ナリタブライアン単語

ナリタブライアン
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94年 菊花賞
ナリタブライアン、七身差の衝撃
群れに答えなどない。
 ―2011年菊花賞CMより 

ナリタブライアンとは、日本の元競走馬、元種である。1994年日本競馬史上5頭クラシック三冠となったで、な勝ち朝日杯3歳ステークス現在朝日杯フューチュリティステークス)、皐月賞日本ダービー菊花賞有馬記念である。通算成績は21戦12勝。

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
ナリタブライアン(ウマ娘)を参照してください。

ブライアンズタイムシフカス。半菊花賞天皇賞(春)宝塚記念を制したビワハヤヒデ、全ラジオたんぱ賞(GⅢ)を制したビワタケヒデ従妹に二冠ファレノプシス従弟日本ダービーキズナがいる。

称・呼称は「ブライアン」「ナリブ」「シャドーロールの怪物」。

馬主は「ナリタ」と「オースミ」の冠名を使い分けることで知られる山路秀則。管理調教師は関西東の大久保正陽(まさあき)だった。

※当記事では、ナリタブライアンの活躍した時代の表記に合わせて、特に記載がい限り年齢旧表記(現表記+1歳)で表記します。

デビューからデイリー杯3歳ステークス~ビワハヤヒデの弟として

ナリタブライアンが東・大久保正陽厩舎に入厩した時、すでにナリタブライアンは注の3歳の一頭だった。

これはブライアンよりも半ビワハヤヒデ皐月賞日本ダービーと二着していたのが大きい。大久保厩舎はトレーニングセンターの中でもに強めの調教を課すことで知られ、この時期はメジロパーマーナリタタイシンといった活躍を輩出する絶頂期にあったが、言い換えれば良血の期待を預かる機会の乏しい厩舎であり、ハードトレーニングもそれ故のものであった。ナリタブライアンは生後1ヶくらいの段階で々に調教師と馬主が決まったのだが、後に大久保調教師は「ビワハヤヒデが活躍した後だったらブライアンは自分のところには来なかった」とっている(実際、ブライアンは1頭も大久保正陽厩舎には入っていない)。

3歳の5月トレーニングセンターに入ったナリタブライアン。大久保調教師はナリタブライアンによほど自信を持っていたようで、関西トップ騎手であった南井克巳にズバリと「君はダービーを勝ったことがあるか?ないなら、うちのダービーを勝ってほしい」と騎手の依頼をしたとり継がれている(もっとも大久保調教師は「南井騎手のようなトップ騎手ダービーを勝っているかいないかなんて当然知ってるし、そんな失礼なことをベテランに面と向かって言うわけがないでしょう」とこの話を否定している)。

南井もナリタブライアンに調教をつけてすぐ「このはモノが違う」と感じたらしい。ナリタブライアンの特徴的な「首を低く振り上半身の重心をグッと下げて低い姿勢で鋭く伸びるスパートのフォームはすでにこのときほぼ完成されていたようで、「あ、オグリキャップの感覚だ」と言わしめるほどの乗り心地であったという。

ただ、ブライアンには「臆病で自分の影を怖がる」という精面の弱点があった。これが災いしてデビュー戦で2着、2戦に勝つも函館3歳ステークス(GⅢ)6着、4戦は後のダービーとしては相当に異例となる福島開催の条件戦に出て勝つが、続くデイリー杯3歳ステークス(GⅡ)では3着とここまで5戦2勝に留まり、の片鱗を見せることしか出来なかった。

シャドーロールの怪物誕生

自分の影を恐れるという欠点を抱えていたナリタブライアンだが、そのための対策として営はシャドーロールを装着させることを決定。京都3歳ステークスに駒を進める。

するとさっそくシャドーロールの効果がてきめんに現れる。視線のすぐ前にあるの塊を見つめたブライアンレース中に周りを気にすることなく集中し、このレースを従来の3歳レコードを1.1縮める好タイム勝。さらにが勝てなかった朝日杯3歳ステークスを圧勝し、名実共に3歳王者の座についた。黒鹿毛体の鼻先に鎮座するシャドーロールは、ファンにとってもレース中ひとブライアン所在がわかる、このシンボルとなった。後に精面も成長し、周りに怯えないたくましさを備えた後でも、このシャドーロールは引退まで外されることはなかった。

圧倒的な能力の差を見せ付けた春のクラシック街道

3歳王者にいたナリタブライアンは4歳初戦を「ダービー前に東京競馬場でのレースを経験させておきたい」という理由から2月共同通信杯4歳ステークス(GⅢ)に決定。降によりレース月曜日に順延されるというアクシデントがあったもののここを楽勝。皐月賞へ直行するとレース間隔がきすぎるという理由から皐月賞トライアルスプリングステークス(GⅡ)に出走するとこれも勝。の勝てなかった皐月賞日本ダービー制覇への期待のみならず、トウカイテイオーミホノブルボンもなしえなかったシンボリルドルフ以来の三冠馬誕生への機運も高まっていった。

ただ、3歳時に7戦、4歳になってからも2戦を戦い、皐月賞で10戦となる戦績には「レースの使いすぎによる消耗」を危惧するもあった。1991年トウカイテイオー1992年ミホノブルボン皐月賞を5戦で迎え、1993年ウイニングチケット皐月賞を6戦で迎え、1993年ビワハヤヒデ皐月賞を7戦で迎えている。これは、もう一つのブライアンの精面の弱点である「トレーニングセンターでのテンションの高さ」に起因するものであった。常にり詰めた雰囲気のトレーニングセンター空気の中で、敏感なブライアンは常に自らの気を緩めず、そして賢さも持ち合わせたブライアンは、自分のレースが近づくとそれを察知してますます奮してしまう。これでは体以前に精がすり減ってしまうと危惧した大久保調教師は、「短い間隔でレースを使い続け、体を疲れさせることで緊をほぐそう」としたのである。

そして迎えたクラシック第一戦・皐月賞。前戦の弥生賞逃げて2身1/2の着差で快勝したサクラエイコウオーが有の一とされており、そのサクラエイコウオーがハナを切ったので各も放置できずに飛ばしていくことになり、前半1000m58.8ハイペースとなった。ブライアンは上手にスタートして好位から追走し、向こう正面で8番手から4番手に押し上げていく。そして4コーナーで上手く外に持ち出して直線で抜け出すと最後方から追いこんできたサクラスーパーオーら後続勢に3身1/2差をつけてゴールインし、前年の菊花賞を制したビワハヤヒデに続いて兄弟クラシック制覇を達成した。

が舞い上がる傷んだ馬場で勝ち時計1分590を記録し、1993年ナリタタイシンが記録した2分02という皐月賞レコードを1.2更新している。ちなみに1993年ナリタタイシンは既存の皐月賞レコードを0.9更新して2分10の壁を初めて破る快挙を成し遂げていたのだが、その快挙をわずか1年で大幅に上回った。そして、1994年にナリタブライアンが皐月賞で2分の壁を破ったあと、2001年まで7年連続で2分の壁を破る皐月賞が出現しなかった。

また、ナリタブライアンの記録した1分590というタイムは、古を含めた中山2000mのコースレコードを0.5も短縮するものだった。

 
クラシック第二戦・日本ダービーでは単勝1.2倍に推された。日本ダービーで単勝1倍台の前半になったのは歴史的名ばかりで、1973年ハイセイコー1.1倍、2005年ディープインパクト1.1倍、1984年シンボリルドルフ1.3倍、2020年コントレイル1.4倍といったところである。

大外の17に入ったナリタブライアンの近くの15番ノーザンポラリスがおり、スタート直前にしく暴れていた。ノーザンポラリス奮して立ち上がった間にゲートが開いたのだが、ナリタブライアンは全く集中を切らすことがなく、ゲートが開いた途端に半身ほどの差を付ける抜群のスタートを切めて、6番手あたりの絶好位に進出した。

ナリタブライアンの直後に位置していたアイネスサウザーが2コーナーで思い切り引っかかって先頭に駆け上がっていったが、それにもブライアンは全く動じず、騎手との折り合いを璧に保った。アイネスサウザーが引っ掛かって逃げたため、前半100060.0ペースとなった。アイネスフウジンが勝った1990年ダービー59.8ウイニングチケットが勝った1993年ダービー60.0とほぼ同じである。

4コーナーで他に邪魔をされない大外に持ち出すと、東京競馬場の長い直線でほとんど左右にヨレることもなく、首を沈める美しいフォームでっ直ぐ駆け抜けていき、エアダブリンら2着以下を5身突き放す圧勝となった。

大歓に包まれて東京競馬場の直線を疾走するナリタブライアン。その上で、南井克巳は雄叫びを上げてブライアンを追っていたという。この1年前の1993年日本ダービーで、南井克巳マルチマックスに騎乗したが、スタート直後に落するという屈辱的体験をしていた(動画exit_nicovideo)。まさに地獄から天国へはい上がる形となった。

が巻き上がるボコボコ馬場で、大外をぶん回して距離を大きく損したにもかかわらず、2分257時計を記録した。これは1990年アイネスフウジンが記録した2分253レコードタイムに0.4しか遅れていない。



皐月賞ダービーの尋常ではない勝ちっぷりから史上最強も出始め、三冠達成、ビワハヤヒデとの現役最強の座を賭けた対決への期待が高まっていった。ビワハヤヒデ皐月賞の1週間後に天皇賞(春)を1身1/4差で優勝し、ダービーの2週間後に宝塚記念を5身差で勝っており、しかも中先行して4コーナーで先頭に立って押し切るというブライアンにそっくりな勝ち方をしていて、1994年競馬兄弟で席巻していたのである。

4歳の夏~立ち込める暗雲

ダービー後のナリタブライアンは避暑のために札幌函館競馬場へ移送(通常ならば出走しない競走馬競馬場滞在は許されないが、ナリタブライアンは実績が考慮されて特例で許可された)

しかし、全的に深刻な米不足を招いた前年1993年の冷とは一転してこの1994年は酷暑となる。それは北海道も例外ではなく、ナリタブライアンは負けで体調を崩してしまい、一時期は営が菊花賞回避を考えるほどに状態が悪化していた。

これが原因となって調整が遅れてしまい、ナリタブライアンは緒戦の京都新聞杯(GⅡ)でスターマンにまさかの差し切り勝ちを許してしまう。


さらに菊花賞の1週間前に行われた天皇賞(秋)で、ビワハヤヒデレース中に故障発生となり、同レースを5着に敗北した。屈腱炎を発症していたビワハヤヒデはそのまま引退し、有馬での兄弟対決は幻となってしまった。

ミスターシービーのように初戦で大敗した後、体調を立て直して三冠いた例もあるが、タニノムーティエのようにもはや立て直しもままならず惨敗した例もある。また1992年ミホノブルボンのように、京都3000mのスペシャリストライスシャワーに阻まれたという例もある。過去に何頭もの二冠が挑戦を前に挫折し、また挑んでは敗れた菊花賞三冠馬になるには絶対的なだけでなく、当日の体調、そして運も必要である。ナリタブライアンのを以ってしても三冠の壁は厚いのか、それとも……僅かな不安を抱えたまま、1994年11月6日を迎えることになる。

菊花賞から有馬記念~弟は大丈夫だ!

しかし、そんな不安はナリタブライアンにとって杞憂にすぎなかった。

パラパラ小雨が降る京都競馬場で行われた菊花賞は、稍重の馬場となった。スティルキャストが勢いよく飛びだして最初の1000mを61.2ペースで引っり、稍重ならペースといったところで、緩みのないレースとなった。1~2コーナーでスティルキャストがさらに加速して後続を引き離して大逃げを打つという展開となり[1]、ナリタブライアンは7番手で追走した。ブライアンの直前を走るヤシマソブリンが坂の下りで先にスパートを掛けてインを縫っていくと、ブライアンもすかさずペースアップして外を回っていく。最後の直線の入口でヤシマソブリンに体を合わせると、そのままヤシマソブリンに影さえ踏ませぬ7身差の勝を果たした。故障で引退したに続く菊花賞制覇、そして10年ぶり5頭クラシック三冠制覇を達成した。

勝ち時計3分46で、1993年に良馬場ビワハヤヒデが記録した3分47菊花賞レコードを0.1更新した。滑りやすい稍重の馬場レースレコード更新するという偉業を達成した。

クラシックの3戦を続けるたび、3身1/2差、5身差、7身差と着差を広げていった。そのうち2戦はレコード更新おまけ付きであった。

最後の直線で差を広げるたびにフジテレビ系列放送実況杉本清が「大丈夫だ!」との台詞を喋った。このとき杉本清の隣にはビワハヤヒデを管理していた濱田調教師がゲストとして座っていた。 濱田調教師はどのような思いでこの台詞を聞いたのだろうか。

ウィニングランをするブライアン南井克巳に「南井!南井!」との南井コールが湧き上がる。ブライアンに対してのファンの歓は「南井!」が定番だった。
 


ナリタブライアン営は年末の有馬記念への出走を決め、初の古との対戦となった。スタート直後から先頭を爆走するツインターボから大きく離れた2番手集団の先頭には、天皇賞(秋)を勝ったばかりのネーハイシーザーが立った。

ツインターボ全盛期を大きく過ぎているので放置しても大丈夫だろう。ネーハイシーザー2000mまでが得意の中距離なので[2]ペースを上げると終盤にスタミナ切れになる」といった計算がネーハイシーザー上の騎手のなかに働いていたのか、ネーハイシーザーはやや遅めのペースとなった。ツインターボの最初の1000mは推定で58.7で、ネーハイシーザーの最初の1000mは推定で61.0だった[3]。向こう正面に入ってからブライアンがじわっと進出し、2番手ネーハイシーザーの直後3番手に付ける。

3コーナーブライアンは加速し、先頭に躍り出た。それに対してヒシアマゾンが凄い勢いで3~4コーナーの外をマクっていき、直線入り口でブライアンに並びかけようとしたが、ブライアンも末脚を発揮し、ヒシアマゾンをスッと引き離す。追いすがるヒシアマゾン以下に3身の差を付けて勝。この年、文句しの年度代表に選ばれた。


故障発生と低迷

年が明け、5歳になったナリタブライアンは京都3000mで行われる阪神大賞典(GⅡ)に登場した。菊花賞有馬記念とは違って最初の1000m63.8スローペースとなったが全く引っ掛からず、7身差で圧勝。この年の古戦線はナリタブライアンが役だというのは疑いようのない事実であるはずだった。


しかし、天皇賞(春)へと向けた調整中に右股関節炎を発症。シーズンの全休が決定し、天皇賞(秋)標に調整されることになった。更に追い討ちをかけるように、戦を務めていた南井克巳騎手が落負傷。そして迎えたブライアン天皇賞(秋)へ直接向かうことになるのだが……

戦の南井克巳の落負傷の影で、天皇賞(秋)的場均に乗り替わる。1番人気に支持され、1000m通過59.6という天皇賞としてはやや遅いペースの中を好位6番手で追走した。4コーナーでは4番手に進出するが、直線に入ったらぴたりと止まり、群にみ込まれた。その群の外をサクラチトセオーのような末脚で駆け上がりハナ差の優勝を果たしているので、末脚の差が余計に印に残った。結果は12着で、圧倒的な三冠馬が二桁着順になったことで衝撃が広がった。ただしナリタブライアンの勝ちとの時計差は0.6差なので「それほど離されておらず、次に期待」というも見られた。




さらに続くジャパンカップ武豊に乗り変わり、1番人気に支持される。タイキブリザード逃げ1000m通過が61.0というスローペースとなり、ブライアンは7番手あたりの好位を追走した。3~4コーナーではなかなか良い手応えで、ス~っと加速してコーナリングし、4コーナーでは勝ったランドのすぐ隣に位置していた。しかしそこから末脚が炸裂せず、ランドに置いていかれる。有馬記念で一蹴したはずのヒシアマゾンが怒濤の末脚を炸裂させて2着に食い込んだのとは対照的な姿だった。ナリタブライアンは6着と敗退し、2戦連続で掲示板にも入れないという屈辱を味わった。しかし勝ちとの時計差は0.7差で、故障からの復帰2戦なら悪くない気もする。


5歳終戦となった有馬記念では、久々に2番人気になり、1番人気ヒシアマゾンに譲った。「明らか調子がおかしい」「いや、0.6差と0.7差で内容自体は悪くない」という思いが交錯しており、ナリタブライアンは馬券購入者たちに試練を与える存在となった。逃げらしい逃げが不在と見られていたレースだったが、それまで逃げの経験がなかった菊花賞マヤノトップガン逃げ、最初の1000mを推定62.1で走るというスローペースで引っっていく。ナリタブライアンは好位6番手を軽快に追走し、3~4コーナーで加速して2番手にまで上がっていき、マヤノトップガン田原成貴騎手に「やはり来たか」と思わせた。ただしこのレースでもナリタブライアンの見せ場はそこまでで、武豊を浴びても直線で加速せず、先行タイキブリザードに差し返され、最後方から追い込んできたサクラチトセオーにも抜かれ、0.5差の4着に敗北した。勝ったのはマヤノトップガンで、ナリタブライアンと同じブライアンズタイム産駒であり、ナリタブライアンと同じ菊花賞であった。




天皇賞は少し出遅れたがジャパンカップ有馬記念スタートダッシュは絶好だった。3戦とも中は軽快に走り、騎手との折り合いも上々だった。3戦とも3~4コーナーの手応えは素らしく、コーナリングが巧みでス~っと加速していき、軽々と上位に進出することができた。

しかし、とにかく直線で伸びない。「ナリタブライアンは賢いので、怪することを恐れて全走行できなくなっているんじゃないか」といわれるようになった。

ちょうどこの3戦は戦の南井克巳騎手が落負傷で不在だった。大川慶次郎は「南井君ならブライアンに活を入れられる。南井君ならブライアンの走らせ方を分かっている」と説していた。南井は「豪腕」「ファイター南井」といわれるような乗り方をする騎手なので、大川慶次郎もそこに期待をしていたのであろう。

「あの強かったナリタブライアンはもう戻ってこない」という予感と、「4コーナーまでは一流の走りになっている。何かのきっかけで復活するかもしれない」という願望を競馬ファンに与えつつ、ナリタブライアンの5歳シーズンは終わった。

復活、そして高松宮杯

6歳になり、復活を期した営が緒戦に選んだのは前年に圧勝している阪神大賞典。楽勝が予想された前年と違い、有馬記念を勝ったマヤノトップガンが出走していることもあってナリタブライアンは2番人気

4コーナーマヤノトップガンと共に抜け出したブライアンマッチレースの末下し、1年ぶりの勝利を挙げる。

このレースして日本競馬史における名勝負の一つとするがあるものの、一方では全盛期のナリタブライアンならばマッチレースにすらならず楽勝していたとしてそれを否定する意見もある。(一方でマヤノトップガン側も「ナリタブライアンは復活勝利を期してある程度仕上げてきたはずだがこちらは調整段階。結果も気にしていないからこうなっただけの事」とこちらもその意見に負けずに吹いている。まあ仕上げたらめっちゃイレ込んだんですけどね

ともあれ、直線における強さが全に影を潜めていた前年べればブライアンが良化していたのも事実であった。ブライアンが直線で根性を発揮するようになったのはファンにまで見ていたである。

次走の天皇賞(春)では一昨年の有馬記念以来のGⅠ制覇を期待されて1番人気に推された。そして上には久々南井克巳が復帰した。

しかし、同レースブライアントップガン共々折り合いを欠き、3コーナースパートしたこともあってか直線でサクラローレルの末脚に抵抗できず、2身1/2差の2着に敗退。レース後の大久保正陽調教師は「武豊なら折り合っていただろう」と憤怒しており、このレースかぎりで南井克巳を降させた。


「この後、ブライアン阪神2200mで行われる宝塚記念に向かう」ともが思っていた中、発表された次走は、なんとこの年に中距離2000mのGⅡから1200mのスプリントGⅠに変更されたばかりの高松宮杯(現・高松宮記念)だった。

過去天皇賞タケシバオー1969年スプリンターズステークス勝利した例があったものの、距離体系の確立された現代競馬において中長距離トップクラスがスプリントGⅠに向かうのは異例中の異例で、ファンや専門から抗議が上がるほどだった。

そして同レースでナリタブライアンは勝ったフラワーパークから0.8差離された4着に終わった。前走が3200mで、1200mを走るのが2年8ヶぶり、そんなが“本職”の一流短距離たちに混じって4着になったので、「高いを生かして善戦をした」と言ってもいいのだが・・・




そしてレース後、ナリタブライアンは屈健炎を発症。引退し、種となるものの1998年破裂により安楽死の処置がとられる。

享年僅か8歳(現表記で7歳)のすぎる死だった。

逝の影で産駒は2世代しか残されておらず、重賞を勝ったはいない。GⅠでの最高戦績もダイクラフラッグ皐月賞4着だということもあって、2021年4月現在コントレイルの産駒の種入りが未定であることを除けば後継種を残せなかった一の三冠馬となっている。

スタートが抜群に上手く、競走に対する集中の高さを感じさせるだった。「1600mのマイル戦でも先行できるだろう」と南井克巳が言ったことがあるほどスタートダッシュが速く、どのレースでも難なく先行でき、しかも騎手とぴったり折り合う賢さがあった。騎手示通りに群の中に入ってペースを落ち着かせることができ、また勝負所の3~4コーナーでは騎手めに応じてグングン加速できた。コーナリングが上手で、直線はヨレずにっ直ぐ走り[4]、走行フォームは首を一杯使って重心を下げる美しいもので、競走馬の一種の理想形といっていいだった。

5歳までの後続に影を踏ませないぶっちぎり勝利劇と、負傷した後の精を欠く走りのコントラストが鮮やかな生だった。

大川慶次郎は後にナリタブライアンを評して「精サラブレッド」と言った。「ぶっちぎれ、ナリタブライアン」とパドックの横断幕に掲げられた彼の快な走りを支えた、その健気な魂の安らかならんことを祈る。

ローテーションへの批判論と擁護論

ナリタブライアンをるときに必ず摘されるのが、「山路秀則オーナー大久保正陽調教師が理なローテンションを組んだのではないか」というものである。

3歳(現在の2歳)で7戦を消化するのはレースを使いすぎているように見えた。股関節炎からの復帰レースでいきなり天皇賞(秋)を走らせたのも「調教代わりにレースを使っている」と批判された。

負傷の原因とも噂されたレースキャリアと、状態が戻っていないのを承知で負傷後も走りを続けさせたことから、「管理する人のエゴの罪」が問われたでもある。もっとも、その精悍な体に宿っていた精は、すでに見てきたようにとても繊細なものであり、それを「戦える」に仕上げた厩舎の功績は当然讃えられなければならない。

といったふうに、厳しい批判が書かれることがある。

しかし、後述するように、ナリタブライアンを初めとするロベルト系の競走馬は、レースを使いまくる厩舎に入ると成績が伸びるという傾向が見られるのも事実である。「ロベルト系は叩き良化レースを使うごとに良くなる」という格言もある。そういう格言を知ったあとだと、山路秀則オーナー大久保正陽調教師の判断を簡単に批判できなくなると言える。

高松宮杯出走への批判論と擁護論

3200m天皇賞(春)を走ったばかりのナリタブライアンを1200m高松宮杯に出走させるという大久保正陽調教師の判断に対して、しい批判を行った者が多く存在した。そのうちの一人が競馬予想大川慶次郎である。

それに対して、「長距離レースを得意とする競走馬を短距離レースに出走させてを入れるというのは、競走馬の調整方法の1つである」という擁護論が存在する。

オーストラリア競馬では、1200mのGⅠレースに出走したが、その3日後に3200mのGⅠレースに出走することがある[5]競馬予想田端到は、オーストラリア調教師に対して「なぜ2000以上の大レースの前に短距離レースを使うのか」と尋ねたら「それがいちばんいいステップなんだ」と返答されたという[6]

香港インディジェナスというがいる。1999年3月1000mレースを使ったあと、2週間後の香港ゴールドカップ香港のGⅠ)という2000mレース優勝している。1999年11月6日1000mレースを使ったあと、3週間後にジャパンカップ日本のGⅠ)という2400mレーススペシャルウィークに次ぐ2位に入っている。

大久保正陽調教師はナリタブライアンの高松宮杯出走から2年後に同じようなことをしている。ナリタルパーク[7]2600mの条件戦に出走させたあと、なんと1200mの条件戦に出走させた。そのあと2000ローズS(GⅡ)を走らせて5着になり、2000秋華賞(GⅠ)を走らせてファレノプシスに次ぐ2着に食い込ませている。

忙しい短距離レースを走らせて競走馬に刺を与える「ショック療法」は、オーストラリア香港競馬界や日本競馬界の一部においてごく普通に行われているのであり、そんなに異様なことではない。

血統表

*ブライアンズタイム
1985 黒鹿毛
Roberto
1969 鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
Kelley's Day
1977 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Golden Trail Hasty Road
Sunny Vale
*パシフカス
1981 鹿毛
FNo.13-a
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Pacific Princess
1973 鹿毛
Damascus Sword Dancer
Kerala
Fiji Acropolis
Rififi

ブライアンズタイムアメリカ合衆国で競走生活を送って日本で種になった。1994年クラシックを迎える世代が第一世代で、この世代にはナリタブライアンの他にチョウカイキャロルというGⅠがいる。

ブライアンズタイム産駒を含むRoberto系の競走馬は、「レース調教代わりに使う」「できるだけレースを走らせる」というスパルタタイプの厩舎に入ると才が開すると言われることが多い。3歳(現在の2歳)で7戦を消化したナリタブライアンはRoberto系の競走馬の典例とされる。

はパシフカス[8]イギリスで競走生活をしてイギリスで繁殖入りし、シャルードというイギリスの種と交配してから日本に輸入された。そのシャルードの子としてナリタブライアンの1年前に産まれたのがビワハヤヒデである。またパシフカスは、ナリタブライアンの4年後にビワタケヒデを産んでいる。ビワタケヒデはナリタブライアンの全で、1998年クラシックを迎えたスペシャルウィーク世代の一員であり、ラジオたんぱ賞(GⅢ)を優勝した。

Pacific Princessキャットイルというを産んだが、そのキャットイル1998年桜花賞などGⅠ4勝したファレノプシス2013年ダービーキズナである。つまり、ファレノプシスキズナはナリタブライアンとが共通している。

シフカス競馬界に革命をもたらしたノーザンダンサーで、ナリタブライアンはノーザンダンサーの血が濃い。1990年代は「日本にはノーザンダンサーの血を持つ繁殖が多い。○×という種ノーザンダンサーの血を持っていないので、ノーザンダンサーの血を持っている繁殖にいくらでも種付けすることができ、有利である」と言われることが多かった。実際に、この当時大活躍した種御三家サンデーサイレンスブライアンズタイムトニービンノーザンダンサーの血を持っていない。ナリタブライアンはノーザンダンサーの血が濃いので、繁殖選択肢の幅が狭くて苦しい立場だった。たとえば、この当時の日本にはノーザンテーストに持つ優秀な繁殖が多かったのだが、そういう繁殖にナリタブライアンを付けると、ノーザンダンサーの3×3のクロスになり、かなりのインブリード(近親交配)になり、体質の弱いが生まれる可性が強まってしまう。

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関連項目

脚注

  1. *ティルキャストは1980年東京競馬場3200mで開催された天皇賞(秋)で大逃げを打って逃げ切ったプリティキャストの子であり、場内は大きくどよめいた
  2. *ネーハイシーザー1800mの日本レコードを2回更新し、阪神2000コースレコード更新した中距離快速である
  3. *ツインターボペースnetkeiba.comの記事exitから算出した。ツインターボネーハイシーザーの正面スタンド前における差をストップウォッチで計測すると2.3ほどの差だった
  4. *ちなみに半ビワハヤヒデも直線をヨレずにっ直ぐ走るだった
  5. *金満血統馬券王国第2巻太め残り編exit_nicoichiba102ページ
  6. *Complete金満血統王国 「Viva!ヒシミラクル」の巻exit_nicoichiba230ページ
  7. *ナリタルパークブライアンズタイムノーザンテーストノーザンダンサーであり、ナリタブライアンとかなり血統構成が似ている
  8. *ちなみにパシフカスとはイタリアキリスト教徒の詩人の名前である(記事exit

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ナリタブライアン

148 ななしのよっしん
2021/07/17(土) 17:50:01 ID: fwUFRCZGk8
>>147
そのかわりゴルシが好きな人は関係ないところでもゴルシ話題を出す傾向がある

そういえばこの記事ではナリブ菊花賞前に大久保調教師が体調が悪かった事
報道が加熱しマスコミがやりすぎた事
それらを理由にマスコミをシャットアウトした事には触れてないね
149 ななしのよっしん
2021/07/17(土) 17:51:07 ID: fwUFRCZGk8
あ、自分で言っておいて「一部の」が抜けちゃった
申し訳ない
150 ななしのよっしん
2021/07/19(月) 06:26:40 ID: ztSLfHCqxv
になってからはほぼいいとこしで終わったのに何故20世紀の名投票一位に選ばれたんかな
晩節を汚した三冠より内で最強のまま引退した三冠ルドルフのほうがトップに相応しいだろ
151 ななしのよっしん
2021/07/20(火) 00:07:09 ID: t9bwzwipwT
3歳だけならディープとオルフェでもきついレベルかなぁとは思うけどなぁ
ブライアン世が悔やまれる
152 ななしのよっしん
2021/07/20(火) 11:59:31 ID: LjPw8xtEz8
>>150 理由は簡単 アレ最強ランキングじゃなくて人気ランキングだから 
オグリはまだいいとしてルドルフの上にテイオーやスペがいて、それどころかスズカが4位になれる
そしてライスが11位 ツインターボセントライトニホンピロウイナーに勝てるランキングといえばこのランクが何を基準にしてるかはわかるだろう 
強いだけでつまらないと言われたルドルフドラマのスペテイオーや手さと悲劇のスズカ 3冠衝撃もまだ記憶に新しいナリブ 最強アイドルマイラオグリの後を拝したのも

21世紀の名をやったらさすがにディープが一位だろうけど、それでも判官びいきで得票が下がるであろう事は明 もしかしたらアーモンドアイに負けるかもしれない

方の意見も個人の感想としては実に正しいけども、ふさわしいかどうかを決めるのは方ではなく世間の総意やねんな 残念ながら

あの時代にあの方法でやったランキングにおいてはナリタブライアン一位で相応しいんだ
153 ななしのよっしん
2021/07/20(火) 11:59:35 ID: XCeCtJovC0
ぶっちゃけ相手関係も馬場も違うんだし実際どっちか強いかなんて決められるもんじゃないんだし
ファンそれぞれが好きに思っとけばええ(訳:ケンカは不毛だからやめようね)
154 ななしのよっしん
2021/07/20(火) 16:11:06 ID: DTbxk+JZLo
絶対に1位かと言われると、さすがに疑問を挟む余地はある
1位に相応しい格がいと言われれば、自信を持ってそれを否定できる

それがナリタブライアン
155 ななしのよっしん
2021/07/21(水) 00:54:28 ID: w/q7zdCluj
結局、ブライアンだろうが、ルドルフだろうが、ディープ、オルフェオペラオースズカだろうが、実際に並べてよーいドンでもしない限りどれが最強なんてわからないし、距離馬場状態で勝敗も変わるし、騎手作戦次第でも変わるし、全員全員ベストコンディションでやれるわけでもないんだから、べちゃくちゃ理屈並べるよりも、自分が一番好きな最強だと思ってればいいよ

その時に最強だと思ってる以外を較に出さなければ
156 ななしのよっしん
2021/07/21(水) 03:44:16 ID: LjPw8xtEz8
ブライアンズタイム系はロベルトの良さであるレコード決着ができるスピードが孫世代で失われて失速した 
リアルシャダイ系もそうだけどロベルトの血はパワーに振れると失敗する傾向があるからナリブが仮に種続けれてもやっぱり厳しい所なのかな
157 削除しました
削除しました ID: mFs4AkHjD9
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