トリクルダウン(trickle-down)仮説とは、「金持ちをますます富ませれば、貧しい人にも富が自然と滴(したた)り落ちていく」という仮説である。金持ち優遇・格差拡大容認の政策を擁護するときに持ち出される。新自由主義者の中に提唱者が多い。
概要
トリクル(trickle)とは、滴(したた)り落ちる、ポタポタ落ちる、ゆっくり流れる、浸透する、といった意味の英単語である。
もともとは18世紀イギリスの精神科医[1]が自著[2]の中で「蜂は巣の中で自分勝手に争いあっているだけだが結果として巣は豊かに富んでいる」として主張した仮説である。この仮説には現実的裏付けがなく社会学的立証もなされていないものだったのだが、なんとなく分かったような気になれる印象的な寓話であったことから当時の人々に多くの影響を与えた。
しかし経済学の発展や統計的手法の活用が進んだことによりトリクルダウン仮説は20世紀初頭に棄却されることになった。
トリクルダウン仮説を説明する際には、ワイングラスをピラミッドのように積み重ねて一番上のグラスにワインを満たせば、下のグラスへ滴(したた)り落ちておく・・・そういうイラストが描かれることが多い。画像検索すると、そういうイラストが多く見つかる。
常識的に考えれば金持ちを優遇する政策を導入すれば富は金持ちに集中することになりそうだが、トリクルダウン仮説は「いやそうではない、金持ちを優遇してして金持ちをより一層富ませれば、金持ちの懐からお金がじんわりと流れ出ていき、貧しい人へも広がっていくのだ」と説くのである。
トリクルダウン否定論
経済学者などの有識者の間では、トリクルダウンを否定する人が多い。
歴史上にさまざまな大富豪が現れてきたが、豪快に散財する大富豪は非常に少なく、質素倹約を旨とする大富豪が実に多い。徳川家康は貿易をすることで伏見城の床が抜け落ちたほどの金銀を集めたが、やたらと吝嗇(ケチ)なことで有名だった。株式投資で大富豪となったウォーレン・バフェットも質素な暮らしぶりで知られている(検索すると逸話がいろいろ見つかる)。
そもそも大富豪は、無駄を戒めてきちっと自己を管理する人が多い。稼ぐ力が一流なら、財布の紐を締める力も一流というわけである。そんな大富豪の皆さんが軽々しく出費してくれるわけがない。
グローバリズムの時代ではトリクルダウンが機能しない、と論ずる人もいる。ヒト・モノ・カネの移動が自由化され国内に限定されなくなっているので、富裕層優遇の政策を実行して富裕層がより金持ちになっても、その金を国内で使わないことが多い。国内旅行をせずに海外旅行をされたら、国内の観光業が儲からない。熱海の温泉にでも行けばいいのに、「グローバリズムの時代だから海外の空気を吸うのが大事だ」とかなんとか言ってグアムとかラスベガスとかに行く。これではトリクルダウンもへったくれもないだろう。
1964年4月1日より前の日本は海外渡航が厳しく制限されていた。海外に出たければ役所に申請して許可が下りるのを待たねばならない。基本的に留学かビジネス目的のどちらかしか許可が下りない。海外渡航の許可が下りても、日本円と外貨の両替が厳しく制限されていて、あまり外貨を持たせてくれない。日本国政府の所有する外貨が少なかったからである。そんな時代は、富裕層も海外旅行などできず国内の温泉旅館で芸者遊びするのが関の山だった。そういう時代なら、トリクルダウンの効果が期待できたかもしれない。
法人税を減税して富裕企業の預金をさらに増やしたら、日本に工場を建設せずにタイへ工場を建設する、という例も多い(ちなみにタイには日系自動車企業が大量に進出している)。日本国内に投資してくれないのなら、トリクルダウンの効果が皆無である。
トリクルダウンの反対語「サックアップ」
トリクルダウンを否定する人の中には「トリクルダウンなんて現象は発生していない。その反対の、サックアップ(suck-up)という現象が発生しているだけだ」と述べる人がいる。
サックアップ(suck up)とは吸い上げる、という意味。権力を持った富裕層が、権力を持たない貧困層からお金を吸い上げているだけ、ということを示している。
トリクルダウンを信じる人たち
グローバリズム(新自由主義)の支持者に、トリクルダウンを信じる人がいる。
典型的な例は、竹中平蔵と渡部昇一である。この2人とも極めつけの新自由主義者なのだが、非常に熱心に「金持ちの存在が、世の中の活気を作る」「金持ちが存在するというだけで、セーフティーネットとなり、貧しい人々もそれなりに食えるようになる」と著書で書いていた。
関連項目
脚注
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