ハイジャック(hijack)とは、乗り物(特に航空機)を不当に占拠して乗っ取る行為の事である。
概要
ハイジャックという言葉自体は、実は航空機に限らずあらゆる乗り物の乗っ取りを指す単語である。だが「ハイ」が「高い」の意味で捉えられたのと、「jacker」が強盗犯を意味することから、航空機へのハイジャックを一般にハイジャックと呼び、乗っ取られたのがバスならバスジャック等と呼ばれる。
ハイジャックの目的は様々であるが、航空機という特殊な空間ということもあり、亡命目的のもの、身代金目当てのもの、政治的なもの、テロ……といったものが挙げられる。
ハイジャックの歴史と対策
ハイジャック対策の一番の対応は空港での持ち物調査である。銃刀類は勿論のこと、火薬燃料の可能性がある液体などもチェックされる。またテロ対策のブラックリストが存在し、テロリストや不法入国を防止している。また「航空保安官」という警察官・警備員が私服で航空機に搭乗していることもあるが、その組織の規模などは安全の観点から非公表とされている。
かつての操縦室のドアは簡単に開くことが出来た。だが9.11アメリカ同時多発テロ以降はロックが強化され、パスワードを入力した上で、操縦室入口のカメラの映像を操縦士が確認し、問題なければ開錠のボタンを押すという形に変更されている。仮に操縦士が意識を失っていたとしても、パスワードがあっていればしばらくの時間の後に開錠される。逆にテロリストなどが入ってくる可能性があれば、パスワードがあっていても別のボタンを押すことで鍵を開けないことも可能である。一応航空機には斧が常備されており、万が一の場合はこれでドアを破壊することも想定されているが、9.11以降はドアが強化され、斧では破壊できないこともあるらしい。
ハイジャックの枠には入らないが、ジャーマンウイングス9525便墜落事故(メーデー民的にはルビッツの回といえば分かるだろう)のように、機長がトイレに行ったところを副操縦士がドアをロックして機長を閉め出し、自殺目的で山へ激突させて乗員乗客を道ずれにした例もある。
史上初のハイジャックは1932年、ペルーで起こった。地上にいた郵便輸送機がハイジャックされ、政治的ビラを空から撒くように要求したというもので、第二次世界大戦以前は飛行機・旅客機がほとんど一般人に利用されていなかったために本件以外のハイジャックは発生していない。
やがてキューバ革命が起こると、1960年代には主にアメリカでキューバ亡命を目的とするハイジャックが発生するようになった。東側諸国から西側諸国、あるいはその逆へ亡命するケースが増えていった。
一方、中東ではイスラエルとパレスチナのゲリラ組織の対立から政治的目的によるハイジャックが横行するようになり、イスラエルに対し人質や捕虜の解放を求める行為が横行した。
1969年~1970年になるとハイジャック事件が年間80件以上も起こるようになったことから、1970年には国際民間航空機関(ICAO)が航空機犯罪に対する条約を作って防止がはかられ、先述したような事前対策も強く行われるようになり、犯人の引き渡しについても規定を設けた。1971年には日本で初めてのハイジャック事件「よど号ハイジャック事件」が発生している。
だがそれでもアメリカからキューバへの亡命目的のハイジャックはなお多発した為、両国は犯人以外の乗員乗客・機体の返還について協定を結ぶことになった。
1980年代後半になると、大韓航空機爆破事件(1987年)を始めとする爆弾テロが多発するようになった。空中での爆発は乗員乗客全員の命を奪う残忍なものであるため、ICAOは爆薬の探知を強化するようになる。
そうした対策が功を奏し、ハイジャックの発生件数は減っていった。が、2001年3月11日に「アメリカ同時多発テロ」が発生し、テロリストが自ら旅客機を操縦して、全世界がテレビ中継する中でワールド・トレード・センタービルに航空機が突入するというショッキングな事件が発生した。これまでのハイジャックは犯人自身は逃げるのが前提で、自爆テロのためにハイジャックするというのは当時の常識では想定されていなかった。このため、上述のようにドアロックの強化などの対策が取られるようになった。
その他著名なハイジャック事件
- トランス・ワールド航空85便ハイジャック事件
1969年10月31日、アメリカ西海岸を飛行中の旅客機を海兵隊員の男がハイジャック。デンバー、JFK空港を経て大西洋を横断し、最終的にはローマに着陸したところを逮捕された。飛行距離は1万メートルを超え、現在でもハイジャック事件の中では最長飛行記録である。 - 大韓航空YS-11ハイジャック事件
1969年12月11日、大韓航空の国内便がハイジャックされる。北朝鮮へ向かうよう要求され、要求通り北朝鮮で着陸。乗員乗客51人のうち11人と機体は現在に至るまで北朝鮮に残され、韓国はこの11人を拉致被害者と認定している。 - 全日空アカシア便ハイジャック事件
1970年8月19日、全日本空輸(ANA)の名古屋発千歳行の旅客機を24歳の男がハイジャック。よど号ハイジャック事件を受けて作られたハイジャック防止法に関連する初めての事件。男は自殺願望を持っており、銃撃戦になって死にたいと考えていた。自衛隊浜松基地に着陸したのち、警察が突入して逮捕。 - D.B.クーパー事件
1971年11月24日、ノースウエスト・オリエント航空の米国国内便の旅客機をダン・クーパーと名乗る男がハイジャック。カバンの中の爆弾を見せて脅迫し、現金20万ドル(2020年時点における124万ドルに相当)の身代金とパラシュートを要求した。シアトルに着陸し身代金とパラシュートを受け取ると乗客を解放。再び離陸すると、パラシュートで機体から脱出した。その後の行方は定かではなく、2016年に捜査が停止されて未解決事件となった。当時のメディアが犯人の名前を誤って「D.B.クーパー」と報じたため、そちらの方が有名になってしまった。なお翌年、クーパーの手法を真似てハイジャック・身代金要求の後パラシュートで脱出する事件が起こったが、こちらは2日後に逮捕されている。 - ドバイ日航機ハイジャック事件
1972年11月6日、日本航空(JAL)のパリ発羽田行の旅客機を日本赤軍とパレスチナ解放人民戦線の混成軍がハイジャック。カダフィ政権下のリビアへと亡命した。犯人の一人・丸岡修は各地を逃亡したのち1987年に東京で逮捕されて、無期懲役判決を受け、2011年に病死している。 - エンテベ空港ハイジャック事件
1976年6月27日、エールフランスのテルアビブ発パリ行の旅客機をパレスチナ解放人民戦線などの混成軍がハイジャック。ウガンダに着陸してユダヤ人のみを人質として残した。当時のウガンダの独裁者・アミン大統領は反イスラエルの立場から犯人を支持して105人の人質の乗った機体を空港に置き去りにした。7月3日、イスラエルの特殊部隊が救出のため電撃突入作戦を実行、イスラエル兵とウガンダ兵の銃撃戦となりテロリスト6名が死亡するが、同時に人質3名が銃撃され死亡している。 - 全日空817便ハイジャック事件
1977年3月17日、ANAの羽田発仙台行の旅客機を暴力団員の男がハイジャック。離陸直後にハイジャックされ、犯人が1発発砲したため羽田に戻り着陸すると、犯人はトイレで毒物を飲んで死亡していた。犯人の持っていたメモには身代金要求の計画などが書かれていたが、死亡したため犯行目的は特定できなかった。日本で犯人が死亡した初めてのハイジャック事件。 - ダッカ日航機ハイジャック事件
1977年9月28日、JALのパリ発羽田行の旅客機を日本赤軍がハイジャック。身代金600万ドルと、テロで捕まっていた9人の解放を日本政府に要求した。福田赳夫首相は有名な「人命は地球より重い」の発言をして犯人グループの要求を受け入れ、超法規的措置で釈放し、政府はテロリストに屈する形となってしまった(事件当時は世界各国でもそうした措置は取られていた)。また、この混乱に乗じてバングラディシュではクーデターが発生している。最終的に犯人はアルジェリアへと亡命した。 - マレーシア航空システム653便ハイジャック事件
1977年12月4日、ベナン発クアラルンプール行の旅客機を身元不明の人物がハイジャック。シンガポールへ向かわされるが、その途中でほぼ垂直に地面へと墜落し、犯人含む乗員乗客100名が死亡した。ブラックボックスには銃声が記録されており、パイロットが撃たれたものと推測されている。また、日本赤軍の関与が疑われているがこれも謎のままである。 - イラク航空156便ハイジャック事件
1986年12月25日、バグダッド発アンマン行の旅客機を手榴弾を持った所属不明の男がハイジャック。同乗していた航空保安官と犯人との間で銃撃戦になるが、手榴弾が上空15000フィートで爆発。砂漠に墜落して81名が死亡した。複数の組織が犯行声明を出したが、真相は謎。 - パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故
1987年12月7日、ロサンゼルス発サンフランシスコ行の旅客機に犯人が銃を持ち込み、元上司の男を射殺。更に客室乗務員を射殺してパイロットたちを銃撃。そのまま操縦桿を押して飛行機を急降下させた。更に乗客だった非番のパイロット1名も射殺。そのまま音速を超えるスピードで地面に直撃し、乗員乗客43名が全員死亡した。犯人はパシフィック・サウスウエスト航空の親会社であるUSエアウェイズの元社員で、解雇された腹いせに事件を起こしたと見られている。 - 全日空857便ハイジャック事件
1995年6月21日、ANAの羽田発函館行の旅客機を自称・オウム真理教信者の男がハイジャック。サリンを持っているなどと脅し、麻原彰晃の釈放を求めるなどしたがオウム側は関与を否定した。警察が強行突入して犯人を逮捕。犯人の正体は精神疾患で休職していた銀行員で、サリンと主張していた液体はただの水、プラスチック爆弾もただの粘土の塊だった。この事件の後、警察にSAT(特殊急襲部隊)が正式発足した。 - エチオピア航空961便ハイジャック事件
1996年11月23日、アジスアベバ発アビジャン行の旅客機を複数名の犯人グループがハイジャック。オーストラリアへ向かう事を要求するが、機体の燃料が少なかったため一旦ナイロビに着陸するよう機長が交渉を行うも拒絶。機体の燃料が満タンなら確かにオーストラリアまで行けるのだが、それを根拠に犯人は強硬にオーストラリアへ行けるはずだと主張する。結局コモロ諸島で燃料が尽きてしまい海に墜落。犯人含む乗員乗客125名が死亡した。犯人が何者だったのか、何故オーストラリアへ行こうとしたのか、何もかも不明である。メーデー民の間では「スペック厨」の名で有名であろう。 - 全日空61便ハイジャック事件
1999年7月23日、ANAの羽田発千歳行の旅客機を28歳の男がハイジャック。客室乗務員を包丁で脅してコクピットに侵入し副操縦士を追い出す。次々と行き先を変えていきながら、最終的に横田基地へ向かうよう機長に命令して犯人自身に機体を操縦させるよう要求する。なだめようとした機長を包丁で刺し、犯人が操縦を開始。超低空飛行で迷走を始めたことに危機感を抱いた副操縦士と非番の操縦士がコクピットに突入して犯人を取り押さえ、間一髪墜落を免れて羽田へと引き返した。だが刺された機長は死亡し、日本で初めて人質に死者が出たハイジャック事件となった。犯人は自殺未遂をしたこともある重度の精神疾患で「フライトシミュレーションゲームで訓練を積んだ」「レインボーブリッジの下を潜りたかった」などと発言、裁判の末に無期懲役となった。
- アメリカ同時多発テロ事件
2001年9月11日、アメリカン航空11便ボストン発ロサンゼルス行、ユナイテッド航空175便ボストン発ロサンゼルス行、アメリカン航空77便ワシントン発ロサンゼルス行、ユナイテッド航空93便ニューアーク発サンフランシスコ行の4機が立て続けにハイジャックされた事件。犯人たちは飛行訓練を積んでおり、自ら旅客機を操縦してテロを起こした。アメリカン航空11便はワールド・トレード・センター北棟に激突し92名が死亡。ユナイテッド航空175便は同南棟に激突し65名が死亡。アメリカン航空77便はペンタゴンに激突し64名が死亡。ユナイテッド航空93便は乗客の抵抗もあってピッツバーグ郊外に墜落し44名が死亡。加えてワールド・トレード・センタ―およびペンタゴンにいた人々も多数巻き込まれる、航空機史上最悪の大惨事となった。詳細は当該項目参照。
関連項目
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