「あなたはもうこのドイッチュラントの下僕よ?光栄に思いなさい。それから、「うん」はダメ、返事は「はい」よ?わかった?」
ドイッチュラント(アズールレーン)とは、STGアプリ『アズールレーン』の登場キャラクター、ナチスドイツ海軍の重巡洋艦(あるいは装甲艦、ポケット戦艦とも)、ドイッチュラントをモチーフにしたKAN-SENである。
ミッション!わたしの概要には未完成という文字はない!
KAN-SEN名 | |
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ドイッチュラント KMS Deutschland |
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基本情報 | |
所属 | 鉄血 |
艦種 | 重巡洋艦 |
レアリティ | SR |
CV | 上坂すみれ |
イラスト | 不可燃物 |
艦歴 | |
国籍 | ドイツ |
出身地 | シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州キール市 |
造船所 | ドイッチェヴェルケ造船所 |
艦級 | ドイッチュラント級装甲艦 (重巡洋艦)1番艦 |
進水日 | 1931年5月19日 |
就役 | 1933年-1945年(ドイツ海軍) |
最期 | 1947年7月22日(沈没) |
備考 | |
プライドが高く、気分屋な性格。指揮官を下等生物兼下僕と見下しているため、戯れに攻撃をしてくる。常人には異常と思える行為でも本人は愛情表現としてやっている場合も…
鉄血陣営に所属する、ドイッチュラント級重巡洋艦の長女。妹はアドミラル・グラーフ・シュペー。
2017年12月26日から開催されたイベント「鏡写されし異色」にてイベント海域ドロップ限定で先行実装された。2018年4月現在は入手不可能。早期の通常海域ドロップか通常建造への実装が待たれるところ。
2018年6月28日から「鏡写されし異色」が復刻開催された。復刻開催も終了済みだが、2018年8月6日からなんと大型建造に通常実装となった。未所持の指揮官は手持ちのキューブと資金との相談の上で、無理をせずに建造を狙おう。
下等生物の言葉で話してあげなくてはね(容姿・性格)
銀髪と赤のメッシュ入り黒髪ロングヘアー。顎が小さめの童顔だが、獣のような鋭い目つきと口角の上がった笑みを浮かべており、明らかに危険な雰囲気を漂わせている。身につけている衣装は、胴には白いワイシャツと黒いスカートの上から漆黒のロングコートを羽織り、組んだ肉付きのいいナマ足には厚底のロングブーツを履いている。頭にはギザ歯のイラストが特徴的なゴーグル付きの大きな軍帽をかぶり、赤い小手をはめた手には、細腕には明らかに不釣り合いな重厚な異形の銃を持っている。この銃は戦闘においては副砲としての役割を果たしているようである。
そして何よりも目を引くのは、同じ鉄血陣営の中でも飛び抜けて凶悪なデザインをしている艤装だろう。機械生物的な見た目をしているのは鉄血陣営の艤装の共通した特徴だが、彼女の場合は鮫をモチーフにしたと思われる艤装を2体も侍らせている。主砲と副砲のついた艦首部分は牙を剥いたようになっており、後部は魚の尻尾のような形状になっている。本人の体格に比べて一回り大きいため、威圧感が凄まじい。悪人っぽいビジュアルが多い同陣営の中でも、飛び抜けて悪者チックな風貌である。
そんな彼女の性格は一見、外見通りのドSとしかいいようがないもの。上記の艦船紹介の通り、指揮官を「下等生物」と呼びながら高圧的な態度で接し、気分次第では処罰を加えようとしてくる。本人としては愛情表現のつもりのようなのだが、端から見れば指揮官を下僕としてこき使うやべーやつにしか見えない。しかしよくよく台詞を聞くと決して邪険に扱っているというわけではなく、過激な発言の割にはそれほど危険ではなかったりする。むしろこちらの心配を意味しているものが多く、何かと面倒見がいい一面が見え隠れしている。特に妹のアドミラル・グラーフ・シュペーに対しては過保護と言ってもいいほど。また自分の背が低い事を気にしていたり、意外にも精神的に打たれ弱く、落ち込んでいる時に慰めようとすると反発したりと、最初のイメージとは裏腹にかなり複雑な内面を持ち合わせている。
ちなみに、彼女がこうも攻撃的な性格になってしまったのにはとある理由があり……
彼女は艦船の記憶を引き継ぐ際、同名の艦である「ソ連に引き渡されたリュッツオウ」のものを引き継いでしまっており、「鉄血陣営でありながら北連艦の記憶を持つ」という矛盾を抱えている。その矛盾からくる疎外感に苦しんだ末に、彼女は鉄血艦としてのアイデンティティを守るべく、国の名前を冠していることを理由に自身を鉄血陣営の頂点と位置づけ、傍若無人に振る舞うようになったというのが事の真相である。彼女がリュッツオウの名で呼ばれるのを嫌がるのもこれが原因。
なお他の鉄血艦は彼女の事情について既に知っており、彼女を仲間として扱うべくあえて彼女の不遜な振る舞いを許していた。キャラストーリーでは件のことを鉄血艦の皆で話し合い、今までと変わらず鉄血の仲間として受け入れられる形で決着する。鉄血は兄弟。鉄血は家族。
下等生物のくせに、いいセンスしてるわ……
専用スキンが用意されており、上記はイベント「鏡写されし異色」にてイベント補給の引き換えとして実装されたものである。タイトルは「漆黒の魔姫」。艤装部分が大きな座面の赤い椅子となり、彼女自身は漆黒のドレスを纏うというもの。デフォルトの服装の時は分かり難かったが、かなりのおっぱい戦闘力をお持ちになられていることが伺える。また廻りには一つ目のコウモリみたいな得体のしれない生物が飛び回っている。
そして2018年8月6日のアップデートで実装されたのが水着スキンの「サービスタイム!?」である。
いつもの刺々しさはどこに行ったのか、黒いビキニを身に着けて、しどけなく肢体をくねらせて甘ったるい笑顔で指揮官に日焼け止めオイルを塗ることを要求してくる。上記「漆黒の魔姫」で少し明らかになっていたグラマラスっぷりが完全に満天下に知らしめられることになっており、Live2Dということもあってその破壊力は凄まじい。あまりにも過激すぎて本国版では毎度のごとく修正されたり、非公式Wikiでは掲載が差し止められたりと物議を醸しているようである。
いずれもショップにて恒常販売中であるにゃ。お待ちしてますにゃ。
2019年9月19日の2周年イベントに合わせて、パーティー着せ替え「魔姫の夜宴」が実装された。
相変わらず黒系の色を選ぶセンスは変わらないが、全体にはとても可愛らしいデザインのドレスになっている。追加ボイスは大幅にデレが入り、妹のシュペーについても姉バカ全開モードに入っている。ぜひともドレス姿の共演をさせてあげたいところ。そう思った下等生物指揮官のみんなはショップへいらっしゃいにゃ。
2020年1月21日のアップデートで、春節着せ替え「灯華の支配者」が実装された。
ツイートを読み込み中です
https://twitter.com/azurlane_staff/status/1218427299768471553
真紅のドレスが美しく、黒ストのおみ足がひたすら素敵である。公式イラストのそれは、身体の小柄さをカバーするためのポージング臭いが、黙っておいてあげるのが下等生物の務めであろう。
この着せ替えは春節の限定販売なので、欲しいと思った下等生物指揮官はショップに急ぐべしにゃ。
楽しい掃討になりそうね(性能)
ポケット戦艦の名に恥じない、他の重巡洋艦と比較して非常に高い火力を持つ。同級のアドミラル・グラーフ・シュペーとの差異は、耐久が300ほど低い代わりに火力値などが気持ち高めに設定されている。
後に述べるとおり、砲による攻撃面に関しては素晴らしいものがあるが、問題は防御面。耐久値はそこそこのものを持つが、いかんせん速力と回避が非常に低い。矢面に立つと瞬く間に耐久を減らされるため、被弾しにくい中列に配置したり、艤装で回避と速度を補ったりと対策を要する。
対空も重巡ワーストであるために非常に苦手で、中装甲なこともあり爆撃機に爆弾の雨あられを降らされるとあっという間に沈んでしまうことも。魚雷も補正値が低く、あくまで補助的なダメージソースでしかない。何も考えずに使うとそこまで強くないため、下記の専用砲やスキルを最大限に活かすことが運用の鍵となる。
ドイッチュラント級が共通して所持しているスキル「ポケット戦艦」は、駆逐艦と軽巡洋艦に対しての与ダメージがアップするスキルであり、効果倍率も最大で35%と非常に高い。また対象となる艦が出現しない海域はほぼ存在しないことから、あらゆる場面での活躍が期待できる。また最終ダメージを引き上げる仕様であるため、主砲攻撃、魚雷攻撃、全弾発射スキルといったあらゆるスキルに適用される点にも留意。
専用砲:283mmSKC28三連装砲
ドイッチュラント級の専用装備(計画艦の吾妻も装備可能)であり、戦艦砲と同じく弾道が山なりを描く。そのため相手がシールド持ちであっても、それを飛び越えてダメージを与えることが可能。また飛翔中の砲弾には当たり判定がなく、着弾地点の周囲にダメージ判定を出すため、密集した複数の敵艦にダメージを与えることができる。
自身に最も近い艦を狙う他の前衛砲とは異なった仕様となっており、諸説あるが現在では手動で戦艦砲を撃つ際に現れる照準の位置に最も近い敵艦を狙うという説が有力。このため運用の際は通常とは違った操作を求められることになる。オート操作の場合は無限湧きする量産型敵艦を狙うことが多いため、戦闘を長引かせがち。特に高難度海域では戦闘後の耐久の残量に目に見えるほどの差が生じるため、運用するなら手動操作のほうがダメージ効率が良かったりする。ともかく尖った性能であるため、人によっては好みが分かれるところだろう。
なお同一アイコンの装備に「283mmSKC34三連装砲」という砲が存在するが、これはシャルンホルスト級の装備でありドイッチュラント級は装備できない。装備選択で間違えることはないが、整理する際に誤って廃棄する恐れがあるため注意が必要である。
こんなに高貴なわたしは安々と戦場に駆り出されるわけにはないから、
戦果が少ないのは当然なのよ?(史実)
誕生までの経緯
ドイッチュラント級についての史実記事はこちらを参照。 → ドイッチュラント級装甲艦
ドイッチュラント級装甲艦はヴェルサイユ条約で大幅な建艦制限を課せられたドイツが、なんとかして周辺諸国に対抗するために条約の隙間を突いて建造したものである。
第一次世界大戦に敗れたドイツは、当然のごとく戦艦などの大型艦艇の建造を禁止されることに。しかしその代わり、現状で持っている旧式戦艦などの代替として「排水量1万トン以下」という厳しい条件でのみ建造を許されることとなった。なおヴェルサイユ条約には砲の口径を制限する条文はないものの、設計に関わったツェンカー提督は、口径が305mmを超えては列強の反対に遭うとを危惧し、283mmに制限させている。
そこで「巡洋艦よりも強い砲を積んで、戦艦よりも足の早い艦を作れば、戦艦を出し抜きつつ巡洋艦を叩いて海域を制圧し、大きな戦果を上げられるんじゃね?」という発想のもとに条約いっぱいの新艦種を作ることにした。これが装甲艦である。諸外国では「ポケット戦艦」とか「豆戦艦」と呼ばれ、いつしかこの呼び方が定着した。
本級は283mm三連装砲を前後に2基置き、合計6門の主砲を持つ仕様となっている。他に15cmの副砲、88mmの対空砲、553mm魚雷発射管も装備していた。特筆すべきは推進機関で、当時は極めて先進的だったディーゼル機関を搭載。燃費に優れ、長距離の無給油航海を可能にした。この艦の完成は他の列強諸国に大いなる危機感を抱かせ、フランス、イタリア、イギリスにおける建艦競争が起こることになる。フランス海軍の「ダンケルク級戦艦」、イタリアの「ヴットリオ・ヴェネト級戦艦」、イギリスの「フッド」、「レナウン級巡洋戦艦」などはドイッチュラント級に対抗するために建造されたり、廃艦が取り消された上で近代化されたりした。
結果的にドイッチュラント級は3艦しか作られず、肝心の主砲に発射速度の難を抱え、ディーゼル機関も様々な問題を解決せねばならなかった。排水量も1万1700トンと約20%も超過していたが、この手の過少申告はよくあることである。だが列強諸国が本級に注目している間に、さらなる強力な艦艇を開発する時間を稼ぎだしただけでも大きな存在意義があった。そして第二次世界大戦の開戦後、その航続力を活かしてひとかたならぬ働きを見せるのである。なお1939年頃にドイツは本級の艦種を重巡洋艦に改めている。
姉妹艦と比べて、箱型の艦橋とその後ろから立ち上がるチューリップの花のようなマストが特徴だった。2番艦のアドミラル・シェーア以降は、マストと一体化した上が狭くなる台形の艦橋となっている。
竣工後
ドイッチュラントはドイッチュラント級装甲艦の1番艦として、1929年2月5日にドイチェヴェルケのキール造船所で起工。1931年5月19日に進水し、1933年4月1日に竣工した。開戦前は意外とほのぼのとしており、訓練航海を兼ねてスウェーデンのイェーデポリやイギリスのエジンバラを表敬訪問している。12月13日から翌1935年2月21日までヴィルヘルムスハーフェン工廠で入渠。その後の3月14日、ディーゼルエンジンの耐久試験として南アメリカまで長駆し、各都市を訪問。32日間の航海を経てドイツ本国に帰投し、ディーゼルエンジンの有用性を実証した。
1936年7月17日、スペイン内戦が勃発。当初は不介入を表明していた海軍であったが、反政府軍(国粋派)のフランコ総統から応援要請を受け、7月24日にドイッチュラントは戦闘艦隊の旗艦となってスペイン沖に派遣された。戦火に追われる難民の輸送に従事した他、8月3日にセウタへ寄港してフランコ総統に表敬訪問を行った。人道的支援に徹するドイッチュラントだったが、1937年5月29日に事件が起きる。18時40分、バレアレス諸島イビザ島沖で停泊中に共和国政府軍のツポレフSB-2爆撃機2機の襲撃を受け、2発の50kg爆弾が直撃して中破してしまう(ドイッチュラント号事件)。この事件でドイツ人乗組員15名が死亡。共和国軍の蛮行に激怒したヒトラー総統は報復を宣言し、アドミラル・シェーアと独伊の駆逐艦4隻が共和派都市のアルメリアを砲撃して大損害を与えた。中破したドイッチュラントは英領ジブラルタルに寄港し、応急修理と負傷者の手当てを実施。その時、イギリスへ式典出席のために訪れていた日本の重巡洋艦「足柄」と出会っている。6月16日にヴィルヘルムスハーフェンへ帰投し、修理。10月5日にスペイン沖へ舞い戻り、地中海方面で活動した。
第二次世界大戦直前の1939年8月24日、ドイッチュラントは極秘裏にキールを出港。レーダー提督はポーランド侵攻で英仏が宣戦布告してくる事を見越し、あらかじめ大西洋に待ち伏せておくよう命じたのだ。また三番艦のアドミラル・グラーフ・シュペーも通商破壊任務のため、あらかじめ出港していた。南大西洋に向かったシュペーに対し、ドイッチュラントは北へ向かい、ここで運命の開戦を迎える事となる。
第二次世界大戦
1939年9月3日、ドイツ軍のポーランド侵攻により英仏が宣戦布告した事で第二次世界大戦が勃発。しかしヒトラー総統は和平を望んでいたため攻撃は許可されず、バミューダ諸島・アゾレス諸島間の航路でしばらく待機する。9月27日になってようやく攻撃許可が下り、狩りを始める。10月5日にバミューダ諸島東方5600マイルで英商船ストーンゲート(5044トン)を撃沈。次にイギリス・ハリファックス間の航路で米商船シティ・オブ・フリントを拿捕する(しかしノルウェー海軍に捕まり、船はアメリカに返された)。10月16日、ニューファウンドランド東方でノルウェー商船ローレンツ・W・ハンセン(1918トン)を撃沈。戦果を挙げたが、大西洋の荒天は逃げる船舶に味方し、これ以上は獲物と遭遇できなかった。その後、キール軍港に無事帰投している。
この頃本艦は「ドイッチュラント」から「リュッツォウ」と名を改められた。リュッツォウとはプロイセン王国の軍人、ルートヴィヒ・アドルフ・フォン・リュッツォウ男爵から取られているが、問題はなぜ改名されたか。ドイッチュラントとは日本語で言うところのドイツ、つまり国そのもののを指す名前である。例えば、もし仮に「日本」あるいは「大日本」などといった艦が我が国に存在し、それが戦争で失われたら我々はどう思うだろうか?つまるところ、本艦が失われた場合の国民への心理的マイナス効果を恐れたのである。と言っても、一番それを恐れていたのは他ならぬ総統閣下であった。海軍への期待が薄く、水上艦艇が好きじゃないのにそんなところはしっかりゲン担ぎしようとするあたり、いかにも総統閣下らしいと言うべきだろうか。
ちなみにこのリュッツォウという名が付けられた艦としては3代目なのだが、その前の2代目リュッツォウはアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦5番艦(つまりアドミラル・ヒッパーやプリンツ・オイゲンの妹艦)であったが完成前にソビエトに売り飛ばされ、レニングラード防衛戦では浮き砲台としてドイツに向かって砲火を放つという皮肉な生涯を送っていた。
それはさておき、ドイッチュラント改めリュッツォウは自沈した妹艦シュペーの後を継いで南大西洋への通商破壊に出る予定だった。だが総統閣下の命令でノルウェー侵攻ことヴェーゼル演習作戦に参加した。この時エンジンの台座にクラックが入っていることがわかり、どのみち遠洋航海は無理だったのだが。
リュッツォウが所属する第5戦闘グループは水路から首都オスロを目指していたが4月9日深夜、ドレーバク要塞とカホルム要塞に行く手を阻まれる。新造の重巡洋艦ブリュッヒャー(アドミラル・ヒッパー級2番艦、つまりヒッパーの妹でオイゲンの姉)が敵からの雷撃で撃沈され、リュッツォウ自身も3発の15cm砲弾を受けて損傷。第5戦闘グループは旗艦を失う手痛い損害を受ける。だが、ここからリュッツォウは驚異的な働きを見せる。ブリュッヒャーか代わって指揮を引き継いだリュッツォウは便乗していた山岳猟兵400名をソンス入江に上陸させてカホルムに向かわせ、ドレーバク要塞の士気が低い事を見抜いたティーレ艦長は軍使を派遣してノルウェー軍と交渉。これが上手く行き、ドレーバク要塞は無血開城。市街地を占領されたカホルム要塞も降伏し、見事オスロまでの道を開いて見せた。この功績によりティーレ艦長には騎士十字勲章が授与されている。オスロに到達したものの、戦闘で足止めを食った影響で既に陸軍が首都を占領していた。リュッツォウは帰国を命じられて本国へ向かったが、イギリス軍の潜水艦に狙われて艦尾を損傷。修理に一年を浪費してしまう。
やっと修理がなったと思った1941年6月、今度は航空機の爆撃を受けて半年の修理を要した。
1942年、北海におけるイギリスのソ連への物資支援は続いており、ドイツ海軍はそのルートを破壊することを常に狙っていた。その年の暮れも押し迫った頃、イギリスからJW51B船団がソ連のコラ湾(ムルマンスク港などがあるフィヨルド)へ向かっていた。同船団を一網打尽にすべく、リュッツォウは重巡洋艦アドミラル・ヒッパーや駆逐艦6隻を引き連れて出撃した。レーゲンボーゲン(虹)作戦の発動である。
12月31日、Uボートによって船団を発見していたドイツ艦隊は護衛のイギリス駆逐艦群に迫った。当初はヒッパーの主砲が敵駆逐艦を大破させ、さらに掃海艇1隻を撃沈したが、当日は吹雪、総統閣下の命令で「慎重に戦う」ことになっていたドイツ側は同士討ちを恐れて深追いをためらった。吹雪が一旦晴れた時に再びヒッパーが駆逐艦1隻を撃沈。しかしそこに軽巡洋艦シェフィールドとジャマイカが駆けつけた。この時、ドイツ側の駆逐艦Z16フリードリヒ・エッコルトはシェフィールドを友軍艦と誤認して接近し、同艦に撃沈される。一方リュッツォウは南側から船団への接近を試み、商船1隻を損傷させたものの、敵駆逐艦が煙幕を展開したため徹底した攻撃を加えられなかった。ヒッパーも敵巡洋艦と砲戦に及んだものの、双方とも駆逐艦からの雷撃を警戒し、戦闘を打ち切った。結局本来の目的、商船の撃沈は1隻もならず、戦術的には痛み分けでも戦略的にはドイツ側の完敗であった。これがバレンツ海海戦である。
軽巡洋艦ケルンの記事でも触れたが、これを聞いた総統閣下は激怒し、海軍総司令官レーダー元帥を更迭。大型艦艇の強制引退と解体を命じたほどであった。後任のデーニッツ提督の取り成しにより解体だけは回避されたが、以降はバルト海でUボート相手の訓練に従事。その後は悪化する戦局の中、大きな作戦は行えないまま時は過ぎた。本来の役目である敵巡洋艦を砲火で圧倒するなんて状況はついぞ巡って来なかった。
ところが最後に大きな晴れ舞台が回ってきた。1944年6月、ついに東部戦線が崩壊。半壊した中央軍集団を追って膨大なソ連軍が東欧に侵入してきた。危急によりヒトラー総統は大型艦の戦闘任務復帰を許可し、7月1日にアドミラル・シェーアとアドミラル・ヒッパーで第2戦闘グループを結成。迫り来るソ連軍から難民や負傷兵を守る任務につく。10月10日よりソルバメ半島のソ連軍を砲撃。南端で孤立していたドイツ陸軍に撤退の時間を与え、見事包囲網から脱出させた。グデーリアン上級大将はデーニッツ提督に感謝の電報を打った。
1945年1月、メーメルに迫るソ連軍に向けて艦砲射撃。第1バルト正面軍戦車部隊を撃破した。敵の包囲網は東プロイセンにも迫り、リュッツォウとアドミラル・シェーアは港町ピラウから砲撃。バルチースクのソ連軍部隊を吹き飛ばした事で首都ケーニヒスベルクとの連絡が一時的に回復し、数万の難民が脱出する事が出来た。1月28日にメーメルを失陥すると、次はダンツィヒの防衛に奔走。エルビング陣地で戦うドイツ軍を支援した。エルビング陣地が陥落した後は、その陣地に向けて砲弾の雨を降らせた。ゴーテンハーフェンを巡る戦いでは乗組員は一睡もせずに砲撃。仲間のアドミラル・シェーアやアドミラル・ヒッパーが爆撃で次々に転覆する中、最後まで踏み留まり続けた。
1945年4月16日、シュヴィーネミュンデ南方で停泊中にイギリスのランカスター爆撃機に襲われ、5トン爆弾トールボーイが至近に着弾。竜骨が損傷し、生じた破孔から浸水が発生。更にリュッツォウの前部砲塔と後部砲塔に突き刺さったが、幸い不発弾だった。この攻撃でリュッツォウは大破着底。ついに航行の自由を失った。だが決死の応急修理により前部砲塔と副砲が息を吹き返し、戦闘能力を保持し続ける。4月28日午前4時、いよいよソ連軍の侵入が始まった。生き残っていた砲で抵抗し、敵の重戦車を次々に破壊。長大な射程距離を活かして湖を飛び越し、翌29日にシュチェチンへ侵攻した砲兵部隊と重戦車を粉砕。苛烈な攻撃により、ソビエト兵の中には「V1号飛行爆弾が撃ち込まれた」と錯覚した者も。4月30日までに350発の28cm砲弾を撃ち込み、ポーランド北西方面最後の壁としてソ連軍に立ちふさがった。しかし5月1日、唯一稼動していた発電機が発火により使用不能となり前部主砲が動かなくなるも、残った副砲で反撃。そして5月3日夜、ソ連軍の機関銃が届く範囲にまで接近された事で艦の放棄が決定。艦内に残っていた弾薬を集め、5月4日午前0時12分に爆破処分された。ドイツ最初の戦艦は、最後に力尽きたのだった。
戦後になって引き揚げられてソ連に接収され、名前はそのままロシア語読みの「リュッツォフ」とされたが、結局修理は断念された。1947年に標的艦として用いられ、バルト海にその姿を没した。
放棄までに中破1回、大破3回を経験しつつも終戦直前まで戦い続けた不屈の艦であった。駆逐艦響よりも不死鳥している。
うん~?楽しんでるようね~こういうの好きなの?(関連動画)
ふん、子羊たちが関連静画を完了したようね。意外とやるじゃない
関連項目の分際でよく分かってるじゃない
- アズールレーン
- レッドアクシズ/鉄血
- アズールレーンのKAN-SEN一覧
- ドイッチュラント級重巡洋艦
- ドイッチュラント(アズールレーン) ←今ここ
- アドミラル・シェーア(アズールレーン) ※未実装
- アドミラル・グラーフ・シュペー(アズールレーン)
- ドイッチュラント級装甲艦
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