ハリー・ケイン(Harry Edward Kane MBE、 1993年7月28日 - )とは、イングランドのサッカー選手である。
ドイツ・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘン所属。サッカーイングランド代表。
188cm86kg。利き足は右足。ポジションはFW(CF)。
概要
イギリス・ロンドン出身。トッテナム・ホットスパーとイングランド代表の歴代最多得点記録を保持しており、世界最高のストライカーの一人とみなされている。
高いシュート技術に加え、安定したポストプレー、中盤に下がってゲームメイクにも関与するなど、ストライカーに求められる要素を高い次元で備える万能型のFWである。
ロンドンを本拠地とするトッテナムのユースチームに、2004年から所属する生え抜きの選手である。プレミアリーグデビューは2012年。初得点は2014年のサンダーランド戦で、以来トップチームに定着する。
その後はトッテナムの絶対的なエースとして長く活躍。
2015ー16、2016ー17シーズンには2シーズン連続でプレミアリーグの得点王を獲得。2020-2021ジーズンには3度目の得点王と共にアシスト王をダブルで獲得。個人タイトルは多く獲得しているものの、クラブでのタイトルを獲得したことはない。
悲願のタイトル獲得のために2023年夏、愛するスパーズを退団し、ドイツの絶対王者であるバイエルン・ミュンヘンへ移籍。
移籍1年目ながらも36ゴールを決め、得点王に輝くが、なんとチームはまさかの無冠に終わる。
イングランド代表には2015年に初選出され、2018年からは主将に選ばれている。
2018 FIFAワールドカップ ロシア大会では大会得点王に輝き、大英帝国勲章を受賞。
スリーライオンズの不動のエースストライカーとして君臨し、EURO2021とEURO2024では2大会連続準優勝とタイトルまであと一歩のところまで到達している。
個人レベルでこれだけの実績を残しながらもクラブ、代表でのタイトルを獲得歴はない。
あまりの無冠の帝王ぶりから、「ケインの呪い」と呼ばれている。
ニックネームは爆発的な得点力からその名前にかけて「ハリケーン」。
経歴
両親がアイルランド出身ということもあり、アイルランドの生活様式の家庭で育ち、アイルランド代表としてプレーする可能性もあった。母方の祖父もフットボーラーであり、彼の才能は祖父のDNAを受け継いでのものだと言われている。
地元のクラブ、リッジウェイローバーズFCに入団しサッカーを始める。トッテナムの本拠地「ホワイト・ハート・レーン」からわずか5マイルの位置に住んでいたこともあって幼少の頃からスパーズのファンだったが、7歳のときにスカウトを受けてスパーズの宿敵であるアーセナルFCのユースチームに入団する。しかし、わずか1年で放出され、その後はトライアウトを経てワトフォードFCへ移籍。このワトフォード時代にトッテナムと対戦。このときのプレーがスパーズの関係者の目にとまり、憧れのクラブでプレーする道を開けることになった。
トッテナム
11歳となった2004年から憧れのクラブであるトッテナム・ホットスパーのユースチームへ入団する。入団当初は体はさほど大きくなく、ポジションも攻撃的MFだった。特に目立った印象のない選手だったが、努力を重ねて実力をつけるようになり、入団から数年が経過した頃には体も大きくなり、体格面でもプレー面でも急成長を遂げるようになる。
下部組織で5年間プレーした後、2009-2010シーズンには出場機会こそなかったもののトッテナムのトップチームに帯同し、カップ戦でベンチ入りを経験している。2011年1月7日にはEFLリーグ1(3部)のレイトン・オリエントFCに期限付きで移籍。プロとして初めて公式戦のピッチに立ち、18試合で5得点という記録を残している。
2011-2012シーズンにトッテナムへ戻り、2011年8月25日UEFAヨーロッパリーグ・プレーオフ第2節でトップチームでのデビューを果たす。さらにグループリーグ第6節のシャムロック・ローヴァーズ戦で初ゴールも奪っている。しかし、ELのグループステージで敗退したことに加え、クラブからの評価は低く、プレミアリーグのピッチに立つことはできずにいた。
2012年1月1日、チームメイトのライアン・メイソンと共にEFLチャンピオンシップ(2部)のミルウォールFCへレンタル移籍する。18歳だったケインは、降格の危機に直面していたミルウォールの救世主的な存在となり、シーズン後半戦のみの加入ながら9ゴールを決め、チャンピオンシップ残留に貢献。シーズン後、サポーターが選ぶ最優秀若手選手賞に選出される。
2012-2013シーズンもトッテナムに戻り、シーズン開幕戦のニューカッスル戦で試合終盤に出場し、プレミアリーグでのデビューを飾る。しかし、すぐにプレミアリーグのノリッジ・シティFCへレンタルに出される。だが、リーグ戦では3試合のみの出場にとどまり、1月にレンタルを打ち切られてしまう。2月に今度はチャンピオンシップのレスター・シティFCへレンタル移籍するが、ここでも結果を残すことはできなかった。
2013-2014シーズンはレンタルで出されずトッテナムに残ることになるが、レンタル先が見つからなかったというネガティブな理由だった。トップチームでの出場機会はほとんど与えられず、リザーブチームでプレーする期間が長いシーズンとなっていた。しかし、転機がやってくる。2014年4月のサンダーランド戦でプレミアリーグ初スタメンを飾ると、この試合で初得点を記録。さらにそこから3試合連続ゴールを決め、ようやく下積み時代を終えトップチームに定着するようになる。
2014-2015シーズンは、長くチームの顔だったジャーメン・デフォーが付けていた背番号「18」を譲り受ける。このシーズンから監督に就任したマウリシオ・ポチェッティーノから才能を買われ、不振のロベルト・ソルダードからポジションを奪う形でスタメンに定着。すると、コンスタントに得点を重ねるようになり、ポチェッティーノの指導もあってポストプレイヤーとしての才能も開花。チームの前線の核として欠かせない存在とのし上がっていく。2015年1月、2月には史上4人目となる2か月連続での月間年間最優秀選手賞に選ばれる。勢いの止まらないケインは、最優秀的に得点ランキング2位となる21ゴールを記録し、前年まで下積みを繰り返していた男がプレミアリーグのトッププレイヤーの仲間入りになるほど大ブレイクしたシーズンとなった。
2015-2016シーズンからは背番号を「10」に変更し、名実ともにトッテナムのエースとしての期待を背負うことになる。シーズン序盤は2015年9月26日のマンチェスター・シティ戦で初ゴールが生まれるなど、スロースタートとなるが、11月のボーンマス戦でハットトリックを達成するなど、蓋を空けてみると前年を上回るハイペースでゴールを量産。3月にはリーグ戦4試合で5ゴールという荒稼ぎを見せ、4月22日のリヴァプール戦ではクラブの1シーズン最多得点記録を塗り替える。この年、ビッグクラブが軒並み調子を落とし、リーグ優勝を狙える大きなチャンスを得るが、最後に伏兵レスター・シティに振り切られ、優勝を逃す。それでも最終的には前年を上回る25ゴールを挙げ、初のプレミアリーグ得点王に輝く。
2016-2017シーズンは、開幕から5試合を怪我で欠場するが、復帰後はしり上がりに調子を上げていき、クラブとの契約を2022年まで延長。2017年に入ってからはさらに調子を上げ、2月には公式戦9試合で3回のハットトリックを達成している。3月5日のエヴァートン戦では強烈なミドルシュートを決め、このときのゴールセレブレーションが話題となった。この試合で2ゴールを決めたことで得点ランクのトップに立つ。その後怪我で1カ月間戦列を離れ、その間にチームは失速し、チェルシーとの優勝争いで後れを取るようになる。復帰初戦となったバーンリー戦でゴールを決め、3シーズン連続での20ゴール以上を達成。5月14日には本拠地ホワイトハート・レーンの最後の試合となったマンチェスター・ユナイテッド戦でアウトサイドキックでのゴラッソによる決勝ゴールを決めている。5月18日のプレミアリーグ第34節レスター戦では自身キャリア初となる1試合4ゴールを奪い、さらに5月21日の最終節ハル・シティ戦でもシーズン5度目となるハットトリックを決める。この終盤での驚異的なゴールラッシュによってシーズン通算ゴールはキャリアハイの29ゴールとなり、2年連続でのプレミアリーグ得点王に輝く。さらにファンが選ぶプレミアリーグMVP、PFA年間ベストイレブンにも選出された。
2017-2018シーズンも開幕から3試合ノーゴールと例年通りスロースタートとなったが、プレミアリーグ第4節のエヴァートン戦で2ゴールを決め、トッテナムでの通算100ゴールを達成。9月26日のUEFAチャンピオンズリーグ グループステージ第2節APOEL戦では、CLでは初となるハットトリックを記録。プレミアリーグでも例年通りのゴールラッシュを見せるようになり、12月には1カ月で8ゴールを決めており、2018年1月14日のエヴァートン戦での2ゴールによって、テディ・シェリンガムの記録を抜き、プレミア創設以降でのトッテナムでの最多得点記録保持者となる。CLでは7試合7ゴールという記録を残していたが、ラウンド16でユヴェントスに逆転負けを許している。最終節のレスター戦での2ゴールにより自身初となるリーグ戦30ゴールの大台に到達するが、モハメド・サラーが32ゴールを記録したため、3年連続での得点王は逃した。
2018-2019シーズンでは、第2節のフラム戦でシーズン初ゴールを決め、これがキャリア初の8月でのゴールとなり、一部で言われていた「8月の呪い」に終止符を打つ。シーズン前半戦終了時までは14ゴールを決め、得点ランキングのトップに立っていたが、2019年1月13日のマンチェスター・ユナイテッド戦で負傷し、2カ月間の戦線離脱を余儀なくされる。3月に復帰したものの、4月9日のCL準々決勝1st legマンチェスター・シティ戦の後半10分に足首を負傷し、またも戦線を離脱。結局残りのプレミアリーグの試合を全て欠場することになり、リーグ戦5年連続20ゴールの記録が途絶える。自身が離脱している間にチームはCL決勝まで勝ち進み、リヴァプールとの決勝で復帰したものの、コンディションが万全ではないため不発に終わり、優勝を逃している。
2019-2020シーズン開幕戦のアストン・ヴィラ戦で2ゴールを決め、順調なスタートを切るが、チームは不振に陥っていき、11月には長年信頼関係を築いたポチェッティーノ監督が解任される。新監督として就任したジョゼ・モウリーニョからも絶対的なエースとして信頼される。ところが、2020年1月1日のプレミアリーグ第21節サウサンプトン戦でハムストリング断裂の大怪我を負い、復帰まで半年近くかかると診断される。シーズン残り試合はおろか6月のEURO2020出場まで危ぶまれるが、新型コロナウィルスの影響でリーグは中断となり、EUROは1年延期となる。リーグが再開された6月19日のマンチェスター・ユナイテッド戦で復帰。第36節のニューカッスル戦では2ゴールを決め、クラブでの通算200ゴールを達成する。EL出場権をかけた第37節のレスターとの大一番では2ゴールを挙げて勝利に貢献。苦しみながら6位でシーズンを終えたチームをEL出場へと導く。
2020-2021シーズン、プレミアリーグ第2節サウサンプトン戦では1試合4アシストを記録。シーズン序盤はソン・フンミンとのコンビがこれまで以上にハマり、2人で多くのゴールを生み出し、チームを優勝戦線へと押し上げていく。まさに前半戦はリーグの主役となっていたが、過密日程の影響もあって年末から年明けにかけてチームは大きく失速。2021年には選手との間に軋轢が生まれていたモウリーニョ監督が解任となる。それでも、ソンとのコンビはクラブの不調とは関係なしに破壊力を見せ、プレミアリーグ最強デュオと称されるようになっていた。最終的に35試合に出場し、21ゴール14アシストという恐るべき数字を残し、4シーズンぶり3度目のプレミアリーグ得点王と自身初のアシスト王の両タイトルをW受賞。そして、シーズン終了後、これまでクラブでのタイトル獲得が無いことから、トッテナムに対して移籍を志願したと報じられ、その去就に注目が集まるようになる。
マンチェスター・シティへの移籍話が浮上するも、シティ側の提示した金額にトッテナムのダニエル・レヴィ会長が納得しなかったため交渉が暗礁に乗り上げ、ケインもチームの練習参加を拒否する強硬手段に出たものの、2021年8月25日に自ら残留を宣言し、2021-2022シーズンもトッテナムでプレーすることになる。しかし、プレミアリーグ7試合を終えた時点で0ゴールと深刻な不調に陥り、移籍が破談になった影響が取り沙汰される。10月17日のプレミアリーグ第8節ニューカッスル戦で待望のシーズン初ゴールが生まれる。2022年に入ってからは徐々に調子を取り戻し、ソンとのコンビでゴールを脅かす場面も増えてくる。3月7日第28節エヴァートン戦で2ゴールを決め、8シーズン連続での二桁ゴールに到達。5月22日のアーセナルとのダービーマッチでは2ゴールの活躍で勝利をもたらし、チームのCL出場権獲得に貢献。
2022-23シーズンは2022年8月14日のプレミアリーグ第2節チェルシー戦で試合終了間際に決めたシーズン初ゴールがチームを敗戦から救う値千金の同点ゴールとなる。シーズン序盤は相棒のソン・フンミンが不調だったものの、プレミアリーグでは第6節から第11節まで5試合連続ゴールを記録。10月23日の第13節ニューカッスル戦でゴールを決め、早くも二桁ゴールに到達する。2023年2月6日のプレミアリーグ第22節マンチェスター・シティ戦ではプレミアリーグ通算200ゴールの大台に乗る。シーズン終盤戦には5試合連続ゴールの荒稼ぎを見せ、5月6日の第35節クリスタル・パレス戦ではリーグ通算209ゴールとなり、ウェイン・ルーニーを抜いてプレミアリーグ歴代2位に躍り出る。最終節のリーズ・ユナイテッド戦でも2ゴールを決め、自身のキャリアハイに並ぶシーズン30ゴールに到達。しかし、この年36ゴールを稼いだアーリング・ハーランドがいたため得点王のタイトルは取れず、さらに孤軍奮闘したもののチームの成績は8位と振るわなかった。
シーズン終了後、残り1年となったトッテナムとの契約延長を拒否したことから、再び夏の移籍話が浮上することとなる。
バイエルン
2023年8月12日、ドイツ・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンへの移籍が発表される。2027年までの4年契約で背番号は「9」。バイエルンは3度オファーを出しながらもトッテナム側に拒否されていたが、移籍金159億円を超えるオファーをバイエルンが提示したことで合意に達したとされている。
移籍成立した当日のDFLスーパーカップ、RBライプツィヒ戦で早速途中出場しデビューを飾ると、8月18日のブンデスリーガ開幕戦ヴェルダー・ブレーメン戦で初ゴールを決めるなど1ゴール1アシストの活躍を見せる。9月23日の第6節VfLボーフム戦では移籍後初となるハットトリックを達成し、公式戦7試合8得点というペースでゴールを量産。10月28日の第9節ダルムシュタット戦、11月4日の第10節ボルシア・ドルトムントとのデア・クラシカーでは2試合連続ハットトリックという圧巻のゴールラッシュを披露。なお、ダルムシュタット戦の2点目はセンターサークル付近から相手GKの頭上を越えた超ロングシュートだった。12月17日、第15節VfBシュトゥットガルト戦で2ゴールを決めると早くも20ゴール目に到達。出場わずか14試合での20ゴール到達はリーグ史上最速での記録となった。2024年3月9日のFSVマインツ戦ではシーズン4度目となるハットトリックを記録。4月27日のフランクフルト戦で2ゴールを決め、通算400ゴールを達成。移籍1年目から公式戦44ゴールと爆発し、ブンデスリーガの得点王を手にするが、バイエルンはよもやの無冠に終わり、ここでもタイトル獲得はならなかった。
2024-25シーズン、ブンデスリーガ第3節ホルシュタイン・キール戦でハットトリックを達成。
イングランド代表
2012年には、U-19イングランド代表の一員としてUEFA U-19欧州選手権2019に出場。グループリーグ3戦目のフランス戦でゴールを決めている。U-21イングランド代表では長く主力としてプレー。UEFA U-21欧州選手権予選では8試合6得点を記録し、本大会出場権獲得に貢献。しかし、2015年6月に開催された本大会ではノーゴールに終わり、チームもグループリーグ敗退となっている。
2015年3月トッテナムでの活躍が評価され、初めてイングランド代表に選出。3月27日のEURO2016予選リトアニア戦ではウエイン・ルーニーとの交代で出場しフル代表デビューを飾ると、デビューからわずか79秒で初ゴールを記録。このゴールはイングランド代表のデビューからの歴代最速ゴールとなり、鮮烈なデビューを飾ることになる。その後、代表に定着し、CFとしてレギュラーを獲得するようになる。
2016年に開催されたEURO2016に出場。しかし、チーム自体が低調だったこともあって結果を残すことはできず、4試合に出場しノーゴールに終わる。また、この大会では長身のCFであるケインに所属クラブですらやっていないコーナーキックのキッカーを任せたロイ・ホジソン監督の不可解な采配に批判が集まった。
ガレス・サウスゲート監督が就任したイングランド代表でもエースストライカーとして期待され、2017年6月10日のロシアワールドカップ欧州予選スコットランド戦では初めてキャプテンマークを巻いての出場となる。この試合で1点リードされ、イングランドが敗色濃厚となった後半アディショナルタイムにボレーシュートを決め、チームの危機を救っている。10月5日のワールドカップ予選スロベニア戦でも0-0で迎えた試合終了直前に劇的な決勝ゴールを決め、6大会連続15回目のワールドカップ出場をもたらしている。
2018 FIFAワールドカップ ロシア大会のメンバーに選出された2018年5月22日、24歳の若さでサウスゲート監督から正式にイングランド代表のキャプテンに任命される。大会初戦となったチュニジア戦では2ゴールを決め、華々しいワールドカップデビューを果たす。グループステージ第2節のパナマ戦では、ハットトリックの活躍によって6ゴールを奪っての大勝に貢献。2試合連続でのMOMにも選ばれる。ラウンド16のコロンビア戦では、後半11分にPKによる先制ゴールを決めている。PK戦では1人目の大役を任されながら成功させ、大会3度目のMOMに選出。その後ゴールは無かったが、大会通算6ゴールを記録し、イングランド人としては1986年大会のゲーリー・リネカー以来となる得点王に輝く。さらに、エースとして主将としてイングランドの1990年大会以来28年ぶりとなるベスト4進出の立役者となり、大英帝国勲章を与えられている。
2019年から始まったEURO2020予選では、8試合連続ゴールを含む合計12ゴールを奪う活躍を見せている。特に、2019年9月のブルガリア戦、11月のモンテネグロ戦ではハットトリックを達成。
2021年6月に開催されたEURO2020にもキャプテンとして出場。グループステージの3試合ではいずれもスタメンとして出場しながらノーゴールに終わり、グループステージを首位で通過しながら内容が乏しかったこともあって批判を受ける。しかし、ラウンド16のドイツ戦では試合を決定づける追加点を決め、2度目の出場にして大会初ゴールを記録。続く準々決勝のウクライナ戦では、2ゴールを決め、EURO96以来26年ぶりとなるベスト4進出をもたらしている。準決勝のデンマーク戦では延長戦で決勝ゴールを決め、イングランドを初の決勝進出に導く。決勝ではPK戦の末にイタリアに敗れ、準優勝に終わる。
2022 FIFAワールドカップ欧州予選では、2021年11月12日のアルバニア戦、11月15日のサンマリノ戦と最後の2試合で2試合連続ハットトリックの大活躍により、イングランドを7大会連続の本大会出場に導く。予選を通しても8試合で12ゴールとエースとしての重責を果たしている。2022年11月に開催された本大会では2大会続けてキャプテンとして出場。グループリーグではゴールは無かったが、3アシストを記録。ラウンド16のセネガル戦で大会初ゴールを挙げ、準々決勝のフランス戦ではPKを決め、代表での通算得点がウェイン・ルーニーと並び最多記録となる。しかし、その後に再び訪れたPKの場面は同点に追いつく絶好の機会だったが、枠を外してしまい、チームはベスト8敗退となる。
2023年3月23日、ワールドカップ後最初の代表戦となったEURO2024予選イタリア戦でPKを決め、代表でのゴール数が54となり、ルーニーを抜いて単独でイングランド代表の最多得点記録保持者となる。また、敵地でのイタリア戦で1961年以来の勝利をもたらしたゴールともなった。予選突破の大一番となった10月17日のホームでのイタリア戦では2ゴールを決める活躍でイングランドをEURO2024本大会出場に導いている。
2024年6月にドイツで開催されたEURO2024では、グループリーグ第2戦のデンマーク戦でPKを決め、大会初ゴールをマーク。ラウンド16のスロバキア戦では延長戦で決勝ゴールを決め、準決勝のオランダ戦では自らが得たPKを決めている。決勝までの7試合全てに出場し、3ゴールを記録し得点王の一人となったが、全体的に試合から消えていることが多く、準決勝と決勝では途中交代を告げられるなどエースとして物足りない出来のままだった。さらにまたしてもタイトルを獲得することができず、Xでは「ケインの呪い」がトレンド入りするほどだった。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2009-10 | トッテナム | プレミアリーグ | 0 | 0 | |
2010-11 | トッテナム | プレミアリーグ | 0 | 0 | |
レイトン(loan) | リーグ1 | 18 | 5 | ||
2011-12 | トッテナム | プレミアリーグ | 0 | 0 | |
ミルウォール(loan) | チャンピオンシップ | 22 | 7 | ||
2012-13 | トッテナム | プレミアリーグ | 1 | 0 | |
ノリッジ(loan) | プレミアリーグ | 3 | 0 | ||
レスター・シティ(loan) | チャンピオンシップ | 13 | 2 | ||
2013-14 | トッテナム | プレミアリーグ | 10 | 3 | |
2014-15 | トッテナム | プレミアリーグ | 34 | 21 | |
2015-16 | トッテナム | プレミアリーグ | 38 | 25 | |
2016-17 | トッテナム | プレミアリーグ | 30 | 29 | |
2017-18 | トッテナム | プレミアリーグ | 37 | 30 | |
2018-19 | トッテナム | プレミアリーグ | 28 | 17 | |
2019-20 | トッテナム | プレミアリーグ | 29 | 18 | |
2020-21 | トッテナム | プレミアリーグ | 35 | 23 | |
2021-22 | トッテナム | プレミアリーグ | 37 | 17 | |
2022-23 | トッテナム | プレミアリーグ | 38 | 30 | |
2023-24 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 32 | 36 | |
2024-25 | バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 32 |
個人タイトル
- 大英帝国勲章・メンバー(2019年)
- FIFAワールドカップ ゴールデンブーツ・得点王(2018年)
- PFA年間ベストイレブン:5回 (2015年, 2016年, 2017年, 2018年, 2021年)
- プレミアリーグ得点王:3回 (2015-16, 2016-17, 2020-21)
- プレミアリーグ・プレイメイカー(アシスト王) (2020-21)
- PFA年間最優秀若手選手賞(2014-15)
- ブンデスリーガ得点王(2023-24)
プレースタイル
一言で言うのであれば、何でもこなせるオールラウンドなFW。188cm86kgという恵まれた体格に加えてボールテクニックが高いため、「センターフォワードに求められる全ての能力を持ち合わせている」と称されている。
どんな形からもゴールに持ち込むことができるのが強みであり、長身を活かしたヘディングはもちろん、苦しい体勢からでもゴールを奪うことができ、自らドリブルで仕掛けてのゴールやボレーで合わせてのゴラッソも多い。シュートも弾丸のような強烈なシュートとコースを丁寧に狙った技ありのシュートを状況に応じて使い分けることができる。ストライカーとしては、シュートセンスとエリア内での駆け引きで勝負するクラシックなタイプであるが、中長距離からのミドルシュートも武器としているため、引き出しは多い。
ポストプレイヤーとしても世界トップレベルで、足下の巧さに加えてフィジカル能力が高いため、相手を背負った状態であっても難なくボールをキープすることができ、少々アバウトなロングボールであっても難なく収めることができるため、基準点としても重宝される。縦のスピードを活かした速攻が得意なスパーズにおいて彼のキープ力によって味方に時間とスペースを与える役割が重要となっている。
前線に張っているだけでなく、サイドに流れてボールを呼び込んでクロスを送ったり、中盤まで降りてきてゲームメイクに参加することも多い。味方を使うプレーも得意としており、近年は一気に決定機を生み出すスルーパスを身につけており、2020-2021シーズンには得点とアシストの両方でトップに立つというプレミアリーグでは史上4人目となる快挙を成し遂げている。スピードそのものは並のレベルだが、ロングスプリントを何度もこなせるだけの脚力があり、瞬時にスペースへと走り込んでカウンターの起点となることも多い。
守備時においては前線からのプレッシングにおいて相手のパスコースを切る技術が高く、ハイプレッシングが特徴的だったポチェッティーノ監督の戦術においてはファーストディフェンダーとしても重要な存在となっていた。労を惜しまず献身的に守備をこなすため、後ろの選手にとっては有りがたい存在である。
数少ない弱点はスピードだが、それを補って余りあるプレー選択肢の広さ、技術の高さ、俊敏さ、インテリジェンスの高さがあるためさほど苦になっていない。
エピソード
- 幼少の頃からの幼なじみであるケイティ・グッドランドと学生の頃から交際しており、2019年6月にパナマへの旅行中にプロポーズし結婚している。2021年現在3人の子供を授かっている。
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https://twitter.com/HKane/status/881126798528057344 - 10歳の頃、イングランドのスーパースターであるデイヴィッド・ベッカムが主催したアカデミーに参加したことがある。
- トッテナムでの初ゴールを記録した2014年10月23日のEL アステラス・トリポリス戦では、後半41分チームの交代枠を使い切った後にGKウーゴ・ロリスが退場したため急きょGKを務めることになる。その試合で失点を喫しており、初ゴールと初失点を記録するという珍記録を生み出している。
- スパーズにとっての宿敵であるアーセナルとのノース・ロンドンダービーでの最多ゴール記録を保持している。またレスター戦にも滅法強い。この2チームはいずれも過去に在籍したことがあり、苦い経験をしたことのあるクラブである。
- 非常に家族思いであることで知られ、結婚後はゴール後に結婚指輪にキスをするパフォーマンスが恒例ととなっている。
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