ニコラ・テスラとは、
- セルビア系アメリカ人の発明家、電気技師、機械技師
- スマートフォンゲーム『Fate/Grand Order』の登場人物→ニコラ・テスラ(Fate)
- スマートフォンゲーム『#コンパス 戦闘摂理解析システム』の登場人物。→ニコラテスラ(#コンパス)
- アダルトゲーム『黄雷のガクトゥーン』の登場人物
である。ここでは1.について記載する。
概要
現代の電力システムを築いた先駆者の一人。
世界中で使用されている交流(AⅭ)発電システムに必要なモーターを開発し、無線技術やx線の開発などにも画期的な進歩をもたらした。
元上司であるトーマス・エジソンとは直流と交流の安全性と効率性などを巡って火花を散らした。
人類史上トップクラスの天才だが、先進過ぎたこともあり、生きた時代に彼の考えや才能は正しく理解されたとは言い難かった。
一定の資金を集めることはできたものの完成にこだわるテスラはそれ以上に出費が多く、成果を挙げられず断念せざるを得ないことも多かった。特に晩年は貧窮していたという。しかし、磁束密度の単位名や電気自動車メーカーに「テスラ」の名をのこし、LIFE誌の1999年の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選出されたりと、その功績は死後高く評価されている。
略歴
1856年7月9日深夜、オーストリア帝国リカ=コルバヴァ県ゴスピッチ近郊の村スミリャン(現在のクロアチア国内) で誕生。嵐の夜に生まれたこともあり、助産師に「この子は闇の子になる」と言われたが母は「光の子に育てる」と言い返したという。
1863年、兄を乗馬事故で亡くす。この悲劇がキッカケで生涯に渡り精神に不調をきたすようになる。
1873年、コレラに感染し一年近く入院するなど生死を彷徨う。
1875年、グラーツ工科大学に入学。電気モーターに夢中になり様々な着想を得るも、父が死去したことで金欠に陥り、1878年の12月に中退。
1880年1月、プラハ大学に留学。哲学を専攻したが卒業証明はうけていない。
1882年2月、フランスのパリへ移り、エジソンが設立したゼネラル・エレクトリック社のフランス法人であるコンチネンタル・エディソン・カンパニーで技師として働く。誘導モーターの開発に成功。
1884年、ヨーロッパでは誘導モーターに興味を示す人がおらず、また、上司の一人に誘われこともあってアメリカン・ドリームを夢見て渡米。エジソン・マシンワークス社で働き始めるが、直流電力事業を展開する同社では受け入れられることはなく、数か月で失職。
1885年、会社を設立するがそこも追い出され日雇い労働で生計を立てる日々。
1891年、アメリカ国籍を取得。テスラとそのアイデアに関心を持った投資家が現れ、ニューヨークに研究所を設立し、高電圧の高周波電流を得られる高圧変圧器(テスラコイル)を発明。
1895年、エジソンとの電流戦争に勝利し、ナイアガラの滝に建設される交流システムを利用した水力発電所の設計を任される。翌年、同発電所はニューヨークへの送電を開始した。また、この頃はx線を用いた実験を数多く行っている。
1899年、人工的に雷を発生させるなどの危険な実験を行い、周辺地域内でたびたび騒音と停電を引き起こし、近隣住民との間で軋轢が起こる。
1943年1月7日、マンハッタンのニューヨーカー・ホテルにて無一文の状態で死去。享年86歳。死因は冠動脈血栓症とされた。
その他
- 8つの言語を巧みに操る語学の天才だった。
- 民族的にはセルビア人だが、最も偉大なクロアチア人にも選出されており、2023年1月1日から導入されたクロアチアのユーロ硬貨の10セントと20セント、50セント硬貨のデザインにはテスラの肖像が使用されている。
- 身長190cmで容姿も端麗、ニューヨークの社交界で活動していたこともあって女性にモテたが、研究に没頭するため生涯独身を貫いた。当時の世界一の女優と称されたサラ・ベルナーの誘いすら無視したという逸話も残っている。
- 「3・6・9という数字の持つ力を理解できれば、宇宙への鍵を握るだろう。」という言葉を残すなど、3と6と9という数字を好んだ。
- 一方、ビリヤードの球や卵など「球状のスベスベした物体」を異常なまでに恐れ、生涯嫌悪した。自身の体の中に入ってきたら二度と出て行かないような恐怖があった、らしい。交際していた女性が、デートの際うっかり真珠のイヤリングをつけてしまった時はそれを見て著しく取り乱してしまい、二度と会わなかったという。
- テスラの死後、彼が遺した設計図や試作品などはすべてFBIと軍が没収したため、テスラの叡智と研究成果は闇に葬られてしまった。
関連動画
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関連項目
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