トーホウジャッカルとは、2011年生まれの日本の競走馬である。尾花栗毛の牡馬。
概要の前のちょっとした前書き
トーホウジャッカルについて語る前にもしもあなたが漫画や小説を書く方だとして、こんな馬の設定を考えたと想定してほしい。
仮にこんな設定を編集部に持ち込んだところで鼻で笑われたり、没にされたりするだろう。
いくらなんでも、話が出来すぎていると。
しかし、事実は小説より奇なり。編集者が没にするようなドラマを巻き起こした馬、それがトーホウジャッカルである。
概要
血統
父・スペシャルウィーク
母・トーホウガイア
母父・Unbridled's Song
父スペシャルウィークはダービーや天皇賞(春)・(秋)、ジャパンカップなどを制した馬であり、種牡馬入りしてからはシーザリオやブエナビスタ、ゴルトブリッツなどを輩出している名馬。
一方、母のトーホウガイアも中央でデビューした後、岩手競馬で9勝をあげる活躍を見せている。
また姉には、CBC賞を勝ったトーホウアマポーラ(父・フジキセキ)がいる。
さて、母であるトーホウガイアにスペシャルウィークが種付けされたのにはとあるエピソードが絡んでくる。
1999年、この馬を生産した竹島幸治牧場(以下竹島牧場)に愛知出身の飯田秀倫氏(当時25歳)がやってきたのが話の始まり。当時名古屋大学大学院の学生だった飯田氏はスペシャルウィークの走りに魅せられ、牧場で働くことを決意。大学院を中退して北海道に渡航し、いくつかの牧場に断られたのち竹島牧場で働くこととなった。
そこから時は流れ、2008年に竹島牧場初の重賞勝ち馬が登場することとなる。
その馬の名はトーホウシャイン。名前からわかるとおり、トーホウジャッカルと同じ馬主の馬である。そして、トーホウシャインの父はスペシャルウィークであった。
この配合は竹島夫婦が飯田さんと将来の夢を見るために考えたものだったのだが、トーホウシャインの勝利に気をよくした馬主が竹島牧場を懇意にしていたこともあって、自分の預けている馬にもスペシャルウィークをつけてみよう!ということになったのだという。
かくしてスペシャルウィークとトーホウガイアが配合され、生まれてきたのがトーホウジャッカルであった。
しかし、トーホウジャッカルの馬生は決して平穏なものではなかった。
誕生からデビュー戦まで
トーホウジャッカルが生まれたのは2011年3月11日の夕方。
この日はかの東日本大震災が発生した日であり、北海道にも津波警報が出っぱなし。
そんな中で生まれてきたのは尾花栗毛の鮮やかな金髪の馬であった。
その後はデビューに向けて準備をしていくこととなる。
育成牧場である武田ステーブルに移動後も順調に育ち、トウケイニセイの生産者である田中哲実氏がPOGのための取材をしたときも、武田ステーブルの専務である武田浩典氏が1番手に挙げるほどの期待馬になっていた……のだが、2013年8月にとんでもない事態が発生する。
入厩を間近に控えたトーホウジャッカルは重度の肺炎と腸炎を発症し、生死の境を彷徨うことになってしまったのである。
競走馬にとっての腸炎は重大な病気で、腸炎によって命を落とした馬も多く存在する。幸いにして一命は取り留めたものの、体重は50キロ近く減少しデビューできるかどうかという状態まで陥ってしまった。さらに四肢には浮腫が浮かび、歩くのも大変なほどであったという。
実際にトーホウジャッカルを管理することとなった谷潔調教師も「競走馬になれないかもしれない……」と絶望的な思いになったそう。
そのような状況に陥ったため、陣営はクラシックには間に合わないだろうと判断。クラシック登録も一切行っていなかった。
その後は何とか立て直し、3月に入厩。デビューすることはできたが、そのデビューはなんとダービーの前日の未勝利戦。奇しくも、ワンアンドオンリーが翌日のダービーで輝きを放った裏でひっそりとデビューしていたのである。
しかもそのレースでは出遅れてしまい、最後方から追い込んだものの10着の大敗。なんとも幸先の悪いスタートではあるが、ゲート試験に受かってすぐで仕上がりきってない状態だったというからまだよかったか。
ともあれ、この馬の場合はデビューできただけでも奇跡のようなものだし……と多くの関係者は思っていただろう。
ただ一人を除いては。
トーホウジャッカルに惚れ込んだ男と神戸新聞杯まで
この未勝利戦でトーホウジャッカルに騎乗していたのは酒井学騎手。その酒井騎手は、このレースで非凡なものを感じたという。
というのは、このレースの着順だけ見たらトーホウジャッカルは10着なのだが、 上がり3ハロンで最速の末脚を見せていたのである。
「伸びるときの体の使い方が良くて、まともならすぐに勝ち負けだと思いました」
「GIとは言わないまでも、重賞のひとつくらいは……」
こう思った酒井騎手は、この未勝利戦のレース後にすぐに谷調教師の元を訪れ、「また乗せてほしいです!」と頼み込みに行ったという。
その後のダート戦では別の騎手が乗ったものの惨敗。
そして、3戦目で復活したトーホウジャッカルと酒井騎手のコンビは有言実行と言わんばかりに未勝利戦・500万下と連勝。
この未勝利戦の勝ち方を評価する人もいる。
というのは、直線で馬群を割り、抜け出しかけたトーホウジャッカルだったのだが、外にいた別の馬2頭のほうが抜群の手応えで迫ってきていた。
ところが、トーホウジャッカルは伸び返して最後はその2頭を競り落とし初勝利という、後の菊花賞で見せるような勝ち方をしていたのである。
そして、彼は1000万特別の2着を挟んで神戸新聞杯に挑むこととなる。
そのレースにはダービー馬ワンアンドオンリーが出走しており、トーホウジャッカルはさながらダービー馬に挑戦するような形になっていた。
レースでは直線で不利を受けてしまい外を回す展開になりながらも、最後は再び伸び返す。結局ワンアンドオンリーとサウンズオブアースにはわずかに屈したものの、3着に入り菊花賞の優先出走権を確保!……したのだが、ある問題が発生する。
それはクラシック登録をしていなかったために、追加登録料として200万円を払わないといけないということであった。まあ、この馬の場合は状況的に無理もなかったのではあるが、ともあれ菊花賞に出るため陣営は追加登録料を払い、菊の舞台へと駒を進めたのであった。
一方で、酒井騎手のトーホウジャッカルへの思いはますます強まっていた。
神戸新聞杯で、ダービー馬ワンアンドオンリーに一気に迫ったあの末脚。酒井騎手には確信めいた何かがあった。
まさに、トーホウジャッカルのための菊花賞!
さて、トーホウジャッカルが挑むこととなった菊花賞。
当然注目はダービー馬であるワンアンドオンリーや、春のクラシックで惜しい結果に終わっていたトゥザワールドなどに集まっていた。ただそんな中でも、夏の上がり馬としてトーホウジャッカルは期待されていた。
そして、菊花賞の枠番は1枠2番。
これは皐月賞を制したイスラボニータ、ダービーを制したワンアンドオンリーと全く同じ枠番であった。
そんな中、金曜日の前売りである事件が発生する。
なんと金曜日前売り終了時点での単勝オッズの1番人気がトーホウジャッカルになっていたのである。
実はこの日の午後4時20分ごろ、トーホウジャッカルに200万円もの大量投票があったために彼が1番人気を獲る事態となっていたのである。その後1番人気をワンアンドオンリーに譲ったものの、トーホウジャッカルに期待するファンも多く、最終的には3番人気に推される形になっていた。
さらにレース前日には、競馬番組に出演した岡田繁幸氏が「自分がここまで断言するのは珍しいことだけど」と前置きしたうえで、「今年の菊花賞馬はトーホウジャッカル!」と言い切ってしまうほど絶賛していた。
その岡田氏いわく、
- メジロマックイーンやスーパークリークのような夏の上がり馬
- 仕上がりが早ければダービー馬になっていた
- ワンアンドオンリーなんか目じゃない
- この馬は一流じゃなくて、超一流になれる馬
- 父スペシャルウィークよりも大物感がある
- 上記の事を断言するのはプレッシャーだけど、それを言いたくなるくらいすごい馬
と、ものすごい勢いで褒めていたのである。
なんだか色々とフラグが立った気もしないでもないが、それに応えてか彼は翌日のレースでとんでもないパフォーマンスを見せつけた。
レースでは同じ厩舎のサングラスが逃げる中、5番手をキープしながら追走。サングラスが失速し4コーナーでマイネルフロストが先頭に立った瞬間に、スパートを駆けると一気に突き抜け先頭に立った。
ハイペースを苦にしたワンアンドオンリーやトゥザワールドが失速する中、インから神戸新聞杯2着だったサウンズオブアースが伸びてきていたが、それを見るや再び伸び返す。
そのまま半馬身差で迫るサウンズオブアースを振り切り、彼は菊花賞のゴールを先頭で駆け抜けたのだった。
デビューから149日の菊花賞制覇はオウケンブルースリの記録を更新し、史上最速での菊花賞制覇となった。
そして、3分1秒0というレコードタイムはソングオブウインドの菊花賞レコードを1秒7、ナリタトップロードの日本レコードを1秒5更新するという破格の時計だった。
ちなみに、菊花賞をクラシックの追加登録で制した馬はヒシミラクル以来2頭目。さらにヒシミラクルも1枠2番であった。
レース前の大量投票から始まり、快挙尽くしの菊花賞制覇。
まさに、すべてがトーホウジャッカルのためにあった菊花賞といっても過言ではない結果になった。
夢のあと
菊花賞後も走り続けたトーホウジャッカルであったが、すでに肉体はボロボロであった。出走予定前の怪我や体調不良からローテーションがうまく行かず、出走した6戦でも掲示板内に入れたのは2戦のみ(4着,5着)。そして2016年12月の金鯱賞後に屈腱炎を発症し引退。通算成績は13戦3勝と、遂に菊花賞後の勝利を得ることが出来なかった。
だがこの成績で種牡馬となれたのは一つの救いかもしれない。 2017年に11頭へ種付けし、2018年には9頭の子が生まれている。この子達がまた将来、ファンを驚かせるような活躍をすることを祈るのみである。
その他のエピソード
トーホウジャッカルは先述の通り重度の肺炎と腸炎を発症しているが、武田ステーブルの武田浩典氏はこの時のことについて「肛門が開きっぱなしで、ペニスもダラーンと出てたままで、かなり重い症状でしたね」と語っている。
また、田中哲実氏が菊花賞の勝利を受けて取材をした際に改めて残されたカルテを見たところ、24時間体制で治療が取られていたことが示されていたということからも、相当重篤な症状であったことが窺える。
このことについて、田中氏は武田氏が獣医師であったために24時間体制で治療が出来たうえ、トーホウジャッカルの生命力と適切な治療があったからこそ無事に回復したとも述べている。
その後、トーホウジャッカルは9月には調教を再開しているが、じっくりと時間をかけて調整がなされ、武田ステーブルを退厩したのは約5ヶ月後の2014年1月31日だった。
血統表
スペシャルウィーク 1995 黒鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
キャンペンガール 1987 鹿毛 |
マルゼンスキー | Nijinsky II | |
*シル | |||
レディーシラオキ | *セントクレスピン | ||
ミスアシヤガワ | |||
*トーホウガイア 2001 栗毛 FNo.16-a |
Unbridled's Song 1993 芦毛 |
Unbridled | Fappiano |
Gana Facil | |||
Trolley Song | Caro | ||
Lucky Spell | |||
Agami 1995 鹿毛 |
Nureyev | Northern Dancer | |
Special | |||
Agacerie | Exclusive Native | ||
Quiet Charm | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Northern Dancer 4×5、Nearctic 5×5
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関連項目
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- 0pt