ニコライ・ダビデンコ(Nikolay Davydenko)とは、ロシアの元テニス選手である。
概要
Nikolay Davydenko | |
基本情報 | |
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国籍 | ロシア |
出身地 | ウクライナ: セベロドネツク |
生年月日 | 1981年6月2日 |
身長 体重 |
178 cm 70 kg |
選手情報 | |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
デビュー年 | 1999年 |
引退年 | 2014年 |
テニス選手テンプレート |
1981年生まれのテニス選手。世代的にはいわゆるニューボールズ世代に当たるが、この世代の有力選手に比べるとかなりの遅咲きで、初めてランキングトップ10に入ったのは2005年6月だった。その後は多少の浮き沈みがありながらも2009年まで年末ランキングトップ10に入っていた。キャリア最高ランキングは3位。
テンポが速く、かつ安定感のあるストロークに定評がある。活躍し始めた頃はクレーコートのタイトルが目立っていたが、その後はハードコートでもマスターズレベルのタイトルを獲得している。芝は苦手中の苦手でウィンブルドンでは四大大会の中で唯一ベスト8に残れなかった。
ルックス的にも戦績的にも派手さの無い地味な実力者である。4大大会での決勝進出は1回も無い一方でツアー全体での優勝は21回とかなりの数字を積み上げている(参考:同じロシアの選手で2009年限りで引退したマラト・サフィンは4大大会2勝、ツアー15勝)。20回以上優勝しながら4大大会決勝が無い選手は珍しい。2009年のツアー最終戦ではそれまで12戦全敗していたロジャー・フェデラーを準決勝で下してそのまま優勝。さらに2010年最初のドーハの大会でも準決勝でフェデラー、決勝でラファエル・ナダルを下して優勝した。これを受けて2010年全豪オープンでは優勝候補として挙げる声もあった[1]のだが結果は準々決勝でフェデラーに敗れている。なおフェデラーには負け越しているが、ナダルに対しては6勝5敗と勝ち越している。10回以上ナダルと対戦して勝ち越しているのはダビデンコだけだとか。特にハードコートでは最初の対戦以外全て勝っており、このうち2つはマイアミ、上海のマスターズシリーズ決勝と、地味ながらも実力の高さを証明している。
2010年に年末TOP10から陥落した後は故障にも悩まされ、それまでのような活躍はできなくなった。しばらく50位前後を浮き沈みしていたが2014年全仏オープン1回戦で負けた後は休養。この時点でランキングは3桁台に落ちることが確定、「予選やチャレンジャーに出るつもりはない」とも発言し、引退を示唆していた。同年10月16日、地元モスクワのクレムリンカップ大会中に公式引退発表。翌日同大会にてセレモニーが開かれている。引退後は国際金融ビジネスに関わるつもりらしい。
日本のweb上では「デンコ」と略されることが多い。「有力選手なのにスポンサーが付かない」「有力選手なのにセンターコートに入れてもらえない」などネタにされている感もあったが人気選手だったのは間違いない。
テニス界の鉄人
ダビデンコは海外では「Iron Man」(鉄人)と呼ばれていた。それもそのはず、2003年から5年連続で30大会以上出場している。ATPの出場義務大会は16大会、ランキングポイントの計算対象になる大会は過去1年間の18大会なので、この出場数は異常に多い。実況板等で人気が高い理由には出場大会の多さから目にする機会が多かったこともあるかもしれない。ただ2014年全仏オープン敗退後のインタビューでは「体の痛みが酷くて十分な練習ができない」とこぼすなど、皮肉なことにキャリア終盤は故障に悩まされた。
出場大会数の多さからかイリーナ夫人は一部で鬼嫁としてネタにされていた模様(あくまでもイメージだと思われる)。そんな夫妻だが2012年4月に娘が誕生。シングルスでの優勝は2011年ミュンヘンが最後で、父親になってからは準優勝1回で終わったが、ダブルスでは2014年のモンペリエで優勝している。
主な実績
ツアー最終戦は2009年にマスターズカップから大会名が変わっている。上位選手が集まる最終戦で2年連続決勝に進出するあたり、やはり実力は高かった。特に2009年のツアーファイナルズでは、全豪オープン優勝のナダル、全仏とウィンブルドン優勝のフェデラー、全米オープン優勝のファン・マルティン・デルポトロを全員下した上、全仏オープンでナダルを止めたロビン・ソダーリングにも勝つなど、この年話題の選手たちを圧倒していた。
関連動画
ニコニコ動画内では意外なほど少ない。地味ながらも人気選手だと思うのだが。。。
関連項目
脚注
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