勝利への解法
変化する状況の中で
次々と迫られる判断
しくじりは決して許されないどの位置を取るのか
いつまで我慢すべきか
どこを突いて抜け出すか
周囲に目を配れ
知恵を振りしぼれ最適解を積み重ねた先に
勝利は待っている
ナリタタイシンとは、1990年生まれの日本の元競走馬・種牡馬である。牡・鹿毛。
1993年クラシック三強の一角であり、小さな体から研ぎ澄まされた刀のような末脚を繰り出す一方
繊細で、怪我や病気がつきまとう儚げな側面もあった。だが男だ。
主な勝ち鞍
1992年:ラジオたんぱ杯3歳ステークス(GIII)
1993年:皐月賞(GI)
1994年:目黒記念(GII)
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「ナリタタイシン(ウマ娘)」を参照してください。 |
概要
父は欧州最強の名牝ダリアの息子で自身もGI馬のリヴリア、母はタイシンリリィ、母の父ラディガというイマイチ地味な感じの血統。
しかしこの母、子出しは抜群で初仔は重賞馬ユーセイフェアリー、タイシンの上の兄弟二頭は中央で3勝している。
割と恵まれた血統なのだが、競走馬の出産シーズンである春が終わる頃にも生まれる気配はなく、周囲をヤキモキさせた。
もう夏になろうかという6月のある朝、牧場の人間も半分忘れかけた頃にいつの間にか生まれて気がついたらすっくと立っていたというワイルドな逸話が残っている。
しかし超遅生まれのハンディは大きく、体が小さすぎて今度は競走馬になれそうにないな…と周囲をまたヤキモキさせた。
それでも買い手がつき、中央競馬の厩舎に入れたのだが、今度は気性の激しさ故に、乗った人を振り落とさんばかりに暴れたり、賢いのか気が乗らないと勝手に厩舎に帰ろうとしたり、人の目も気にせずゴロリと寝そべり昼寝する問題児ぶりを発揮。
何よりやっぱり体は大きくならず、牝馬みたいな華奢な体付きかつ激しすぎる気性でやっていけるのかと心配されたが、とりあえずデビューにはこぎつけた。
しかし新馬戦では人気を背負って引っかかって派手に沈むというイマイチっぷりだった。続く未勝利はスカっと勝利。
次走のきんもくせい特別ではまたひっかかってモノの見事に垂れて6着。以降は末脚に賭けることを徹底したが
500万条件では差し切れない歯がゆさを見せる。しかしラジオたんぱ杯三歳ステークスでは持ち前の切れ味を十二分に発揮し重賞初勝利。
続くシンザン記念ではアンバーライオンを差せず、若き天才武豊に乗り替わった弥生賞ではウイニングチケットの捲りに敗れ2着と
なかなか突き抜けきれない面も見せていた。追い込み馬の宿痾か。根性はあるとは言え、馬体が小さいため下手に馬群にも突っ込めないため尚の事辛い。
しかし皐月賞では、小回り急坂と追い込み馬に不利な条件が多い中山において、直線で彼より一回り大きいガレオンが斜行してきた中、上がり最速の末脚でビワハヤヒデらを一瞬で切り捨て、皐月賞馬に輝いた。
映像がウイニングチケットにフォーカスし過ぎていたこともあったが、一瞬目を離したら外から突っ込んできているという凄まじい加速っぷりは見事としか言いようがない。一回動画を見て欲しい。
続くダービーでは、二冠がかかったがやはり末脚勝負しかないと追い込みに賭けたがウイニングチケットの執念に敗れ3着、古馬に挑んだ高松宮杯(当時GII・2000m)ではロンシャンボーイに逃げ切られ2着。運が離れてゆく。
秋は順調さを全く欠き、運動誘発性肺出血でトライアルを回避せざるを得ず、ぶっつけで皐月賞馬の意地を守るべく菊花賞に出走するが体調は最悪で全く伸びるどころの話ではなく17着ブービー惨敗。
最下位は心房細動を発症し歩くのがやっとだったネーハイシーザーだったため実質最下位である。
休養し立て直した翌年冬の目黒記念で復活勝利を挙げ、春の天皇賞に挑む。いつものように後方からビワハヤヒデを猛追するが、本格化した彼の前では通じず、影を踏むのが精一杯の2着。
そのあとは宝塚記念を目指すが軽い骨折を発症し回避。夏を越した秋は京都大賞典へ向かおうとするが下痢で回避。
仕方なく天皇賞ぶっつけで調整するが今度は屈腱炎を発症し長期休養を強いられる。運がないどころの話じゃない。
そして、最後の出走となった天皇賞(春)から一年二ヶ月後、宝塚記念で復帰するが見る影もなく惨敗。
競走中止したライスシャワーを除けば最下位という体たらくではもう無理だということで引退し種牡馬入りした。
種牡馬としては早逝したリヴリアの後継としてそれなりに期待されたが、小柄な馬体が嫌われて良血牝馬に敬遠され
さらに体の弱さが伝わったのか全く産駒が走らず、懸念されたとおり彼に似て馬っぷりもよろしくなく、
繁殖に上がった産駒もごく僅かであり、その産駒も血を継ぐことが出来ずに終わり、今では完全に彼の血を継ぐものはいなくなってしまった。
三強の中では成績を見るだけでは一番地味な印象に見えるが、レースを実際に見た人間にはそんなことはないと思えるほどの凄まじいキレを持つ、卓越した追い込み馬であった。
ハマった時の鮮やかさは、皆が思い浮かべる追込馬のそれであった。
2003年に種牡馬を引退した後は、日高のベーシカル・コーチング・スクールに移って余生を過ごしていた。現役時代に三冠を分け合ったビワハヤヒデ、ウイニングチケットとともに非常に長命であり、2020年に揃って30歳となった。命の長ささえ競い合うかのようであった三頭だが、ナリタタイシンは2020年4月13日、老衰のためにこの世を去った。
血統表
*リヴリア 1982 鹿毛 |
Riverman 1969 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah |
Lalun | |||
River Lady | Prince John | ||
Nile Lily | |||
Dahlia 1970 栗毛 |
Vaguely Noble | *ヴィエナ | |
Noble Lassie | |||
Charming Alibi | Honeys Alibi | ||
Adorada | |||
タイシンリリィ 1981 芦毛 FNo.1-w |
*ラディガ 1969 鹿毛 |
Graustark | Ribot |
Flower Bowl | |||
Celia | Swaps | ||
Pocahontas | |||
インターラーケン 1966 芦毛 |
*サミーデイヴィス | Whistler | |
Samaria | |||
*シルヴァーファー | Abernant | ||
Moyo | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nearco 5×5(6.25%)、Roman 5×5(6.25%)、Alibhai 5×5(6.25%)
主な産駒
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関連項目
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