ノッティンガム・フォレスト単語

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ノッティンガムフォレスト
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ノッティンガム・フォレストNottingham Forest Football Club)とは、イングランドプレミアリーグに所属するサッカークラブである。本拠地はノッティガムホームスタジアムはシティ・グラウンド。

概要

ヨーロッパサッカーリーグ
ノッティンガム・フォレスト
基本情報
創設 1865年
所属リーグ プレミアリーグ
ホームタウン ノッティガム
ホームスタジアム ティ・グラウンド
(30,332人)
クラブカラー
代表者 トムカートレッジ
プロサッカークラブテンプレート

創設は1865年。現存するイングランドプロクラブとしては、同じくノッティガムを本拠地とするノッツ・カウティFCに次いで二番に古い歴史の長いクラブであり、クラブ名前を呼称を呼ぶときは地名であるノッティガムではなく、フォレストと呼ばれる。これはノッツ・カウティと区別し、尊重するための呼称だと言われている。その他にも「ザ・レッズ」や「ガリバルディス」とも呼ばれる。

1970年代後半から1980年代初頭にクラブ黄金期を迎えており、1978年リーグ優勝を果たすと、1979年1980年には、UEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)を2連覇するという、偉業を成し遂げている。1988年1989年にはリーグカップを連覇している。しかし、プレミアリーグが創設された1990年代に入って低迷期に入り、1999年に降格して以来23年間プレミアリーグに復帰することはなかった。それどころか2005年から2008年までは3部にまで転落している。そのため現在は古というイメージが付いている。

クラブ創設時にイタリアの「シャツ隊の導者」にちなんで名付けられた「ガリバルディレッド」の帽子を購入したことから創設以来クラブカラーで統一されている。クラブのエンブレムはノッティガムの紋章をモチーフにしたデザインだったが、1974年以降はクラブ名「FOREST」を表すと地元を流れる「トレント」がモチーフとなっている。

歴史的に同じノッティガムを本拠地とするノッツ・カウティライバル関係にあり、両クラブの戦いは「ノッティガムダービー」と呼ばれている。両クラブホームスタジアムはトレントの対同士で200メートルしか離れていない。もっとも1992年を最後に両クラブトップリーグに所属したことはなく、プレミアリーグでは両クラブの直接対決は実現していない。

伝統的に攻撃的で魅力的なサッカーを志向しており、クラブ哲学は、若手選手の育成と地域社会への貢献にも重点を置いている。

歴史

1865年、ノッティガムシェークスピア通りにあるクリントン・アームズで、シンティの選手たちが集まり、代わりにフットボールをするという提案が承認され、ノッティンガム・フォレストFCが創設。1866年3月22日にノッツ・カウティと初となる公式戦をおこなっている。

1892年よりプレミアリーグの前身であるフットボールリーグに参加。1897-98シーズンにはFAカップ決勝でクリスタル・パレスFCを破り、クラブ初となるタイトルを獲得。しかし、20世紀に入ってからは成績が低迷するようになり、1906年に初めて2部に降格してからは1部と2部を行き来するエレベータークラブの時代が続く。やがてクラブは深刻な財政難に陥るようになり、第一次世界大戦の勃発と当時のリーグ委員会メンバー善意によって辛うじて破産を免れていた。その後も低迷期は続き、1949年には初めて3部リーグにまで降格している。

1952-53シーズンに2部に復帰すると、2年後には2部リーグ優勝し1部へ復帰。昇格2年となる1958-59シーズンにはFAカップ決勝まで進出すると、多くの選手が負傷を負ってピッチを後にする荒れた試合となったルートン・タウンとのファイナルを制し、61年ぶり2度優勝を飾る。1966-1967シーズンにはリーグタイトル争いを演じる大躍進を遂げるが、あと一歩のところでボビー・チャールトン、ジョージベスト、デニス・ローを擁するマンチェスター・ユナイテッドに競り負けている。この成功は長くは続かず、クラブの貧弱な運営、組織の腐敗、アマチュアリズムが色濃かったことから再び低迷するようになり、1972年に2部へ降格している。

1974-75シーズン途中にブライアンクラフが監督に就任。長年クラフの右腕として付き従ってきたピーターテイラーアシスタントに就任した1975-76シーズンにはクラブを1部復帰へと導く。クラフとテイラー二人三脚で選手たちの意識改革をおこない、特にジョンロバートソンはリーグを代表するストライカーへと成長する。結果、昇格1年ながらもフォレストはリーグ3位という大躍進を遂げる。この大躍進こそがクラブ黄金期の幕開けとなった。

1977-78シーズンには伝説的なGKとなるピーター・シルトンが加入。クラフとテイラーが理想とするチーム作りはさらに進み、マーティン・オニールギャリーバートルズ、トニーウッドコック、イアン・ボイヤー、ジョン・マクガーバンといった既存の選手たちが名選手へと成長。まずはEFLカップタイトルを獲得すると、リーグ戦では2位リヴァプールFCに大差をつけ、クラブ創設113にして初のリーグ優勝を戴冠。1978-79シーズンシーズン途中にトレヴァー・フランシスを獲得。リーグタイトルこそ惜しくもリヴァプールの復権を許したが、EFLカップでは連覇を達成。さらにUEFAチャンピオンズカップではフランシスの決勝ゴールによってマルメFFを破り、初の欧州王者となる。3年前までは2部に所属していたクラブビッグイヤーを掲げる快挙を成し遂げたのだった。さらに1979-1980シーズンチャンピオンズカップでも決勝まで進み、ハンブルガーSVとの決勝ではシルトンを中心とした強固な守備でロバートソンの決めたゴールを守り切り、チャンピオンズカップ連覇という偉業を達成。欧州を代表する強へと登り詰める。1981年2月には東京で開催された第1回のトヨタカップに出場するが、ナシオナル・モンテビデオに敗れ、クラブ世界一の座は逃している。
ちなみに、1977年12月26日から1978年12月9日にかけてのリーグ戦における42戦記録立しており、2004年アーセナルに破られるまでイングランドにおける最長記録であった。

1980年代になると、財政的に厳しい状況にあったシルトンら力選手の売却を余儀なくされ、クラブの方針に反発したテイラーコーチも退団。こうして解体されてしまったフォレストは以前のような力を失い、タイトル争いから遠ざかるようになる。1989年4月15日にはヒルボロ・スタジアムで起きたヒルボロの悲劇と呼ばれる事故により、リヴァプールとのFAカップ準決勝が中止になる事態となる。それでも、ロイキーンやスチュアート・ピアースといった新たなスター選手が台頭するようになり、1989年1990年にはEFLカップを連覇。

1992-93シーズンには、新しく構成されたプレミアリーグ22チームの内の1チームに入るが、クラ監督が重度のアルコール依存症に悩まされるようになり、さらにヒルボロの悲劇の賠償金によるクラブの財政難も重なり、テディ・シェリンガムら中心選手の売却を余儀なくされていたことも重なり、最下位に低迷し1976年以来となる2部降格の憂きに遭う。この結果、18年間監督を務め、数々の栄をもたらしたクラ監督引退。その後、彼の偉業を称え、ファンの寄贈によってノッティガムクラ監督像が建てられる。

イングランド代表の力ながらもクラブに忠を誓い、残留したピアースを中心にクラブは1年でのプレミアリーグ復帰に成功。昇格1年の1994-95シーズンには3位と躍進。かつての黄金期再来かと期待されたが、プレミアリーグとなり巨額の補強費を投入するようになった他のクラブに取り残されるようになり、1996-97シーズンに再び降格。またも1年でプレミアリーグに復帰したものの、今度はわずか1年で2部に降格。ここから長きに渡る低迷期が始まるのだった。

21世紀に入ってからのフォレストは巨額の負債によって選手の補強がままならず、さらにスポンサー企業が破綻するという追い打ちをかけられ、クラブの財政難はより深刻なものとなってしまう。もはやEFLチャンピオンシップ(2部)でも勝てなくなったチームは2004-05シーズンに23位と低迷し、54年ぶりにフットボールリーグ13部)に降格。落ちるところまで落ちてしまうのだった。

転がるように転落したフォレストは、2008-09シーズンチャンピオンシップに復帰するが、チーム状態は一向に上向かず、プレミアリーグどころか辛うじて降格を免れるシーズンが多いような状態が10年近く続くようになる。2017年5月ギリシャの実業であるエヴァゲロス・マリナスクラブを買収。オリンアコFCオーナーでもあるマリナスは老朽化したスタジアムとトレーニングセンターの再開発を手掛け、さらに移籍市場に積極的に大金を投じるようになる。そして、2021-22シーズンEFLチャンピオンシップの昇格プレーオフ決勝でハダースフィールドタウンFCに1–0で勝利。24年振りとなるプレミアリーグ昇格を決める。

プレミア復帰1年2022-23シーズンには実に移籍金110億円を投じる大盤振る舞いを見せ、30人もの選手を獲得する手な補強策を見せるが、終盤で辛うじてプレミアリーグ残留を決めるのがやっとだった。2023年8月には幼い頃からのフォレストのファンである経営者のトムカートレッジが会長に就任。2023-24シーズン2020年から2023年会計期間中にプレミアリーグが定める財務規定を違反していたとして勝ち点「4」が剥奪されるハンディを背負わされるが、最終節でプレミアリーグに残留している。

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

現在所属する選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属
- 監督 ヌーノ・エスピーリトサント 1974.1.25 2023 アル・イテハド 監督
4 DF モラト 2001.6.30 2024 ベンフィカ
5 DF ムリージョ 2002.7.4 2023 リンチャンス
6 MF イブラヒム・サンガレ 1997.10.2 2023 PSVアイントホーフェン
7 DF ネコウィリアムズ 2001.4.13 2022 リヴァプールFC
8 MF エリオットアンダーソン 2002.11.6 2024 ニューカッスル・ユナイテッド
9 FW タイウォ・アウォニイ 1997.8.12 2022 ウニオンベルリン
10 MF モーガン・ギブスホワイト 2000.1.7 2022 シェフィールドユナテッド
11 FW クリスウッド 1991.12.7 2023 ニューカッスル・ユナイテッド
13 GK ウェイン・ヘネシー 1987.1.24 2025 所属
14 FW カラムハドソン=オドイ 2000.11.7 2023 バイヤー・レヴァークーゼン
15 DF ハリー・トフォロ 1995.8.19 2022 ハダーズフィール
16 MF ニコラス・ドミンゲス 1998.6.28 2023 ボローニャFC
17 DF エリック・ダ・シルバ・モレイラ 2006.3.6 2024 ザンクト・パウリ
19 DF アレックス・モレノ 1993.6.8 2023 アストン・ヴィラ
20 FW ジョタ・シルバ 1999.8.1 2024 マライス
21 FW アンソニーエランガ 2002.4.27 2023 マンチェスター・ユナイテッド
22 MF ライアン・イエーツ 1997.1.21 2022 スカソープユナテッド
24 MF ラモン・ソサ 1999.8.31 2024 タジェレス
26 GK マッツセル 1992.2.26 2024 トラスブール
28 MF ダニー 2001.4.19 2023 パルメイラス
30 DF ウィリー・ボリー 1991.2.3 2022 ウルヴァーハントン
31 DF ニコラ・ミレンビッチ 1997.10.12 2024 フィオレンティーナ
33 GK カルロス・ミゲウ 1998.10.9 2024 リンチャンス
34 DF オラ・アイ 1996.10.8 2023 リノFC
44 DF ザック・アボット 2006.5.13 2022 ノッティンガム・フォレストU-21

※はリザブチーム所属。

過去に所属したおもな選手

歴代監督

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