ニック・ラース・ハイドフェルド(独:Nick Lars Heidfeld)とは、ドイツ・メンヒェングラートバッハ出身のレーシングドライバー(元F1ドライバー)であり、俺たちのニックである。
概要
1977年5月10日生まれ。
F1ドライバーとして先輩に当たるハインツ=ハラルド・フレンツェンとは同じノルトライン=ヴェストファーレン州メンヒェングラートバッハの出身である。
2000年に国際F3000チャンピオンの経歴を引っさげメルセデスの契約下からプロストGPからF1デビューするも、戦闘力が低いマシンに苦しみ初年度はノーポイントに終わる。
2001年はザウバーに移籍。
開幕戦オーストラリアGPではルーキーのキミ・ライコネンとともにダブル入賞、第3戦ブラジルGPでは自身初となる3位表彰台を獲得するなど健闘し、最終的に入賞7回・12ポイントを獲得しランキング8位に食い込む活躍を見せた。
そして2002年にはミカ・ハッキネンが休養(のち引退)すると発表したため、メルセデスの契約下にあるハイドフェルドがマクラーレンのシートを獲得…するはずだったが、ハッキネンが後任に同郷のライコネンを指名、あろうことか約束されていたはずのシートをチームメイトに奪われてしまう。
結局ザウバーに残留したもののマシンのポテンシャルは高くなく、なかなか活躍できなかったニックのドライバー人生はここから険しい道をたどる。
2004年にはザウバーがジャンカルロ・フィジケラと、フェラーリとの関係を強化するべくフェリペ・マッサを起用したため弾き出される格好になりシートを失う。
一時シート喪失が噂されたもののなんとかジョーダンのシートを獲得、戦闘力はミナルディに継ぐ低さではあったがモナコGP・カナダGPで入賞するなど、粘り強い走りを見せた。
こうした走りが評価されて、翌2005年にはウィリアムズのシートを獲得。
第2戦マレーシアGPで2戦目にして移籍後初の3位表彰台を獲得すると、モナコGPではレース終盤にタイヤを使い切ったアロンソを一撃で仕留め2位でフィニッシュ。
次戦ヨーロッパGPでは予選に定評のあるウェバーを打ち負かし自身初のポールポジションを獲得、決勝でも2戦連続となる2位でゴールする活躍を見せる。
しかしウィリアムズはここから急速に戦闘力を失い、おまけにニック自身はテスト中のクラッシュに加えリハビリ中に再度負傷してしまい終盤7戦を欠場、ポイントでもウェバーに抜かれてしまい尻すぼみな印象を残してしまう。
2006年からはザウバーを買収しF1に参戦を決めたBMWザウバーのエースドライバーとなり、持ち前の安定感を発揮して着実にポイントを獲得、ドライバーズランキング9位に食い込んだ。
2007年・2008年もコンスタントに上位入賞、フェラーリとマクラーレンの一角が崩れれば表彰台に登る活躍を見せて2年連続でドライバーズランキング5位に入り、遅咲きながら才能を開花させた。
しかし2009年もBMWザウバーから参戦したがここまで2年よりも戦闘力は低く、おまけに世界同時不況のあおりを受けてBMWはF1からの撤退を発表する。
2010年はニコ・ロズベルグと共にブラウンGPを買収し参戦するメルセデスGPをドライブすると報じられた時期もあったが、ミハエル・シューマッハの復帰のあおりを受けレースシートの獲得に失敗、メルセデスGPのリザーブドライバーを務めることになった。
なお、シーズン途中に翌年よりタイヤを独占供給することとなったピレリのテストドライバーとなったため、メルセデスとの契約は解除となった。
また同シーズン末にはシンガポールGPからペドロ・デ・ラ・ロサに代わって参戦することとなり、日本GPと韓国GPでポイントを獲得した。
しかしザウバーは来シーズンにセルジオ・ペレスを起用することを発表、またもレースシートを失ってしまう。
2011年2月、シーズン開幕前のバレンシアテスト終了直後、ロータス・ルノーGPレギュラードライバーのロバート・クビサがラリーに出場してクラッシュし重傷を負い、代役として急遽ハイドフェルドが抜擢された。
まさに土壇場での大逆転シート獲得だったが、第2戦マレーシアGPで3位表彰台、トルコGPからモナコGPまで3戦連続入賞するなど活躍。
しかしながら中盤以降失速し、チームメイトのヴィタリー・ペトロフと決勝では互角、予選ではむしろ負ける状況になってきた。
するとチームは第12戦ベルギーGP前にブルーノ・セナを加入させ、ハイドフェルドを解雇してしまった。
2012年はDTMに出るという噂が流れていたが、結局レベリオン・レーシングからWECに3戦限定でスポット参戦することになった。ルマンでは地味にほぼノートラブルで走りきり4位でフィニッシュし、アウディの1-2-3-4フィニッシュを阻止した。
2014-15シーズンからは、新しく立ち上げられた電気自動車によるフォーミュラカーレース、フォーミュラEにヴェンチュリーから参戦。
開幕戦ではレース終盤に猛追を見せ、ファイナルラップでトップを走るニコラ・プロストを捉えオーバーテイクを仕掛けたが、反射的にラインを塞ごうとしたプロストと接触してしまい宙を舞う大クラッシュを喫し、あと一歩のところで記念すべきフォーミュラE史上初のレースウィナーという快挙を逃してしまった。
続く3シーズンもマヒンドラからフォーミュラEに参戦し、2016-17シーズンには3位表彰台を5回獲得する活躍でランキング7位に食い込む活躍を見せた。
翌2017-18シーズンには「憧れのドライバーはニック・ハイドフェルド」と語るフェリックス・ローゼンクヴィストと組んだが、40ポイント近い差を付けられ大敗してしまった。
2018-19シーズンからはマヒンドラのスペシャルアドバイザー(兼リザーブドライバー)に就任し、第一線からは退いた形となる。
レーススタイル
「コンピューター・キッド」と呼ばれるほどミスが少なく、わずかな隙を逃さずオーバーテイクを決めることができる切れ味鋭い走りが持ち味。しかし目立たない。
特に安定感の高さには定評があり、2007年フランスGP〜2009年イタリアGPで足掛け3年に渡って記録した41戦連続完走(完走扱いを含む)は、2020年にルイス・ハミルトンに更新されるまで実に11年に渡って破られなかった隠れた大記録である。スーティルにぶつけられなければ…
また、F1では1度も優勝することはできなかったが腕ひとつで12年もの間シート争いを生き残り、未勝利ドライバーによる表彰台獲得回数、2位獲得回数で歴代1位、出走回数でも歴代2位の記録を持っている。
- 未勝利ドライバーによる最多表彰台:13回(歴代1位)
(2位 ステファン・ヨハンソン:12回) - 未勝利ドライバーによる2位表彰台:8回(歴代1位)
(2位 ステファン・ヨハンソン:4回) - 未勝利ドライバーによる出走回数:183戦(歴代2位)
(1位 アンドレア・デ・チェザリス:208戦)
また、どういうわけかフェルナンド・アロンソ相手には2005年モナコGP、2007年バーレーンGP、同フランスGPなど素晴らしいオーバーテイクを見せることが多い。
この時ばかりはアロンソのおかげで大いに目立っている。
「ステルス・ニック」
ハイドフェルドは、ニコニコ動画などでしばしば「ステルス・ニック」と呼ばれる。
これは、他のアクの強いF1関係者たちに比べると明らかにハイドフェルドが地味に見えるからだけではない。
誰も彼に注目していないようなレースでも、いつのまにか表彰台に立っている。
国際映像が映していないところで華麗なオーバーテイクを披露している。
誰も彼の才能を否定しないが、かといって強調しようともしない。
彼はそういう星の下に生まれたのだという説もある。
しかし実際には、三人兄弟の次男坊という生い立ちや、2000年のプロストGPからのF1デビュー以降、彼自身の才能を証明するために必要な良いチームメイトにあまり恵まれてこなかったといった環境に、原因を見出すこともできる。
髭を生やしたのは、童顔を隠すためであるが、よりいっそうステルス性が増したとの説もある。
賑やかなF1パドックでも最も捕まえにくいドライバとしてジャーナリストたちに知られており、家族やマネージャーと静かにモーターホームで過ごしているらしい。
2008年シーズンでは、シーズンを通じて60ポイントを獲得し、ドライバーズポイントで6位にランキングされたが、8位のベッテルまでのトップランカーで未勝利なのはハイドフェルドだけである。
これは地道に目立つことなくシーズンでポイントを着実に獲得したことを意味している。
ちなみに2011年のマレーシアGPでの3位表彰台は、実は未勝利最多表彰台記録を更新するものだったが、誰ひとりとして話題にする者はいなかった。
おまけにドイツのテレビ局の企画で行われたテント張り競争でさえ、全く注目されていないのに気がつけばテントを完成させバーベキューの輪に加わっている空気っぷりである。
これらの理由から、やはりハイドフェルドは「ステルス・ニック」と呼ばれることがふさわしいと言える。
「スタント・ニック」
雪上でF1マシンをドライブさせられたり、F1では現在は使われていないニュルブルクリンク北コースを走らされたり。
ハイドフェルドは体をはったネタをクールにこなすことから「スタント・ニック」と呼ばれているとかいないとか。
「クイック・ニック」
世界的にも定着している愛称であり、2009年以降の彼のヘルメットには丸の中に「Q」が書かれたロゴがあしらわれている。
「焼きニック」
2011年開幕~中盤までニックが乗ったマシン、ロータス・ルノーR31は排気ガスをサイドポット前方から排出する「前方排気システム」を採用している。
しかしこのシステム、エンジンや燃料タンクに近い位置にエキゾーストパイプを配置する必要があり、火災の恐れがあった。
そして実際スペインGPとハンガリーGPにて燃えてしまったのだが、どういうわけか燃えたのは2回ともニックの乗っていたマシンだった。
「俺たちのニック」
ニコニコ動画で配信されているF1ラジオ番組『エフワンの巣窟』で、パーソナリティのquzyが「俺のニック」と発言したところ、リスナーから「お前のじゃねえ」「独占するな」「実はニックは今、俺の隣にいます」など、批判が続出。
関連動画
関連項目
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