- プロ野球選手一覧 > ナイジャー・モーガン
ナイジャー・モーガン(Nyjer Jamid Morgan、1980年7月2日-)とは、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(外野手)である。
試合中はトニー・プラッシュ(Tony Plush)という別人格を演じている(本人談)。
概要
OB | |
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ナイジャー・モーガン Nyjer Morgan |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州サンフランシスコ |
生年月日 | 1980年7月2日 |
身長 体重 |
182.9cm 83.9kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 2002年 |
経歴 | |
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プロ野球選手テンプレート |
メジャー時代は「メジャー最強のクレイジー」と呼ばれるほどの問題児で、クリス・カーペンターとは対戦するたびに怒鳴り合い、アルバート・プホルスにはTwitterでオカマ扱いして挑発しまくり、乱闘は量産する等かなり尖った選手だった。
ミルウォーキー・ブルワーズに所属していたが、打撃不振と青木宣親のレギュラー定着で出場機会を失い、オフにFAとなっていた。2013年に横浜DeNAベイスターズと1年契約を結ぶ。
攻守ともに全力でプレーするタイプで、俊足を生かしたバントヒットが得意でセーフティバントやそれに見せかけて揺さぶる打撃で相手をかき回す食わせ者。
内野安打が多いものの、チャンスに弱い傾向があり来日当初は全くタイムリーヒットが出なかった時期も(後にある程度改善したが)。
守備に関しては、ミスもあるものの広い守備範囲とフェンスは友達と言わんばかりの強気な守備が魅力で、派手なファインプレーもしばしば見ることが出来る。
死球が来日当時から多いのも特徴で、かわさずに当たることも多い。
人格は底抜けに明るく、イニング間には相手チームのファンともコミュニケーションをとるムードメーカーである。
その明るさはベンチ内でも健在で、試合中はカメラを意識した行動を取ることもあり。
トレードマークは腕を組んで作るトニー・プラッシュの「T」。
経歴
メジャーリーグ時代
元々はアイスホッケーの選手で、1999年から2000年にかけてウェスタン・ホッケーリーグのリジャイナ・パッツに所属していたが、ホッケーの才能は並で目立った活躍ができず断念、野球に専念する。
2003年から2007年までピッツバーグ・パイレーツのマイナーリーグで過ごし、同年9月からメジャー昇格、28試合打率.299、7盗塁を記録する。
その後2009年にワシントン・ナショナルズにトレードで移籍、8月に骨折でシーズンを終えることになったが、それでもリーグ2位の42盗塁をマーク。その後は観客にボールをぶつけて怪我をさせたり、乱闘でMLBから8試合出場停止と罰金15,000ドルを受けるなど問題児として名を馳せるようになる。
2011年にトレードでブルワーズに移籍。打率は二年ぶりに3割を超える。しかし、翌年2012年には調子がガタ落ちし、メジャー史上最長の138打席連続打点なしという打撃不振に陥る。その後、出場機会を失いオフにFAとなった。
DeNA時代
2013年に横浜DeNAベイスターズと1年契約を結ぶ。
日本でも持ち前の明るいキャラでチームに馴染み、イニング間に他球団のファンと戯れるなど愛すべき外国人選手といった様子を見せていた。
来日直後、守備ではそこそこ活躍するが、17試合出場して長打と打点がなく、打率.152と相変わらずの打撃不振で4月20日に登録抹消される。しかし二軍で調整を行った後5月1日に選手登録されると、日本の投手の攻め方に慣れたのか、打撃の調子を上げチームに貢献した。特に夏場以降の追い上げは驚異的で、六月の打率は.367、七月は.356、八月は.324と好成績を残した。
プレースタイルは俊足巧打の中距離ヒッターだが、中畑監督が「あいつ以上にセーフティバントが上手い奴見たこと無い。世界一だよ」と評されたセーフティバントで内野安打を稼ぐなど小技も光っていた。昇格後は一軍に定着したばかりかファンにもすっかり愛されるようになった。それを象徴するように、シーズン途中から応援歌のコールが「GO!GO!モーガン」という外国人汎用コールから「トニー!プラッシュ!モーガン!」と独自のコールに変更されたり、専用のチャンステーマが作成されたりした。
2013年の6月15日の埼玉西武ライオンズ戦で来日初のヒーローインタビューに立ち、通訳が訳している間にファンサービスをするという楽しいインタビューを行った。
本拠地の横浜スタジアムでの初ヒロインは2013年7月15日だが、その日は横浜DeNA移籍後初勝利を収めた長田秀一郎と一緒にお立ち台に立ち、絶好調なパフォーマンスで長田を戸惑わせていた。
ヒーローインタビューは「ABAYO!!」という言葉で毎回締めていた。
登場曲は初期は「ああ人生に涙あり」と爆風スランプの「Runner」を打席ごとに交互に流していた。
その後は奇数番目の打席に湘南乃風の「炎天夏」、偶数番目にEXILEの「EXILE PRIDE ~こんな世界を愛するため~」を流していた。
記録よりも記憶といわんばかりに強烈な印象を横浜ファンに残してきたモーガンだけに、来季の去就が注目されていたが、高額な年俸と外国人枠、梶谷の外野転向などに伴う外野争いなど、諸般の事情によってファンから惜しまれつつも退団した。
DeNA退団後
2014年は再びアメリカに戻りインディアンスとマイナー契約を交わし、3月30日にメジャー契約を結んだ。
2014年シーズンは15試合に出場し.341 と好調であるが、選手枠の関係と右ひざの故障でマイナー暮らしが多くなった。その後メジャーへ復帰することなく、8月5日に放出された。オフに韓国のハンファ・イーグルスと契約した。
MLB.JPにて、インタビューに答え、「いつか日本に戻ることが楽しみだよ」と日本に対する愛着を示すコメントを残している。
引退後
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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DeNA | 応援歌のピコカキコ一覧#324 | 9356 | |
DeNA(チャンス) | 応援歌のピコカキコ一覧#649 | 10605 |
成績
通算打撃成績
通算:8年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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MLB:7年 | 598 | 2206 | 1953 | 288 | 550 | 12 | 136 | 120 | 52 | 13 | 145 | 43 | 352 | 21 | .282 | .343 |
NPB:1年 | 108 | 424 | 371 | 57 | 109 | 11 | 50 | 3 | 11 | 2 | 27 | 13 | 81 | 3 | .294 | .361 |
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
外部リンク
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