。不規則に変化し続ける霊基パターンは、機械による精査を以ってしても真名を特定出来ない不可知の領域である。だが偽りの霊基は枷にもなっており、もしトラロックが真名を明らかにすれば更なる力を発揮する事になるであろう。
神霊級サーヴァントの強大な実力はシナリオ内でも明確に描写されている。初陣でニトクリス(fate)に完勝する衝撃的なデビューを飾り、ウィツィロポチトリ形態で歴戦のマシュを圧倒、たった一騎でディノスの群れを蹴散らしてストームボーダーを追いつめるなどカルデア軍団だけでは対処出来ない強敵として描かれた。同時に対トラロック用権能でコーティングした霊子魚雷を喰らったり、『ミクトラン』最凶のカマソッソから細切れにされても戦闘の継続が可能という前代未聞の防御力も持ち、ロリンチにして『ミクトラン』最優の防御力だと評される。
トラロック/ウィツィロポチトリ
彼女は2つの神の名前を持つ。どちらも中南米では主役級の知名度を誇る。
最初に名乗るトラロックは中南米に伝わるアステカ神話における雨と雷の神。他にも雪、雹、雲、干ばつ、洪水、嵐、生命、破滅を司る力があり、作物の豊作と不作を決めるのもトラロックの力である。東西南北に置かれた4つの粘土製の壺を持ち、東の壺を持てば恵みの雨が降り出すが、北の壺からは霜が、南の壺からは干ばつが、西の壺からは人々を苦しめる恐ろしい疫病が流れ出る。生活を翻弄する強大なる存在ではあるものの、生け贄を捧げると望み通り慈雨を降らせるなど人間に対しては概ね好意的な性格。
ナワトル語で大地を意味する「トラリ(Tlalli)」と座るを意味する「oc」を組み合わせてトラロックになったとされる。アステカ帝国の首都テオティワカンに祀られる神の一柱であり、生命と栄養を与える慈悲深い存在としてメソアメリカ時代から広く信仰されてきた最古の土着の神。チチェン・イツァーのマヤ遺跡からチャクモール(彫刻)が発掘された事でマヤ文明でも信仰の対象になっていたと判明。マヤ文明ではチャーク、サポテック文明ではコシホ、トトナック族ではアクツィンという名前で呼ばれていた。洞窟、泉、山岳などを住まいとする。黒色は神々の世界を示す神聖な色で、神官たちは体を黒く塗る事でトラロックにより一層近づき、神の世界との距離を縮めて交信・一体化を容易なものにしていた、と考えられている。
アステカ創造神話『五つの太陽』では、火によって破壊された第三の太陽の支配者。トウモロコシ畑に雨を降らせて水をやる様子が描かれているが、「火の雨」「火打石の雨」「菌の雨」「風雨」を降らせて作物を破壊する描写もある。これは中央アメリカの気候や自然をトラロックという神に当てはめていたからだと思われる。どちらかと言うと有害な雨を降らせる事の方が多かったらしく、困った人々はトラロックの前に現れて敬意を表する儀式を挙行。これに応えてトラロックは雨水を降らせ、時には漁師や船乗りを保護する事もあった。こうして太陽の責務を果たしていたが、いたずら好きのテスカトリポカにトウモロコシの神で妻のショチケツァルを誘拐され、責務を果たせなくなってしまう。兄様最低です。トラロックは悲しみにくれ、世界は大干ばつに見舞われる。人々は必死に雨ごいをして慈悲を願ったがその声は彼の耳に届かなかった。やがてトラロックは大激怒。火の雨を降らせて鳥以外の生命を完全破壊してしまった。第三の太陽はナウイ・キアウィトルとも言う。ちなみに第四の太陽の支配者になったのはトラロックの新しい妻で雨の女神チャルチウトリクエ(マトラルクエイェ)である。その妻との間に「月の男」を意味する息子テクシステカトルが誕生した。余談だが当時の人々は重要な交易路であるメキシコ湾を「チャルチウトリクエの水」と呼んでいたんだとか。『太陽の伝説』で語られる神話によると移住先を求めて放浪中のアステカ族はトゥーラに辿り着くが、そこでは飢餓に見舞われていた。神官であり指導者でもあったトスクエクエクスは繁栄を取り戻すために自分の娘を生け贄にして心臓を捧げ、トラロックは犠牲者の心臓をヒョウタン製タバコ入れの中にしまって受け取った。すると雨が降り出してトゥーラの飢餓が終息したという。
メソアメリカ時代に使われたトレセナ(13日ごとに区切った暦)では、7番目の1キアフィトル(雨)の守護神であり、西の方角を担当していた。アステカ族が用いたシウポウアリ(20日ごとに区切った暦)では、トウモロコシの種まきをする2月14日~3月5日、作物を収穫する5月23日~6月13日、様々な神を祝う10月12日~31日、トウモロコシでトラロック人形を作る12月11日~30日、アマランスやタマレを食べる1月20日~2月8日をトラロックに捧げられた月としている。時刻を意味するトナルテウクティンでは十三柱いる昼の神の一柱とされ、8番目を担当。関連する飛行生物は鷲。
メキシコ中央部にはトラロック山(標高4120m)と呼ばれる山がある。トラロックの住み処であるトラロカンだとアステカ族やナフアン族から信じられていたようで、頂上には盛大な儀式を行ったであろう遺跡が残されている。アステカ人たちは雨を降らせて貰うべく雨季の始めに儀式を挙行。豊富な供物や子供の命が捧げられ、周囲の都市のエリート層も参列するなど重要な儀式だったようだ。まず最初に2月中旬から3月上旬にかけて儀式の第一段階が行われ、犠牲となる7人の子供を奴隷か貴族の次男から選出。境内に辿り着くまでに泣く事を推奨された。これは涙が「豊かな雨」を象徴していたからである。もし自力で泣けなかった子供は爪を剥がされて無理やり泣かされる(ヴォーコエー)。特にうなじを2つ持つ子供が望ましいとされ、そのような乳幼児が生まれた時は両親から買い取ってトラロック用に確保する。雨乞いの儀式では神官によって雲を作り出すかのように様々な色と香りの煙が焚かれた。神々にとって香りは栄養を与える聖なる食べ物なのだ。最後は心臓を抜き取られて第一段階は終了。子供の死体は食料として食べられる。4月からの第二段階はトラロックを喜ばせるために供物が捧げられた。
アステカ神話の世界は「人間が住む地球」「死者が落ちる冥界ミクトラン」「空の上層」の三つに大別される。トラロックは十三に分かれた上層世界の最下層トラロカンの支配者。そこは永遠に続く春と食用植物の楽園であり、落雷、溺死、水に関する現象で命を落とした者を受け入れる場所だという。アステカでは火葬が基本なのだが、トラロカンへ行く死因で亡くなった場合は乾いた木片を抱かせて土葬される。こうする事で木片がトラロカンで芽吹いて豊かな自然になるのだという。トラロックはここから地球上の生命に有益な水を与えている。北方の大きな洞窟には風の支配者エヘカタガットと死の支配者ミキタガットがいて、死んでから最初の1年が経つまで魂の世話をし、死後1年が経過した魂はトラロカン東方にある海のように大きな湖へ向かって奥深くに位置する都市を目指す。トラロカンでの生活はまさに幸福そのものだという。アステカ人からの聞き込みで得られた情報をベルナルディーノ・デ・サアグン神父がまとめ上げ、著書に記した記録が現代に残っている。
スペイン人の征服により1521年8月31日にアステカ帝国が滅び、メキシコ文化が根付いた後もトラロック信仰は絶えずに続けられ、スペイン人が広めたキリスト教と上手く習合。教会内にもトラロックの絵が描かれていた。これを受けてカトリック教は土着の信仰を粉砕しようと悪魔扱いし、1579年頃のディエゴ・ドゥラン神父の記録に小悪魔と並べて描かれたトラロックの絵図が残されている。しかし徹底的な弾圧や改宗強要を以ってしても成果を出す事なく現代に至るまで信仰され続けた。最西部ティファナからユカタン半島にかけてメキシコ全土でトラロック像が確認出来る。
1800年代後半、テスココ湖近郊コートリンチャンの干上がった川から全高7m重量168トンに及ぶ巨大トラロック像(通称トラロックのモノリス)が発見された。アメリカ大陸最大の一枚岩である。学者たちの研究を以ってしても何時の時代に作られたのか明確に特定されていない神秘の代物。1964年、メキシコ政府は新たにオープンする国立人類学博物館での展示を決定し、運び出す前に特別な傾斜路を作ったり、横に繋いだ2台のトレーラーを使って四苦八苦しながら輸送。モノリスの輸送には雨が殆ど降らない乾季に行われたのだが、そのモノリスがメキシコシティへ到着した時に猛烈な雷雨が降り注いだ。信心深いメキシコ人たちはこれをトラロック神のサインだと一様に思ったという。現在は博物館の入り口で訪れた者を出迎えている。今やメキシコのシンボルにまでなったトラロックは、スペイン人の征服に打ち勝ったと言えるのではないだろうか。
ウィツィロポチトリは同じく首都テオティワカンにて祀られる戦争、人身御供、狩猟、太陽の神。その名は「ハチドリの左」を意味する。アステカ帝国で最も強力に信仰された神であり、征服した土地の土着信仰には普段干渉しない帝国が、信仰対象にウィツィロポチトリを追加するよう求めていたほど(写本が殆ど残っていない辺りあまり浸透しなかった模様)。信仰する部族や文明によって容姿は大きく異なっていたが、唯一青緑色のハチドリの兜のみ一貫して共通の装具となっていた。投擲用の槍の形をした青い鞭、火の蛇シウコアトルを武器とする。シウコアトルは火、昼、熱を司る神シウテクトリが精霊化した姿であり、放たれる太陽の光線は闇を祓う象徴としてアステカ人に崇められた。
獰猛な女神コアトリクエがコアテペック山で羽毛の玉を掃いていた時にウィツィロポチトリを妊娠するが、既に成長していた400人の息子と娘コヨルシャウキが妊娠した方法に腹を立て、母親ごとウィツィロポチトリを抹殺しようと共謀。殺気を感じ取ったウィツィロポチトリは母親に「怖がるな、俺がやらなきゃいけない事は分かっている」と語りかける。その間にもコヨルシャウキは400人兄弟の戦意を盛り上げ、戦いの準備を進め、軍隊のような行軍で山を登って来た。コヨルシャウキに率いられた兄弟が山頂へ辿り着いた時、ウィツィロポチトリはシウコアトルを携えて子宮から飛び出し、陣頭指揮を執るコヨルシャウキの首を落としてコアテペックの斜面へと投げ捨てた。続いて400人兄弟を麓まで追い回す。彼らは応戦したがウィツィロポチトリには通用せず完膚無きにまで叩きのめされる。やがて兄弟たちは「もう十分だ!」と降伏の意思を示すがウィツィロポチトリの猛攻は止まらず、わずかに生き残った兄弟のみが南へ逃げ延びてスリアノスと呼ばれる民族となった。めちゃくちゃ強いウィツィロポチトリをアステカ人は崇拝して称え、そんな彼らに報いるためウィツィロポチトリも加護を与えた。アステカ族は太陽をウィツィロポチトリに、月をコヨルシャウキに、星々を兄弟に見立てており、太陽と月が入れ替わりに空へ昇るのは追いかけているからだと解釈していた。
別の神話では宇宙を創造した二柱の神オメテオトルから生み出された四兄弟の一人。兄にケツァル・コアトル、シペ・トペック、テスカトリポカがおり、トラロックがテスカトリポカ(fate)を兄様と呼ぶのはこの事に由来している。オメテオトルはケツァル・コアトルとウィツィロポチトリに「世界に秩序をもたらせ」と指示し、協同で「火」「太陽」「地球」「男女の人間」を作り上げた。
アステカ神話において戦闘で死亡した戦士と出産で死亡した女性はハチドリに変身して彼の宮殿へ赴き、ウィツィロポチトリに仕えるとされる。スペイン人が書き記したフィレンツェ写本によると非常に頭脳明晰であり、しかも直接目で見る事が出来ないため、戦士たちは盾を隔てて見なければならなかった。宮殿に送られた魂は4年後にハチドリや蝶の姿で生者の世界へ戻る事が出来たらしい。戦いにおいてもウィツィロポチトリは強大無比だった。2つの勢力が対立した時、彼は敵対勢力を率いていた女性リーダーのコヨルソーの戦士を打ち破り、胸を裂いて心臓を食べた話が伝わる。
テオティワカンにアステカ人を導いたのもウィツィロポチトリである。オービン写本によると元々アステカ人はアズトランと呼ばれる場所に住んでいたのだが、ウィツィロポチトリが彼らにアズトランを捨てて新天地を探すよう命じ、その旅を導いた。途中で先導役を妹のマリナルショチトルに任せるも、マリナルコを設立した彼女の判断にアステカ人が不満を抱いたため呼び戻され、やむなく妹を眠らせて旅を続けさせた。置いてけぼりを喰らった妹はブチ切れ、コピルという息子を産んで復讐を代行させる。ここでもウィツィロポチトリは強かった。襲ってきたコピルを難なく撃破して心臓を抜き取るとテスココ湖の真ん中に投げ捨てる。数年後、ウィツィロポチトリはアステカ人に「湖からコピルの心臓を探し当て、その上に都市を建設せよ。その場所が永遠の住み処となる」と指示。彼らは多くの旅の末、テスココ湖に到達してテオティワカンを建設したのだった。
人身御供の神であるウィツィロポチトリはアステカ神話の生け贄文化に深く関わっており、儀式によって毎日血が捧げられた。神話によると血はウィツィロポチトリの栄養であり、悪いやつらである空を駆ける妹や多くの兄弟を寄せ付けないようにするため常に血を求めていた。もしウィツィロポチトリが他の兄弟に負けてしまうと世界が破壊されると信じられていたという。このような終末思想は神話『太陽の伝説』において神々の自己犠牲によって太陽と月が生まれ、そして動くようになった事に端を発している。したがって何かを成し遂げるには必ず犠牲が必要という訳である。神々に捧げられる供物は食べ物、花、彫刻、うずら等があったが、神に求める努力が大きければ大きいほど大きな犠牲が必要とアステカ人は考えており、世界の破滅を防ぐ絶大な責任を負うウィツィロポチトリには人間の血や命が唯一供物となりえた。このため地位や性別に関係なく傷を付けて血を流した他、戦士に敗れた捕虜の血も供物となった。元々メソアメリカにも人身御供の概念はあったが、それを大規模かつ組織的に行ったのはアステカ帝国が初めてであった。ウィツィロポチトリの儀式には大量の生け贄が必要になるため、花の戦争と呼ばれる生け贄確保の戦争を敵対国に仕掛け、捕虜の獲得に成功した戦士には地位向上の報酬が与えられた。しかし捕虜を得るのは大変難しく、複数人の戦士が結託してようやく一人捕まえるのが精いっぱいだったらしい。一方でアステカの戦士は捕虜を得る技術に長け、どれだけ少なくても40~50名を超えていたとする資料もある。捕虜を生け贄にする事で敵対国や征服した国に恐怖心を抱かせるとともに、帝国に反発する首長や戦士といった反乱分子を始末する政治的意図も含まれていた。生け贄の近親者を大神殿に招待して眼前で処刑する様を見せつけ、もし招待を断ればそれを口実に戦争を仕掛けるという人の心案件もやっていたという。
生け贄にされる者は石の上に寝かされる。儀式を執り行うはチャチャルムーアと呼ばれる高位の司祭6名。4人が犠牲者の四肢を取り押さえ、1人は顎を押さえつける。残った最後の1人が黒曜石もしくは火打石の刃で腹を切り裂き、脈動する心臓を摘出して全ての人に見えるように掲げられた後、ウィツィロポチトリの神像に投げつけられた。残った死体は階段から転がり落とされて血を撒き散らす。これを生け贄がいなくなるまで繰り返す。儀式が終わると心臓は神殿の地下へ、遺体は火葬される。生け贄が戦争捕虜だった場合はバラバラにされて生け贄を提供した戦士や貴族に贈られ、翌日の祝宴で他の料理ともども食べられた。
生け贄の儀式以外にもパンケツァリストリと呼ばれる儀式がウィツィロポチトリに捧げられた。これは神の分身に扮した者がテノチティトランの大神殿を起点にトラテロルコ、トラコパン、コヨアカン等を巡って生け贄を屠り、最後は大神殿へ戻ってくるという巡礼の儀式である。分身が各地を旅している間、神殿では二手に分かれた戦士集団がテスカトリポカ神の司祭のもと儀礼的戦闘を行う。ウィツィロポチトリに捧げる儀式でありながらテスカトリポカ神が関係するのは珍しい。貴族の居住区アカチナンコでは平民代表の戦士集団と貴族で占められた戦士集団による儀礼的戦闘が行われたが、特に貴族側が有利な訳ではなくあくまで平等に戦った。また儀礼的としながらも死者が続出したという。これらの戦闘は分身が大神殿へ戻ってくるまで続けられ、戦いが終わると戦士たちは疲れ果てて地面に倒れ死んだように動かなくなるため、耳たぶをナイフで傷つけられて強引に起こされる。
アステカ歴11月9日から28日まではウィツィロポチトリに捧げられた月とされ、この期間に行われる儀式や締めくくりの人身御供は最も重要なアステカの祭りの一つであり、人々は1ヶ月前から準備と断食を行う。アマランスの種と蜂蜜で作られた神の像は、祭りが終わる月末になると小分けされてみんな食べる事が出来た。しかしスペイン人に征服された後はアマランスの栽培が禁じられてしまった。またアステカの守護神でもあり、かの地で行われた戦争の勝敗は全てウィツィロポチトリが決めたとされる。
アステカ帝国が崩壊した後、コンキスタドールは土着の信仰を破壊してキリスト教へと改宗させるべくウィツィロポチトリをウイチロボスと呼び、ヨーロッパの悪魔と結び付けて文化的根絶を図った。写本や教会の文書では動物の脚、コウモリの羽、腹部の顔を持った典型的な悪魔の姿で描かれ、ルシファーの命のもと共食いや欲望を煽る醜悪な怪物扱いを受ける。それと並行して血を捧げる儀式も中傷的に表現された。
トラロックとウィツィロポチトリを祀るため、テオティワカンには大神殿テンプロマヨールが建造された。1325年以降に土台部分が造られ、それから52年ごと6回に渡る増改築によりピラミッド方式で第七層まで積み重ねられる。大神殿の頂上には2つの寺院が建立されており、北はトラロック、南はウィツィロポチトリが支配する聖域だった。雨の神トラロックは豊穣と成長、戦の神ウィツィロポチトリは犠牲と戦争を表しているが、このように正反対の権能を持つ神を相対配置するのはアステカ文化ではよく見られるという。16世紀のドミニコ会修道士ディエゴデュランは「この二柱は同等の力を持つ仲間だと信じられていたため、常に一緒にいるように意図している」と評した。実際ナフア族もウィツィロポチトリが作物に好ましい天候をもたらしてくれると信じてトラロック像の近くで祀り、また戦争の神がトラロックに力を貸すとも信じられていた模様。神々の像の前で神官がコバルを燃やして重厚かつ香り高い煙を発生させ、それを触媒にして神界とのやり取りを行う「火の奉納」が日常的に行われた。1487年、アステカ人は二柱に捧げる大神殿を造るために4日間に渡って囚人を動員し、約2万400名を犠牲にしたと言われているが、これは後からやってきたスペイン人が捏造したプロパガンダとする意見もある。
大神殿テンプロマヨールはアステカ人にとって最も重要な施設であると同時に、征服に現れたスペイン人に対して彼らが反旗を翻した象徴的な施設でもある。1519年、反乱の予兆を嗅ぎ取ったスペイン軍は祭典に参加していた丸腰の貴族8000~1万人(推定)を大量虐殺し、かろうじて生き延びた貴族は大神殿を脱して街中の同胞に窮地を知らせた。すると怒りに燃えたアステカ人が大挙して大神殿へ押し寄せてスペイン軍を攻撃。兵士7人を討ち取り、挟み撃ちにされた68名が捕まり、このうち10名が生け贄として処刑。切断された頭がスペイン軍へ投げ返された。残りの捕虜もその日の夜に皮を剥がされて全員死亡。その後、アステカ人の猛攻によりスペイン軍は100名の戦死者を出して市内から叩き出されている。
1521年にスペイン軍が首都を征服すると大神殿の金品や貴重な資料は略奪された挙句、破壊・解体されてメキシコシティを造る材料になった。また境内の西側半分にはスペイン聖堂(後のメトロポリタン大聖堂)が建てられた。その後しばらく歴史の闇に埋もれていたが、19世紀末から20世紀初頭に完了した考古学的研究に基づいて一部の学者が細々と発掘調査をするようになり、第二次世界大戦後に調査が活発化。1987年にはユネスコ世界遺産に登録された。
性格
自らの正しさを信じ、これを徹底する鋼の優等生。クールビューティーで冷酷・冷徹と自己評価しているが、語尾の「・・・ね」には様々な感情が乗っている上、怒りに駆られると語気が強くなるため意外と激情家のようだ。ただ頭脳明晰なウィツィロポチトリ形態だと冷静沈着になる様子。花壇の水やりを日課として欠かさず行うなど真面目な性格。一方で雨の神だからか湿度がとても高く、この点はテスカトリポカも欠点だと捉えている。大抵のサーヴァントのスリーサイズを把握しているミスクレーンに対しては「はぁ、ただの犯罪者ですか」「かなり気持ち悪い」と辛辣な評価をしていたが、交友関係が少ないという事で自ら友人になってあげるという優しい一面も持ち合わせる。
「神を奉る都市は強く、また美しいものでなければいけない」と考え、都市神として正義と秩序の基準を「都市の繁栄と安全」に置く。このため「都市」「暮らし」「開発」といった単語を多用し、街作りの参考と称して他の都市の視察に赴くなど、都市神というより不動産屋みたいな行動をよく取る。ネロが巨費を投じて作った黄金の劇場に興奮したり、始皇帝の阿房宮を変態の所業としつつも興味を隠せなかったり、オジマンディアスの神殿改築に携わろうとするなど建造物に強い関心を抱いている。エリザベート・バートリーとも交友関係があり、彼女の城をアンプにする発想を高く評価した。特にファーストサーヴァントであるマシュには対抗心を燃やしているようで、「(聖杯を)彼女に使う前にまず私を改築して下さい、ね」とマスターにねだる。マシュに言及するサーヴァントは全体で見ても珍しい。同じ都市だからか東ローマ帝国のコンスタンティノープル失陥については深く同情しており、「何より彼女は皇帝(コンスタンティノス11世)の最期を悲しんだのでしょうね」と語っている。彼女曰く都市コンスタンティノープルは女性のようだ。2023年のカルデアボーイズコレクションで追加されたネモ(fate)の台詞によると、よく彼に勝負事を挑んでいるのだという。当初ネモは何故ここまで敵視されるのか理解出来ていなかったが、マスターに「優れた建造物に対するライバル心」「競争相手として無視出来ないだけ」と理由を説明されて納得し、ちゃんと相手をするようになった。嫌いな言葉は「住めば都」。都市の衰退や危険に曝される事を悪と捉えるため、正義に生きる者には褒めたり笑いかけたりこそしないが優遇し、悪に生きる者には叱ったり見下したりはしないが処刑する。まさに善・秩序属性らしい善き精神の持ち主。
テスカトリポカの事は「兄様」と呼んで敬愛しているが、「人間たちを戦わせて死ぬよう仕組む」兄の考えと「都市を繫栄させる人間を守りたい」妹の考えは相容れず、我慢している状態。ストームボーダーのシールドを把握出来なかったり、魚雷と聞いて魚の味を期待するなど、現代かぶれな兄とは対照的に近代技術に疎い。西洋の文化にも疎いようで、バレンタインデーの趣旨が分からず兄に相談しに行く描写もあった。また現代の服装を好むテスカトリポカに倣い視察の際は自身も現代服を着込む事がある。ロボットにも興味があるようで、空を飛びながらミサイルを乱射するメカエリチャンに関心を寄せているが、あまりにも荒唐無稽だからか童話の存在と勘違いしていた。
マスターとの関係は良好。アステカの言葉で神官を意味するトラマカスキ(Tlamacazqui:提供者、与える者という意)と呼ぶ。好きなものに(婉曲ながら)マスターを挙げたり、嫌いなものにマスターとの二人きりの時間を邪魔する者を挙げている。宝具を使用した時に「我が愛しきトラマカスキ」と叫んでいるからか、マスター=トラマカスキだと答えるのに躊躇する乙女らしさを見せる。バレンタインイベントでは、シミュレーターで再現したハワイにてイチャイチャベタベタするよう要求しており、かなりの肉食系のようだ。絆Lv5に必要なポイントは2万7500と平均型。Lv1→2で8500も要求されるが、その壁を乗り越えると徐々に要求数が減っていき、Lv4→5へは僅か2500で済む。最初こそ神として厳格に振る舞っているが、ある一線を超えると気に入って一気に距離が近くなる感じだろうか。実は☆5のククルカンやニトクリス・オルタと同じ要求数だったりする。絆Lv10にするには151万6000が必要。他にもラーマ、メカエリチャン(Ⅱ号機)、BB、本物及び妖精騎士ガウェイン、ラクシュミー、カイニス等がこのグループに所属。
またスペイン人を敵視し、思い返すだけで「頭がナウイ・キアウィトルになる」と唾棄している。ナウイ・キアウィトルとは第三の太陽で生命を絶滅させた火の雨の事である。殺意が高すぎる。
ステータス
- クラス:ルーラー? バーサーカー?
- 真名:トラロック/ウィツィロポチトリ
- 身長/体重:168cm・55kg
- 出典:アステカ文明、中南米神話
- 地域:中南米
- 属性:秩序・善
- 性別:女性
- パラメータ
筋力:C 耐久:C 敏捷:C 魔力:B 幸運:E 宝具:D
ゲーム内性能
2部7章『黄金樹海紀行 ナウイ・ミクトラン』後編にて実装された恒常星4プリテンダー。
霊基第三以降は封印されており2部7章18節クリア後、開放可能。
プリテンダーだけあって大変トリッキーなスキルを持つ。特筆すべき点は敵全体のガッツを剥ぎ取り、味方に必中を付与するというオンリーワンな性能の「花の戦争」。必中付与があるのは兄様のクソエイムを補うためとも言われる。「第三の太陽」にはフィールドを水辺特性にする効果があり、他には張角(fate)と水着メルトリリスしか持たない希少なスキル。恩恵を得られるネモ、ネロ、水着カイニス、水着マルタ等との相性が良い。「月の湖」は味方全体にダメージカットを付与する使いやすいもの。宝具はヒット数の多い全体攻撃のためスターを稼ぎやすい上、自分を除く味方全体の宝具威力をアップさせるので火力の底上げに有用。更にフィールドが水辺特性だとNP獲得量アップも付く事から「第三の太陽」の恩恵を自身も受けられるメリットがある。スカディシステムにも対応していて宝具を連射可能。
泣き所はプリテンダー共通の攻撃力の低さ。特にトラロックはHP偏重型ステータスの関係上、他のプリテンダーより攻撃力の低さが目立ってしまい、攻撃有利が取れるクラスが相手でも火力を出しにくいのが辛い。神性:A+により与えるダメージが上昇しているものの焼け石に水。サポートに徹するか、フォウ君や聖杯を投入して補うべし。
フィールドへの水辺特性付与、ガッツ無効化、全体必中付与という他には無い特殊スキルがトラロックの強みと言えよう。特にガッツ無効化は高難易度クエストでの起用に期待出来る。
- キャラクター性能
HP (Lv1/Lv80/Lv100)
1975/12344/14967ATK (Lv1/Lv80/Lv100)
1453/8721/10559COST 12 コマンドカード Quick/Quick/Arts/Arts/Buster 所持属性 サーヴァント、地属性、秩序属性、善属性、人型、女性
神性 - スキル
保有スキル 第三の太陽:A
(CT8→6)自身のNPを増やす[Lv.](20→30%)
&毎ターンNP獲得状態を付与[Lv.](3T・5→10%)
&フィールドを〔水辺〕特性にする状態を付与(3T)花の戦争:A
(CT8→6)味方全体の攻撃力をアップ[Lv.](3T)
&クリティカル威力をアップ[Lv.](3T)
&必中状態を付与(3T)
+敵全体のガッツ状態を1つ解除(3T)
&ガッツ解除成功時、対象の防御力をダウン[Lv.](3T)月の湖:EX
(CT8→6)自身のQuickカード性能をアップ[Lv.](3T)
&Artsカード性能をアップ[Lv.](3T)
&クリティカル威力をアップ[Lv.](3T)
+味方全体に被ダメージカット状態を付与[Lv.](3回・3T)クラススキル 陣地作成:EX 自身のArtsカードの性能をアップ 神性:A+ 自身に与ダメージプラス状態を付与 水辺の営み:A+ 〔水辺〕のあるフィールドにおいてのみ、自身のクリティカル威力をアップ 都市国家同盟:A 自身がフィールドにいる間、自身を除く味方全体のArtsカード性能をアップ アペンドスキル EX攻撃強化[Lv.]/NPチャージ[Lv.]/対アヴェンジャー特攻[Lv.] - 宝具
???(???)
重起動心臓都市(オメテオトル・テノチティトラン)カード種別:Quick ランク:? 自身の宝具威力をアップ(1T)<OCで効果アップ>
+〔水辺〕のあるフィールドにおいてのみ、自身のNP獲得量をアップ(1T)
+敵全体に強力な攻撃[Lv.]
+自身を除く味方全体の宝具威力をアップ(3T)
作中の活躍
黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン
第2部第7章『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』の「断章(Ⅰ)」にて、敵対勢力のオセロトルに属するサーヴァントとして初登場。
南米異聞帯へ突入した直後、ストームボーダーは謎の巨人から空手チョップを喰らって撃墜され、第二冥界線手前の樹海に不時着。そこは豹頭の戦士オセロトルが支配する領地であった。トラロックは兄のテスカトリポカ、オセロトルの王イスカリ、武装した無数のオセロトルとともに空からの侵入者ストームボーダーを包囲。テスカトリポカの指示を受けたイスカリが攻撃を仕掛けるも、カルデア軍団のサーヴァント、ニトクリス(fate)及びマスターのカドックから抵抗を受け、数名のオセロトルが犠牲となる。そこへ、
なにそれ。笑える。人とか神とか、立場で強さを競うなんて。
なら――神の化身風情である貴女は神そのものである私に敵うのか。
――試してみましょう、ね。
イスカリに代わってトラロックが参戦。天空神の化身たるニトクリスに挑戦する。
以下、2部7章最終盤までのネタバレが含まれるため折りたたんでいます。閲覧の際はこちらをクリック。
雨の神トラロックはアステカ神話において主神級の知名度を誇る強大な神であり、その力の一端を示すかのように雨が降り出す。彼女の登場は文字通り戦況を一変させた。灰色の雲から注がれる無情の雨、血まみれで横たわるニトクリス、全くの無傷で立つトラロック、誰が見てもトラロックの完勝だと分かる状況。回復出来ないほど痛めつけられたニトクリスだったが、敢えてトドメを刺さなかった。それは慈悲ではなく苦しみ抜いて死ぬようにする無慈悲。そんな彼女の意図を知ってか知らずか、テスカトリポカはニトクリスの心臓を抜き取ろうとするが、兄を慮って「必要以上に、他の神話の血に触れるのはどうかと」と忠言。だがこの忠言が彼の怒りに触れた。神に意見したという理由でトラロックの頭に鉛玉による穴が穿たれる。絶対的王である彼に意見するには内容の善悪を問わず命を捧げなければならないルールがあったのだ。あまりに自然な射殺にさすがのイスカリも声を上げたが、テスカトリポカ相手では従うしかなかった。とはいえトラロックは神霊サーヴァント。当然銃弾程度では死に至らず、撤収の際にそのまま放置された。その後、U-オルガマリーの稲妻を受け、黒焦げとなって河に流れていたイスカリを保護。
次の登場は第9節「失われた水の都」。オセロトルの本拠地メヒコシティにある神殿にて、太陽無き夜に一人で出歩くイスカリを見つけて「不用心にも程があるわ」と諫める。前回のストームボーダー襲撃で捕縛したロリンチとシオンを生け贄にする神聖な儀式を翌日に控えた夜。1年前から始まったこの儀式も終わりが近い。この時、トラロックは初めて現代の服装を纏ってイスカリの前に現れたようで、「その姿は?まるで汎人類史の人間のようですが……」と困惑を持たれている。どうやら兄テスカトリポカに「メヒコシティを守るなら、文明に溶け込む努力を見せろ」「古くさい神は嫌われる。オセロトルたちに時代遅れと言われるぞ」と言われ、渋々着替えたようだ。1年テスカトリポカとして育てられたイスカリは汎人類史の滅亡を掲げ、ディノスを滅ぼしてオセロトルの時代を築き、強き心臓を神に捧げると意気込む。だが彼は一度カルデア軍団に敗れた身にも関わらず自信に全く陰りを見せず、増長しているのではと怪しんだトラロックは「汎人類史を甘く見ているのか、いないのか?」と問いかける。まるで一連の儀式の裏に潜む真相を、彼の正体を知っているかのように。
第10節「ORTの日」にていよいよ生け贄の儀式が始まるが、ロリンチとシオンを救出すべく祭壇までカルデア軍団とU-オルガマリーが殴り込んで来る。衆目の中、イスカリが古参のオセロトルを率いて迎撃するが、苦戦している間に別働のコヤンスカヤによって生け贄二人は救出されてしまう。全てがカルデア軍団の計算通りに進みかけたその瞬間、テスカトリポカが飄々と参戦。イスカリを下がらせた後、U-オルガマリーの相手をさせるためにトラロックが呼ばれ、彼女の登場に伴って晴れ渡っていた空は曇天からの土砂降りとなる。
ここで初めてトラロックとのバトル。毎ターン繰り出される「荒ぶるメストリアパン」は浮遊属性を持たないサーヴァントを強制スタンさせる凶悪な性能であり、浮遊無しのサーヴァントで戦うにはスタンを無効化にするネモを生存させる必要があるのだが、トラロックはネモを優先して狙う思考があるため防御手段に乏しいとネモがあっさり落ち、そのまま嬲られてしまう。これまで以上に人選が重要なバトルと言えよう。しかし誰が浮遊属性持ちなのかはゲーム上では見分ける手段が無い。駒姫のようにどう見ても浮いてなさそうなサーヴァントが浮遊判定だったり、空を飛べる設定のメリュジーヌが浮遊していない扱いだったりと見た目だけの判別は困難(再臨の状態によって同じサーヴァントでも浮遊判定の有無が変わる者までいる)。このため情報が出揃っていない最初期のマスターたちは体当たりでの調査を強いられ、多くがトラロックに敗れ去っていった。更に毎ターン3万回復の「豊穣の雨」を使用。火力が足りなければその時点で敗北が決定する。『ミクトラン』での鬼畜ポイントの一つ。余談だが、トラロックはニトクリスに対して「河の氾濫なんて、あの娘には通じなかった」と評しているが、実際には浮遊属性が無いためゲーム中では普通に効く(ニトクリス・オルタには本当に通じないが)。
命を奪うほどの自然の猛威を押し切ったカルデア軍団。だがトラロックの余裕は全く崩れない。彼女はクラスを変化させ、もう一つの姿である古今独歩の軍神ウィツィロポチトリに霊基を変化させ、すぐさま第2ラウンドが始まる。戦の神だけあって攻撃の苛烈さはトラロック形態の比ではなく、毎ターン無敵付与と宝具を撃ってくる攻防一体のスタイル。ただ1回ブレイクすれば戦闘終了になる事、厄介な「荒ぶるメストリアパン」や「豊穣の雨」を使わない事、クラスがバーサーカーに変化する事から、無敵貫通の手段と高火力を用意出来れば簡単に決着がつく。
戦争の神たるウィツィロポチトリ形態はトラロック形態よりも遥かに強く、いつしか形勢逆転。戦闘の主導権はウィツィロポチトリに渡っていた。一部始終を見ていたカドックも「なんだアイツ、えらく硬い上にえらく回転が速い!本当に生物か!?」と評し撤退を推奨する程だったが、テスカトリポカがそれを阻む。逃げ出したロリンチとシオンに代わりカドックとマスターを生け贄にしようと迫る兄妹。テスカトリポカの加護である黒い煙がU-オルガマリーの攻撃すらいなし、カルデア軍団は完全に打つ手が無くなる。全滅まで秒読み段階に入った時、思わぬ闖入者が水を差す。
南米異聞帯の王ククルカンが祭壇へ乱入し、黒い煙を貫通してトラロックにダメージを与えたのである。彼女は以前結んだ縁からカルデア軍団のマスターに肩入れしていた。ククルカンの名を聞いて「マヤの神霊は存在しないはず……でも、この陽気な風は確かにケツァル・コアトルの――」と思考を巡らせるが、その隙を突かれてククルカンの接近を許し、慌てて放った攻撃は全く通用せず、強烈な神霊パンチを受ける。ウィツィロポチトリは石畳を砕きながら吹き飛ばされ、神殿の壁に叩きつけられて気絶。あえなく戦闘から脱落した。
デイビットの令呪を受けたテスカトリポカは宝具を発動し、数日後の未来――宇宙より飛来した侵略体ORTによって崩壊したミクトランやメヒコシティの惨状を垣間見る。トラロックにとってメヒコシティやそこに住む市民を守る事こそが存在意義であり歓びでもあるため、あの惨状は十分動揺を誘うものだった。未来は一時的なもの。時間経過によって時間軸は現在へと戻るが、あくまで陽気な態度を崩さない兄とは対照的に、妹は絞り出すように言葉を出すのが精いっぱいだった。破壊の未来を目の当たりにしたトラロックは平静を取り繕りながら、テスカトリポカに「この都市を戦場にする必要はないのでは?いえ、そもそもあのような怪物を使う必要は」と嘆願するが、願いむなしく聞き入れられず。またククルカンに敗れたのは「娯楽を娯楽と楽しむ自由さ」が足りないと指摘され、人知れず葛藤する。何せ娯楽を受け入れるという事は新たな文化を受け入れるという事。かつて彼女は新たな文化を受け入れたがために滅んだのだから。テスカトリポカの指示でとりあえず先ほどの戦闘の余波で破壊された自身の神殿の修理を始めるのだった。
第15節「花の戦争」で、神官長ヴクブと結託したイスカリはディノスを滅ぼすべくオセロトルを率いてチチェン・イツァーに侵攻。城壁を破壊して市内に雪崩れ込んでいた。一方トラロックは別動隊としてチチェン・イツァー近郊で修理中のストームボーダーを単身襲撃。デイノニクス兄弟やディノスの迎撃を容易に蹴散らす。シールドを張って応戦するボーダーだが、戦況はトラロック優位に進み、あと30分しか持たない所まで追い詰める。しかし艦内では対トラロック用の秘密兵器が急ピッチで製造されていた。神話上でトラロックは一度ケツァル・コアトルに殺されている事を利用し、霊基グラフからケツァル・コアトルの権能を取り出してコーティングした対神霊弾頭をシオンとネモ・プロフェッサーが開発。続いて艦内から出撃したカドック率いるロリンチ、ネモ、ニトクリスのチームがトラロックを射程圏内の艦首右舷へ誘導するべく挑発を開始。ニトクリスとの舌戦が始まる。交わした言葉の中で「貴方は汎人類史を誇りに思っているのですね」「それなのにカルデアと敵対している。人理を守る汎人類史の英霊であるというのに」「トラロック。貴女はテスカトリポカ神とは違う。自ら進んで血を求める神ではない」と胸の内を見透かされるが、負けじとトラロックもデイビットから聞き出した情報をもとに彼女の生前の行いを非難。「都市に住む以上は私の民。民のために血を流すのは神として当然、でしょ」と言い放つ。舌戦によりトラロックはボーダー破壊よりカドックチームの粉砕を優先。仕掛けに乗せられる格好となる。
ここで3回目となるトラロック戦。「荒ぶるメストリアパン」は健在だが、毎ターンの回復量が3000に低下、ネモ付きの固定パーティーのため浮遊属性持ちを選ぶ必要が無く、1回ゲージを破壊するだけで戦闘終了となるため難易度が劇的に下がっている。動揺しているからだろうか。
戦闘自体はトラロックが優勢だったが、知らず知らずのうちに射程圏内の艦首右舷へと誘導され、必殺の霊子魚雷をぶち込まれる。直撃を受けた小さな体は遠く離れた樹海の方まで吹き飛び、雨は止んだ。当たれば確実に霊核までダメージが届く。たとえ霊核が残っていても戦闘不能は確実とロリンチは判断するが…。必殺の一撃を喰らったにも関わらずトラロックは健在。それどころか魔力出力が一回り上昇し、異常な霊基反応を伴いながらストームボーダーへと歩み寄る。「くそ、対神霊弾頭でも効かないのか!?鉄壁にも程がある!」とカドックが毒づくが、「いえ、それは違います。彼女は神霊ではありません」とニトクリスが指摘する。思い起こされる「民のために血を流すのは神として当然」というトラロックの言葉。神は人間のために血は流さない。特に血を欲するアステカの神々が自ら血を流すはずなど。つまり彼女は神霊ではない。
彼女は神霊ではなく、もっと別のもの――
それも、場合によっては神霊を上回る――
トラロックの真名と隠された本当の実力を悟ったはニトクリスは勝算が無いと判断。カドックたちにボーダー内への退避を促した後、オルタ化に手を出そうとした。そこへ不敬極まる奇声とともにカマソッソが乱入。テスカトリポカとの契約でオセロトルへの攻撃を禁じられているはずのカマソッソがトラロックに襲い掛かり、「!? き、貴様……!なぜ貴様が私を狙う!?」と驚愕の声を挙げながら瞬く間に鋭利な爪で切り刻まれ、細切れにされた。突然の出来事に驚愕するカドックチーム。カマソッソ曰く「あの女は正体を現そうとした。そうなればオマエたちはみな、祭壇を彩る生贄になっただろう」とし、「どうせ死ぬのならオレに捧げろ!」という理由でトラロックを切り刻んだのだった。図らずもストームボーダーはカマソッソに救われる形となった。花の戦争はオセロトルの勝利に終わり、太陽遍歴の奪取と恐竜王の殺害に成功。しかし参加した精鋭2000名中16名しか生還者がいない壊滅に等しい被害をこうむった。
カマソッソに切り刻まれ、血を吸われ、連れ去られたトラロックはミクトランの最下層、第九層カラクムルにまで落とされていた。彼女にとって幸運だったのはカラクムルが自身が召喚された地であり、加えて相性も良かった事から、全身に生々しい傷を刻まれながらも何とか戦えるレベルにまで回復。
第18節「水の都(アストラン/カラクムル)」にて、ORTを復活させようとするデイビットとテスカトリポカを阻止するべくカルデア軍団が第九層地下に現れる。そのカルデア軍団の進撃を止めるため立ちふさがるようにトラロックが舞い降り、カルデアに最後の戦いを挑む。
テスカトリポカから「いいかげん正体を明かしてやれよ、ハチドリ」「名前を隠したままで勝てる相手じゃないぜ。さぼり癖の神々の仕事なんざ投げ捨てろ」「昔っから、オマエは人間のために戦う方が強かっただろう?」と正体を隠していた事をイスカリの前で暴露され、思わず兄様呼びを止めるほど怒りに駆られるも、彼にカルデア軍団の殺害を命じられて本来の敵へと向き直る。樹海で1回目、メヒコシティで2回目、ストームボーダーの前で3回目、そして今回のカラクムルで4回目。いずれもトラロックが優勢だったが、全て外的要因に邪魔されて決着がつかなかった。だから今度こそ雌雄を決する。カラクムルの地の利を得ているトラロックはこれまで以上に力を発揮する事が出来る。ロリンチは「……まずいぞ。彼女の言葉は虚勢じゃない。この場所との相性がいいのか、今までで一番強い」「霊基に満ちている防御概念がハンパじゃない。攻撃力じゃカマソッソだけど、防御力では彼女が上だ」と困り顔で評し、正面突破を諦めて迂回を提案。しかしニトクリスは迂回不可能と考え、ここで消える事を覚悟した上でオルタ化。隠され続けたトラロックの真名を看破する。
汝の名は月の湖(メストリアパン)!いや、その姿ではこう呼ぶべきか!聖地を抱くテノチティトラン!
二柱の神を祀った、中南米でもっとも栄えた水上都市と!
テノチティトラン――かつてアステカ帝国の首都として繁栄を極めた都市で、スペイン人の征服で破壊された挙句、残骸の上に現在のメキシコシティを築かれた今は亡き夢の跡。それがトラロックの本当の名前だった。真名看破に伴ってシバの霊基観測が安定し、霊基グラフにも登録される。隠された名前を見抜かれて動揺を隠せないテノチティトランだったが、ニトクリス・オルタの挑発を受けて真の姿を見せ、最大の力を以ってカルデア軍団との決戦に臨む。
開幕時から「岩牢が如き覇王樹(サボテン)」を自身に付与し、被ダメージを減らしながら毎ターンチャージを1増やす。1ターンにチャージが2ずつ進むため宝具連打されやすいが、同時にデバフの「宝具威力ダウン」も付与されているので威力は下がる。この戦闘ではニトクリス・オルタが強制参加。勝利するとトラロックに掛けられた制約が撤廃されて第三再臨が開放される。
己の全てを乗せた戦いはニトクリス・オルタの勝利に終わり、テノチティトランは地面に倒れる。そして心臓を抜き出される事を覚悟しながら瞳を閉じるが、「今はその時ではない」「まだ成すべき事を残した生者の心臓は不要だ。生暖かくて気持ち悪い」と彼女は手を下さなかった。戦闘自体はニトクリスの勝利だったが、オルタ化を強行した代償に消滅は避けられなかった。消える間際、ニトクリスは「イヤイヤ戦っている貴女の姿は、あの頃の、兄弟を失う前の私に似ていました」「戦うべき時、戦うべき相手。それが見えた時、自分を偽らないで」「民のために血を流すと言った、美しい都市の化身。その心臓には、まだ未練が残っているのでしょう?」と問われ、その言葉がテノチティトランの心の中で響いた。その直後に戦闘の余波で足元が崩れ始める。マスターやカルデア軍団は溶岩の上へと放り出され、為す術なく落ちていく。そんな彼らを神殿ロボのオメテオトル・テノチティトランの腕ですくい上げて保護し、ORTの棺がある下層まで降ろしてあげた。
しかし不運な事にテノチティトランやカルデア軍団が移動した先にはテスカトリポカとイスカリの姿があった。これは完全なる利敵行為。敵であるはずのカルデア軍団を助けた理由をテスカトリポカに問われても納得の行く回答が出来ず、それが彼の怒りに触れる。後々足を引っ張られても面倒だと処刑を試みるテスカトリポカを直前で制止したのはイスカリだった。メヒコシティの守護神であるテノチティトランが汎人類史の侵略者に手を貸すはずがない、と。その彼に「ヤツが守っているのは自分だけ」「アイツが一度でもオセロトルに目を向けた事があったか?ないだろ?」「ヤツはどこまでいっても汎人類史の英霊だ。ミクトランの類人猿に肩入れする事はない」「本当の名前を明かさないヤツが、オマエたちに気を許していたと思うか?」と残酷な真実を突きつける。だがイスカリの哀願が届いたのか、テスカトリポカはテノチティトランの処刑よりカルデア軍団の抹殺を優先し、その役割をイスカリが担う。
テノチティトランが自分たちを信じていなかった。この事はイスカリの殺意を萎えさせ、攻撃の冴えを奪い、とうとうカルデア軍団との決着がつかなかった。それならとテスカトリポカはイスカリをORT起動の最後の鍵にしようとするが、彼は自分でも分からない理由で己の使命を拒否し、「全てを破壊するORTを起動させる必要はない」と神に意見したため、1年間手塩にかけて育ててきたにも関わらずあっさり銃殺される。その様子を唖然とした表情で目撃するテノチティトラン。その後の戦闘でU-オルガマリーが参戦し、テスカトリポカが敗死、最後にやってきたデイビットが自ら鍵となる事で遂にORTが起動。停止していた巨躯が動き始めた事で崩れゆく第九層下層。マシュから一緒に脱出するよう促されるが、テノチティトランはカルデア軍団とは同行出来ないとしてカラクムルに留まった。
第21節「空想樹海決戦」では、終わりを迎えるミクトランをつぶさに見つめていた。もはや地底世界に安全な場所は無い。ORTや射出された空想樹の種子が植物以外の生命体を片端から殲滅。種子に殺害された動物は水晶化したのち砕かれてミクトランへと散っていく。傍らには物言わぬ遺体となったイスカリがある。ここに留まったのは崩壊する神殿やマントルに巻き込まれて死ぬためだったが、イスカリの遺体を見つめているうちに正体不明の怒りが沸き上がり、ぼろぼろの体に鞭打って神殿の入り口まで移動する。しかしここまでだった。怒りは冷め切り、何もかも鬱陶しくなってその場に倒れ込む。恐れていた未来は変えられなかった。メヒコシティは滅ぶし、ミクトランも滅ぶ。後はもう何処で死のうが同じだ。自分と同じように冷たくなったイスカリにそう語り掛ける。彼女は彼の正体を知っていた。汎人類史におけるアステカ帝国最後の王モテクソマ2世。征服しにきたスペイン人を迎え入れて裏切られ、中南米の部族にも裏切られ、最後は自国民に石を投げられて死亡した悲劇の王。汎人類史に強い憎悪を抱く戦士。その魂を使ってテスカトリポカが土から作ったのがイスカリなのである。今から1年前、デイビットがミクトランに来てからの事。彼のサーヴァント・テスカトリポカによってカラクムルの地でテノチティトランは召喚され、それからはイスカリの教育係として彼の傍で成長を見守ってきた。…自分が汎人類史側の存在である事を隠して。ふと思い浮かんだ回想でイスカリからも「イヤイヤ戦っている」と見抜かれていた事を思い出し、それに釣られて今際のニトクリスが遺した言葉が去来する。「その心臓には、まだ未練が残っているのでしょう?」と。それならばとテノチティランは最後の力で立ち上がり――。
第22節「惑星を統べるもの」にて、自身が築き上げた街メヒコシティへと戻るテノチティラン。止められないORTの暴威を前にオセロトルたちはもう逃げ出しているだろうと考えており、誰も居なくなった都市の中心でミクトランの最期を見届けて消えようとしていた。そんな彼女が見たのは活気あふれる街並みだった。オセロトルたちは滅亡不可避と知った上で、自分たちの住み処である街を侵略者から守ろうと一致団結していたのである。「この場所でずっと暮らしたい」という意思が彼らを絶望的な戦いへと駆り立てていた。だが未曾有の脅威はオセロトルの抵抗を苦にも思わず、遂にメヒコシティの外縁部に到達。オセロトルは防衛線を都市内部にまで後退させて抵抗を続ける。そんな彼らを守るかのように神殿ロボ、重機動心臓都市オメテオトル・テノチティトランがORTの前に立ちふさがる。
この、クッッッッソ侵略者!
それ以上、私の街に踏み入るな――!
両腕で高速回転するORTの円盤を食い止める。しかしそれは一時的なものだった。圧倒的な力の差により円盤の回転は止められず、押さえつけた両手は爆発して元の石塊となってボロボロと落ちていく。オメテオトルはテノチティトランそのもの。受けたダメージはそのまま操縦者のテノチティトランに返ってくる。両腕を粉砕する激痛に蹂躙され、あまりの痛さに涙も悲鳴も出るし、後悔の念も抱く。汎人類史でもこの異聞帯でも自分は何も守れない。必死になってORTを押さえつけても稼げた時間は1分も満たない。何も出来なかったと己の無力さを思い知り、無様に倒れようとした時、自分を守って戦っているオセロトルたちの姿が映った。彼らは逃げようともせず、汎人類史では守るための戦いさえ起きなかった街を必死に守ろうとORTに喰らいつく。この街で生きたいと願う者がいる限り絶対に屈しない。折れかけた心が補強され、宿った戦意を武器に再びORTを押さえつける。
我が名はテノチティトラン!
戦士たちを祭る壮麗なる水の都!
死してなお甦る、アステカ世界の心臓なり――!
本来1分すら持たないところを彼女は最後の意地で2分間持たせてみせた。この僅かな時間が奇跡に繋がった。テノチティトランの奮戦により太陽遍歴を持った神官ヴクブがメヒコシティから脱出する事に成功。これに伴って人工太陽がチチェン・イツァー方面へと移動を始め、それに釣られるようにORTが針路変更し、メヒコシティから離れていったのである。生き残ったオセロトルは僅か数人、致命傷を負った彼女も命が尽きかけていた。だが彼女は今度こそ自分の街を守り切った。スペイン人より遥かに強大なORTから。最後の大仕事をやり遂げた事で未練が無くなり、テノチティトランは静かに息を引き取った。陽光に照らされた神殿や街並みに見送られながら――。
正体
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真名建造
テノチティトラン
トラロック/ウィツィロポチトリの正体は、1325年3月13日から1521年8月31日に滅亡するまでアステカ帝国の首都だったテノチティトラン。当時の中南米は欧州をも凌駕する治水技術と建築技術を持っており、それらのノウハウを活かして生み出されたテノチティトランは設計・市場・規模・人口・農業・社会的機能、どれを取っても世界一の水上都市であった。その美しさはスペイン人ですら感嘆したほど。元々彼女は月の湖に住む無名の精霊だったが、そこへやってきたアステカ人がテノチティトランを建設。本来精霊は人を避けるもの。しかし人々の営みに惹かれた湖の精霊は都市に留まり、いつしかテノチティトランと一体化。同地で深く長く信仰されていたトラロック神とウィツィロポチトリ神の権能を使えるようになった。つまり彼女は都市の擬人化である。20年間続くFateシリーズで都市が英霊化した例は彼女が史上初。
男神であるはずのトラロックやウィツィロポチトリと性別が異なっていたのは、女性の精霊が二柱の権能を借り受けていたため。本人曰く「トラロック神もウィツィロポチトリ神も偉大な方ですので、彼等らしく振る舞うのは骨が折れますが」との事。よって第一再臨での姿は神を演じていたものと思われる。ちなみに力はテノチティトランに、得られた栄光は元の二柱へ還元しているので双方得をする関係にある。実は『ミクトラン』前編の時点でテスカトリポカから「都市神」と呼ばれていたり、嫌いなものにスペイン人を挙げていたりするなど所々ヒントが散りばめられている。真の姿であるテノチティトランが最も力を発揮出来る形態であり、その実力はカマソッソ曰くカルデア軍団を全員血祭りに上げられるほど。一歩間違えばカルデア軍団の旅は南米異聞帯で終わっていた可能性すらあった。彼女の台詞にある「マリンチェに死を」のマリンチェとは、征服者エルナン・コルテスとアステカ人との間に入った通訳の女性で、後にコルテスと結婚した人。メキシコ湾岸の生まれでありなからスペイン人に手を貸したため憎悪している。現在のメキシコでも評価が分かれており、「裏切りの具現」「邪悪な陰謀を企む悪女」「メキシコ人の象徴的な母」「メキシコの建国者」など千差万別。
『ナウイ・ミクトラン』ではカルデア軍団が訪れる1年前、最奥の第九層カラクムルにてテスカトリポカに召喚される。このためテスカトリポカのマスターであるデイビットに対しては特に敬意を払っていないが、テスカトリポカを通じてデイビットに協力する事になる。強力なディノスの心臓を捧げてORTを復活させるべく種として誕生したばかりの類人猿オセロトルに味方し、モテクソマ2世の魂と土で作られたイスカリの教育係をこなす。第五層にメヒコシティをアステカ風――もといテノチティトランと同じ設計で作り上げ、そこに住むオセロトルたちを庇護下に置く。その威容と活気はU-オルガマリーから「この都市は悪くない!“生き抜こう” “良くなろう”というエネルギーに溢れている!」と評された。彼女にとって街の住民を護る事が存在意義かつ歓びであり、汎人類史の存在でありながら人理と敵対する道を選んだ。しかし人理を裏切る事に抵抗があったのか、異聞帯の存在であるオセロトルを完全には信用しておらず、イスカリにすら真名を隠し続けるなど何処か冷めた目で見つめている。またテスカトリポカ(fate)とデイビットが成し遂げようとする目的はメヒコシティもろとも世界を破滅させるという、彼女の存在意義を完全に踏みにじるものだった。このため嫌々戦っておりその事をイスカリやニトクリス(fate)に見抜かれている。ニトクリスの言葉で心が揺らぐ中、カルデア軍団を倒そうと何度も立ちはだかるが、あろう事かテスカトリポカがイスカリに「真名を隠していた事実」をバラしてしまう。この仕打ちに彼女は激昂、思わず兄様呼びを止めてしまう程だった。様々な葛藤の末、遂にテスカトリポカを裏切る覚悟を決め、溶岩へと落ちるマスターたちを身を呈して助けた。そしてこの時に抱いた未練がメヒコシティ防衛の原動力となり、ORTの脅威から街のみならず太陽遍歴を運ぶヴクブをも守り、カルデア軍団に勝機を残す超絶ファインプレーに繋がった。カルデアに召喚された後の彼女と比較すると『ナウイ・ミクトラン』時はかなり抑圧されていた事が窺える。
都市の擬人化なので基本的に人間が好き。人間という動物を愛しているとも、都市の自分を彩る一要素として好んでいるとも言われる。テスカトリポカ曰く「昔っから、オマエは人間のために戦う方が強かっただろう?」との事。ただしスペイン人とマリンチェには激しい憎悪を抱く。それもそのはず、彼らはテノチティトランを破壊してメキシコシティを作り、彼女の生まれ故郷であるメストリアパンの生態系と環境を破壊し尽くした挙句、徹底的な排水工事で湖そのものを干上がらせた鬼畜だからである(現在でもメキシコシティは環境汚染が激しい都市として有名)。差し詰め彼女はスペイン人に何度も殺されているようなもの。よくアヴェンジャークラスにならなかったなって…。「都市は綺麗に…」「街は綺麗に!常識でしょうが!マグマのシャワーで洗い流す!」「ごみ掃除」など綺麗好きな面が目立つが、これはテノチティトランが環境に配慮した都市だった事、住民に定期的な清掃が義務付けられていた事に由来する。
世界最高の技術で生み出された都市にも関わらず飽くなき向上心を抱いており、他の都市を視察して良い所があれば積極的に取り込もうとする。城に関連するサーヴァントに興味を持っていたのも都市の自分を高める参考にするためだった。コンスタンティノープルを「彼女」と称した所を鑑みるに、テノチティトランと同様精霊と一体化した都市が他にも存在する可能性がある。また気に入った相手には露骨なまでにテノチティトランへの移住を薦める。絆礼装ではマスターの住む実家と街をリサーチした上で引っ越しを迫り、一軒家をプレゼントするというシュールなもの。またモデルケースの名目でしれっと同居しようとする。「アストラン・マイホーム」のアストラン(Aztlan)とはアステカ人が最初に住んだ神話上の場所を指す。ウィツィロポチトリの神託で彼らはアストランを出発し、何百年に及ぶ流浪を経てメストリアパンにテノチティトランを築くという、言わばアステカ族の始まりの地である。今までマスターの家族を名乗るサーヴァントは複数いたが、住居という盲点から攻めたのは彼女が初であり、正妻戦争の新たな挑戦者として界隈を賑わせた。陣地作成:EXを持っているため一軒家を用意するのは造作もないようだ。実際『ナウイ・ミクトラン』でもメヒコシティの土台こそテスカトリポカ(fate)が作ったが、街並みはテノチティトランが作った模様。第三再臨の姿は最高位の神官にしか見せない神聖なもので、イスカリや兄にも見せなかった幻の姿。その姿をマスターに見せるという事はつまり…。
実は彼女の胸中には一度滅んだ都市としての鬱積がある。自分を築いたアステカはスペイン人に征服されて滅び、テノチティトランも破壊された。もう一度都市として存在出来るのなら、それがどんなに小さな世界であっても、今度こそ都市に住む生命を守りたい。そこには強い願いが込められていた。第一再臨(トラロック形態)時に好きな物として「黄金、銀、織物、沢山の羽飾り、工芸職人の作る黒曜石の刃。大通りに並んでいた物は、みーんな好きです…よ」と語っているが、これらはテノチティトランの市場に並んでいた品物。首都には帝国全土から貢納された希少品が全て集積されて世界一の市場が築かれていたのである。またアステカ帝国に献上された金銀財宝も保有しており、マスターの誕生日に勤勉さを労って特別に宝物庫を開放してくれる。アステカの忘れ形見、夢の跡とも言える財宝は彼女にとって大切なもので、兄のテスカトリポカにすら明かしていない秘密の宝物。それをマスターにのみ好きなだけ分けてくれる。
何気にクラススキルを7つも持つ。これはディオスクロイ(fate)に並ぶ最多記録であり、またディオスクロイと違ってマイナス効果が一つも無いため、純粋に多くのスキルの恩恵を享受可能。プリテンダーらしくトラロック、ウィツィロポチトリ、テノチティトランの権能を全て持っている訳である。自分自身が都市の擬人化なので陣地作成スキルは規格外のEX、二柱の神を宿しているため神性はA+に達する。他にも水辺のある戦場で真価を発揮する水辺版単独行動こと水辺の営み:A+、実質カリスマの完全上位互換の花の戦争:A、フィールドにいる間は自身を除く味方全体のArtsカードを強化する都市国家同盟:A(フィールドにいる間のみ効果が出る系統は現状6種類しか存在しないレアスキル)、自身にNP付与と毎ターンNP獲得状態を与えてフィールドを水辺にする第三の太陽:A、Arts、Quick、クリティカル性能を一挙に上げるとともに味方全体にダメージカットを張る月の湖:EXと独特なスキルを持っている。見ての通りいずれもA~EXと非常に高ランク。これを超えるのはアルジュナ・オルタのような異次元の存在くらいなので、如何にテノチティトランが破格なのかを雄弁に物語っている。アステカ神話の有名な二柱と最高級の水上都市の加護を受けた強力無比な神霊級サーヴァントと言えるだろう。一方で本体は精霊に過ぎないためか自身のパラメータはD~Bと低め。
通常、サーヴァントは真名看破されると弱体化したり不利になる。しかしテノチティトランは正体を明かすと逆に強くなるという数少ない例外。そもそも彼女は英雄ではなく都市の擬人化のため正体が割れても弱点となるような逸話が無く(実際対トラロック用権能を搭載した霊子魚雷すら致命傷にならなかった)、対策のしようがない反則的存在。この事も防御力の高さに寄与しているものと思われる。
型月世界での月の湖は人類の安息と繁栄をもたらす人理の収束点(パワースポット)、地上にありながら星の内海と同じ霊脈を持つという、しれっとトンデモない設定が明かされた。その場所に生まれたテノチティトランの精霊は実質楽園の妖精と同格と言える。
ステータス
- クラス:プリテンダー
- 真名:テノチティトラン
- スキル
- 陣地作成:EX
- 都市の擬人化であるテノチティトランの陣地作成は最高ランクのものである。
- 神性:A+
- 二つの神性を持つため、とても高い。
- 水辺の営み:A+
- 最高峰の水上都市としての矜持、誇り。
- 都市国家同盟:A
- アステカ帝国とは、テノチティトラン、テスココ、トラコパンの三都市同盟による共同体であった。
- 第三の太陽:A
- 雨の神トラロックが支配した世界(第三の太陽ナウイ・キアウィトル)を創造する。
- 花の戦争:A
- ショチヤオヨトル。都市国家を存続させるためには他部族との戦争、そして奴隷の獲得は必須であった。テノチティトランの神殿には心臓を抜かれた生贄たちの跡が続き、その活力によって彼らの太陽世界は守られたという。
- 月の湖:EX
- メストリアパン。放浪のアステカ人たちが辿り着いた安住の地、後にテノチティトランが築かれる湖の名。人類に安息と繁栄をもたらす “人理” の収束点。ようはパワースポット。地上にありながら星の内海と同じ霊脈を持つ。パーティ全体に高い物理カットを付加し、テノチティトラン自体は超パワーアップする。
- 宝具
重機動心臓都市(オメテオトル・テノチティトラン)
ランク:D / 種別:対軍宝具 / レンジ:1~40 / 最大捕捉:100人部族神ウィツィロポチトリの魂を骨格に、雨の神トラロックの魂を外皮に、積み上げられた巨石を筋肉に、二柱を祀った神殿を長い槍に変形させて武器とし、捧げられた生け贄の血をパイプラインにして起動する巨大神殿ロボ。アステカ文明が生み出した奇跡の至宝テノチティトランをロボット化したのがオメテオトル・テノチティトランである。オメテオトルはナワトル語で「二柱の~」を意味する。
魔力量や場所によって大きさが変動するらしく全高は30~50mとガンダムよりでかい。ウィツィロポチトリ神に捧げられた人間の血液が全て貯蔵されており、それらを魔力リソースにして駆動する。起動時には神霊級の魔力が周囲に展開され操縦席にはテノチティトランが乗り込む。宝具で呼び出された際は腹部の発射口からマグマの如き高温の血液が迸り、階段状のビーコンを辿って敵の集団を呑み込む。その激しさは血液の奔流というよりもはや赤いビームである。エクストラアタックで呼び出された時は上半身のみ顕現し、神殿を象った槍で薙ぎ払うというド派手な攻撃を見せる。巨大ながらもテノチティトランの意志ですぐに出撃させられるようで、戦闘中によく搭乗する。彼女がストームボーダーに張られたシールドを理解出来なかった所を見るに、オメテオトル・テノチティトランは科学技術に頼らない材質の性能のみで勝負する機体と思われ、意外と原始的な作りになっているのかもしれない。だが型月世界最強のORTの侵略を一時的とはいえ食い止めた辺り最高級の素材が使われているのは間違いない。ちなみに神殿ロボは都市そのものなので受けたダメージはテノチティトランにも返ってくるエヴァンゲリオン仕様。仮に両手を破砕されると彼女の両手も破裂するが、再度魔力を込めれば再生する。比較的近代的だからかランクはDと低めだがテノチティトランの全てが詰まった対軍宝具。
マイルームでの台詞からテノチティトランやマスターがメンテナンスしている模様。彼女はワープ移動で機体に乗り込んでいるが、普段閉ざされている宝物庫の奥に「禁断の部屋」と呼ばれるコクピットがあるため、そこから搭乗する事も可能。コクピットは石造りだが全天周囲モニター型を採用しているなど一部先進技術も使われている。重機動心臓都市だけにコクピットは彼女にとって心臓部。テノチティトランが心から信頼した者にしか立ち入れない禁断の領域である。バレンタインイベントで、コクピットへ入るにはハチドリ型の鍵が必要と判明。そしてその合鍵をマスターに手渡した事で彼も自由に入れるように…。オメテオトル・テノチティトランは都市そのものだが、鍵さえ持っていれば操縦資格は特に無く、マスターでも操縦可能とされている(実際誕生日限定ボイスでマスターに操縦させようとする)。「いつでも私の奥に来てくれて、いいんです、よ?」
アステカ帝国興亡記
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ここからアステカ帝国の興亡と首都テノチティトランの歴史を見ていこう。
物語の舞台となるテスココ湖(メストリアパン)は、メキシコ中部、メキシコ高原に位置する自然湖。北部のシャルトカン湖や南部のソチミルコ湖とも接続していて広大であった。湖底に多くの塩分を含んでいるテスココ、シャルトカン、ズンパンゴは海水、南東部のソチミルコとチャルコは湧水があったため淡水といわゆる汽水であり、かろうじて農業には使用出来たものの飲用には適さない。mētz-tliで「月」を、apanで「湖」を意味する事から言葉的にはメストリ/アパンとなる。決してパンの名前ではない。
その成り立ちは約7万~1万年前の最終氷期まで遡る。シャルトカン湖からは60頭のマンモスの化石が発掘されており湖の歴史の雄大さを静かに物語る。プロイセンの博学者アレクサンダー・フォン・フンボルトが「空気が最も清浄な領域」と評するほど自然豊かで綺麗な湖だったとされ、メキシコ渓谷から追いやられた水生生物にとって最後の楽園であった。このため固有種の柳、アホロートル(サンショウウオ)、サギ、両生類、藻などが群生し、外部からは多くの渡り鳥がテスココ湖を目指して飛来していた。
実際に人が住みだして農業を始めたのは7000年前頃とされる。紀元前1700~1250年の間に湖の北東部にて幾つかの集落が誕生。テスココ湖東岸で野生動物を狩って生計を立てていた。西暦1世紀頃に古代メソアメリカの都市テオティワカンが誕生し、当時のアメリカ大陸で最も人口が多い栄えた都市となったが、7~8世紀頃に侵略者から攻撃・放火された事で壊滅。しかし以降もショロク、アスカポツァルコ、コヨワカン、クルワカン、チマルパ、チマルワカンなどテスココ湖の周囲には都市が築かれ続けた。当初は力関係が拮抗していて平和な時が流れていたものの、次第に力を付けたアスカポツァルコのテパネカ族が1300年頃までに周囲一帯を支配。その支配を揺るがす事になるのが、メキシコの谷と呼ばれる鬱蒼とした森から100年の流浪を経てやってきたアステカ族、テノチティトランを築く彼らである。
清潔なる先進都市テノチティトランでの暮らし
湖に定住するにあたって最初に直面したのが真水の供給問題である。先述の通りメストリアパンは淡水と海水が入り混じる汽水のため飲用水と農業水が確保出来ず、当初は近くのチャプルテペックの泉から清水を輸送しなければならなかった。島の上に生活基盤を築くのは地上より難しかったが、ウィツィロポチトリが定めた永住の地という事でアステカ人は知恵を絞り、少しずつ街を作り上げてゆく。
優れた治水技術を持つアステカ人たちは堤防となる土手道を南北に建設。こうする事で湖水を遮断して東部を淡水化させる。堤防はダムの役割も担っており、網目状の濾過装置で不純物が入らないようにし、また水位が上昇すると洪水を防ぐため閉じる仕様になっていた。続いて西側にあるチャプルテペックの丘から石造りの水道橋を引き、わざわざカヌーで輸送しなくても真水が手に入るように工夫している。
島の端ではチナンパと呼ばれるイカダの上に畑を作る農法を以ってトウモロコシ、カボチャ、トマト、インゲンマメ、エパゾート、タバコ、綿花等を栽培。ミネラルが豊富な湖底の土と淡水を使っているため肥料や農薬を使わずとも大きく育つ特徴があり、年間を通して耕作が可能、収穫量も多い(トウモロコシであれば従来1ヘクタールあたり3トンだがチナンパでは5トン)と現在のソチミルコでも使用される程の先進的なものだった。1年間に3~4種類の作物を育て、収穫が終わると事前に用意しておいた苗を植えるという効率的なサイクルで食料を生産し、肥大化する人口を食べさせ続けた。農業に関してもアステカ人はヨーロッパ人より優れていたのである。
メストリアパンは天然資源が豊富だったため動物を狩猟してチナンパの肥料にしている他、他都市との物々交換に必要な物も十二分に確保。中でもアステカ人はエビ類やリュウゼツランから醸造されるプルケという酒を好んでいたらしい。テノチティトランでは食肉を生産する術も用意され、野菜、肉、魚類を全て摂取出来る実に健康的な食料供給体制を獲得。膨れ上がる人口を養えるだけの生産量を常にキープし、余剰分はアステカの戦士たちに与えられて版図の拡大に一役買ったんだとか。1449年に大規模洪水が起きた事で更なる堤防が建設され、湖の水位を調整する効率的な汽水分離システムが作られた。
テノチティトランと陸地を結ぶ土手道は全幅15mの石造りで出来ており、1449年の洪水以降に作られた土手道は湖水に対する耐久性を上げる目的で粘土や土も使用されている。当初は南北の土手道だけだったがアステカ帝国の拡張に伴って土手道が増設されて交通の便が向上。敵に攻められた時に備えて土手道や橋を切り離す機能も用意されており、都市防衛も視野に入れられていた事が窺える。水上都市だけあって徒歩以外にもカヌーが移動兼輸送手段に活用されていた。多い時は1日に約6万隻が往来していたという。テノチティトランに住む居住者は全て貴族、商人、奴隷等で農民は一人もいなかった。年代記によると彼らには定期的な清掃と土手道の点検が課され、市内で出たゴミは焚き火できっちり焼却処分されるなど環境に悪影響が出ない清潔な都市であった。住民たちは入浴を好み、人口の殆どが1日2回、初代モテクソマ王に至っては1日4回も入浴するほどの綺麗好きだったらしい。街も住民も綺麗だったと言えよう。アステカ族がメキシコ周辺の部族を支配して繁栄していくごとにテノチティトランも拡充工事が行われ、遠く離れたインカ帝国、メキシコ湾、太平洋から輸入品を運ぶ商業ルートを新設。通貨にはカカオ豆と豆を使用していた。経済と自給自足の基盤を手にしたテノチティトランは世界一と呼べる巨大市場に発展。宮殿に鎮座するモテクソマ王はメキシコ中部から南部にかけて500万人に及ぶ帝国民を支配していたと伝わる。
帝国の政治形態は君主制に似ていた。素晴らしいスピーカーを意味するヒューイ・トラトアニという名の王が頂点に立ち、その下にテノチティトランの各地区を治める首長(カプレック)が存在。首長は毎日宮殿へ出向いて王の意向を聞き取り、自身が議長を務める討議会で政府の方針や人選を決める。裁判官、役人、司祭など国家運営に関わる重要な役職の任命は王が直々に行う。特に裁判官は最高幹部だろうと逮捕出来る強大な権限を持っていたため前科持ちは決してなれなかった。王が死去した場合、討議会を開いて後任者を選出する。
アステカ帝国はその広大な版図とは対照的に常備軍を有しておらず職業軍人の概念が存在しなかった。したがって平時は商人や農民として過ごし、戦時のみ徴兵されて武器を握る。ただ一部の上級戦士と国境地帯に建てられた要塞に駐留する戦士は終日働き続けた。戦士の教育は男に生まれた時から施される。出産時、左手に盾を右手に矢を握らされ、短い儀式を行った後へその緒は有名な戦士によって埋葬。女の子だった場合はへその緒を家の暖炉の下に埋められる。戦士は下層階級だが、士官クラスになれば年齢問わず貴族と同じ扱いを受けられるため、戦士職は一般人が成り上がれる道でもあった。また上級の戦士は警察的役割をも担った。常備軍を持っていないとはいえ男子は全員訓練を受けているため戦争に即応可能な体制が築かれていると言える。戦士として一人前と認められるには敵国の戦士を捕虜にする必要があり、捕まえた戦士が多ければ多いほどランクが上がって装飾も派手なものになっていく。西洋の軍隊のように「下士官」「将軍」といった階級も定められていたようだ。貴族出身の若者が戦場へ行く場合、両親が有名な戦士に賄賂を贈って捕縛のサポートをさせる事もあったとか。戦士だけでなく商人もまた帝国にとって重要な戦力だった。ポクテカと呼ばれる商人たちは勢力圏外の国々とも交易するのだが、その際に王の命令に従って情報収集するスパイ活動も行い、彼らからもたらされる情報は今後の軍事作戦をも左右する貴重な情報源となりえた。勢力圏が拡大するにつれて遠方からの情報が入りづらくなるため商人の重要性はより増大。このため仮に商人が殺害された場合はそれを口実に戦争を仕掛け、危険な地域へ向かう時は戦士を護衛に付ける事もある。商人以外にも帝国はキミヒチンというスパイを街へ送り込んで情報収集させた。商人が移動しながら情報を集めるのに対しキミヒチンは一つの街に留まって活動。地形の調査、敵軍の詳細、要塞の位置、戦士の動員状況、反体制派に金を握らせて情報を得るなど現代に通じるスパイ活動を行った。キミヒチンは怪しまれないよう夜間のみ移動し、その地域に沿った衣装と言語を巧みに使用して情報を引き出す。もし捕まれば死は避けられないため帝国から手厚い補償が受けられたという。このようにアステカ帝国は戦士による力押しだけでなく情報戦にも注力しており、これが連勝の要因となった。
テノチティトランは性別、身分、地位に関係なくほぼ全ての子供に義務教育を提供した世界初の都市であった。10歳になると家庭での教育が始まり、15歳から20歳まで学校に通う。学校は大別して2種類に分けられ、軍事技術や戦法を学んで戦士を育てる兵学校。もう一つは天文学、執筆、神学等を学んで専門職を育てる学校が存在。一般的な家庭は前者の兵学校に入学し、朝の冷浴やハードワークに代表されるスパルタ式の厳しい訓練を受けて戦士の肉体と心構えを得る。20歳になった時に希望すれば戦場へ行く事も出来るが、大体の生徒は卒業とともに家へと帰っていく。後者は貴族の子供が司祭、指導者、芸術家、ヒーラー(薬剤師や医者のようなもの)になるために入学した。女性のヒーラーは助産婦にもなれるとか。どの学び舎でもアステカ人としての礼節はしっかり教え込まれる。
アステカ族は多くの罪人に対して処刑という態度で臨んだ。殺人、中傷、偽証、強姦、強盗、他人の財産の破壊等は処刑に値する重罪として扱われる。処刑される罪人も生け贄の儀式に捧げられたが、通常の生け贄と違って名誉も何も無い、ただただ殺すためだけに行われる。一方で処刑する程のものではない軽犯罪は犯人の家の破壊や散髪、盗んだ商品の支払いで済んだ。10歳未満の子供は罪を犯せないと考えられていて仮に法を犯しても鞭打ち程度の刑に留まる。ただし両親に危害を加えたり殺害した場合は処刑される。
レジライ先コロンブス時代においてテノチティトランは中南米どころかアメリカ大陸最大の都市であり、月の湖メストリアパン(テスココ湖)の水上に築かれた先進的かつ美しい最高級の都市だったと言われている。その技術力は征服に訪れたスペイン人すら驚かせた。ベルナル・デイアス・デル・カスティージョは「水から立ち上がる大きな塔や建物はまるで魔法のようだ」「夢にも思わなかった光景を目の当たりにし、どのように説明すれば良いのか分からない」と記録に残している。当時の人口は20万~40万人と見積もられた。これはヨーロッパの都市でいうパリやコンスタンティノープルに匹敵する規模で、土地の面積はロンドンの5倍に相当する。スペインで最も人口が密集している都市ですら1万5000名なので如何にテノチティトランの人口が膨大だったかが分かる。
アステカ族の始まり
アステカ族は定住の地を持たない流浪の民であった。神話上では当初チコモストックと呼ばれる地球の内部に住んでいたが、7つの洞窟を通って地表に進出し、鬱蒼とした木々が生い茂るアズトラン(白き場所という意味)に住み着く。そこへ部族神ウィツィロポチトリがアズトランを出て永住の地を探すよう命じた事で南下を開始。一説によると890~1111年の間に漁師と戦士のグループがアズトランを出発したとされる。1163年にトゥーラ近郊のコアテペックに一度腰を下ろすが、旅を続けたい派と終わりたい派に分裂して内部抗争が勃発。悶着のすえ旅は続行される事になった。
彼らが歴史の表舞台に登場したのは、1168年にアナワクバレーで確認された時だった。メキシコ北部から、もしくはアメリカ南西部から流れ着いたとされる。彼らは安住の地を見つけたとしても長くは留まれなかった。というのもアステカ族は最後にメキシコへ到達した北の部族であり、土地の大部分はいずれかの都市国家の勢力圏になっていて、そこを支配する国との対決が避けられなかったのである。支配者に目を付けられて武力闘争が起きれば逃げるように旅を再開した。放浪している間にアステカ族は各部族の文化を吸収して着々と成長。しかしアステカ族には女性が極端に少なかったため、他部族から女性を誘拐しまくった結果、アナワクバレーの全部族に敵視されるようになり、一部は捕まって奴隷にされたという。1000~5000名程度しかいない弱小のアステカ族には応戦する事すら出来なかった。それでも彼らは部族間で行われた戦争に参加し、そこで勇猛を示した事で諸部族からの信頼を勝ち取る。褒美に何が欲しいかと問われた時、アステカ族は尊敬される一族に成長するためにリーダーの娘を要求し、美しい少女が与えられたが、アステカ族はその少女を生け贄にして自然の女神に見立ててしまった。この時には既にウィツィロポチトリ信仰による終末思想が根付いていたと推測される。何も知らない父親が結婚式に出席するかのように訪れると、そこには変わり果てた娘の姿が。当然父親は激怒。部下の戦士をけしかけて報復の大虐殺を行いアステカ族は逃げ出した。
テパネク帝国の従属として
1325年、100年の流浪の末にメストリアパンへ辿り着いたアステカ人は湖の西岸に近くに小島を発見。ここはどの国にも属していないメキシコ最後のフロンティアであった。そこを中心にして大きな人工島を作り上げた。これがテノチティトランの始まりである。現在では1325年3月13日に建設された事になっているが、実のところ起源は明らかになっておらず、600周年記念の節目となる1925年に便宜上制定したものを使っている。テノチティトランは「ウチワサボテンの中で成長する岩の間」という意味(諸説あり)。こうして永住の地テノチティトランを築いたアステカ族であったが、この時はまだ信仰の統一化がなされておらず、ウィツィロポチトリを信仰する主流派に反発した派閥が現れて内部抗争が勃発。最初の敵は身内だった。建設から12年後の1337年、反対派のトラテロルカ族がテノチティトランから離反し、北部の島に新たな国家トラテロルコを興してテノチティトランと敵対する。トラテロルコとは「丸みを帯びた地球の丘」という意味。彼らは塩作りを主要な産業にしていた。
太陽の神ウィツィロポチトリを信仰するアステカ族は血を捧げるための生け贄を常に欲しており、生け贄確保の目的で版図の拡大を企図するようになるのは当然と言えた。しかしメストリアパン周辺には既に数々の都市国家が存在し、中でも一帯を束ねるテパネク帝国は強大過ぎて下手に動けば滅ぼされかねない。そこでテノチティトランは最も強大な勢力であるテパネク帝国の首都アスカポツァルコ市に朝貢して属国となり、戦士を供給するといった支援を行う見返りにテパネク帝国が征服した土地の一部を分けてもらう事に。トラテロルコも存続のためアスカポツァルコの傘下に入った。1375年、20歳のアカマピチトリが最初の王に就任。各地区を治める20人の首長から次々に娘があてがわれて多くの子を残した。1376年、アステカ族とチャルコ族との間で戦争が生起。8年間続いたこの戦争では両陣営とも戦士を生け捕りにしては解放するという奇妙な行動を取った。1414年にチャルコ族と二度目の戦端を開くが、この時はもう捕虜が解放される事は無かった。テパネク帝国はライバルであるアコルワを滅ぼすため戦争を仕掛け、テノチティトランもテパネクの側に立って参戦。時の王フイツィリウィットルは戦士でもあり、テパネク帝国の作戦を効率的に支援した他、政略結婚による同盟強化の成果も挙げるなど大変優秀であった。その甲斐あってテパネクは1418年に見事アコルワを下して勝利。褒美としてアコルワの首都テスココを与えられた。
しかし両国の関係は長くは続かなかった。テパネクのアコルナワカトル王と次代の王テゾゾモクはアステカの支援により躍進したが、彼らの死後に国王となったマクストラはアステカとの同盟関係を維持出来ないまま暗殺され、そのまま泥沼の内部抗争が勃発してテノチティトランのトラトアニ(統治者)チマルポポカも暗殺される。自国の王を暗殺されたテノチティトランはテパネクに対する下剋上を決意。1427年、新たな統治者となったイツコアトルは敵の敵は味方理論で、帝国と対峙するトラコパンや属国テスココと同盟を締結し、テノチティトランが中心となってアステカ帝国が誕生。翌年三国同盟はテパネク帝国と戦争。114日間に及ぶ攻防戦を制してアスカポツァルコを攻め落とした。残ったテパネク領もテノチティトランに征服され、三国同盟に分配。テノチティトランは湖の南北を、トラコパンはアスカポツァルコを含む西部を、テスココは東部を手に入れた。こうして下剋上は成功。覇道を歩むための土台を確保するとともにメキシコ渓谷の主導権はアステカ帝国に移った。アスカポツァルコには経験豊富な金細工師のグループが置かれ、絶え間なく届く原材料を加工して帝国に納める事が求められた。1430年までに先進的な村の文化を吸収して軍事力を向上。
アステカ帝国の大いなる飛躍
続いて権力基盤を確たるものにすべくテスココ湖南方の都市国家群を征服する事にし、クルアカン、ソチミルコ、クイトラワク、ミズクイック等を次々に撃破。肥沃な大地や生産性の高い経済地を獲得して食糧事情は大きく改善され、トラコパンやテスココに対する絶対的優位性をも確保。湖の南方を勢力圏に収めるとテノチティトランと南岸を結ぶ土手道の建設工事に着手。これにより南部への交通の便が劇的に向上した。1433年、アステカ帝国はモレロス渓谷のクアウナワクを征服して一気に国力を高めた。1440年にイツコアトルが退位すると初代モテクソマ王が即位。彼は征服した国の忠誠心を試すため大神殿の拡充工事という名目で各都市から労働力を徴発。殆どの国は素直に従ったが、唯一チャコル族の都市国家アウィリサパンが反発。言う事を聞かないチャコル族を殴りつけるためアステカ族はベラクルス中部と北部とで攻勢作戦に転じ、アウィリサパンごとコサマロパン、クエトラストランを征服。あらゆる製品や原材料の供給体制を築き上げた。
1450年、十の兎(マトラクトリ・トチトリ)と呼ばれる年に帝国全土が異常気象レベルの降雪に見舞われた。乾燥地帯のメキシコ盆地に雪が降る事自体が極稀だというのに背丈の1.5倍にも及ぶ雪が積もり、多くの家々が損壊もしくは倒壊し、植物は全て枯れ、過酷な冷え込みに伴って酷い風邪が流行。とりわけ高齢者の病死率が高くなった。この異常気象により向こう3年間は農作物が壊滅状態に陥り、誰一人生き残れないと思えるほど大勢の人間が亡くなった。生き残った人々は自分の子供を代金にして災害の影響を受けなかった地域からトウモロコシを購入。初代モテクソマ王も支配域からの貢納を6年間停止するとともに穀物庫に保管していた10~12年分のトウモロコシを放出して領民を守ろうと最善を尽くした。しかし災害による被害は留まる所を知らず、あらゆる草原で若い男女が死に絶え、チャルコでは飢えたジャガーやコヨーテが人を襲う事態まで発生。未曾有の災害はアステカ帝国の軍事行動さえも止めてしまった。唯一飢饉から逃れられたのは幸運にも雨が降った地域のみだった。テノチティトランの神官たちはこの異常気象を「神々の怒り」と考え、怒りを鎮めるために多くの生け贄が必要だと判断するが、テスココの王ネサワルコヨツィンは自国民を犠牲にする事に強く反対。戦争捕虜で十分との見解を示した。ちょうどアステカ帝国の拡大に反発するトラスカナン、チョルラ、フエキソツィンコの都市国家群がおり、捕虜の調達先には困らなかった。初代モテクソマ王は1454年より花の戦争と呼ばれる生け贄確保のための戦争をこの三都市に仕掛けた。花の戦争では弓矢や投石といった遠距離武器を封じて近接武器のみで敵兵を倒す、交易を遮断する(いわゆる通商破壊)など普段の戦争では見られない変わった戦い方をした。言うなれば生殺しである。輸送用の大型家畜を持っていないアステカ帝国は遠征が大きな負担になるため、テノチティトランに近い場所で定期的に生け贄を供給出来るようわざと敵対国を生かした。花の戦争により生け贄の供給源を手にした訳だが同時にトラスカナン人の深い憎悪も買う事になる。未曾有の災害は1455年に雨が降って豊作を迎えた事で終息したが、1464年に「火の雨が降った」と形容される程の日照りと干ばつが発生。更に強風による倒木被害が相次ぐなど災害から立ち直ったばかりの帝国を苦しめた。
1469年、初代モテクソマ王の死に伴って孫息子アシャヤカトルが王位に就く。彼の妹はトラテロルコの統治者モキウィクスのもとに嫁いでいたのだが、彼から虐待を受けていた事が発覚し、1473年にアステカ帝国がトラテロルコに攻め込んで「トラテロルコの戦い」が生起。戦闘は人口で優位に立っていた帝国が勝利。アステカ族は復讐としてトラテロルコの本堂を破壊したのちゴミを投棄して礼拝出来ないようにした。敗れたトラテロルコはそのままテノチティトランの支配下に置かれ、取り扱っていた貿易を全て引き継いだ事で帝国内でも重要な市場へと発展していった。意外な事にアステカ族とトラテロルカ族との間に決定的な亀裂は起こらず友好関係を結んでいた模様。136年の時を経て元の鞘に収まった訳である。その後、アシャヤカトルは西方へ出兵して中央ゲレロとプエブラバレーを征服。1481年にアシャヤカトルが夭折したため兄のティゾクが王になるも、外敵との戦いに敗れて無様な姿を見せたせいで前任者に征服された国が一挙に造反。彼の在位期間の大半は反乱勢力の鎮圧に使われた挙句、1486年に暗殺されて終わった。次の王になったのはティゾクの弟アウィツォトル。彼の軍事的手腕によりアステカ帝国の勢力圏は遂に太平洋側にまで達し、カカオの一大産地ソコヌスコを征服したが、それ以上は兵站の問題で進撃出来なくなる。1488年、ポポカテペトル山から降りてきた雲霞の如きイナゴの群れがチャルコ地方に襲来。トウモロコシ畑が被害を受ける。
1502年、初代モテクソマ王の甥だったモテクソマ2世が王位に就く。彼はテノチティトランの特権だった神殿の建設などの公共事業を支配域でも推進して宗教の統一化を図り、また太平洋沿岸を南下してトラパネコ族を服従させる。
テノチティトラン、テスココ、トラテロルコの都市国家同盟からなるアステカ帝国は隆盛を極め、メキシコ湾岸から太平洋に至る広大な土地を支配域に収めた。その面積はイタリア本土に匹敵する。テノチティトランは政治、トラテロルコは市場、テスココは文化の中心とそれぞれが中核を担った。アステカ帝国は強大な軍事力を駐留させて支配域を維持する欧州式の領土帝国ではなく、征服した領土に友好的な統治者を配置し、友好関係を結ぶ形で支配。支配域は属州、戦略州、支流州の三つに大別され、戦略州は「双方合意のもと」で帝国に物資を納め、属州は定期的に物資を納入、最下位の支流州の納入は合意ではなく「義務」とされた。例えばチアパス州からは農作物と海産物、琥珀、コンゴウインコのカラフルな羽を、優れた金属加工技術を持っていたオアハカからは貴金属の加工品を、プエブラからは戦闘糧食と戦士を、モレロスからはカカオを帝国に献上。食糧、織物、貴重品、生け贄、無数の賛辞は全て最大権力を有するテノチティトランに集積。一説によると1年間に数万トンの食糧、10万着以上の衣服、3万個以上の羽毛の包み等がテノチティトランへ運び込まれて住民の生活と戦費を支えていた。当時の人口からテノチティトランは世界最大規模の市場だったとされ、アステカの商人たちは他の都市やインカ帝国から高級品をテノチティトランに仕入れていた。まさにテノチティトランは帝国の中心として絶頂期を迎えていたのである。
スペイン人の来襲
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アステカには、ウィツィロポチトリに追い出されたケツァル・コアトルが1519年に神々の住む東の海から帰還するという伝説があった。1517年頃から中南米の東海岸に姿を現し始めたスペイン人を見て、「彼らこそがケツァルコアトルなのではないか?」という見方がアステカ帝国と支配域内で広まった。また大彗星の接近、ウィツィロポチトリの神殿で起きた原因不明の出火、シウテクトリ神殿への落雷など不吉な出来事が次々に発生し、アステカ人が漠然とした不安を抱いたため、モテクソマ2世はナウトラ、トズトラン、ミトランクワクトラの海岸に見張り台と警備員を設置して警戒態勢を敷く。
1519年4月21日、スペインの征服者エルナン・コルテス率いる第三次遠征隊がメキシコ東岸のサン・フアン・デ・ウルア港に到着し、508名の兵士、100名の水兵、14基の小型大砲を揚陸。まず彼は港から7マイル先に橋頭保のベラクルスの街を建設する。コルテスたちが最初に向かったのはアステカ帝国の支流州トトナックの町センポアラとキアウイトランであった。スペイン軍はアステカ帝国からの解放を約束する代わりにトトナックとの軍事同盟を締結。テノチティトランから徴税に訪れた5人の役人をコルテスの入れ知恵で逮捕した。納税を止めたセンポアラを誅するためティサパンシンゴのアステカ人がトトナックの鎮圧部隊を編制するが、スペイン軍の騎馬隊によって迅速に撃破され、センポアラとキアウイトランはスペインの勝利を確信。8月16日、スペイン軍はテノチティトランへ向けて進軍を開始。トトナックはスペイン軍と一緒に行動して大砲を輸送したり、1300人の戦士を供与するなど積極的な支援を惜しまなかった。
帝国に征服された諸部族は神話上でメキシコに戻ると予言されていたケツァル・コアトルの要素をコルテスに見出し、帝国の圧政から解放してくれると信じた上、コルテスもまたその事を喧伝したため多くの部族が従った。道中で通りがかったハラパの人々はコルテスの一団を歓迎し、休憩で立ち寄ったザウトラでもアステカの戦士が駐留していたため明言は避けつつもスペイン人への協力を約束。モテクソマ2世もまたコルテスをケツァル・コアトル、それどころかウィツィロポチトリかもしれないと考え、家臣のイスタカマクティトランを送って敵対中のトラスカランの領土を避けるよう助言したが、罠と疑ったトトナック人の反対を受けてコルテスは予定通りの進軍路で進む事を決めた。
トラスカランはアステカ帝国との戦争状態にある都市国家の連合体であり、花の戦争により帝国に捕まった者は生け贄にされ続けていた。トラスカラン人はコルテスたちを半神半人の不可思議な存在として迎え入れたが、シコテンカトルという戦士が彼らの通過を頑なに拒んだため、トラスカランは彼を打倒出来れば軍事同盟を結ぶと条件を提示した。9月2日、シコテンカトル率いる軍団とスペイン軍の戦闘が始まる。しかしスペイン人容認派のマキシカチンの謀略で多くのシコテンカトルの兵が脱走して戦力不足に陥ったため、夜襲を主体にした戦法に転換。継続的な攻撃でスペイン軍とセンポアラの戦士を極度に疲弊させた。ところが戦場が街に近かった事からトラスカナン上層部は和平を提示し、勝敗が決まらないうちにシコテンカトルは戦闘中止を命じられ、9月17日に軍事同盟が締結された。9月23日、首都ティサトランへ入城したコルテスたちは歓待と貢ぎ物を受け取って同盟を強化。テノチティトランへの進軍にトラスカナンの戦士も加わる。シコテンカトルもスペイン軍に加わったが途中で脱走して処刑された。スペイン軍の前にモテクソマ2世から送られた使者が金の贈り物を携えながら現れ、帝国の支流州チョルラへの移動を促した。これはスペイン人とトラスカナンの同盟締結を阻止するための試みだったが時既に遅し。それでもコルテスはチョルラへの移動を決めてトラスカナンを出発し、街に到着するとコルテスは余計な刺激を与えぬようトラスカナン人に外での待機を命じた。
チョルラで歓迎されるコルテスたちであったが、通訳として同行していた女性マリンチェが「チョルラのアステカ軍が襲撃を計画している」と密告。加えてトラスカナン人が馬対策用に掘られた落とし穴を発見し、子供を生け贄にした儀式(戦争を始めるための前準備)を目撃した事で襲撃計画が露呈し、スペイン軍は対策を練り始める。10月18日朝、空に向けて合図となる散弾銃を撃ち、クロスボウや剣で武装したスペイン兵がチョルラの人々に襲い掛かった。同時に外で待機していたトトナック人とトラスカナン人3000名も市内へ突入。3、4日間の戦闘で住民4000~6000名が虐殺され、その間に略奪や捕虜の確保まで行われた。コルテスは生存者への拷問で襲撃計画を自白させた後、逃げ出した女子供をチョルラへ戻して何事も無かったかのように生活するよう強要。チョルルテカ族から金品を押収したのち軍事同盟を締結した。この一件はチョルラの虐殺と言われる。ただしこの虐殺劇は創作とする見方もあり、仮に事実だったとしてもドミニコ会の修道士バルトロメ・デ・ラス・カサスとフレイ・トリビオ・デ・ベナベンデから「不必要で不当なもの」と後年非難されている。モテクソマ2世はスペイン人の前進を思い留まらせるべく、テノチティトランから使者を送り続けて貴重品を献上し続けたが、滞在14日目にスペイン軍は進軍を再開した。ポポカテペトル火山とイスタシワトル火山の間を通過した時、スペイン人たちは初めてテスココ湖と首都テノチティトランを目撃する。
スペイン人との接触、そして決裂
11月8日、遂にスペイン軍400名とトラスカナン人4000名、馬16頭がテノチティトラン近隣に到着。モテクソマ2世はウィツィロポチトリ像の前で戦士を踊らせて彼らをスペイン大使として歓迎し、コルテスも返礼代わりにガラスビーズのネックレスを贈った。何ら抵抗を受ける事無くスペイン軍はテノチティトランへ入城し、彼らの住居にはアシャヤカトルの宮殿があてがわれた。都市を観光したコルテスたちは「まるで夢を見ているようだ」と畏敬の念を抱き、街の工芸品や奇妙な食べ物も彼らの興味を誘った。しかし平和な時は長く続かなかった。帝国への納税を拒み続けるトトナックを懲罰するためアステカの戦士たちが襲撃を仕掛け、同地のスペイン軍守備隊と交戦。戦闘の結果、スペイン軍は敗走した上、指揮官フアン・デ・エスカランテを含む7名が戦死。斬首されたスペイン兵の首がテノチティトランに届いたがスペイン人との関係悪化を防ぎたいアステカ側は報告を揉み消す。しかしこの情報はトトナック人の密告でコルテスにバレてしまい、11月14日、トトナックでの戦闘を理由に15名の首長を処刑するとともにモテクソマ2世を自宅の宮殿へと軟禁して人質とする。スペイン軍はウィツィロポチトリへの信仰を捨てて人身御供の儀式を止めるよう司祭たちに命じ、神の像を破壊。代わりにキリスト教の像を押し付けて大神殿の頂上でミサを執り行った。モテクソマ2世はコルテスに街から出ていくよう頼んだが、「ボートが破壊された」「ボートが無い」等の適当な理由を付けて市内に居座り続ける。更にコルテスは数日前に本国へ「テノチティトランを制圧した」と虚偽の報告を行い、後詰めの部隊を派遣させるなど着々と戦争の準備を進めていた。
モテクソマ2世を人質にしたのは実に効果的だった。アステカ人は攻撃や物資輸送の妨害を封じられ、コルテスに対して何ら有効策を打てなくなってしまったのである。用心深いコルテスは公衆の面前でモテクソマ2世に演説を強要。自分がスペイン国王カルロス1世の家臣であると宣言させ、市民に服従するよう求めた。これ以上ない屈辱だが、スペイン人に逆らえば多くの人々が虐殺されると思い、2世は泣きながら言葉を紡いだという。しかしモテクソマ2世がスペイン人の傀儡と化し、彼らに有利な布令を出すようになると威信が低下し始め、市民から背を向けられるようになった。また自分たちの宗教を否定してキリスト教を押し付け、金目の物を要求するスペイン人たちにも敵意を向けるようになり、両者の関係は急速に悪化。アステカ人との緊張が高まる。一方、コルテスは先ほどの虚偽の報告がバレ、越権行為だとしてキューバ総督ディエゴ・ベラスケス・デ・クエヤルから送られた逮捕隊に拘束されるガバをやり、テノチティトランから姿を消す。後任には部下ペドロ・デ・アルバラードが指名されてスペイン兵80名の指揮を引き継いだ。アルバラードはアステカの有力な指導者2名を投獄し、他数名を殺害するなど強硬姿勢を取る。
本国から呼び寄せた後詰め部隊は1520年4月20日に無事メキシコ東岸へ到着。5月22日、テノチティトランの大神殿では毎年恒例のトスカトル祭が行われたが、貴族を拷問してアステカ人が反乱を起こそうとしていると知ったアルバラードは祭りの日に門を封鎖し、犠牲者数千人に及ぶ大量虐殺を行った(テノチティトラン大神殿の虐殺)。殺戮は徹底したもので、死体の山で死んだふりをしている者や家の中に隠れた者まで見つけ出して片端から殺害。その凄惨さたるや戦士から流れた血で湖が赤く染まる程だった。とりわけ高等教育を受けた指導者、退役戦士、写本通訳者等の被害が大きく、人的損失は計り知れない。生き残ったごく僅かなアステカ人は壁をよじ登って逃走し、他のアステカ族に残虐行為を伝えた。
この一件はアステカ人に徹底抗戦を決意させ、モテクソマ2世の権力を完全に失墜させた。拘束されていたコルテスがテノチティトランへ戻った時、アステカ人はスペイン人向けの食糧と物資輸送を停止していたため、お仕置きの名目で彼らを虐殺。その中には罪の無い人も含まれていた。怒ったアステカ人はスペイン兵に攻撃を仕掛け、負傷者数名を残して兵の一団を殲滅する。彼らを激昂させるに至ったトスカトル祭の虐殺はコルテス不在の間に起きたため、何故ここまでアステカ人が反抗的になったのかコルテスには理解出来なかった。今やテノチティトランは反乱寸前の状態で、暴徒と化したアステカ人たちが言いなりのモテクソマ2世に「我々はもうあなたの家臣ではない」と言い放ち、20日間以上に渡って宮殿を包囲。コルテスは慌ててモテクソマ2世を通じて彼らを宥めようとするも完全に失敗し、次に戦いをやめるよう命じたが、アステカ人たちは拒否。対話に訪れたモテクソマ2世に3個の石が投げつけられ、このうち1個が頭に命中。その後、2世は自責の念に駆られたのか食事も治療も拒絶し、3日後に死亡した(死因は頭部に石が当たった事による脳血腫と言われる)。ただし歴史家のフェルナンド・デ・アルバ・イクストリルショチトルはスペイン人に斬殺されたと断言している。
モテクソマ2世の死はスペイン人の身の安全を保障する存在がいなくなった事を意味する。次の王に選ばれたクイトラワクは戦士を集め、湖周辺の国に同盟を求める(全会一致で拒否されたが)など明確な敵意を見せ、テノチティトランは戦場と化す。コルテスはテノチティトランのシンボルであるウィツィロポチトリの神殿を制圧してアステカ人の戦意を挫く作戦を考え、周囲の反対を押し切って114段の階段を攻め上がった。攻防戦は1週間に及んだが、地の利や優れた戦術を持つアステカ人の猛攻により頂上へ辿り着く頃には部隊が壊滅状態に陥っていた。もはや攻撃する事も兵舎まで後退する事も困難になり、やむなく闇夜に紛れての脱出作戦を練る。だがそこはスペイン人。コルテスは兵士たちに出来るだけ財宝を奪い返し、好きなだけ懐に入れても良いと命じていた。
6月30日夜、スペイン軍7000~8000名は最も危険が少ない西ルートを選択して都市の中心地から脱出を開始。馬のいななきに注意しながら静かに移動する。奪い取った財宝を輸送するトラスカナン人80名、騎兵20名、前衛のトラスカナン人400名、アステカ人捕虜や協力者が闇に紛れて歩く。アステカ側はスペイン軍の脱出を予見して運河と繋がる橋を解体していたが、コルテスの発案でアサイカカトル宮殿の梁を即席の橋にして問題をクリア。この日は暴風雨だったためアステカ人の警備も薄かった。が、偶然水差しで水を飲みに出かけていたアステカ人の老婆がスペイン人を発見し、戦士に警報を出した事でウィツィロポチトリ神殿から太鼓の音が鳴り響く。スペイン人にとって死を意味する音を合図にあらゆる戦士、貴族、庶民が家から飛び出し、僅か数分で数千人に及ぶ戦士と槍と弓矢で武装した市民が何百ものカヌーで水路から急襲してくるのを目の当たりにした。屋根に上がった戦士はスペイン軍の隊列後方を攻撃し、その間に別動隊が本土とテノチティトランを繋ぐ橋を切り離す。近代軍隊並みの手際の良さにスペイン軍はただひたすら翻弄された。クロスボウやアーキバス(長銃身の小銃)で反撃しようにも視界が悪く、戦士の姿すらまともに見えない。雨でぬかるんだ土に足を滑らせたスペイン兵は次々に湖へ落水し、鎧や略奪品の重みで溺死。財宝を運んでいたトラスカナン人も多くが湖に呑み込まれた。対照的に金品を自ら手放した者は溺死を免れたという。市内に進駐していたスペイン兵のうち半数が討ち取られ、捕まった者も捕虜になるか生け贄にされる過酷な末路を辿った。幸運にもテノチティトランから生きて脱出出来た者も何かしらの傷を負い、アルバラードも重傷を負うなど完全敗北に等しい惨敗を喫する。人的被害以外にも馬46頭が犠牲になり、持ち出そうとした財宝を9割失い、スペイン軍が保有する殆どのクロスボウやアーキバス、大砲がアステカ人に鹵獲されている。
1520年7月1日に起きた思いがけない敗北は「悲しい夜」と呼ばれ、コルテスは木の下で泣いたという。というのもコルテスは、これまでメキシコでの戦いに全勝してきた最強の征服者だったのだ。その彼が培った自信や威容を誇る軍勢をテノチティトランに粉々にされ、大いに男泣きした訳である。市外へ出た後もスペイン軍はアステカの戦士に襲われ続け、オトカンプルコ山で何とか一息付くも、そこではテパネカ族に襲われた。アステカの戦士は遠くから雄叫びを上げてスペイン兵の心を恐怖で揺さぶる。スペイン軍はカラコアヤに逃げ込むも、住民がアステカ帝国の追っ手から守ってくれなかったので腹いせに街を破壊して脱出し、テスココ湖北方を通って東方のトラスカナンへ逃げる事を決断する。7月6日、退却中のスペイン軍を戦士が襲撃して馬1頭が死亡。この後も度々小競り合いが起きた。
7月7日、テマルカティトラン平原でアステカ、テパネカ、トラルネパントラ、クアウティトラン、テナユカ、オトゥンバ、クアウトラルパンからなるアステカ帝国軍がスペイン軍を捕捉。もはや逃げられないと悟ったのか大部分の大砲と馬を失っていたにも関わらずスペイン軍は交戦を選んだ。(オトゥンバの戦い)。帝国軍はスペイン人を生け捕りにしようとし、対するスペイン軍は円陣を組んで外側に槍兵を配置して応戦。数時間に及ぶ白兵戦を経てクロスボウと弓による矢の交換が行われた。スペイン兵に何度も包囲網を破られながらも、数に勝る帝国軍は次々に人員を送って包囲網を形成し直して突撃。埒が明かないと悟ったコルテスは一か八か騎兵を突撃させ、その隙に派手な装飾をしていたアステカの指揮官マトラツィンカチンを討ち取った。指揮する者を失った帝国軍は統率を失って退却。オトゥンバの戦い以降アステカ帝国の追撃は無くなり、スペイン軍は辛くもトラスカナンへ逃げ延びた。
しかしテノチティトラン脱出から5日間の逃避行で860名のスペイン兵と1000名以上のトラスカナン人や協力者を失う大損害をこうむる。当然スペイン兵の士気はガタ落ちとなり、帰国を望む声やベラクルスで増援を待つべきという声が強まった。一方、テノチティトランでは死亡したモテクソマ2世に代わり弟クイトラワクが国王に選出された。彼はトラスカナンに6名の使者を送ってスペイン人の引き渡しを求めたが拒否され、逆にスペインとの新たな同盟を締結。コルテスもまた諦めなかった。トラスカナンを始めとする諸部族との結束を固め、軍内部で広まっていた厭戦気分を振り払い、武器と増援を得、体勢を立て直す。そこへ更なる協力者が現れた。テノチティトランの傀儡に過ぎない現状に怒りを覚えたテスココの王子たちが独自にスペイン人へ使者キキスカツィンを送り、協力を申し出たのである。しかし現在の王コナワコシュツィンはアステカ側に立っていたため、テスココに戻ってきたキキスカツィンを裏切り者として処刑し、自らはテノチティトランへ移動した。この事は王子たちを通じてコルテスも知る所になる。
最終決戦
1520年12月26日、準備を終えたスペイン軍1万名はトラスカナンを出撃。テノチティトランへの補給路を断つため湖東部のテクスメルカンに向かった。スペイン軍がテツクコの街に現れると住民たちはすぐさま何千ものボートでテノチティトランへ逃げ出し、コルテスはこれを取り逃がす。三都市国家同盟の一角テスココは包囲に留め、要衝イスタパラパの南方へと進出。イスタパラパのアステカ人もボートでテノチティトランに撤退して無血制圧するに至った。しかし夜になると帝国軍が反撃に転じ、工事で水の流れを変えてイスタパラパを水攻めし、スペイン軍は食糧を失う。朝になるとイカダに乗ったアステカの戦士が奇襲をかけ、スペイン軍が突撃を開始すると速やかに退却。このゲリラ戦法は徹底的にスペイン軍を悩ませた。通り魔的な攻撃を防げず、食糧も失っていたためコルテスはイスタパラパを手放し、テスココまで後退する。
1521年2月、高位貴族の中から投票で選ばれたクアウテモクが新たな王に就任。スペインの侵略に対抗するため彼の指導のもと防御体勢が築かれる事になったが、スペイン人に寝返る属国が続出して戦力が低下。加えて天然痘の流行による人口の激減や戦士の弱体化が重なり、帝国軍は本領を発揮出来ないでいた。そしてテノチティトラン西部の要衝で三都市国家同盟の一角トラテロルコにスペイン軍が襲来。アステカ帝国は激しく抵抗したが、戦闘の末に街を奪われ、コルテスたちは悲しい夜の復讐として火を放つ。トラテロルコが灰燼に帰した後も帝国軍はテノチティトランから戦士を出撃させて小競り合いが繰り返された。
アステカ帝国がスペイン軍とトラスカナンの同盟に追い詰められている事は支配域にも伝わり、支流州を中心に一斉蜂起が発生して次々にスペイン軍と合流。各部族から送られた2万の戦士を増援とし、遂に火砲と騎馬で武装した900名のスペイン兵がテノチティトランを包囲するに至った。クアウテモクは正面からスペイン軍に挑んでは勝てないと考え、湖南方のチャルコとトラルマナルコに駐留する帝国軍で敵の背後を突き刺し、同地を確保するとともに通信網と補給路を遮断。しかしスペイン軍の反撃は早く、4月に2つの街を奪取された挙句、1万7000名の戦士を投じた奪還作戦も失敗して湖の東と南がスペイン軍の勢力圏となった。敵の攻勢は続き、今度はテノチティトランとソチカルコを結ぶクアウナーワク攻略を企図して南進。トラヤカパンで迎撃に現れた帝国軍を打ち破ってテポストランとクアウトランを占領する。コルテスは返す刀でソチカルコの攻略も目指すが、テノチティトランからの部隊とソチカルコ守備隊の挟撃でスペイン軍に勝利。落馬したコルテスの捕縛に成功したが、すぐに救出された上、帝国軍も撃退されてテノチティトランへ退却する。その後もスペイン軍は各都市を制圧し続けてとうとうテノチティトランの包囲網を完成させた。コルテスはテノチティトランに何度か降伏勧告を送るもアステカ人は全て拒否して徹底抗戦の構えを見せる。
まず最初にスペイン軍はチャプルテペックからテノチティトランへ繋がる真水の輸送路を破壊。アステカ人は湖と地上からの同時攻撃で作戦を妨害しようとしたが失敗に終わった。そこから両軍は攻防作戦を展開。スペイン軍は橋を破壊して孤立させようとし、帝国軍は橋を架け直して抵抗。時にはスペイン軍の司令部を襲撃するための部隊が送られた。待ち伏せにより多くのトラスカナン人ともどもフアン・デ・ラ・ポルティーニャ船長とペドロ・バルバ船長を討ち取る活躍も見せる。6月24日、クアウナモクは三方向への同時攻撃を開始。無謀な突撃をしてきたアルバラード率いる騎兵隊を撃破して5名を捕虜兼生け贄とし、これを知ったコルテスが報復攻撃に出るも再び捕縛される。助けに来たクリストバル・デ・グスマン大佐とスペイン兵60名の犠牲と引き換えにかろうじて逃げ延びたが一連の敗北が原因で高級将校の数が激減した。クアウテモクは心理戦にも長けており、毎晩最も目立つ場所で捕虜を処刑して犠牲者の頭、手、足、皮をスペイン軍の陣地に投げつけた。この行為にスペイン兵たちは恐怖に駆られ、毎日戦いの終わりに捕虜にならなかった事を神に感謝する習慣が付いたという。通常アステカ人は夜間の戦闘をしないのだが今回はその慣習を取り払い、昼夜を問わず襲撃を繰り返した。その苛烈さたるやテスココ湖近隣に布陣していた諸部族に大損害を与え、2万4000名中スペイン軍側に残ったのは僅か200名のみだった。残りは戦死するか負傷または戦意を挫かれて帰国。帝国軍の強さにコルテスは持久戦への方針転換を強いられた。
だがスペイン軍の兵糧攻めは真綿で首を絞めるかのようにアステカ人を苦しめる。市内での食糧生産の術が無いテノチティトランにとって包囲戦は効果抜群の攻め方だったのだ。魚を得ようと釣りに出た者は射殺され、スペイン軍の策略で飲料水が汚染されて赤痢患者が続出し、天然痘が猛威を振るう。やがて飢餓に陥ったアステカ人は草、革、レンガなど食べられそうな物は何でも食べ、子供の服まで神に捧げられたため大半の子供は裸だった。ディアス・デル・カスティーヨは「(アステカ人は)とても薄く、黄色く、汚れていて、臭いので、彼らを見るのは残念に思えた」と、ロペス・デ・ゴマラは「死者の中で眠り、絶え間ない悪臭の中においても彼らは平和を望んではいなかった」と年代記に書き記している。時間の経過とともに衰弱していくアステカ人だったが、帝国を築き上げた最後の意地かスペイン軍以上に戦略を頻繁に変更し、トラコパンにあるアルバラードのキャンプを攻撃するなど損害を与え続けた。そんな中、帝国に従うソチミルコ、クィトラワク、ミスキク、コルワカン、メシカツィンゴ、イスタパラパからクアウナモクに使者が送られ、スペイン人との交戦と非戦闘員の退避に協力する支援を取り付ける。しかしソチミルコ人が裏切って略奪行為に走ったため、アステカ帝国軍とその同盟国の住民がソチミルコ人を捕縛し、ヤカコルコまで連行してクアウナモクとクィトラワクの王マイエワツィンの前で処刑された。
とうとうコルテスが指揮するスペイン軍が都市内に侵入してきた。アステカ人たちはウィツィロポチトリの神殿でスペイン人捕虜70名の心臓を喰らって抵抗。トラテロルカ族も最後までアステカ族を見捨てずに戦い続け、一部は包囲網からの脱出に成功して後方のスペイン軍やその協力者を奇襲したほど。しかし勇戦むなしくウィツィロポチトリの神殿にスペインの旗が立てられ、4日間の戦闘でアステカ帝国の組織的な抵抗は終了。生き残っている戦士やクアウテモクはまだ押さえている地区に移動してゲリラ戦を続けた。アステカ人の真の脅威はスペイン軍ではなく一緒に進軍してきた1万5000名のトラスカナン人だった。トラスカナン人は100年間に渡ってアステカ帝国に支配され、生け贄として捧げられてきた恨み辛みがあり、アステカ人に目を覆いたくなるほどの報復行為を加えて逆にスペイン軍から制止される。だがスペイン人は900名しかいないため全ての報復を止めるには至らず、また警告や予防措置は何ら意味を成さず、一日だけで1万5000名以上のアステカ人が血祭りに上げられた。もはやこれまでとクアウテモクは和平交渉を試みたが全て失敗。90日間の包囲の末、テスココ湖を船で脱出しようとしたクアウテモクが捕縛され、コルテスの前に引き出された。クアウテモクは持っていたナイフを差し出して「これで私を切り殺せ」と言ったが、その申し出を断って「あなたは勇敢な戦士のように首都を守った。スペイン人は敵であっても勇気を尊重する」とコルテスは返したという。
時に1521年8月13日、3万の犠牲を経てアステカ帝国は降伏。スペインは中南米に拠点を獲得し、太平洋を横断して極東アジアにまで進出している。2007年に刊行された『疫病と世界史』の著者マクニールは「テノチティトランで天然痘が流行した時、諸部族はスペイン人に逆らった神罰だと受け取った。このためテスココ湖近辺の都市はコルテスに味方する事を決意した」「スペイン軍だけではテノチティトランを孤立させる事は不可能だった。だから湖周辺の臣下たちに裏切られた時、アステカ人の運命はもう決まっていた。彼らの抵抗が如何に勇敢で自殺を目指していたものだったとしてもである」「もし天然痘の流行が無ければコルテスの勝利は困難、いや不可能だったと言える」と評している。
滅亡後
支配権を得たスペイン軍はまず最初に、過酷な籠城戦で汚れたテノチティトランの修復・清掃と真水の輸送路を復活させる。修復作業は西洋のルネッサンス様式で行われた。再建中はテスココ湖南方にあるコヨアカンに臨時政府を設置。降伏した後もトラスカナン人がアステカ族数千人を虐殺し続けたため、生き残った戦士や市民はテノチティトランを捨てて脱出。市内からアステカの民はいなくなったが、奪われた首都や土地を奪還しようと湖の周辺では何度かアステカ人による反乱が発生し、スペイン兵は昼夜を問わない監視を強いられた。彼らが仕掛けた罠によりブリガンティン(帆船)の水兵1名とスペイン兵5名が捕まっている。包囲下にあった三都市国家同盟最後の生き残りテスココはテノチティトラン陥落後に「スペイン軍と協力してテノチティトランとトラテロルカを打ち破った」と後のイタリアみたいな手のひら返しをしてスペイン側に寝返り、彼らを市内へ招く。スペイン軍は王家の宮殿や寺院といった帝国時代を想起させる施設を破壊して回った。
略奪された富は部下に分配されたが、1521年10月30日の報告書によると国王への献上やコルテスの取り分、遠征費、一部船長への支払いを考慮するとスペイン軍の取り分は僅か70ペソであった(参考までに刀1本の値段は50ペソ)。捕虜となったクアウテモクは名目上テノチティトランの指導者であり続けたが、取り分がスペイン人を満足させられるものではなかったため、湖に沈めたとされる宝のありかを吐かせようと赤熱した石炭で両足を焼く拷問を加えた(なおクアウテモクは最後まで喋らなかった)。やむなくコルテスは反乱を避けるためにすぐさま次の遠征隊を編制し、クアウテモクを伴ってグアテマラ方面へ船で移動を始める。しかし1525年2月28日に彼はスペイン人を殺そうとした反逆罪で船上にて絞首刑となる。せめてもの慰めは現在のメキシコにおいて彼は英雄視され、命日の2月28日に弔意を示して半旗が掲げられている事だろう。
アステカ帝国を下したスペイン人だったが、まず最初に問題となったのが言語の壁だった。ナワトル語の音声的複雑さに全く対応出来なかったのである。頻出する「トル」の単語を彼らは正しく発音出来ず、テノチティトランをテミスティタン、ウィツィロポチトリをウィチロボスと言い換えなければならなかった(後者は土着宗教の文化的根絶を図るために言い換えた面もあるが)。征服後にイベリア半島から移住してきたスペイン人にとって言語の塗り替えは可及的速やかに成さねばならない問題だった。支配するにしても先住民との交流は避けられないからだ。野生の犬を意味するコヨトルはコヨーテに、トウモロコシの穂を意味するエロトルはエローテにするなど言語の改造を行い、時にはナワトル語との混成語も作られた。次にスペイン人が破壊を試みたのは恐ろしい生け贄文化である。キリスト教を広めるにあたって土着の信仰は大変邪魔なので、血なまぐさい生け贄の文化は悪魔によってもたらされたと繰り返し喧伝、神官は悪魔の使いとして弾圧した。テノチティトランの神官は組織化されていて常に厳格なものであったが、征服者や記録者たちは興味を示さず十把一絡げにして弾圧し、おぞましいものとして扱った。神官の特徴的かつ迫力のある容姿も悪魔に結び付けられている。
1535年3月8日、ニュースペイン(新スペイン副王領)が誕生し、首都にテノチティトランが指定される。コルテスはテノチティトランの破壊と遺跡の上に新たな首都メキシコシティの建設を建築家アロンソ・ガルシア・ブラボーに命令。こうして栄華を誇った優美な水上都市は地球上より姿を消した。1538年、長年敵対関係にあったスペイン・フランスとの間で平和条約が締結され、メキシコシティの中央広場で大規模な散財と言える祝宴が開かれた。1518年から1542年に至るまでの24年間で400万もの先住民がスペイン軍の残虐行為で殺害され、宣教師バルトロメ・デ・ラス・カサスはコンキスタドールを「人類の最大の敵」と激しく非難している。1545年には国王カルロス1世からの王室命令で正式にメキシコシティが認められる。その後は北アメリカ、中央アメリカ、アジア、オセアニアにおける植民地の政治・金融・行政の中心地として機能。
スペイン人は治水のノウハウを持っていなかったにも関わらずダムを破壊し、むやみに水上都市を開発したため征服直後の1604年に氾濫が、1607年には大洪水が発生。エンリコ・マルティネス指導のもと水位を調節する排水路が建設されたが、1629年の大洪水であっさり粉砕され、5年間も都市の大部分が水没していた。その甚大な被害はスペイン本国が都市機能を別の場所へ移動すべきかどうか検討に入るほどだった(結局移されなかった)。1707年、1714年、1806年にも大規模洪水に見舞われており、トラロック神の怒りが渦巻いているように見える。またスペイン人の乱開発と乱獲によって湖の生態系は破壊し尽くされ、固有種の柳やアホロートル、サギが姿を消し、山からは大型の哺乳類が全ていなくなった。1821年の独立戦争でメキシコがスペインから独り立ちしたが、独立法によって引き続きメキシコシティが首都であり続けた。これに伴って治水問題はメキシコ人に引き継がれる。試行錯誤により水路とトンネルを使って付近のトゥーラ川へ排水する方法に落ち着く…のだが、荒ぶるメストリアパンは20世紀に入っても制御し切れず、1900年3月17日にようやく基礎となる排水システムが完成。1967年に深層排水システムが完成して遂に洪水の脅威から解放された。ところがその深層排水システムは「湖水の大部分を排水する」という力業であり、その影響で現在のテスココ湖は当時より非常に小さくなってしまい、今度はメキシコシティ全体が深刻な水不足に悩まされる事に(現在は南部のソチミルコ湖が残るのみ)。またメキシコ盆地はその地形上、周囲の山から流れ込んだ雨水の出口が無く自然に排水されないため、湖を干上がらせても雨期になれば道路の冠水や家屋の浸水が日常的に起きる。水不足を解消するため地下水を汲み上げようとした結果、地盤沈下や液状化現象が発生し、1985年9月19日の大地震で数百の建物が倒壊するなど今もなお新たな問題がメキシコシティを悩ませている。あいつら治水がへったくそ!
1936年にマヌエル・ガミオが大神殿の基底部を一部発掘。1978年2月、その付近で道路工事が行われた際に月の女神コヨルシャウキを彫刻した直径3.26mの石板が発掘され、時の大統領が大神殿の基礎部分を全面的に発掘するよう指示を出した。これにより少しずつ姿を現している。またテスココ空港を閉鎖した後、汚染された湖の環境を蘇らせるべく政府主導で一大プロジェクトを推進中。
関連動画
関連静画
関連項目
- TYPE-MOON関連の一覧
- サーヴァント(聖杯戦争)
- Fate/Grand Order
- テスカトリポカ(兄様、戦争に対するスタンスが違うが我慢している)
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