ドミティアヌス / インペラトル・カエサル・ドミティアヌス・アウグストゥス(51年~96年)とは、ローマ皇帝で、フラウィウス朝の三代目である。
概要
フラウィウス朝の最後の皇帝。そのためひどく悪評が立ち、彼のすぐれた治世は、元老院議員を中心とした人々の手による歴史書からは抜け落ちている。とはいえかくして、帝国はローマ五賢帝の時代に移っていく。
ドミティアヌスの治世
ローマで生まれたが、兄ティトゥスとは異なり、特に宮廷教育などは受けなかった。しかしウィテリウスとの戦いでは伯父サビヌスと共に窮地を脱し、ウェスパシアヌス軍がウェスパシアヌス不在でローマを掌握した際には、新政権の代表者としてふるまった。
ウェスパシアヌスがローマに到着すると、以後実権はウェスパシアヌスとティトゥスが握ったが、ドミティアヌスにも名誉をふんだんに与えられ、ティトゥスの早すぎる死の後もスムーズに即位したのである。
ドミティアヌスはひたすら誠実に政策を務めたが、元老院との付き合いはあまり良くなかった。しかしやや独裁的なきらいがあり、政権の中心は宮廷にあった。
そんな彼の政策として特筆すべきはドナウ川でのダキア人との戦いである。サルマティア戦争と呼ばれる一連の軍事行動は目覚ましい勝利こそ得なかったものの、国境の防衛には成功したのである。
しかし、ドミティアヌスは次第に暗殺におびえるようになる。さらに上ゲルマニアの属州総督サトゥルニヌスがドナウ川方面軍の地位が向上し、ライン川方面軍の地位が弱まったことで反乱を起こした。下ゲルマニアの属州総督マクシムスがすぐに鎮圧したが、次第に権力基盤が不安定であるとドミティアヌスは感じ取っていった。
そして、次第にこうした恐怖は、ドミティアヌスを「恐怖政治」に走らせたとされる。親族すら処罰されたこの統治手段は、ドミティアヌスの侍従たちに恐怖を与え、パルテニウスとステファヌスによってドミティアヌスは暗殺されたのだった。かくして元老院は議員の中から老獪なネルウァを即位させた。
関連項目
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