ノニト・ドネアとは、フィリピン出身のアメリカのプロボクサー。5階級制覇王者。[1]
通算成績は47戦41勝(27KO)6敗。
概要
出生地はフィリピンで生粋のフィリピン人ではあるが、11歳の頃にアメリカへと移住。
ついてはボクシングに関してもアマチュア時代はアメリカ国籍で戦っている。
閃光のような左フックと強烈な左アッパーを武器に相手を倒していく姿から、
“フィリピーノ・フラッシュ(フィリピンの閃光)”という愛称を持つ。
KOで魅せる試合を行える事で非常に人気が高いボクサーではあるものの、
実際は抜群のスピードに加えて状況に応じてスイッチできる器用さも兼ね備えたボクサーである。
また、アジア人としては初の主要4団体で世界王座を獲得したボクサーでもある。
ちなみに、プライベートで何度も来日するほど大の親日家である事はファンの間では有名であり、
元WBC世界スーパーバンタム級王者西岡利晃のプロキャリア最後の対戦相手としても有名である。
戦歴
<フライ級時代>
最初のメジャータイトル挑戦の対戦相手となったのは、
当時28戦無敗の戦績を誇りIBF世界フライ級王座を6度防衛していたビック・ダルチニャンだった。
オッズが[王者:15-挑戦者:1]とされた圧倒的不利の下馬評を覆し、5回TKO勝ちを収めて王座奪取を果たした。
その後、3度の防衛を成功させてスーパーフライ級への階級転向を表明する。
<スーパーフライ級時代>
元WBA世界スーパーフライ級暫定王者ラファエル・コンセプションとWBA世界スーパーフライ級暫定王座決定戦を行い、3-0の判定勝ちを収めて王座獲得に成功し2階級制覇を果たす。
後のWBA世界フライ級王者エルナン・マルケスを相手に初防衛戦を行い、8回TKO勝ちを収めて初防衛に成功。
その後、王座を返上してバンタム級への階級転向を表明する。
<バンタム級時代1>
バンタム級初戦で元WBA世界バンタム級王者ウラジミール・シドレンコと対戦し、防御面で優れKO負けの経験がない元王者から3度のダウンを奪い4回TKO勝ちを収める。
そして、WBC・WBO世界バンタム級統一王者フェルナンド・モンティエルとの一戦が決定する。
2010年4月に来日し10度の防衛を果たしていたWBC世界バンタム級王者長谷川穂積に4回TKO勝ちを収め、
既に3階級制覇を果たした上に統一王者となりバンタム級最強の呼び声も高かったモンティエル。
ファンや関係者による戦前の予想はほぼ五分五分だったが…。
衝撃の2回TKO勝ちを収めて2団体の王座を獲得し統一王者となり、3階級制覇を果たす。
この勝利によりドネアは軽量級でのスターという地位を不動のものとする事となる。
バンタム級王座の初防衛戦は37戦無敗のWBO世界スーパーフライ級王者オマール・ナルバエスを相手に行い、3-0の判定勝ちを収めてWBC・WBO両王座の初防衛に成功。
その後、両王座を返上してスーパーバンタム級への階級転向を表明する。
<スーパーバンタム級時代1>
スーパーバンタム級でのテストマッチなしで元WBO世界スーパーバンタム級王者ウィルフレド・バスケスJr.とWBO世界スーパーバンタム級王座決定戦を行い、2-1の判定勝ちを収めて王座獲得に成功し4階級制覇を果たす。
初防衛戦でIBF世界スーパーバンタム級王者ジェフリー・マセブラと王座統一戦を行い、3-0の判定勝ちを収めてWBO王座の初防衛とIBF王座の獲得に成功し、バンタム級に続いて2団体統一王者となる。
スーパーバンタム級第3戦目はWBC世界スーパーバンタム級王者西岡利晃との一戦が決定する。
ジョニー・ゴンザレスやラファエル・マルケス等のビッグネームを下してWBC王座を7度の防衛を果たし、
スーパーバンタム級最強とも言われていた西岡もドネアとの一戦を待ち続けていた。
歴史的な一戦と言われた試合は2012年10月13日に試合が決定し、この試合前に西岡は正規王者ではなく名誉王者となりWBC王座が懸けられない状態となったので、WBCのホセ・スライマン会長が「この試合の勝者には“WBCダイヤモンド王座”を贈与する」と発表する。
加えて試合前日の計量時にドネアが保持していたIBF王座を返上する事を決めたため、
試合はWBC世界スーパーバンタム級ダイヤモンド王座決定戦を兼ねたWBO世界スーパーバンタム級タイトルマッチとして行われる事となった。
そして試合では序盤からディフェンシブな西岡をドネアが手数で圧倒し、6回と9回にダウンを奪った上で9回TKO勝ちを収めてWBO王座の2度目の防衛とWBCダイヤモンド王座の獲得に成功し、スーパーバンタム級最強を証明した。
西岡戦から僅か2ヶ月弱の間隔でメキシコ人初の5階級制覇を果たしたホルヘ・アルセを相手に3度目の防衛戦を行い、アルセに殆ど何もさせず3回に2度のダウンを奪い3回KO勝ちを収める圧勝で3度目の防衛に成功。
スーパーバンタム級第5戦目はアマチュア最強との呼び声も高く、プロ7戦目で世界王者となったWBA世界スーパーバンタム級王者ギレルモ・リゴンドーと王座統一戦を行う。
試合では序盤から有効打とスピードで劣勢に立たされ、10回にダウンを奪ったものの0-3の判定負けを喫して、WBA王座の獲得とWBO王座の4度目の防衛に失敗し王座から陥落した。
この敗戦により、3戦目から続いた連勝も30でストップした。その後、フェザー級への階級転向を表明する。
<フェザー級時代>
約7ヶ月ぶりの再起戦として約6年前に対戦したビック・ダルチニャンとノンタイトル戦で再戦。
自身を徹底的に研究してきたダルチニャンに対して動きも良くなく思わぬ苦戦を強いられたが、
9回に左フックでダウンを奪い立ち上がってきた相手に連打を浴びせ9回TKO勝ちで再起に成功した。
その次戦で日本の長谷川穂積との対戦経験があり、名王者クリス・ジョンから王座を奪取したWBAフェザー級スーパー王者のシンピウェ・ベチェカに挑戦し、4回負傷判定にて下し5階級制覇を達成した。
しかし初防衛戦にてWBA正規王者ニコラス・ウォータースとの王座統一戦では体格差から劣勢を強いられ、キャリア初の6回KO負けを喫し、王座陥落。
この敗戦により、再びスーパーバンタム級への転向を表明した。
<スーパーバンタム級時代2>
約6ヶ月ぶりの再起戦として、ウィリアム・プラドとNABF北米同級王座を争い、2回TKO勝ちで再起に成功した。
その後1試合をはさみ、WBO同級王座決定戦として同級1位のセサール・フアレスと対戦。下馬評では圧倒的優位であったが、思わぬ苦戦を強いられる形となりながらも3-0の判定勝ちを収め、2度目の同級王座獲得に成功した。
初防衛戦は同級4位のゾルト・ベタクとの対戦となり、3回TKO勝ちを収め初防衛に成功。
しかし2度目の防衛戦で同級1位で無敗挑戦者のヘスス・マクダレノに0-3の判定負けを喫し、2度目の王座防衛に失敗し、王座から陥落した。この敗戦後は契約していたトップランクから見限られる形で離脱、フェザー級への転向・再起を表明した。またアル・ヘイモンと関係が深いリチャード・シェイファー率いるリングスター・スポーツと契約。
<フェザー級時代2>
約10ヶ月ぶりの再起戦として、ルーベン・ガルシア・エルナンデスとWBC同級シルバー王座を争い、3-0で判定勝ちした。しかし再起二戦目で元二階級王者のカール・フランプトンとWBO同級暫定王座を争ったものの、0-3の大差判定負けを喫した。
<バンタム級時代2>
2階級落として再起することを表明し、同時にWBSSのバンタム級トーナメントに参戦を発表。1回戦でWBA世界バンタム級スーパー王者のライアン・バーネットと対戦。圧倒的不利が予想されたが、バーネットの負傷もあり4回終了TKOで勝利し、同級王座を獲得。2回戦では対戦予定だったゾラニ・テテの負傷により、急遽ステファン・ヤングとの対戦になったが、地力の違いを見せつけ6回KOで初防衛に成功した。決勝で井上尚弥と対戦し激闘の末に0-3の判定負けを喫したが、終わったと言われながらもこの試合で再度名声を高めることになる。その後、再起戦としてWBCバンタム級王者ノルディ・ウーバーリとの試合が組まれたがもろもろの事情で1年半近く延期となったものの無事開催。初回こそ相手のリードに手古摺ったが、最終的には強打で圧倒、4回KOで勝利し同級王座を10年ぶりに獲得した。
獲得タイトル(メジャー団体のみ)
- 第17代IBF世界フライ級王座(防衛3=返上)
- WBA世界スーパーフライ級暫定王座(防衛1=返上)
- 第28代WBC世界バンタム級王座(防衛1=返上)
- 第16代WBO世界バンタム級王座(防衛1=返上)
- WBA世界バンタム級スーパー王座(防衛1)
- 第32代WBC世界バンタム級王座(防衛0)
- 第17代WBO世界スーパーバンタム級王座(防衛3)
- 第18代IBF世界スーパーバンタム級王座(防衛0=返上)
- WBA世界フェザー級スーパー王座(防衛0)
- 第19代WBO世界スーパーバンタム級王座(防衛1)
- WBC世界スーパーバンタム級ダイヤモンド王座
- WBC世界フェザー級シルバー王座
関連動画
関連項目
脚注
- *5階級制覇を果たしているが適性階級はSバンタムがギリギリであり、圧倒的な強さを見せていたのは主にフライ~バンタム級で戦っていた時である。特にフェザー級は獲得した時の相手が穴王者のベチェカであり、ウォータースやフランプトンといった実力派ボクサー相手には体格差を覆せなかったことから、完全に適性階級をオーバーしていたとみてよい。その後はバンタム級に出戻りしており、井上に判定で敗れた試合以外はすべてKO勝ちと好調な戦績を維持している。
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