誰かが何かを
閉じかけたドアの隙間を
ようやくすり抜けて
けれど得てしてそんな存在が
脚光を浴びたりするほんの些細なきっかけから
昨日まで主役だった者と
陽の光を浴びずにいた者の
立場が入れ替わることもあるここではいつも何かが起こる
いや誰かが何かを起こすのか
ノーリーズンとは、栗東・池江厩舎に所属していた元競走馬である。
あっと!!ノーリーズンの概要おおおおおおお!!!!
父ブライアンズタイム 母アンブロジン 母の父ミスタープロスペクター
半姉に「スティルインラブ以上の逸材」と言われ、2戦目でダイタクリーヴァに完勝しながら、故障により2戦2勝でターフを去ったロスマリヌス(父サンデーサイレンス)が、半弟にシンザン記念(GIII)勝ちのグレイトジャーニー(父サンデーサイレンス)がいる。
デビューから2連勝を飾ったが皐月賞トライアルの若葉ステークスで7着に敗れる。
だが、2/7の抽選を突破し運良く皐月賞に出走、そして15番人気という評価を覆し皐月賞を優勝する。
しかもそれはナリタブライアンが記録した「皐月賞史上初めて2分の壁を破った」1:59:0のレコードを0秒5更新する1:58:5という驚愕の皐月賞レコードでの優勝だった。なお、このレコード記録は2013年ロゴタイプに更新される。
その後ダービーでの敗戦、軽い骨折からの休養などを経て、秋のシーズンに向けてノーリーズンは動いていった。
そして休養後の秋初戦となる神戸新聞杯(GII)にてシンボリクリスエスの2着に入り上々の復活を見せ、菊花賞に臨んだ。
あっと!!ノーリーズン落馬あああああああ!!!!
そして本番、菊花賞でライバルになると見られたダービー馬のタニノギムレットは故障、シンボリクリスエスは天皇賞(秋)へと向かったことにより本命に押される。
最終的なオッズは2.5倍の1番人気だった。
そしてついに迎えたスタートでなんとつまずいて武豊を落としてしまう。
この瞬間ノーリーズン絡みの110億円(売り上げの半分)の馬券が一瞬のうちに紙くずと化した。
このことによりノーリーズンは競馬ファンの脳裏に焼きつき、今でも人々の記憶に残り続けているのであった…。
…ちなみにその後のノーリーズンは重賞の4~5着がせいぜいであり、記憶・記録共に残る戦績はない。
あっと!!ノーリーズンのその後おおおおお!!!!
種牡馬としてもあまり結果は出せず、2010年に引退。その後、福島県南相馬市の松浦ライディングセンターで、乗馬および功労馬、そして同地の名物である相馬野馬追の騎馬隊として余生を送っていた。
赤字の部分でいやな予感がした諸氏も多いかもしれないが、2011年に東日本大震災が発生。同センターも被災し、ノーリーズンはじめ所属馬が一時消息不明となった。
その後無事は確認されたものの、福島第一原発事故が発生。同センターは福島第一原子力発電所から30kmほどの位置にあり自主避難対象区域となったことで、宇都宮大学に避難した。
現在は南相馬市の別の施設に繋養されており、引き続き相馬野馬追に参加している。2017年にはソフト競馬にも出走。2022年現在も存命であり、3年ぶりに相馬野馬追に姿を見せることになっている。
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