起伏の後に
この世界では誰もが
何度も打ちのめされる
無力感に苛まれるでもそれと同じくらい
自分の頑張りをほめたくなる
そんな瞬間だってあるんだ
ニホンピロアワーズとは、2007年生まれの日本の競走馬である。牡・青鹿毛。
主な勝ち鞍
2011年:名古屋グランプリ(JpnIII)
2012年:ジャパンカップダート(GI)、名古屋大賞典(JpnIII)、白山大賞典(JpnIII)
2013年:平安ステークス(GIII)
2014年:東海ステークス(GII)、ダイオライト記念(JpnII)
概要
血統
父:ホワイトマズル
母:ニホンピロルピナス 母父:アドマイヤベガ
父であるホワイトマズルはダンシングブレーヴがイギリスに残してきた数少ない大物であり、日本でも種牡馬として個性派を何頭も輩出している。
母父アドマイヤベガはあの99年日本ダービー馬で、種牡馬として活動していたが、早逝によりわずか4世代しか子供を残していない。
また、ホワイトマズルもイタリアダービー馬であり、父・母父ともにダービー馬でありながら、ダートに適性が出たと言うのは競馬の面白さでもないだろうか。
ある騎手と馬主の出会い
さて、この馬が生まれる少し前の2006年の12月。
とある騎手が年間0勝のまま、年末を迎え、あるレースで勝利を収めた。
その後、その騎手はその馬を乗せた馬主に対して『引退をする前に、いい思い出ができました』と手紙を送った。
なぜ、こんな手紙を送ったのかと言われそうだが、騎手というのは馬主にお礼の手紙を出すことが多い。
この時、彼はすでに騎手としての引退を決意していた※1のではないだろうか。
(近年は12月に引退する騎手も多いが、通常は2月末日付けでの引退となることが競馬界では通例である)
すると、その馬主は片っ端からその騎手の名前を電話帳で探し、ほとんど無理やりのような形でその騎手を食事に誘い、こう言ったと言う。
『俺はこの年になっても馬主をやっているし、これからも続けていく。最近は馬にも恵まれていないがそれでも諦めない。君はその若さで諦めてしまうのか?』
その後、その騎手は現役続行を決め、現在も現役を続けている。
…この2人が誰かわかった人もいるのではないだろうか。
馬主はニホンピロアワーズの馬主である小林百太郎氏。
そして騎手は同馬の主戦である酒井学。
最後に、その酒井騎手が乗って勝った馬はニホンピロコナユキ。
そう、この時から、この馬主と騎手のつながりが始まったのであった。※2
そして、それから5ヶ月後の2007年5月。
ニホンピロアワーズは日高の小さな家族経営の牧場である片岡牧場で生を受けることとなる。※3
ニホンピロアワーズのデビュー後
ニホンピロアワーズがデビューしたのは3歳になった2010年の1月になってから。
ただし、このころに乗っていたのは幸英明であり、酒井が乗り始めるのはまだもう少し後の話である。
ニホンピロアワーズは条件戦で2勝を挙げた。
また、2勝目を挙げた際には、幸は通算800勝と当時最年少・最速での通算11000回騎乗を同時に達成している。
ひそかに、この馬が幸に記録をプレゼントをしていることも忘れてはいけない。
そして、3歳8月の小倉の響灘特別というレースを迎えることとなる。
ここで、幸が別の馬に騎乗するために、代打としてニホンピロの主戦的な存在であった酒井学が初めて同馬に騎乗することになり、このレースを快勝。
また、同じ日に酒井がニホンピロレガーロという馬で小倉記念を制したこともあり、ここから主戦である酒井が固定されることとなった。
(こぼれ話1:この日は響灘特別が準メインで、小倉記念がメインレースだったこともあり、酒井&ニホンピロコンビが結果的に連勝したことになっている)
その後もコツコツと走り続けてオープンクラスに昇格し、4歳秋になってから初の重賞挑戦と金沢競馬の白山大賞典では2着、続くみやこステークスでは3着に入り、初のGIとなるジャパンカップダートに挑むこととなった。
しかし、スタート直後に致命的な不利を受けたこともあり、初めてのGIはトランセンドの9着に敗れた。
またこのレースで初めて掲示板をはずすこととなった。
それでも、続く名古屋グランプリ(Jpn2)を勝利し、重賞初制覇。
ついに上昇気流に乗ったか……と思われたが、続く2012年初戦となった川崎記念はスマートファルコンの5着。
このころはダートでは安定勢力ではあったが、あと一歩突き抜けきれない馬であったと言えよう。
酒井が落馬負傷、しかし……
また騎手がリーディング上位ではない酒井を起用していたこともあってか、別の騎手に乗り替わりをした方がいいと小林に言う人もいたと言う。乗り替わりをすすめられた小林は『ずっと(学を)乗せたれ!』と返していた。
ところが、川崎記念から2週間後の小倉のレースでアクシデントが発生した。
そのレースで酒井の馬は中段を追走していたのだが、前にいた馬が予後不良になるような重度の故障を発生し、転倒。その転倒に巻き込まれる形で落馬し、酒井が落馬負傷してしまいその後のレースは乗り替わりとなった。
診断は、「左肩甲骨骨折、左肩鎖関節脱臼」の重傷であり、しばらくニホンピロアワーズはもちろん、どの馬にも騎乗や調教すらできない状態になってしまった。
……ここで、小林が「乗せたれ!」と言った、騎手がいなくなってしまった。
普通ならリーディング上位の騎手などに依頼をするところであろう。
例外はあるにしろ、もしリーディング上位の騎手が空いていたら、チャンスと見て騎乗依頼をおかしくはないからだ。
そしてそのまま、当初乗っていた騎手にその馬は戻ってこない……なんてことは多々あることである。
しかし、この状況で小林が出した答えは以前ニホンピロアワーズに騎乗していた幸に騎乗依頼をし、少しでも酒井が戻りやすい環境を整えていた。
また、この馬の環境にも恵まれていたともいえる。
この馬が所属している大橋勇樹厩舎は、お世辞にも大厩舎とは言えないが、中堅どころであり、個人馬主の馬も多かったことから騎手起用に関しても、酒井や熊沢重文など中堅どころの騎手が多かったのである。
現在の中央競馬の状態
最近の競馬は、社台グループ一強の状態で
エージェントがいい馬を集め、一部の騎手に馬が集まる。
昔は厩舎所属の騎手に任せるという人情も含めた依頼があったが、最近は強い馬は上手い騎手に依頼するというドライな気風になってきていた。
そんな時代に、
・40年近くにわたって馬主を続けており、鞍上を変えようとしなかった昔堅気のオーナー
・日高の小さな家族経営の牧場が生んだ、どことなく主流から外れた血統の馬
・1度どん底を見ており、リーディング中位でコツコツ乗っている騎手
・そんな騎手をオーナーの方針とはいえ、変えずに起用し続けた調教師
ここだけ1980年代や1990年代のような空気が流れている。
傍から見れば時代錯誤とも言われかねない。
しかし他のどの馬にも強い絆を持っていたのがニホンピロアワーズを取り巻く環境だったのではないだろうか。
代役・幸騎手
その後、代打騎乗をした幸騎手で名古屋大賞典(Jpn3)を勝利。
東海ステークス(GII)でも2着に入るなど結果を残していた。
また、このころ幸は落馬負傷して休養中だった酒井に対して、ニホンピロアワーズの情報をメールで送っていたと言う。
幸さん、マジいい人。
というより、この絆の中に幸も入ってるんじゃなかろうかと言いたくなる。
そして、5月末になりようやく酒井が復帰。
復帰したのがダービー前日であったこともあり、その前の週に行われた東海ステークスの騎乗はかなわなかったが、再び酒井の手にニホンピロアワーズが戻ってくることは決定的であった。
充実の2012年秋
ニホンピロアワーズは夏を休養にあて、迎えた白山大賞典(Jpn3)。
だが、例年以上に開催地である金沢競馬場は盛り上がっていた。
というのも、2013年のJBC開催が金沢で行われることが決まり、さらにこのレースには地元で快進撃を続けていたナムラダイキチが出走しており、金沢所属、いや地方競馬の馬による初の白山大賞典の期待も高まっていた。(実は2007年に地方馬が勝っているのだが、これは馬インフルエンザの影響によるもので地元馬限定で開催されたため)
……そこ、ナムラダイキチが元中央競馬の馬なんて言わない。
また、白山大賞典が行われた10月2日からJRAの投票システムを使って地方競馬の馬券が買えることとなっていたので、金沢は大々的にアピールするなど盛り上がっていた。
が、その2日前の阪神開催が台風で中止となり、白山大賞典の馬券は買えなくなると言う、飛んだとばっちりを受ける羽目になってしまった。台風のバカヤロー!
レースは、ニホンピロアワーズがナムラダイキチを4馬身ちぎっての快勝であった。
続く、みやこステークス(GIII)は58キロのハンデもあってか早め先頭から抜けだそうとしたが、内から強襲したローマンレジェンドの2着。
GI初制覇
そして、暮れのジャパンカップダート(GI)を迎えることとなる。
人気は……あれ?6番人気!?
いやいやいや、交流重賞とは言え重賞3勝、さらに前走のみやこステークスも2着に入ってたのになぜ?である。
まあ、原因はGIでこれまでほとんど実績がなかった酒井のせいであろう。
それに、GI馬が何頭かいたし、6連勝中をしていたローマンレジェンドもいたし、前走の武蔵野ステークスで大きく出遅れながらも快勝したイジゲンもいたから仕方ないけど。
一時、初ダートのトゥザグローリーより人気がなかった気もするが、気にしたら負け。
しかし、レースでは人気がなかったことのへ怒りなのか、4番手を追走すると直線では先に抜け出しを図ったホッコータルマエを持ったまんまでかわしていき、最後は自ら上り最速を叩きだし追走するワンダーアキュートに3馬身半の差をつけGI初制覇。
酒井はゴール前で大きなガッツポーズをして怒られたそうだが、それも許してあげてください。
酒井にとっては騎手人生15年目でのうれしいGI初制覇。
また、調教師である大橋や生産者である片岡牧場もうれしいGI初制覇。
そして、馬主である小林にとってみれば、ニホンピロウイナーで勝った1985年のマイルチャンピオンシップ以来、実に27年ぶりの中央GI制覇であった。
(……中央と付けたのは、ニホンピロジュピタで97年の南部杯(交流GI)を勝っているからである。なので、そのことも思い出してあげてください)
また、このレースは1着のニホンピロアワーズだけでなく、2着のワンダーアキュート、3着のホッコータルマエが非社台の生産馬であり、さらにその背中にはそれぞれの馬を知る主戦ジョッキーがいた。
(余談だが、3着のホッコータルマエの騎手は酒井が主戦になる前や酒井の負傷期間中にニホンピロアワーズに乗っていた幸であった)
レース後、多くのファンは『馬券は外したけど久々にスカッとするGIを見た』と語っていた。
その1週間前のジャパンカップでは三冠馬同士のたたき合いだったと言え、少し後味の悪い結果であったことも影響していよう。
レース後、酒井は「支えてくれた人たちみんなが僕みたいな騎手にまかせてくれた」と語った。
その支えてくれた人々というのは、調教師である大橋、オーナーでありずっと酒井を乗せ続けた小林、負傷中に同馬に騎乗した幸……数多くの人がいることであろう。
でも、そんな「僕みたいな」というような人間にこそ、スポットライトは当たるべきなのかもしれないと筆者は考える。
さらに、年末には2012年最優秀ダートホースにも輝くなど、確実にダートのスターホースへの道を駆け上がり始めた。
2013年
2013年のニホンピロアワーズは冬を休養にあて、アンタレスステークスから始動をした。
ところが、このレースでは佐賀記念・名古屋大賞典を連勝していたホッコータルマエに差されて惜しくも2着と敗れてしまう。
この後、ホッコータルマエはかしわ記念も制覇し、まさに本格化をしたと言っていい。
ただ、そんな馬相手に僅差の2着であったことから斤量差などを考慮しても強い競馬であったといえるであろう。
続く、平安ステークスでは、先行しながら直線を抜群の手ごたえで迎えると、前で粘る同厩舎のナムラタイタンを残り250メートであっさりとかわすと、後方から追い込んできたナイスミーチュー・アメリカンウイナーを完全に封じて重賞5勝目となるゴールに飛び込んだ。
そして、これが意外にも1番人気での初めての中央重賞勝利だったりする。
この後は帝王賞に向かった。
今年の帝王賞は、ニホンピロアワーズだけでなく、昨年の東京大賞典勝ち馬のローマンレジェンド、かしわ記念を制し本格化したホッコータルマエ、さらにダートの善戦マン3歳時から高いレベルで結果を残し昨年船橋のJBCクラシック勝ち馬のワンダーアキュート、さらにハタノヴァンクール・テスタマッタ、船橋に移籍したスーニが参戦。
宝塚記念のゴールドシップ・ジェンティルドンナ・フェノーメノの3強対決に隠れていたとはいえ、超豪華メンバーによる戦いの幕が開かれた
レースはワンダーアキュートの逃げから始まり、ニホンピロアワーズは2番手を追走していた。
そして、4コーナーを抜けるとワンダーアキュート・ニホンピロアワーズ・ホッコータルマエという昨年のJCDの上位3頭が他の馬を置き去りに抜け出し、さあ勝つのは!?と思われたが、外から連勝中のホッコータルマエが2頭をぶっこ抜いて見事1着。
ニホンピロアワーズはホッコータルマエに食らいついたものの、2着と敗れた。
ワンダーアキュートはやっぱり定位置だった。
とは言え、ニホンピロアワーズが弱かったわけではなく、初のナイター競馬+水が浮くほどの不良馬場で、しっかりと結果を残しており、力は見せた。
そして、秋。
当初は相性のいい金沢のJBCクラシックを目指していたが、JBCには間に合わず、帝王賞からジャパンカップダートへのぶっつけ出走となってしまった。
さらには、放牧中に一頓挫あったという情報もあり、順調さを欠いているとみられ、レースでは5番人気ではあったが帝王賞で接戦だったホッコータルマエの1.9倍と比べると、オッズは13.3倍と落としていた。
レースではエスポワールシチーの3番手を追走し、直線ではホッコータルマエとともに前をとらえ一気に抜け出そうとした。
しかし、休み明けの分か伸びず、結局5着に終わった。
だが、先述した状況から惨敗も考えられたレースで、5着に入ったことで、改めてニホンピロアワーズの地力を再確認させたレースとなった。
年末の東京大賞典では3着となり、実力通りの力を見せた。
2014年以降
この年は東海ステークスから始動し2馬身の完勝でフェブラリーSに向かうことになった。
フェブラリーSでは8着に敗れるが、その次走のダイオライト記念で勝利した。
その後は好走はあるものの勝ち星はつかず、2015年名古屋グランプリ2着を最後に引退した。
通算42戦13勝。
種牡馬としては(2020年10月26日現在)中央では1頭しか勝ち上がっていないが、地方では9頭中7頭が勝ち上がるという好成績を残しており、ここからの巻き返しが期待される。
酒井学という男
最後にこの馬を語る上で、外せない酒井学という男について紹介する。
酒井は決してリーディング上位ではなく、過去の年間の勝ち星も最高は2011年の36勝とそこまで稼いでいるわけでもない。
しかし、決めるときは決める穴騎手として穴党のファンからの信頼の厚い騎手でもあり、現に過去の中央重賞9勝のうち6勝は5番人気以下で達成していることを覚えておいてほしい。(ちなみに残りの3勝は先述の平安ステークスとハクサンムーンで挙げた2勝であるが、穴騎手であることには間違いはないだろう)
そして、その重賞勝利のうち8勝は引退しようと思っていた2006年以降にあげたものだと言うことも注目に値するだろう。
酒井は2012年にGIを勝ったことで、『公約』を実現した。
というのも、この馬が力をつけていたことに気づいていたのかは定かではないが、京都にある競馬関係者がお参りをする神社の絵馬に「GIを勝ちたい」と書いていたのである。
それを見たファンは、数年前まで酒井が絵馬に「一つでも勝ちたい」と書いていたことを思い出し、「大きく出たな~」と思ったそうだが、実際に毎年絵馬に書いたことを実現しており、それもこの一環だったのではないだろうか。
ちなみに2013年の絵馬には「連覇!」と書かれていたそうである。
我々、競馬ファンはそのような人のつながりによって成長する人馬というものを久々に見せてもらっているのかもしれない。
今後のニホンピロアワーズの活躍に期待したい。
もちろん、その背中には酒井学がいることにも。
補足
※1:当時の酒井は年間83騎乗で1勝しかできておらず、生活的にも困窮しており、後に雑誌の取材では『CDを売りに中古ショップに行った』『安い家を探した』などと、後に競馬雑誌の取材で答えている。
※2:この勝利の後に、酒井は2007年北九州記念で16番人気ながら4着に激走したニホンピロブリュレや後に重賞を勝つニホンピロレガーロなどに出会っている。高倉稜騎手との対談では『当時、ニホンピロの現場担当者であった大山さんのバックアップで乗る数を増やせた』『乗れなくても腐らなかったから今がある』などと語り、特にこの勝利を『騎手生活のターニングポイント』であったと振り返っている。
※3:ニホンピロアワーズが出るまでの主な生産馬としてはアンバーシャダイ産駒最後の重賞勝ち馬で、かつシンザンを母父に持つ最後の馬である、昔ながらのファンが涙するような血統を持つカンファーベストがいた。
……もっとも、この馬はネット上では別の意味で有名であるが、そのことについては同馬の名誉のために触れないでおく。
血統表
*ホワイトマズル 1990 鹿毛 |
*ダンシングブレーヴ 1983 鹿毛 |
Lyphard | Northern Dancer |
Goofed | |||
Navajo Princess | Drone | ||
Olmec | |||
Fair of the Furze 1982 鹿毛 |
Ela-Mana-Mou | *ピットカーン | |
Rose Bertin | |||
Autocratic | Tyrant | ||
Flight Table | |||
ニホンピロルピナス 2002 青毛 FNo.22-d |
アドマイヤベガ 1996 鹿毛 |
*サンデーサイレンス | Halo |
Wishing Well | |||
ベガ | *トニービン | ||
*アンティックヴァリュー | |||
ニホンピロタイラ 1996 青鹿毛 |
Theatrical | Nureyev | |
*ツリーオブノレッジ | |||
*ミルカレント | Little Current | ||
Marston's Mill | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Northern Dancer 4×5×5(12.50%)
主な産駒
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関連項目
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- 0pt