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ネーハイシーザー
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ネーハイシーザーとは、JRA(日本中央競馬会)所属の元競走馬・元種牡馬である。

な勝ち
1993年:中日スポーツ賞4歳ステークス(GIII)
1994年:天皇賞(秋)(GI)、産経大阪杯(GII)、毎日王冠(GII)、京阪杯(GIII)

1994年JRA賞最優秀父内国産馬

概要

サクラトウコ
・ネーハイテスコ(テスコボーイ

輸入種牡馬全盛期のこの頃に颯爽と現れた内産の快速、それがネーハイシーザーである。

2勝をあげ、初の芝のレースになるすみれSに出走するも8着に敗れる。その次のレースとなるSからは戦となる騎手コンビを組むことになる。当時のフリーに転向した事により騎乗依頼が減少していた。その様子を見た布施正調教師がこのの騎乗を依頼したのである。

その後、中日スポーツ賞4歳Sを制する。この時のタイムダイタクヘリオスが所持していた芝1800mの日本レコード更新する1分452であった。タイムとしても破格の物であったが、これを稍重馬場で出したのだから恐れ入る。

そして、神戸新聞杯2着を挟んで菊花賞に出走する。しかし、レース中に心房細動を発症してしまい、調整不足だったナリタタイシンからも30優勝したビワハヤヒデからは40も離された大敗だった。

その後、中距離路線に絞り同じ阪神競馬場2000mの大阪杯京阪杯勝利京阪杯ではコースレコード叩き出す。その後宝塚記念に出走するが、ビワハヤヒデの5着となる。

そして、休養後には毎日王冠で自身のレコードタイム更新する1分446で制する。そして、迎えた天皇賞(秋)では、直線群に飲まれるビワハヤヒデに2番手からスパートすると、セキテイリュウオーを抑えて人ともにGI初制覇を果たした。

しかし、この後は屈腱炎もあってか勝ち恵まれずに引退種牡馬として初年度種付け料無料という破格のスタートだった。その中からヒマラヤンブルー賞、東京スポーツ杯3歳S2着)などを輩出するが、2005年種牡馬引退したため、後継を残す事は出来なかった。その後いくつかの牧場を転々とした後、2018年2月に病死した。

血統表

サクラトウコ
1981 鹿毛
マルゼンスキー
1974 鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
*シル Buckpasser
Quill
サクラセダン
1972 鹿毛
*セダン Prince Bio
Staffa
*スワンウッドグローヴ Grey Sovereign
Fakhry
ネーハイテスコ
1980 黒鹿毛
FNo.6-a
*テスコボーイ
1963 黒鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Suncourt Hyperion
Inquisition
マリリン
1968 鹿毛
*パーソロン Milesian
Paleo
ライフレントゲン タカ
エスパレード
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 5×4(9.38)

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関連項目

外部リンク

JRA賞最優秀父内国産馬
優駿賞時代 1982 メジロティターン | 1983 ミスターシービー | 1984 ミスターシービー |
1985 ミホシンザン | 1986 ミホシンザン
JRA賞時代 1980年代 1987 ミホシンザン | 1988 タマモクロス | 1989 バンブービギン
1990年代 1990 ヤエノムテキ | 1991 トウカイテイオー | 1992 メジロパーマー |
1993 ヤマニンゼファー |1994 ネーハイシーザー | 1995 フジヤマケンザン |
1996 フラワーパーク | 1997 メジロドーベル |1998 メジロブライト | 1999 エアジハード
2000年代 2000 ダイタクヤマト | 2001 該当※1 | 2002 トウカイポイント | 2003 ヒシミラクル |
2004 デルタブルース | 2005 シーザリオ | 2006 カワカミプリンセス |
2007 ダイワスカーレット
※1.該当しを除く最多得票ナリタトップロード
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1 ななしのよっしん
2012/01/24(火) 23:38:58 ID: 5mCxoVmW0c
あの走で燃え尽きてしまったのか…。
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2 ななしのよっしん
2012/03/01(木) 16:16:56 ID: Euj1hUZJB2
菊の前に、競馬記者田原に単ネーハイシーザーって言った時の田原の返答が、
「悪くないけどまだい。もう一年経ったら良い仕事する」
翌年ほんとに秋天勝っちゃった…
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3 ないちゃん
2014/08/23(土) 19:35:07 ID: pnvYo1mnQU
うむ。
ねーはい
タイトル:ねーはい
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4 ななしのよっしん
2021/09/24(金) 14:33:36 ID: v4vtCxmL6G
戦績を見てみると、5歳秋の天皇賞()が本当に分岐点だったんだな。

有馬記念ではハヤヒデナリタブライアン仇討ちを許す敗(9着)、
6歳の緒戦大阪杯も9着、ライスが他界した宝塚記念では14着に加え屈腱炎も発症、
7歳になってなんとか復活するも大阪杯6着、
京阪杯で3着になってようやく復活の兆しが見えたと思ったら屈腱炎再発で引退
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5 ななしのよっしん
2022/01/30(日) 01:10:52 ID: I7B6JRuiQ9
自身で打ち立てた日本レコードを自身で更新していくのがカッコいい

あと襷の勝負服名前に負けぬ皇帝感あって好き
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6 ななしのよっしん
2022/02/23(水) 00:50:59 ID: 1xibv5q2fr
ピークは短かったが、絶頂期の1800〜2000mでは本当に強かった。
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7 ななしのよっしん
2022/04/07(木) 21:08:49 ID: EBAsNhJMhF
ビワハヤヒデ好きになって神戸新聞杯何度も見てたらネーハイシーザーも好きになった
お互いが万全のまま現5歳を迎えての産経大阪杯が見てみたかった、当時はG1じゃないが
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