トロフィム・デニソヴィッチ・ルイセンコとは、ソヴィエト連邦の生物学者、農学者である。
概要
__ ,, =::ニ,:::::===ミ、、 . /ヾ:::::ミ;l、:::::_--:::、::ヽ l:::`´ ``¨'''ーヾ:ミi . |:::l l:::| ___________ |ミl 、,,,_ _,,, ゞl_ / 「;;lf::,= 。=ヽ f,= 。=ミヽl' ! | さて、本日は同志書記長には | l; `二 7 l'' 二-´ | | | 非常に残念なご報告をしなければなりません `l ヽ !_ 」 /:|'' < 先日>>1の自宅の前を通りかかったところ !::l ,,_..二 ._、 ,l:::l | 庭先にエンドウマメの栽培を確認致しました… , l、!. :. ̄ ̄:. : : :lノ、 | これは>>1が反動的なメンデル主義を /l::ヽ`ヽ、::__::;;/'/;lヽ \ 信奉している証拠であります ´:::::::!:::::`::::‐...-r:::''´:::/::::l:::::`  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
どんな人?
獲得形質(後天的遺伝形質、環境によって1世代で獲得した形質)は遺伝する。例えば、厳しい環境に作物を置いておくと、その作物の遺伝的性質が変化して厳しい環境に耐えられるようになり、その種から育った作物も厳しい環境に耐えられるようになる
としている。現代の科学では、通説では「獲得形質は遺伝しない」と考えられている。獲得形質の遺伝については今なお生物学の一部で論争があるものの、ルイセンコが唱えたように遺伝子がいきなり大幅に変わるわけではないのは確かである。
ルイセンコがこの主張の根拠としたのは「春化」である。秋まき小麦の種子を一定期間冷蔵すると春まき小麦に変化し、栽培できる時期が変わる。これを春化といい、現在でも「春化処理」という技術として残っている。
しかし、ルイセンコはそれを誤った理論に立脚して解釈してしまった。彼はすべての生物が環境に応じてわずかな世代で変化して遺伝すると考え、さらには春化処理などで優れた農作物が開発され、ただちに増産が達成できると主張した。
後に彼の考えに基づいて、「種子に水を吸わせ、雪の下で貯蔵してから春まきする」などの形で実践されるようになったが、ルイセンコが主張するほどには収量は増えなかった。そもそも現在、春化は農作物の増収については有効性はないと考えられている。当時、水を吸って雪の中に埋めた種にカビが生えてしまい、忠実にルイセンコの方法に従っていた農業技師がシベリア送りにされたという話さえある(アレクサンドル・ソルジェニーツィンのルポルタージュ『収容所群島』)。
また、
人間社会とは異なり、自然界には階級性が存在しない。ゆえに、自然界の同種の生命同士では資本主義社会のような競争が起こることはない。例えば、密植をしても養分の奪い合いになることはない
ともしていた。当然、過剰な密植は養分の奪い合いとなってしまう。
しかし、共産主義の政治思想と生物学を結び付けたこの学説はスターリンに支持され、ソ連は一時期「ルイセンコ学説」に染まってしまい、反対する科学者は粛清されてしまった。
また、後年は同じく共産圏であった北朝鮮の「主体思想」や中国の「大躍進政策」においても、ルイセンコの密植の考え方をもとに農法が推進されたと言われる。これは土壌の劣化をもたらし、数年後には食料の減産を招いたとされる。
ちなみにルイセンコの農法については、彼が理論の基礎とした品種改良を多く行ったイヴァン・ミチューリンの名前から「ミチューリン農法」と呼ばれることが多い。日本では、「ミチューリン農法」の名称のほか、春化を意味する「ヤロビザーチャ」から名前をとり、「ヤロビ農法」として戦後まもなく一部の地域で広まっていたが、成果を上げられず廃れていった。なお、インターネットではこの2つの呼称と比べて、「ルイセンコ農法」という語が頻繁に使われる。
なお、当の本人は特に粛清されることもなく、社会主義労働者英雄勲章、レーニン勲章(8回)、スターリン賞(3回)を受賞したまま1976年に死去した。これはルイセンコの学説を完全に否定してしまった場合、ルイセンコの主張を積極的に支持し擁護してきたスターリンやフルシチョフの判断の否定に繋がり、さらに党や国家の威信をも傷つける事にまでつながってしまうため。粛清を恐れた人たちは完全に否定しきる事はできなかったようで、その後もルイセンコ農法はしばらく教科書などに載ってたとか。
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