ナリタトップロード単語

ナリタトップロード
1.0万文字の記事
  • 21
  • 0pt
掲示板へ

想いはひとつ、頂点への

振り返ればそこには、素らしきライバルとの覇を競った日々がある。

闘の末に咲かせた菊の大輪がある。だが君はひたむきに走り続けていく。

しのぎを削った友たちがターフを去った後も、世代の誇りを胸に抱き、新たなる戦いに挑む。

君と、そしてみんなの想いはひとつ。頂点トップへのロード

                                    JRA「ヒーロー列伝」No.53 ナリタトップロードexit

ナリタトップロードとは、1996年生まれの競走馬1999年菊花賞に勝った名である。しかしそれよりは、3年連続の天皇賞春3着の記録、そして勝ちの実績以上にファン援を集めたことが有名かもしれない。
略称トップロードトプロあとNTRNarita Top Road)。

な勝ち
1999年:菊花賞 (GI)、弥生賞(GII)、きさらぎ賞(GIII)
2001年:阪神大賞典(GII)
2002年:京都記念(GII)、阪神大賞典(GII)、京都大賞典(GII)

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
ナリタトップロード(ウマ娘)を参照してください。

概要

サッカーボーイ *フローラルマジック。1996年生まれ。

1998年デビューし、1999年には菊花賞を含めた重賞3つを獲得。皐月賞テイエムオペラオーダービーアドマイヤベガと共に次世代を担う存在として期待された。だが2000年古馬王道全制覇するオペラオーと、オペラオーにこそ及ばずともオペラオー以外には先着を許さなかったメイショウドトウの陰に隠れてしまう。2001年以降は台頭する新とも戦い、オペラオー引退した後の2002年には古馬王道における1999年クラシック世代最後の壁として重賞3つを勝利する活躍を見せた。同年に引退

そのまま種牡馬入りし、サッカーボーイの後継種牡馬となることが期待されたが、2005年11月7日午前1時心不全死亡した。

生涯

デビューからクラシックまで(1996年-1999年)

1996年4月4日北海道沙流門別町(現・日高町)の佐々木牧場で生まれる。

サッカーボーイ *フローラルマジック Affirmedという血統。サッカーボーイといえばイッちゃった三白眼で有名なだが、ナリタトップロードはおっとりとした子供っぽいだったという。

牧場の期待だったトップロード降るデビューこそ稍重の馬場にのめってしまってクビ差の2着に泣いたが、2戦では初勝利。3戦福寿草特別では1番人気リリングサンデー武豊騎乗のトゥザヴィクトリーに続く3着に敗れるものの、4戦は強気に格上挑戦、重賞きさらぎ賞(GIII)へ向かい、ここを勝利弥生賞(GII)でも当時クラシック最有と見られていたアドマイヤベガ追い込みを抑えて優勝。一躍クラシック戦線の注に躍り出た。

上は渡辺薫彦。当時25歳デビュー5年だった渡辺騎手にとって初の重賞勝ちがトップロードきさらぎ賞である。トップロードは所属の芳夫厩舎の期待。その期待に乗せてくれた師匠芳夫調教師に是非G1タイトルを! 渡辺騎手は並々ならぬ決意でクラシックに望んだ。

中山で行われた皐月賞(GI)、1番人気こそ単勝2.7倍のアドマイヤベガに譲ったが、トップロードも単勝3.3倍の2番人気全な2強対決の図式である。しかし、たっぷりと分を含んだどろんこ馬場に苦しむトップロードの外から、次元の違う脚で飛んできた栗毛がいて3着。1番人気に支持されたダービー(GI)では、その栗毛こそ競り潰したものの、武豊騎乗の良血ゴール前ではかったように差し切られて2着。

栗毛テイエムオペラオー。良血アドマイヤベガ。この二頭に阻まれて、クラシックは3着2着。渡辺騎手ダービーの検量室で男泣きに泣いた

を迎え、京都新聞杯(GII)では武豊騎乗のアドマイヤベガに差し切られる2着。まるでダービー再現のようなレース内容に、これは騎手の差が……。という話が当然出たのだが、調教師馬主を説得してまで渡辺騎手上に残した。

そして菊花賞(GI) 。4コーナー出口で先頭に立ったナリタトップロードは渡辺騎手の執念の追いに応えてテイエムオペラオーラスカルスズカの追撃をぎ切り、見事に優勝渡辺騎手調教師共にG1初制覇。師った間である。

菊花賞終了時点でのライバルとの対決は、テイエムオペラオーには2勝1敗、アドマイヤベガには3勝2敗。クラシック3強と呼ばれた中ではトップロードが最も勝ち越していた。とはいえ、には一身以上あったオペラオーとの差はにはクビ差にまで縮まっていた。

トップロード遂に、遂にやった! 渡辺やったー!渡辺やったーガッツポーズ
うれしい!うれしい! 渡辺やったぞ~! サッカーボーイも喜んでいる!

関西テレビ 杉本清アナウンサー

年末の有馬記念(GI)では4歳(現3歳)の代表として単勝6.8倍の4番人気に支持された。ライバルテイエムオペラオーは単勝12.0倍の5番人気だった。しかしトップロードは1番から終始馬場の悪いところを通されてしまい7着に惨敗。これはまあ仕方がいところ……ではあるのだが、ステイヤーズステークスから中2週の強行軍というローテだったテイエムオペラオーグラスワンダースペシャルウィークタイム差なしで横一線の名勝負を演じていたのと較すると印は悪かった。このため有馬記念での着順次第では有視されていたJRA賞の最優秀4歳テイエムオペラオーに奪われてしまった。

皐月賞テイエムオペラオーダービーアドマイヤベガ菊花賞ナリタトップロード。クラシックを分け合った3強に菊花賞3着ラスカルスズカを加えた4頭が来年の古路線を引っると思われた。だが、この後、トップロードは苦闘が続く。

……概ねのせいなのだが。

世紀末覇王の影で(2000年)

2000年京都記念(GII)から始動。京都記念にはオペラオーも出走してきて、いきなりオペラオーとの対決となった。前年はオペラオーに先着を許したのはトップロードが苦手とする中山コースでだけなので、ここでは負けられない。抜け出したテイエムオペラオーを狙い済まして猛然と外から追い込んで、よし!やった!!と思ったら、なんとオペラオーに差し返されて2着に敗れてしまう。このレース、ナリタトップロードはオペラオーよりも1kg重い斤量を背負わされており、同斤量ならば……。まだ望みは残されていた。

しかし再対決となった阪神大賞典(GII)でもマークしたオペラオーから最後の100mで一にして突き放され、さらには武豊騎乗のラスカルスズカにも交わされて3着。この負け以後、「ライバル」だったテイエムオペラオー背中が「巨大な」に変わるのである。本番の天皇賞春(GI)では菊花賞再現を狙ってオペラオーよりも前での競馬を試みたが、オペラオーに競り潰され、加えてラスカルスズカ武豊にも再び交わされ3着。いずれも敗ではあったが、オペラオーを正面から負かしに行っての競馬だった。

しかしになってもオペラオーが負かせない。またまたオペラオーとの対戦となった京都大賞典(GII)で上がり3F33.5の剛脚を繰り出したトップロードだったが、テイエムオペラオームチすら入れずにゴール前で少し追い出しただけでトップロードを上回る3F33.3の末脚を披露し、一にしてトップロードを交わしてしまった。なんだこれは!? もはや絶望しかない。強い。絶対的に強い。らのテイエムオペラオー。何しろこの年のオペラオーは結果的に敗だったのである。

秋の天皇賞(GI)は苦手の重馬場となってしまい、ついてさえ行けずに5着敗。この年ここまで5走したが、全てのレースオペラオーに遭遇する不幸により、まさかの未勝利である。ジャパンカップは今年からの新ルールに則り除外されるという更なる屈辱。オペラオーと同じ舞台にも立てないとは……。仕方なく出走したステイヤーズステークス(GII)。本来なら菊花賞が出てくるようなレースではない。例年にべるとっぽいメンバーであったとはいえ格下相手なので当然ここは「勝たなければいけない」レースだったのだが……。 タガジョーノーブルメジロロンザン、ホットシークレット、サンエムエックスの4頭がアホみたいな大逃げをうち、直線入り口で置かれ過ぎたトップロード逃げた4頭のうち潰れたメジロロンザンを除く3頭をとらえきれずに4着。

外からホットシークレット! そして! ナリタトップロードは届かないのかどうか!
G1、ここでは負けられないが負けた!!

フジテレビ 吉田伸男アナウンサー

ひでぇ実況である。 あまりの衝撃2ch競馬鯖落ちした。

流石にこれはい切れない負けだったのか、続く有馬記念(GI)では騎手ベテラン的場均に交代することになる。しかし有馬も9着。大跳びのせいで小回りコーナーがたくさんあるとスピードを出し切れず、中山の長距離はどうも駄だった。騎手は関係なかった。

オペラオー古馬王道全制覇と満票による年度代表馬の栄誉に浴する中、トップロード勝利を上げられないまま年を終えてしまった。更にこの年のGIでは、昨年までは準OPに過ぎなかったメイショウドトウ(実はトップロードと同じ)が本格化し、3月日経賞での敗戦以降はオペラオー以外には先着すら許さない「史上最強の2番手」になっていた。このため、いつの間にかドトウこそがオペラオー最大のライバルと見なされ、トップロードラスカルスズカは共にその他大勢のポジションに甘んじることになった。

苦闘は続く(2001年)

2001年初戦の京都記念(GII)では一番人気ながら3着に敗れる。ここで的場騎手調教師転向のため引退するのだが、後任の騎手はなんと、再びの渡辺薫彦であった。実のところ、師は暮れの荒れた中山ではが乗ってもトップロードは苦戦すると覚悟していた。乗り代わりに的場騎手を推挙したのは腕前ももちろんだが、仮に勝っても翌引退が決定していたからである。勝敗に関わらず、なるべく渡辺騎手を下げずに、再びトップロードコンビを組めるようにする段取りだったのだ。

師の配慮とファンの期待に応えるべく、渡辺騎手の気合の入り方は普通ではなかったのだろう。阪神大賞典(GII)では斤量59キロを背負いながら、直線入り口で先頭に並び掛けると物凄い勢いでぶっ飛ばして後続に8身差。勝ち時計3:02.5は当時の芝3000m世界レコード[1]である。惜敗続きだったトップロードの圧勝にファンは沸き立ち、テイエムオペラオーへの辱に期待を膨らませた。

ナリタトップロードだ!久々味わう勝利の美
渡辺薫彦です!ナベちゃんやりました! 渡辺薫彦とナリタトップロード!
あの菊花賞以来、久々味わう勝利の美! 圧勝です!圧勝、レコードタイムです!

関西テレビ 馬場鉄志アナウンサー

しかし、降る中での天皇賞春(GI)は4コーナー出口先頭の積極策仕掛けともいう)も実らず、トップロードは残り200mで尽きテイエムオペラオーメイショウドトウに交わされて3着。前に行っても後ろから追い込んでもオペラオーが負かせない……。オペラオーだけならまだしも、それに続くメイショウドトウにもかなわない……。

更に京都大賞典(GII)。まくりから逃げ込みを図るステイゴールドを追い込むナリタトップロード。外からテイエムオペラオーステイゴールドオペラオーが交わすか!と思った間、トップロード渡辺騎手が前方へ投げ出されるように落ステイゴールドオペラオー掛けて斜行し、トップロードはこの2頭に挟まれ進路をなくしたのだ。ステイゴールド失格となり、オペラオーが繰り上げ1着。ステイゴールド上の後藤騎手オペラオー馬主に詰め寄られる一幕もあった。物凄く手な落、起き上がれない渡辺騎手スタンドには女性ファンのすすり泣きがき、馬券師たちも「あれはナベ、死んだんじゃないか……?」とになって帰路に就いたものである。
かろうじて渡辺騎手事だったものの、トップロードの方は押そうがこうが何をしようと体がスクんで動かない状態に陥ってしまう。まともに歩けないので房に戻すことにすら苦労するありさまで、当然ながら天皇賞秋は回避となった。今でこそ「渡辺ジャンプステークス」とかいうステゴ黒歴史を弄る不謹慎ネタにされているが、笑い話にでもしないとやってられないくらい手な事故だった。

営は医の協のもと1カ半をかけて少しずつトップロードのスクみをほぐし、どうにかこうにかジャパンカップ出走にまでこぎつけることができた。ジャパンカップ(GI)ではオペラオージャングルポケットの熱闘の後ろでこっそり3着を確保。ようやく(メイショウドトウに致命的な不利があったとはいえ)メイショウドトウに先着することができた。しかし、このレースを見て「ああ、トップロードは、オペラオーよりどうしようもなく弱いんだなぁ」と思ったファンは多かった。なにしろ、このレースでは二着に負けてしまったオペラオーに3身は余裕でちぎられているのである。

苦手な中山有馬記念(GI)では安定の10着。ちなみにこのレースラストランとなったオペラオーは5着。とうとう古になってからはついに一度もテイエムオペラオーに先着できなかった。論、オペラオーに勝てなかったのはトップロードだけではないのだが、クラシック戦線でのライバルと認め合っていたトップロード営にとっては屈辱的というしかなかった。実際、今では「オペラオーライバル」といえばメイショウドトウを挙げる人がほとんどのはずだ。
もっとも、どんな形であれオペラオーに2回先着することができたメイショウドトウ以外にはもう一頭しかおらず、その一頭こそがナリタトップロードなのであるから、そのことはもっと評価されても良いだろう。

この年のJRA賞の最優秀父内国産馬部門でトップロードは最多の87票を集めたが、該当なしの票数に負けて受賞は逃してしまった。

世代交代最後の壁として(2002年)

さて、の上のタンコブであったテイエムオペラオーメイショウドトウ引退したのである。いよいよナリタトップロードの時代が来る。

京都記念(GII)60kgの酷量を背負いながらマチカネキンノホシを競り落として勝利すると、阪神大賞典(GII)でも前年度の年度代表馬ジャングルポケットが二着確保に苦しむ中、余裕の連覇。おおおお! ファンはここに来ての連勝に采を送り、天皇賞春(GI)では彼を一番人気に支持した。

が、直線速めに抜け出したマンハッタンカフェが交わせず、後ろからは武豊に乗り変わったジャングルポケットにも差されて3着。この天皇賞春3連続3着」という、有馬記念3連続3着のナイスネイチャに匹敵する記録が達成されたのであった。

、負傷療養中の渡辺騎手に代わって四位洋文に乗り変わった京都大賞典(GII)では、直線入り口から先頭を譲らない強いレースツルマルボーイタップダンスシチーらを完封

世代交代?なんだそれは!? 関係ない! ナリタトップロードです!

関西テレビ 馬場鉄志アナウンサー

まぁ、新世代の筆頭たるマンカフェジャンポケ京都にいなかったけどさ……

マンカフェジャンポケもいない天皇賞秋は本来ならばチャンスだった。ところが、よりにもよってこの年の天皇賞秋(GI)東京競馬場修工事のためにトップロードが大の苦手とする中山競馬場での開催だったのである。しかも前日にはが降り、馬場トップロード苦手の濡れ馬場になった。さらにトップロードの入った1スタート地点は十分な整地がされておらず沼のようになっており、スタートで足を取られたトップロードダッシュがつかず望まぬ後方からの競馬となってしまう。直線では良く追い込んだのだがシンボリクリスエスにわずかに届かず2着。当然ながらジャパンカップ(GI)も苦手な中山代替開催であり……10着。

引退レースには苦手な中山を避けて香港国際競走を予定していたが、なんと3年間G1勝利にもかかわらず有馬記念出走ファン投票1位の栄誉にく。この結果を受け、営はファンへの感謝の意味も込めて有馬記念(GI)への出走を決断した。上には怪から復帰したベストパートナーナベちゃん。苦手なの中、苦手な中山で4着に頑って、現役生活を終えた。

結局、古になってからG1には勝てなかった。しかし、ラストラン後にスタンド前に帰ってきた時の歓は、もしかすると勝ったシンボリクリスエスに対するものよりも大きかったかもしれない。

種牡馬として(2003年以降)

その後は、サッカーボーイの後継種牡馬として期待されて種牡馬入りしたのであるが、種牡馬入り3年死亡。少ない産駒からベッラレイアのような重賞勝ちを出しているので、期待出来ただけに、非常に残念である。

評価

菊花賞には勝っているし世界レコードだって出している。重賞7勝、酷量60kgを背負って重賞勝ち[2]、G2を5勝はメジロマックイーンと並ぶ当時の最多勝記録[3]だ。並みのGIでなかったことは間違いない。

しかしながら、とにもかくにも、どうしようもなく、底して勝ち運から見放されただった。重い馬場が苦手なのにやたらを呼んでしまったり、ステゴに突き飛ばされて不調で走れなかったり、中山競馬場が苦手なのにルール変更や東京競馬場修工事のでやたらと中山で走らされたり、それ以外でも出るレース出るレースオペラオーに遭遇したり、あまりにも芸術的な運のさだった。ちなみに中山を苦手としたのは大飛びのストライド走法が原因。こう見ると、むしろ弥生賞はよく勝てたものだと思える。

調教師渡辺騎手に言わせれば、全盛期は年間未勝利だった4歳から5歳にかけて(要は落事故まで)。GIIを3勝もした6歳時には既にピークを過ぎており前年までのようなガツンとくる手応えは失われていたとのこと。調教師は良かった時期に良馬場東京競馬場競馬をできなかったことが心残りだという。なんという巡り合わせの悪さだ。

栗毛筋肉々の体はパドック写真で物凄く見栄えがするであった。ほぼ文句テイエムオペラオーメイショウドトウよりも良い体であったと言って良いだろう。しかしながら戦績やレースに行っての底ではその二頭に一枚も二枚も劣る。って、体だけじゃいんだなぁと思い知らされたのがこのであった。

大きな故障は一度もせず、条件が合ったレースでは好走するで、苦手だった中山悪と落による競走中止を除けば常に3着以内をキープした。何気に賞も10億円近く稼いでいる。この額はテイエムオペラオーにこそかに届かないものの、先に引退したメイショウドトウを上回る歴代6位の記録だった。GI 1勝としては、ステイゴールドに次ぐ額であり、内に限れば最高記録だった[4][5]。何とも馬主孝行なであった。

渡辺薫彦騎手は全30戦中25戦に騎乗。この頃の渡辺騎手は未熟な若手でしかなく、正直、もっと良い騎手が乗るべきだという意見も強かった。しかしこコンビと、テイエムオペラオー和田騎手コンビが、アドマイヤベガ武豊に挑み、苦しみながらもそれぞれクラシックを勝ち取った様は清々しいものであった。最近は若手がG1を咲かせる場面をあまり見ない。外国人ばっかりではなく、若手騎手を素質に乗せてあげて欲しいものである。特に社台の……。

栗毛流星のグッドルキングホース1991年レオダーバン以来の父内国産馬クラシックホースに似ず性格も良かったようだ。惜しいレース続きが多くのファンされたナリタトップロード。直線入り口からこのだけを見ていたおかげで、レースの勝ちが分からなくなったファンも多い。

戦績

日付 競走名 格付け 開催競技場 距離 天気 馬場 騎手 頭数 人気 着順
1998年(旧3歳)
1 1998/12/5 3歳新 阪神 2000 渡辺薫彦 11 1 2
2 1998/12/27 3歳新 阪神 2000 渡辺薫彦 13 1 1
1999年(旧4歳)
3 1999/1/10 福寿草特別 500万下 京都 2000 渡辺薫彦 15 3 3
4 1999/2/7 きさらぎ賞 G3 京都 1800 渡辺薫彦 15 2 1
5 1999/3/7 報知杯弥生賞 G2 中山 2000 渡辺薫彦 15 2 1
6 1999/4/18 皐月賞 G1 中山 2000 渡辺薫彦 17 2 3
7 1999/6/6 東京優駿 G1 東京 芝2400 渡辺薫彦 18 1 2
8 1999/10/17 京都新聞杯 G2 京都 2200 渡辺薫彦 18 1 2
9 1999/11/7 菊花賞 G1 京都 3000 渡辺薫彦 15 3 1
10 1999/12/26 有馬記念 G1 中山 2500 渡辺薫彦 14 4 7
2000年(旧5歳)
11 2000/2/20 京都記念 G2 京都 2200 渡辺薫彦 11 2 2
12 2000/3/19 阪神大賞典 G2 阪神 3000 渡辺薫彦 9 3 3
13 2000/4/30 天皇賞(春) G1 京都 3200 渡辺薫彦 12 2 3
14 2000/10/8 京都大賞典 G2 京都 芝2400 渡辺薫彦 12 2 2
15 2000/10/29 天皇賞(秋) G1 東京 2000 渡辺薫彦 16 3 5
16 2000/12/2 ステイヤーズS G2 中山 3600 渡辺薫彦 11 1 4
17 2000/12/24 有馬記念 G1 中山 2500 的場均 16 3 9
2001年(現5歳)
18 2001/2/17 京都記念 G2 京都 2200 的場均 14 1 3
19 2001/3/18 阪神大賞典 G2 阪神 3000 渡辺薫彦 12 1 1
20 2001/4/29 天皇賞(春) G1 京都 3200 渡辺薫彦 12 2 3
21 2001/10/7 京都大賞典 G2 京都 芝2400 渡辺薫彦 7 2
22 2001/11/25 ジャパンC G1 東京 芝2400 渡辺薫彦 15 5 3
23 2001/12/23 有馬記念 G1 中山 2500 渡辺薫彦 13 4 10
2002年(現6歳)
24 2002/2/16 京都記念 G2 京都 2200 渡辺薫彦 9 3 1
25 2002/3/17 阪神大賞典 G2 阪神 3000 渡辺薫彦 9 1 1
26 2002/4/28 天皇賞(春) G1 京都 3200 渡辺薫彦 11 1 3
27 2002/10/6 京都大賞典 G2 京都 芝2400 四位洋文 8 1 1
28 2002/10/27 天皇賞(秋) G1 中山 2000 四位洋文 18 2 2
29 2002/11/24 ジャパンC G1 中山 2200 四位洋文 16 2 10
30 2002/12/22 有馬記念 G1 中山 2500 渡辺薫彦 14 4 4

血統表

サッカーボーイ
1985 栃栗毛
*ディクタス
1967 栗毛
Sanctus Fine Top
Sanelta
Doronic Worden
Dulzetta
ダイナサッシュ
1979 鹿毛
*ノーザンテースト Northern Dancer
Lady Victoria
*ロイヤルサッシュ Princely Gift
Sash of Honour
*フローラルマジック
1985 黒鹿毛
FNo.18
Affirmed
1975 栗毛
Exclusive Native Raise a Native
Exclusive
Won't Tell You Crafty Admiral
Scarlet Ribbon
Rare Lady
1990 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Double Agent Double Jay
Conniver

主な産駒

関連動画

 

関連商品

関連コミュニティ

関連項目

脚注

  1. *世界レコードとしては2014年トーホウジャッカル更新するまで13年間、阪神3000mのコースレコードとしては2022年アスクビクターモア更新するまで21年間も残り続けていた。
  2. *ナリタトップロード以降、2022年現在まで60kg以上の斤量を背負って重賞勝利するは現れていない。
  3. *2006年バランスオブゲーム記録更新
  4. *ステイゴールドGI勝利香港ヴァーズによるものである。
  5. *現在シュヴァルグランによって双方の記録とも更新された。

【スポンサーリンク】

  • 21
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

ナリタトップロード

157 ななしのよっしん
2022/09/08(木) 17:04:49 ID: 7p8wzj0mjL
これもあってあんまりステゴは好きじゃないわ

158 ななしのよっしん
2022/09/08(木) 23:18:17 ID: 93UwEMEgz/
木刀に言え(とうに死んでるが)
159 ななしのよっしん
2022/09/15(木) 18:26:42 ID: MHRIlAM9lH
当時馬連で賭けて結構けさせて貰っただったけど見返してみると所謂善戦ホースG1で2着こそ多い物の1着獲った事1度しかなかった事に後から気付いた・・・w
160 ななしのよっしん
2022/10/23(日) 16:49:08 ID: nGYjQNgTNc
21年間保持し続けたトプロ阪神3000mの記録更新されました
161 ななしのよっしん
2022/10/23(日) 17:12:54 ID: 93UwEMEgz/
ついに更新されたな、時代を考えればすごいなトプロ
162 ななしのよっしん
2022/10/23(日) 18:00:20 ID: d0iu/mupXL
ついにレコード更新されたけど、21年間も記録を守り続けていたトプロの強さよ
163 ななしのよっしん
2022/10/23(日) 23:55:51 ID: rLj2TMr2IT
ついに更新されたか!
164 ななしのよっしん
2022/10/25(火) 18:43:09 ID: UTcFHqMRB/
Top roadレコード更新したのがVictor moreなの、なんかいいな…
165 ななしのよっしん
2022/11/28(月) 01:29:15 ID: pX9lDc7QJK
ナベちゃんがジャパンカップリベンジ調教師になって果たした件
166 ななしのよっしん
2022/12/01(木) 17:40:50 ID: 7p8wzj0mjL
菊花賞単冠地味だったり不幸がちらほらいるけど、ナリタトップロードはその後G1勝てなくてもを示せたしファンや周りの人に恵まれ幸せだよね