ハビエル・アギーレ(Javier Aguirre Onaindia 1958年12月1日 -)とは、メキシコ出身の元プロサッカー選手であり、現サッカー指導者である。
選手としてのキャリア
現役時代のポジションは、ミッドフィールダー、ディフェンダーである。サッカーメキシコ代表として、1986 FIFAワールドカップメキシコ大会に出場した。
監督としてのキャリア
その後、2001年にサッカーメキシコ代表監督に就任。本大会出場の危ぶまれる状況の中、同代表を見事に建て直し、本大会ベスト16に導いた。
2002 FIFAワールドカップ終了後、スペイン・リーガ・エスパニョーラ、CAオサスナの監督に就任。弱小クラブであった同クラブを2005-2006シーズンには、リーグ4位並びに、翌シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得できるまでのクラブに強化した。
その実績を高く買われ、翌シーズンから、アトレティコ・マドリードの監督に招聘された。2008年には、UDアルメリアの監督にウーゴ・サンチェスが就任し、スペイン1部リーグで指揮を取るメキシコ人監督が二人となった。2009年に入ってからは2分3敗と1勝も出来ず解任された。
2009年、スヴェン・ゴラン・エリクソン氏の解任を受け、7年ぶりにサッカーメキシコ代表監督に再び就任した。2010 FIFAワールドカップでは、サッカーフランス代表を破って、ベスト16に導いた。
同大会後、代表監督を辞任。2010年には、レアル・サラゴサの監督に就任。2012年からはRCDエスパニョールの監督に就任した。2014年に、同クラブを退任。
2014年6月26日を持って、サッカー日本代表を退任したアルベルト・ザッケローニ氏の後任として、同年7月にサッカー日本代表監督として2018 FIFAワールドカップまでの4年契約で就任する事が決定した。
2014年12月に、2011年に指揮していたレアル・サラゴサのリーガ残留をかけたレバンテUD戦を廻る八百長疑惑で、スペイン当局から関与した疑いのあるアンデル・エレーラ、ガビらと共に告発された。更に2015年1月には、スペインメディアにより、バレンシアの裁判所が訴追を受理、2015年2月から事情聴取が始まるとの報道が流れた。
そんな中、日本代表就任後初の国際大会となったAFCアジアカップ2015では、グループステージ全試合を無失点で抑え、3連勝首位突破という良い形で進んだが、決勝トーナメント準々決勝UAEとPK戦の末、敗北。連覇は成らず、5大会ぶりのベスト8という不甲斐ない結果で終わってしまった。
そして、2015年2月3日、ついに解任。半年にも満たない任期であった。
その後はUAEのアル・ワフダFC、エジプト代表、スペインのCDレガネス等を渡り歩き、2020年からはメキシコのCFモンテレイ監督を務めている。
なお上記にある八百長疑惑の裁判は長引き、2019年12月に証拠不十分として無罪の判決が下りた。
選手としての小史
- 1978年 - 1980年 クラブ・アメリカ
- 1980年 ロサンゼルス・アズテックス
- 1980年 - 1984年 クラブ・アメリカ
- 1984年 - 1986年 CFアトランテ
- 1986年 - 1987年 CAオサスナ
- 1987年 - 1993年 チーバス・グアダラハラ
監督としての小史
- 1995年 - 1996年 CFアトランテ
- 1998年 - 2001年 CFパチューカ
- 2001年 - 2002年 サッカーメキシコ代表
- 2002年 - 2006年 CAオサスナ
- 2006年 - 2009年 アトレティコ・マドリード
- 2009年 - 2010年 サッカーメキシコ代表
- 2010年 - 2011年 レアル・サラゴサ
- 2012年 - 2014年 RCDエスパニョール
- 2014年 - 2015年 サッカー日本代表
関連リンク
関連項目
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