誰かが何かを
閉じかけたドアの隙間を
ようやくすり抜けて
けれど得てしてそんな存在が
脚光を浴びたりするほんの些細なきっかけから
昨日まで主役だった者と
陽の光を浴びずにいた者の
立場が入れ替わることもあるここではいつも何かが起こる
いや誰かが何かを起こすのか
ノーリーズンとは、1999年生まれの日本の競走馬である。鹿毛の牡馬。栗東・池江厩舎所属。
「人気薄で皐月賞レコード勝ち」というレースと、同年の「菊花賞でのある事件」という2つの伝説によって印象的な名馬である。
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については 「ノーリーズン(ウマ娘)」を参照して下さい。 |
あっと!!ノーリーズンの概要おおおおおおお!!!!
父ブライアンズタイム 母アンブロジン 母の父ミスタープロスペクター
半姉に「スティルインラブ以上の逸材」と言われ、2戦目でダイタクリーヴァに完勝しながら、故障により2戦2勝でターフを去ったロスマリヌス(父サンデーサイレンス)が、半弟にシンザン記念(GIII)勝ちのグレイトジャーニー(父サンデーサイレンス)がいる。
あっと!!ノーリーズンのデビュー前えええええええ!!!!
1999年6月4日、ノースヒルズマネジメントで生まれた。6月生まれという、いわゆる「遅生まれ」の馬である。
※一般的に繁殖牝馬の出産シーズンは1月から6月頃とされており、さらにほとんどの競争馬は4月以前に出産することが多い。遅ければ遅いほど同世代と比べて成長が遅れることになり、6月生まれともなれば人間でいうところの「早生まれ」みたいなもので、体力的にはかなりの不利となる。当馬はこの後に皐月賞を勝利することになるのだが、6月生まれの皐月賞馬は1993年のナリタタイシン(6月10日生まれ)と、2002年のノーリーズンの2頭のみとなっている。
また、若いころは骨瘤に悩まされていたこともあって体が弱く、調教を休むことも多かったという。
その後、池江泰郎厩舎への入厩が決まる。競走名である「ノーリーズン」という馬名を発案したのは馬主の秘書で、「強いのに理由はいらない」という発想からの命名だという。
あっと!!ノーリーズンのクラシック直前んんんんんんん!!!!
6月生まれの不安も何のその、2002年1月の新馬戦から武豊騎手が手綱を取り、見事にデビューから2連勝を飾る。
そして陣営は、皐月賞トライアルの若葉ステークスに挑む。ノーリーズンにとって、皐月賞に出走するためには、このレースで2着以内に入ることが至上命題であった。しかしここで、武が怪我により騎乗できなくなるというアクシデントが発生する。代わりに福永祐一が手綱を取るも、レース中に他馬と接触したことも影響したのか7着に敗れてしまう。
皐月賞の優先出走権または本賞金上位で出走が確実な馬はすでに16頭が決定しており、残りは2枠。皐月賞出走のボーダーラインである「本賞金800万円の2勝馬」は彼自身を含めて7頭が登録しており、彼の運命は抽選に託されることになった。
ちなみに、この時点で鞍上を託すべき騎手も確定していないという問題もあった。皐月賞への出走すら確定していない中途半端な状態だったため、有名な騎手に声をかけにくく、また歴代の騎手では武は依然として負傷療養中、福永もゼンノカルナックへの騎乗が決まっていた。
そこで白羽の矢が立ったのは、英国に本拠地を置き、JRAの短期免許を取得して来日中のブレット・ドイル騎手だった。ドイルは2月20日から4月19日までの免許を認められて、今回が初来日。ただ当時の評価が高かったとは言えず、皐月賞までの89戦中、1番人気の馬に騎乗したのはたった1回(1着)、2番人気の馬も5回だけという状態だった(ただし、89戦7勝、2着7回という結果を残しているのは十分すごいと言える。)
ドイル騎手は、池江調教師からの騎乗依頼を受け承諾。当時は皐月賞への出走未確定であったが、ドイル側からしてみれば初めての短期免許での日本遠征の最後に、「クラシック三冠」の一角に騎乗するチャンスが舞い込むのならば、それを見逃す手はなかった。
そして鞍上も決まったノーリーズンに運命の女神は微笑み、2/7の抽選を突破して皐月賞(GI)出走が決定した。
あっと!!ノーリーズンのレコード勝ちいいいいいいい!!!!
皐月賞(GI)への出走が決定したノーリーズン。ただ、この年の皐月賞は有力馬がひしめく大混戦の予想となっていた。
- 当時の1番人気に推されたのは、重賞3連勝中でスプリングステークス(GII)も勝利したタニノギムレット。
- 続く2番人気は京成杯(G3)を勝利し報知杯弥生賞(G2)でも2着となったローマンエンパイア。
- 3番人気は、デビューから3連勝中で、姉にエアグルーヴがいる超良血モノポライザー。
- 4番人気は、朝日杯フューチュリティステークス(GI)を勝利した2歳チャンピオンのアドマイヤドン。
- 5番人気は、デビュー以降5連続で連対(2着以内)となり重賞を2使っているチアズシュタルク。
そして肝心のノーリーズンは、2連勝はしていたものの前走の若葉ステークスで惨敗したことで評価が落ち、15番人気で単勝倍率は115.9倍にとどまっていた。
そしてレースが始まる。メジロマイヤーが先行し、後続馬もぴったりと後をつけ、先頭の1000m通過が59秒2というハイペースでレースが進んでいく。そんな中、ノーリーズンは1枠2番という枠順を生かして道中は順調にインコースを進む。中団でもひるまず、テン乗りのドイル騎手の好騎乗により4コーナーで外に出して直線で馬場の中央に持ち出すと、爆発的な末脚を繰り出す。
ノーリーズンが先頭!?ノーリーズンが今先頭か!?
外を通りまして タニノギムレット突っ込んでくる!しかし!先頭は!なんと!
なんとノーリーズン!!『理由なき反抗』とは言わないでくれ、ノーリーズン!
末脚一気で、まさかの先頭でゴールイン。15番人気という評価を覆し皐月賞を勝利する。勝ち時計は『1:58:5』。それはナリタブライアンが「皐月賞史上初めて2分の壁を破った」という「1:59:0」のレコードを0秒5更新する、驚愕の皐月賞レコードだった。(なお、このレコード記録は2013年ロゴタイプに更新される。)
また、単勝配当は1万1590円。「GI優勝馬の単勝オッズ 歴代高配当ランキング」(2024年5月時点)で7位に入る高配当であり、皐月賞では歴代1位を記録。また、2位に入着したタイガーカフェも8番人気であり、ノーリーズンとタイガーカフェの馬連は5万3090円という高配当となった。1番人気のタニノギムレットだったが、こちらはタイガーカフェとの接戦の末に3着に終わった。
※
塩原アナの実況に出てきた『理由なき反抗』とは、1955年に公開されたアメリカ映画で、主演ジェームス・ディーンの代表作。塩原アナの趣味は映画鑑賞で、このレースでも大穴の馬がゴールした瞬間に馬名から連想された映画タイトルを引用するという、塩原アナの瞬発的なアドリブ能力が冴え渡った名実況のひとつである。
余談であるが、塩原アナがインタビューなどで「実況した中で印象的なレースは?」と聞かれた際に毎回答えるのがこの2002年皐月賞である。その理由はなんと塩原アナこの大穴のノーリーズンの単勝万馬券を購入していたとのことで、上記の見事に決まった実況と相まって印象に残っているとのこと。
その後、ドイル騎手の短期免許を更新させて日本ダービーへの騎乗を目指すも、ドイル騎手が私的なトラブルで帰国。突然騎手を失ってしまったノーリーズン陣営は、前年に133勝を挙げて最多勝利、最多賞金の二冠騎手となった蛯名正義騎手に白羽の矢を立てた。
日本ダービー(GI)ではタニノギムレットに続く2番人気となるも、8着と惨敗。そして、レース後に軽い骨折が判明し休養する。
休養を経て、秋のシーズンに向けてノーリーズンは動きだす。初戦から2連勝を導いてくれた、武豊が騎乗に復帰する。休養後の秋初戦となる神戸新聞杯(GII)にてシンボリクリスエスの2着に入り上々の復活を見せ、菊花賞(GI)に臨んだ。
あっと!!ノーリーズン落馬あああああああ!!!!
そして本番となる菊花賞(GI)。ライバルになると見られたダービー馬のタニノギムレットは故障により休養(のちにそのまま引退)、シンボリクリスエスは天皇賞(秋)へと向かったことにより、ノーリーズンは本命に押される。最終的なオッズは2.5倍の1番人気だった。
・・・で、事件が起こる。
3歳クラシック最終戦。
蕭条(しょうじょう)と降り続く秋霖(しゅうりん)に、馬体を濡らして18頭いざスタート!!あぁーっと!?
落ちた落ちた!!
ノーリーズン落馬!!
ノーリーズン落馬!!
スタート直後!あっという間に武豊!
ノーリーズンが消えました!!
ノーリーズン落馬です!!
場内もどよめいています!
なんと、つまずいて武豊を落としてしまう。この瞬間、菊花賞の馬券全体の48.75%にあたるノーリーズン絡みの110億円(売り上げの半分)の馬券が一瞬のうちに紙くずと化したのである。
1番人気の馬が、スタート直後に落馬するという大事件。実況が「落馬」を伝えた瞬間の会場のどよめきは、是非とも動画を見て確認してほしい。
ちなみにこのレースの結末は、1着に10番人気ヒシミラクル、2着に16番人気ファストタテヤマという、スタートの衝撃にも引けを取らない波乱の結果となった。馬連はなんと9万6070円となり、ノーリーズンが自身の勝利で決めた皐月賞での馬連配当(5万3090円)を超える数字を、ノーリーズン自身がお膳立てする結末となった。
この事件により、ノーリーズンは競馬ファンの脳裏に焼きつき、今でも人々の記憶に残り続けているのであった…。
その後のノーリーズンは重賞の4~5着がせいぜいであり、浅屈腱炎も発症して長期の休養を強いられるなど苦戦。そして、2004年の朝日チャレンジカップ11着の後に屈腱炎が再発し、引退となった。
あっと!!ノーリーズンのその後おおおおお!!!!
種牡馬としては、全日本2歳優駿を3着となったキスミープリンスなどを輩出するもあまり結果は出せず、2010年に引退。その後、福島県南相馬市の松浦ライディングセンターで、乗馬および功労馬、そして同地の名物である相馬野馬追の騎馬隊として余生を送っていた。
赤字の部分でいやな予感がした諸氏も多いかもしれないが、2011年に東日本大震災が発生。同センターも被災し、ノーリーズンはじめ所属馬が一時消息不明となった。
その後無事は確認されたものの、福島第一原発事故が発生。同センターは福島第一原子力発電所から30kmほどの位置にあり自主避難対象区域となったことで、宇都宮大学に避難した。
その後南相馬市の別の施設に繋養されており、引き続き相馬野馬追に参加していた。2017年にはソフト競馬にも出走。2022年には、3年ぶりに相馬野馬追に姿を見せている。
あっと!!ノーリーズンの血統表おおおおおおお!!!!
*ブライアンズタイム Brian's Time 1985 黒鹿毛 |
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Ranavaio | Nashua | ||
Rarelea | |||
Kelley's Day 1977 鹿毛 |
Graustark | Ribot | |
Flower Bowl | |||
Golden Trail | Hasty Road | ||
Sunny Vale | |||
*アンブロジン Ambrosine 1988 鹿毛 FNo.A4 |
Mr. Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
*バラダ 1982 栗毛 |
Damascus | Sword Dancer | |
Kerala | |||
Courtly Dee | Never Bend | ||
Tulle | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nashua 4×4(12.50%)、Nasrullah 5×5×5(9.38%)
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